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木下恵介監督からの影響? そんなの受けてないはずなのに? そして不思議な運命。 [My Movies]

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木下恵介監督からの影響? そんなの受けてないはずなのに? そして不思議な運命。

脚本家の山田太一さんの話をもう一つ。先にも書いたように僕が10代の頃から見ていた多くのドラマの脚本を担当した方。当時、もう一人、大人気の倉本聰という脚本家がいて、「北の国から」を代表作とする方だが、彼のドラマも大好きで見ていた。

山田太一さんの作品は魂が揺さぶられる。見終わってしばらく呆然として、あれこれ考えてしまう。と言って彼のようなドラマを描きたい!と思ったことはない。山田作品はテレビドラマということもあり、ほとんどが家族ものだ。僕は本来、ホームドラマが嫌い。目指すはSFドラマだった。

それが映画監督業を始め、作品を作り出し、気づいたのは山田作品の影響が凄く大きいということ。最初は気づかなかったが、同世代の友人に何度も指摘された。パクっているのではない。影響があると言われた。監督第二作の「青い青い空」では試写会で見てもらった大林宣彦監督にこう言われた。

「これは木下恵介監督の作品を受け継いだ素晴らしい映画だね」

えー、木下恵介? 言わずとしれた日本映画の巨匠。黒澤明と並ぶ名監督だ。が、僕は昔から日本映画が好きでなく、その後、あれこれ勉強したが木下恵介だけはほとんど見てなかった。あの名作「二十四の瞳」さえも見ていない。1本「香華」だけしか見ていない。なのに巨匠は「木下監督の作品を受け継いだ」という。

ちょっと考えて分かった。木下監督の助監督を務めていたのが、若き日の山田太一さんだった。彼は演出部としてだけではなく、木下監督のシナリオ執筆にも参加。口述筆記もしたと聞く。そこで勉強してのちに脚本家となり大ブレイクする。つまり、木下監督の世界が山田太一さんに受け継がれ、その山田作品を見ていた僕は、山田作品を経て木下監督のエッセンスを受け取っていたということなのだろう。

ビックリ! さらに面白いのは、そう指摘された映画「青い青い空」は浜松ロケ。木下監督の故郷も浜松。なんとも運命的なものを感じる。その後、木下恵介を学ぶべく、浜松にある木下恵介記念館で過去のDVDを何枚も購入。名作と呼ばれる作品を何本も見た。ら、まあ、僕がやりそうな演出がいくもあった。いや、失礼。その辺を山田作品と通して僕が受け継いでいたのだろう。

木下監督の作品も多くが家族ドラマ。僕も目指してたSFではなく、家族物語を作り続けている。一番嫌いだったジャンルなのに? でも、どこかで山田太一さんのドラマの影響を受け、本来進むべきはそちらだったということなのだろう。不思議なものだ。


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脚本家・山田太一さんの作品から影響を受けていること感じる夜 [My Movies]

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脚本家・山田太一さんの作品から影響を受けていること感じる夜

深夜にTwitterを見ていると、八千草薫さんが亡くなったこともあってか、こんなツイートを見つける。「『岸辺のアルバム』最終回で『朝日のあたる家』のラストシーンを思い出した」ーこの方、かなり鋭い。実は「朝日」のシナリオを書く前にあれこれ考え、どんな結末がいいか? と模索していた。最初から決めていたのはブルースス・プリングスティーンの歌「マイホームタウン」の歌詞のような終わりにするということ。

歌では長年住み慣れた街を家族で出て行くので、そのふるさとをトラックの車窓から見つめるというもの。でも、それだけで終われない。主人公たちの心にはいろんな思いが渦巻いているはず。それで思い出したのが「岸辺のアルバム」。あのドラマは最後に主人公たちの家(多摩川沿にある)が洪水で流されてしまう。そこで息子の国広富之が両親に「この家にお別れしようよ」という。あのシーン。涙が止まらなかった。

長年、家族で住んだ家にお別れの言葉。だったら、長年住んだ故郷にお別れの言葉が欲しい。それで考えたのがあの娘2人の言葉だった。パクリではない。過去に見た良質の作品は意識してもしなくても、影響を与える。黒澤明監督はジョンフォードから。その黒澤明はコッポラやルーカスに影響を与えている。ある意味で師弟関係のようなもの。そのエッセンスや技術が受け継がれるのだ。

その「岸辺のアルバム」は山田太一さんが脚本。この方のドラマは10代から見ていた。新聞のテレビ欄で「脚本 山田太一」と書かれていたら必ず見た。「ふぞろいの林檎たち」「男たちの旅路」「沿線地図」「輝きたいの」「深夜にようこそ」「時にはいっしょに」と皆、家族や仲間の物語。凄く影響を受けている。

「明日にかける橋」の主人公みゆき。17歳の越後はる香が演じてくれた。そのキャラクターは僕が考えたのだが、映画完成後、珍しく見てなかった山田さんのドラマ「沿線地図」、ある俳優さんから頂いたDVDで見たら、主人公の真行寺君枝のキャラがみゆき、そのもの。セリフまで同じものがあった。設定も同じ。有名大学に進んで欲しいと強い希望を持つ母に反発する娘。それもかなりの抵抗。家出する。見ていないのに影響受けてる? 

それは同じテーマで子供達の未来を考える物語だったからだと思える。そう考えると、同じ「明日」の宝田明さんのキャラは「男たちの旅路」の鶴田浩二演じる吉岡司令補のイメージかもしれない。意識していないが、影響があるはず。若者たちに真剣に説教するオヤジというキャラはとても近い。若い内に良質なドラマや映画を見ておくこと。本当に大事だと思える。


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第1線で活躍する有名俳優の共通点⑤ 終 俳優以外の仕事をしない? [映画業界物語]

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第1線で活躍する有名俳優の共通点⑤ 終 俳優以外の仕事をしない?

そんな時代を背景として芝居が出来る若手俳優が増えた。バラエティには出ない。歌も歌わない。映画とドラマだけ。もちろん、相変わらず、テレビで売ろうとする大手事務所も存在する。が、昔のようには行かず、内部分裂を起こしたり、時代に逆行している。

僕の映画に出てほしいのは、そうしたタイプの芝居ができる俳優さんだ。だから、事務所がどこか?も考慮のひとつ。大手かマイナーかではない。モデル系、お笑い系の事務所はちょっと考える。

もちろん、俳優裸足のタレントさんもいるので、事務所で全ては決めない。あれこれ考えて依頼する。とにかく、芝居に命を賭けている人たちと仕事するのは楽しい。

僕が書いたシナリオをどう解釈し、表現してくれるのか? 出来る俳優さんは何もいわなくても正解を見つけ演じてくれる。これまでに「えーーそれは違うでしょう?」という人は皆無。俳優さんは超真剣に考え、役作りをし、現場に来てくれる。

今回の記事をまとめてみる。ベテランの人たちは手を抜かない。俳優の卵たちの方が全力で芝居しないことが多い。今の時代は兼業はダメ。俳優、歌手、タレント等を掛け持ちする人は芝居ができない。バラエティには出ない俳優。CDを出さない俳優が横道になった。最近はテレビドラマさえやらない若手も多い。映画のみ。もちろん、事務所の戦略もあるが、そのタイプは本格派が多い。

そんな俳優たちと仕事をすると、いいものができる。その手の女優さんとは何人も仕事したが。若手男優とはあまりしていない。が、その手の人たちともいつか仕事をしてみたい。時代は変わる。俳優のあり方も変わる。今は俳優業しかしない人たちが輝く時代だ。

(了)


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第1線で活躍する有名俳優の共通点④ 90年代はCM出身の女優がブレイクしたが? [映画業界物語]

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第1線で活躍する有名俳優の共通点④ 90年代はCM出身の女優がブレイクしたが?

90年代はCMで売り出し、そこから俳優へというパターンがあった。そのためには激烈な企業CMのオーディションに合格する必要があった。

そしてCMは15秒、30秒の世界。そこで魅力を発揮せねばならない。だが、その手のタレントは2時間の映画ではもたない。15秒なら輝くが、2時間だと飽きてしまう。

僕もその手のCMで人気が出たアイドルタレントと仕事をしたことがあるが、まさにそれ。可愛いが、持たない。もういいか...と思えて来る。例えばアメリカ映画で、最初、美人でもなく、パッとしない女優さんが、映画を見ている内にどんどん魅力的に見えて来た経験はないだろうか?

それが女優なのだ。だから、90年代にブレイクして大人気だったアイドルタレントが3人いる。3Mと呼ばれた。名前は上げないがM1さんも、M2さんも、M3さんも、映画の代表作がない。

M3さんは個性派に転じようとがんばっているが、厳しい。当時はCMでブレイク。十代でいきなり主演デビューみたいなこともあったが、今は演技力のある俳優が求められる。

先に書いたが70年代は売れれば他の分野に進出した。歌手で売れれば、映画、テレビドラマ、バラエティ、ラジオ番組、CMと、いろんなメディアに出ることが売れている証しだと思われた。

山口百恵は歌、映画、ドラマ、CM。いずれでも大ヒットを取ったが、80年代の松田聖子は全制覇していない。歌とCMは大ヒットだが、映画とドラマでヒットは取れなかった。90年代の3MはCMだけ。歌もドラマもそこそこ。それは能力の差ではなく、時代がマルチタレントを求めなくなったということ。

近年は観客が俳優は俳優。歌手は歌手と分けて受け止める。可愛いだけで歌が下手なアイドルのCDは買わない。アイドルが出ているからと、主演映画を見に行かない。テレビには出ないアーティストも増えた。

昔は矢沢永吉とユーミンが代表だった。が、そのタイプが増えた。昔はテレビに出ないと売れないという時代だったが、今はそ違う。芸能の世界も細分化され、売れれば何でもやるという形は廃れてしまった。(つづく)


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第1線で活躍する有名俳優の共通点③ 問題がある俳優事務所の共通点? [映画業界物語]

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第1線で活躍する有名俳優の共通点③ 問題がある俳優事務所の共通点?

モデルクラブから俳優事務所に転じた会社も問題あり。芸人もモデルも、多く仕事を入れた方が儲かる。だから、映画撮影の日でも、別の仕事を入れることが多い。

事務所がそれだから、俳優もそれが普通だと思うようになる。あとがあると集中して芝居ができない。そのために元モデルクラブの事務所では演技派が育ちにくい。綺麗で、イケメンでも、芝居がダメな役者が多い。

その点、昔から俳優中心の事務所は映画作りに理解がある。演技に集中しやすいようにバックアップ。映画とドラマ以外の仕事をさせないところも多い。バラエティに出たり、歌を歌ったりさせない。番宣のときだけトーク番組やバラエティに出演させる。出来る俳優が所属する事務所の多くはそんなスタンスだ。

低予算でもいい映画なら出演させる。芸術映画もOK。いかにも売れ線だが低俗な作品には出さない。バラエティも宣伝以外はダメ。テレビにも出ないことで高級感を作り、CMの仕事で稼ぐ。この手の事務所も多い。

70年代は前回説明したが、俳優の人気が出ると、歌手デビュー。「全員集合」にゲスト出演。テレビドラマ。CM。ととにかくメディアに露出させた。逆に、人気が出た歌手もドラマだ。映画だ!と出演。大して芝居ができない若手が主演した。稼げるだけ稼ごう!というスタイルが主。事務所の方針だけでなく、観客や視聴者もそれを望んだ。

それが今は映画にしか出ない俳優が多い。テレビにはほとんど出ない。歌も歌わない。バラエティにも出ない。俳優業に専念。今、人気の若手俳優たちはほとんどが、その路線。

もちろん、J系のタレントたちはドラマや映画で主役を張っているが、それら作品は内容的に評価はされない。テレビ番組にゲスト出演して朝から晩まで宣伝してヒットを取ろうとするが、1年経つと忘れられる作品でことが多い。

その意味で映画を中心に、俳優業に専念する若手俳優たちの時代がやってきたのだと感じる。

(つづく)



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第1線で活躍する有名俳優の共通点② 全力で芝居をしないある種の人たち? [映画業界物語]

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第1線で活躍する有名俳優の共通点② 全力で芝居をしないある種の人たち?

後輩監督が作った映画にお笑い芸人が出演したころがある。テレビでも活躍している人で、名前を思い出せなくても、顔を見れば誰でも知っている芸人さん。お笑いだけではなく、俳優としてもときどき仕事している。だが、現場では評判が悪かった。撮影中もジョークを言って、現場を湧かせたりはするのだが、真剣に演じていない。

「こんなもんでいいでしょう?」

という感じなのだ。演技が冴えず監督が「もう一度、行きましょうか?」というと「えー、もう一度?」と不満そうにいう。監督がそういうのは演技がよくないからだ。なのに芸人さんは

「あれで十分じゃない?」

と思っているから、そんな言葉が出る。そもそも、演技がOKかNGかは監督が決める。NGということは十分ではない。なのに、その芸人は監督の判断に不満を漏らした訳である。後輩監督はいう。

「彼は俳優業をアルバイト的なものだと思っているようでした。お笑いは本業だから真剣にやる。でも、俳優業は違う。自分は知名度があるし、出演するだけで意味がある。マジに芝居する必要はない」

その芸人はまとめ撮りをして、2日で帰って行ったという。撮影中も

「3時までに終わるかなあ〜。**の番組収録あるんだよなあ」

と気にしていたらしい。映画より、演技より、テレビのバラエティ番組出演が大事なのだ。その芸人が出た後輩の映画を見たが、文化祭映画に出た高校生のような芝居。顔が売れているからまだいいが、そうでなければ単なる大根。

芸人さんはお笑いに命をかけている。もの凄い努力をする。僕もよく知っている。が、演技に命をかけない。本業ではないから。また、芸人さんが所属する事務所はお笑いがメイン。ドラマや映画に対する理解が少ない。

会社自体も「映画はアルバイト」と考えている。撮影日にテレビの収録を入れ、5時出しとか言って来る。じっくりと撮影できない。「早く片付けて局に行かなきゃ!」となってしまう。

(つづく)



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第1線で活躍する有名俳優の共通点① ベテランは毎回全力投球する? [映画業界物語]

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第1線で活躍する有名俳優の共通点① ベテランは毎回全力投球する?

僕の映画。最近は第1線で活躍する有名俳優が数多く出演してくれている。松坂慶子、長門裕之、津川雅彦、宝田明、板尾創路、常盤貴子、藤田朋子、田中美里....と凄い面々。未だに、これらの皆さんに出演してもらえたことに驚く。

以前、こう考えていた。人気俳優は忙しいし、大手プロダクションに所属している。事務所はうるさいし、売れている人はいろいろ難しいことが多い。低予算作品だと、バカにしたり、下に見たりして、真剣に演じてもらえないのではないか?

だが、それは大間違い。第1線で活躍する俳優。そしてベテランや大御所俳優、出演頂いた人たちの中で誰1人として手抜きをした人はいない。全員が全力で演じてくれた。あるベテラン。テレビを見ていると、気に入らない作品だとパターンの演技でこなす人だと思っていた。

それが、ご一緒したら、全力で演じてくれた。別の有名俳優は僕の様なチンピラ監督の言葉をメモし、役作りをしくれた。僕が映画ファンだった10代の頃から活躍する方だ。なのに、超真剣。監督が若かろうとベテランだろうと、その言葉に耳を傾け役作りをする。思うに、ベテランの俳優は毎回、そんな姿勢で演じるからベテランであり、第1線で活躍できるのだろう。

「低予算映画だから、この程度の芝居でいい。監督が若手だから、いつものパターンでこなすか?」

そんな風には考えない。対して俳優の卵たち。事務所に依頼されたワークショップに行ったとき、こんな感じだった。

「レッスンで真剣には演じませんから」

「次の事務所公演。あそこでがんばっても意味ないしね」

「俺は全力出したらスゲーんだぜ。でも、ここぞというときにしか出さないけどね?」

大御所が低予算映画でも全力で芝居しているのに、新人が事務所主催の公演だから、全力では演じないというのは、間違っている。いや、その若手は大成できないということだ。たぶん、ベテランや大御所は若い頃から全力で演じていた。だから、今があるのだと思える。

(つづく)



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2年ぶりにワークショップを開催! 次回作に出てもらえる実力派と出会いたい。参加者募集中! [映画業界物語]

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2年ぶりにワークショップを開催! 次回作に出てもらえる実力派と出会いたい。

前回は映画「明日にかける橋」の撮影前だったので、映画の準備とワークショップの準備が並行してしまい大変だった。監督にとつても実力ある俳優と出会える大切な機会。参加者の中から3人、映画に出演してもらった。

オーディションでは俳優を選ぶが時間が短い。たいていは1人、10分〜15分ほどしか時間を取れない。下手すると10人一緒で1人で5分ということもある。俳優にすれば

「30分あれば本当の実力が見せられるのに!」

という人もいるだろう。実力あるのに緊張するという人もいる。だから、数分で起用に芝居ができる小粒の人が選ばれがち。時間をかければ凄い演技をする役者も多い。そこで毎回、3時間を超えるワークショップを実施。徹底的に芝居をしてもらう。

その俳優の個性、魅力を見出すと共に、何が足りないか?どんな努力が必要かも指摘させてもらう。

ただ、前回出会った3人はなかなか、頑張ったが、今回も実力派と出会えること。期待している!

詳しくは=>https://cinematic-arts.blog.ss-blog.jp/2019-10-26


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人はなぜ、映画や歌で心が癒されるのか? 癒されない人はどうなるのか? [映画業界物語]

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人はなぜ、映画や歌で心が癒されるのか? 癒されない人はどうなるのか?

映画作りは心理学だ。シナリオも、演技も、演出も心理学。以前にも書いたが、僕は心理学には昔から興味があり、この20年ほど勉強している精神病もそれに近い。気が狂う病気と思われがちだが、ほとんどが論理的に説明できる。その理由が分からないので怖いと思ってしまう。

犯罪心理学もその延長線にある。

そして俳優が名演技をするのと、犯罪者が猟奇殺人をするのも似た構図であり、どちらも本人が意識しない深層心理による表現。難しくなったので分かりやすく書く。

辛いサリーマン生活を送っている男性。上司に叱られ、家では嫁に不満をぶつけられる。カラオケに行き演歌を歌う。酒を飲む。ヤクザ映画を見に行く。そのことでストレスを発散し、また明日から頑張る。そのストレス発散とはどんなものか? ヤクザ映画。アクション映画でもいいのだが、映画を見ることで観客は主人公に同化。ルールに縛れた日常を離れ、好き勝手するヤクザになれる。あるいは問答無用の鬼刑事になり、大暴れできる。

そのことで不満が解消。

一種の代償効果によりストレスが軽減される。あるいは演歌を歌う。悲しい悲哀を歌った歌詞。僕は若い頃は演歌が大嫌いで「あんな暗い歌を歌ったら余計に暗くなる」と思えたが、暗く悲しい歌を歌うことで、共感。「人生なんて悲しいんだろう?」としみじみ感じる。そのことで傷ついた心が癒される効果がある。似たようなものでいうと、辛い話を誰かが聞いてもらうことで心が軽くなる。共感する。共感されることで心が癒されるのだ。

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男性は先のようにアクション映画を見てストレス解消するが、女性は悲しいドラマを見て共感。ストレス解消することが多い。だから、泣ける物語は女性に人気なのだ。もちろん、男性にも効果がある。感動ドラを見たことで、心が癒され、明日から頑張ろうと思ったことはないだろうか? その逆をやったのが映画「ジョーカー」だ。共感する部分はたくさんあるのに、結局ダークサイドに落ちてしまう。何の救いものない。だから、観客は落ち込んだまま映画館を出る。

そこで観客は自分を見つめる。

上司から理不尽なことを言われ、エリートに馬鹿にされ、金持ちに踏みつけられる。多くが似たような経験をしている。その自分をジョーカーを通して見つめる作業をする。結末は悲しいものだが、ある意味、現実逃避で終わる、一時的なストレス解消をするより、現実を考える機会を与えるのが「ジョーカー」だ。

そんな風に映画やカラオケ。小説や漫画。

酒やタバコでストレス解消ができる人は、表現者になる必要はない。そんなことでは癒されない「心の傷」を持った人たち。それらが俳優を目指し、作家になろうとし、歌を作ろうとする。全て心の傷を癒し、背負った十字架を下ろ壮とする行為。その傷が深く、十字架が重いほど、素晴らしい表現ができる可能性になる。そんな悲しい戦いが「表現」であり「芸術」なのだ...。


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背負った十字架が重く、苦しい者こそが名優となる。監督業はそれを解明する分析官? [映画業界物語]

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背負った十字架が重く、苦しい者こそが名優となる。
監督業はそれを解明する分析官でもある。

作家は真理を求めて作品を書き続ける。「幸せとは何か?」「家族とは何か?」「親子とは何か?」「平和とは何なのか?」他の表現者たちも同じ。苦しくてもそれを作品の中で探し続けることが、読み手の、観客の心を揺さぶることになる。

俳優業もほぼ同じだ。私って何だろう? 僕って何者なのか? それを探す旅だ。俳優となり成功する人たちは、才能があるとかいうことではなく、心が病んでいる、悲痛な経験をしている人が多い。単にかっこいい。有名になりたい。という思いだけで俳優を目指しても、その座に登りつくことはほとんどない。

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傷だらけの心を見つめ、自分が抱える十字架が何なのか?を知ろうとするのが俳優業なのだ。幼い頃の悲しい体験。若き日の屈辱。親との葛藤。貧しさ。そんなことで歪められた心を、あるいは心の金庫に仕舞い込み開けられなくなった扉を開けようとする作業が演劇なのだ。

ただ、多くの俳優はそれを意識していない。が、深層心理でそれをやらずにはいられない。それは努力ではなく、足掻かずにいられない十字架。それがない人たちがどんなに努力しても、そんな人たちには敵わない。芸能界に在日の人たちや貧しい人たちが多いのはそのせい。自分を蝕んだものと対峙しようとする運命的な戦いをするからだ。

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それは俳優だけでなく、音楽でも、絵画でも、漫画でも、小説でも同じ。表現とはそんな醜い、情けない、悲しい自分を探し出す作業でもある。その意味で芸術と犯罪は似ている。特に猟奇的な犯罪。アメリカのテレビドラマ「マインドハンター」で描かれる実在の犯罪者たち。エドワード・ケンパー、チャールズ・マンソンら。彼らが酷い犯罪を犯したのと、芸術家たちが作品を作るのは同じ構図。

どちらも自身が意識しないくても、自分の背負った十字架の影響下に存在する。その意味で映画監督は心理分析官にも近い。そんな十字架を背負った俳優たちの心の闇を見抜き、それを引き出す仕事なのだ。
心理学の有名な例だが、手を洗わずにいられない女性がいる。理由が本人にも分からない。しかし、過去に遡り、少女時代の記憶を手繰ることでその理由が解明する。それが分かると手を洗わなくても平気になる。過去の亡霊から解き放たれたのだ。

俳優業とはそんな作業をする患者でもあり、その理由を見抜き、解き放つのが監督業であるとも思える。つまり、より重い十字架を背負い、簡単に解き放たれないものこそが、名優と呼ばれる存在になるということなのだ。



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