人はなぜ、映画や歌で心が癒されるのか? 癒されない人はどうなるのか? [映画業界物語]
人はなぜ、映画や歌で心が癒されるのか? 癒されない人はどうなるのか?
映画作りは心理学だ。シナリオも、演技も、演出も心理学。以前にも書いたが、僕は心理学には昔から興味があり、この20年ほど勉強している精神病もそれに近い。気が狂う病気と思われがちだが、ほとんどが論理的に説明できる。その理由が分からないので怖いと思ってしまう。
犯罪心理学もその延長線にある。
そして俳優が名演技をするのと、犯罪者が猟奇殺人をするのも似た構図であり、どちらも本人が意識しない深層心理による表現。難しくなったので分かりやすく書く。
辛いサリーマン生活を送っている男性。上司に叱られ、家では嫁に不満をぶつけられる。カラオケに行き演歌を歌う。酒を飲む。ヤクザ映画を見に行く。そのことでストレスを発散し、また明日から頑張る。そのストレス発散とはどんなものか? ヤクザ映画。アクション映画でもいいのだが、映画を見ることで観客は主人公に同化。ルールに縛れた日常を離れ、好き勝手するヤクザになれる。あるいは問答無用の鬼刑事になり、大暴れできる。
そのことで不満が解消。
一種の代償効果によりストレスが軽減される。あるいは演歌を歌う。悲しい悲哀を歌った歌詞。僕は若い頃は演歌が大嫌いで「あんな暗い歌を歌ったら余計に暗くなる」と思えたが、暗く悲しい歌を歌うことで、共感。「人生なんて悲しいんだろう?」としみじみ感じる。そのことで傷ついた心が癒される効果がある。似たようなものでいうと、辛い話を誰かが聞いてもらうことで心が軽くなる。共感する。共感されることで心が癒されるのだ。
男性は先のようにアクション映画を見てストレス解消するが、女性は悲しいドラマを見て共感。ストレス解消することが多い。だから、泣ける物語は女性に人気なのだ。もちろん、男性にも効果がある。感動ドラを見たことで、心が癒され、明日から頑張ろうと思ったことはないだろうか? その逆をやったのが映画「ジョーカー」だ。共感する部分はたくさんあるのに、結局ダークサイドに落ちてしまう。何の救いものない。だから、観客は落ち込んだまま映画館を出る。
そこで観客は自分を見つめる。
上司から理不尽なことを言われ、エリートに馬鹿にされ、金持ちに踏みつけられる。多くが似たような経験をしている。その自分をジョーカーを通して見つめる作業をする。結末は悲しいものだが、ある意味、現実逃避で終わる、一時的なストレス解消をするより、現実を考える機会を与えるのが「ジョーカー」だ。
そんな風に映画やカラオケ。小説や漫画。
酒やタバコでストレス解消ができる人は、表現者になる必要はない。そんなことでは癒されない「心の傷」を持った人たち。それらが俳優を目指し、作家になろうとし、歌を作ろうとする。全て心の傷を癒し、背負った十字架を下ろ壮とする行為。その傷が深く、十字架が重いほど、素晴らしい表現ができる可能性になる。そんな悲しい戦いが「表現」であり「芸術」なのだ...。
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