SSブログ

「有名なりたい!」という若い人たち④ それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない? [映画業界物語]

22008442_1633704020037229_8173118876904942262_n.jpg

「有名なりたい!」という若い人たち⑤ それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない?

大切なことは「芝居がしたい」「歌が歌いたい」「物語を書きたい」そんな思いだ。「有名になりたい」ではダメ。「CMタレントになりたい」という子もいるが、本来CMは有名な俳優が出るもの。

あるいは売り出し中の若手を出すもの。これも「CMタレントになりたい」ではなく「CMに出て有名になりたい」というのが本当のところだろう。いずれにしても大切なのは何をしたいか?である。それ以前に時代が専門化(?)している。

70年代。山口百恵の時代は歌歌って、ドラマやって、映画に出て、CMに出て、いずれも大ヒットということがあった(百恵ちゃんはテレビでは「赤い」シリーズが高視聴率。映画では友和コンビ作品がヒット。歌は毎回ベストテン入り。CMでも活躍した)が、その後、80年代。松田聖子は歌とCMでは活躍したが、ドラマと映画はイマイチだった。

さらに90年代。宮沢りえの時代になると、CMにはたくさん出ていたが、ドラマ、映画、歌では大ヒットが出ていない。同世代の子たちも皆同じ。つまり、歌手は歌手。俳優は俳優というふうに仕事が分業されて来たのだ。歌は下手でも可愛いから!とレコードが売れた時代ではすでにない。

そんな中、歌でも、俳優でも、何でもいいから有名なりたいでは通用しない。もう少しいえば俳優業。演技というのは誰にでもできると思われがちなので、そんなふうに勘違いする若い人がいるのだろう。でも、演技はスポーツと同じ。アイススケートと同じ。技術を磨き、センスも必要。

絶え間ない練習と挑戦。それによってなし得る表現なのだ。ま、野球でも、ボクシングでも、レスリングでも同じだが、熟練された技術なのだ。それを有名になりたい!という動機でスタートすること自体。無理がある。が、絶対に無理か?というとそうでもない...。(続く)



61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「有名なりたい!」という若い人たち③ それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない? [映画業界物語]

22141009_1637749622966002_605796988844543154_n.jpg

「有名なりたい!」という若い人たち③ それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない?

知り合いの芸能事務所のマネージャーはいう。

「事務所に入れてほしいという若い子がよく訪ねてくる。何をしたいの?と聞くと、有名になりたいという。歌手だ。俳優だ。タレントだ。いう前に有名になりたいって…..」

その言葉に全てが現れている。しかし、大きな間違いも分かる。その子たちは芝居をしたい。歌を歌いたいではなく、有名になることが目的。そこに現代の病巣を感じる。

自己肯定されない社会。学校。家庭。その中でアイデンティティーを確認できない子たち。芸能人になることで、圧倒的な肯定をされたい。近所や学校レベルでない評価を受けたいーそこまで病んでいるということだ。

ただ、そんな子たちは与えらえるだけの教育しか受けておらず、そんな苦しみを癒そうとするときも、同じことを繰り返す。こう考える。

「事務所に入れば、いろいろしてもらえて、レッスンがあり、売り込みをしてくれて、テレビや映画にすぐ出られる。学校と同じように、与えてくれるはずだ...」

つまり、自分が努力して何かになるのではなく、事務所が全てしてくれると考える。そして「自分なんか大したことない。誰も必要としていない」という寂しさを払拭して、バラ色の日々が掴めると思っているのだ。社会が産み出した自己否定に悩む子たちは、管理教育の中では努力することさえ学べていないのだろう....。(つづく)


61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「有名なりたい!」という若い人たち② それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない? [映画業界物語]

47185477_2310455019028789_7064307215699542016_n.jpg

「有名なりたい!」という若い人たち② それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない?

学校生活では成績がよくないと認められない。評価されるのは一部の生徒だけ。だが、成績優秀な彼らも、もっと優秀で彼らの行けない一流大学に行く連中がいることを知っているので満足できない。あとは運動会や体育祭で活躍するくらいしか注目されない。

会社員になっても代わりが効く仕事がほとんど。1人の活躍で大きな事業を成し遂げることは少ない。集団の仕事。個人は評価されにくい。特に女性は会社で認められ、褒められることは少ない。日本社会はまだまだ女性に厳しい。主婦になっても褒められることは少ない。夫を懸命に支えても次第に当然のような顔をするようになる。

となると小学校時代に運動会で一等賞になるとか、学力テストで1番になるとか、そんなことでしか評価され、褒められることがない。子供が「ロボットの絵を上手に描けた!」といっても

「あら、上手ね。でも、勉強もしっかりするのよ」

と親に言われてしまう。今の日本。結局、褒められ評価されるのは一流大学に入学したとか、一流企業に就職したということくらい。ま、オリンピックで金メダルというのは評価されるが、それはさらに手の届かない世界なので置いておく。つまり、日常を暮らしていて褒められたり、評価されることが極めて少ない。そのために多くの若者が自己確認=アイデンティティの確認ができない。分かりやすくいうと

「自分なんかいなくてもいい。必要とされていない。ダメな人間だ。何の役にも立たない」

というコンプレックスに苛まれ、悩み、苦しむ。生きている実感がない。「私なんか死んで方がいいんだ」という感覚。最近の「エヴァンゲリオン症候群」も近い。喪失感。勉強もできない。運動もできない。そんな若い人たち。でも、そんな彼ら、彼女らが一気に挽回できるものがある。何か?

芸能人になること。

俳優や歌手や作家。そんなものになれば多くの人に愛され、賞賛され、尊敬され、チヤホヤしてくれる。そう、若い人たちがよくいう「有名になりたい」というのは、そういう状態。

だから「芸能人になりたい」となるのだ。アイドルになり、キャーキャー言われたい。テレビに出られる。コンサートでステージに立つ。そんなことでアイデンティティを確認できて、生きている実感を持てる。芸能人志望の多くは無意識にそれを求めているのだ....。(続く)



61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「有名なりたい!」という若い人たち① それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない=何がいけないのか? [映画業界物語]

43172433_2198164496924509_3540851079832928256_n.jpg


「有名なりたい!」という若い人たち① それでは俳優にも、歌手にも、作家にもなれない=何がいけないのか?

ここしばらく俳優等、表現の仕事をしたい人。あるいはどんな人がそんな仕事に向いているのか? 等をいろんな角度から書いてきた。それらを読み「私は向いている!」と思った人。「俺は無理だな….」と感じた人。「無理かもしれないけど、俳優になりたい」「作家になりたい。歌手になりたい!」という人。いろいろいるだろう。

そんな人たちに向けて、もう一度書いてみる。基本、表現の仕事=俳優とか、歌手とか、作家、映画監督、他、それらの仕事をしたい人は多い。でも、多くが

「かっこいいから」「有名になりたいから」

ということが動機。その背景を考てみる。人にはいろんな欲がある。「金持ちになりたい」「****の車が欲しい」「モテたい」「おいしいものを食べたい」そんな中で「人に認められたい」という欲求がある。

戦後、日本人は貧しく、食べることにさえ事欠いた時代があった。が、食えるようになり、生活ができるようなったら、それで満足か?というと、今度は「人に認められたい」という思いが出てきた。それはもともと人が持っている欲求。貧しい時代はそれより「食べる」「寝る」が優先されただけだ。それなりに生活できる時代になると、多くの人が感じるようになる。

「褒められたり」「評価されたい」「チヤホヤされたい」

なぜ、それを求めるか? というと、自己証明=アイデンティティの確立ができるからだ。自分の存在が認められる。必要とされることで「自分は生きて行く意味のある存在」と喜びとなる。逆に「俺なんか誰も必要としない」「私なんかいなくていいの」と思うと辛く、苦しい。だが、現代はそんなふうに必要とされたり、賞賛されたりし辛い時代なのだ...。(続く)  ー2018の記事ー


61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「明日にかける橋」の太田監督の新作「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」監督日記、連載中! [2019]

69700968_2984971694910448_5954901151504662528_n.jpg

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」監督日記、連載中!

2019年秋、沖縄にて完成披露試写会を準備中。

ここ=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp



nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

もう少し「さらば青春の光」の話を書く。尾崎豊とThe Who [My Movies]

72640580_3087817251292558_1449598758579863552_n.jpg

もう少し「さらば青春の光」の話を書く。尾崎豊とThe Who

尾崎豊はスプリングスティーンの影響が大きいと思えるが、その歌詞はTheWhoの方が近いと思える。10代のやりきれない気持ちを歌う。まさにTheWhoだ。映画の主人公ジミーはWHOが好きで、米軍コートを着てベスパで仲間と街を走り回るモッズ族。親や大人たちの説教にうんざりしている。尾崎は歌う。

「大人たちは心捨てろ捨てろいうが、俺は嫌なのさ」

「15の夜」の歌詞だ。この曲の最後はこう。

「盗んだバイクで走り出す。行先も分からぬまま、
この夜の帳の中へ
誰にも縛られたくないと、飛び込んだこの夜に 
自由になれた気がした15の夜」

これはほとんど映画のラストシーンだ。ドーバー海峡のあの白い崖。夜ではないが、スティングから盗んだベスパで走る場面は「15の夜」そのものだ。昨年、製作した映画「明日にかける橋」はそんな「さらば青春の光」やTheWhoの影響が大きい。

影響というより、主人公のみゆき(越後はる香)は若いのにTheWhoのファンという設定。部屋にポスターも貼ってある。今回39年ぶりに「青春の光」を観て主人公ジミーの部屋にも同じポスターが貼っているのを発見。驚いた。いくつもあるデザインの中で同じものとは完全に忘れていた。

49384583_2391862087554748_6274829919604178944_n-2f19a.jpg

ただ、出演者の越後は当時16歳。さすがにWHOは知らない。そこで先に書いたように同じ思いを歌にしている尾崎豊のCDを宿題として彼女に渡した。尾崎でさえ彼女の世代からはかなり下なのだが、驚いたことに越後は尾崎のファンだった。

さらに、越後の20年後を演じる鈴木杏ちゃんまで尾崎のファンであることがのちに分かる。その尾崎はまさに日本版のThe Whoであり、「さらば青春の光」から全ては来ている。まさに主人公みゆきの気持ちはオープニングで流れる「real me」だ。

69576335_2931281203612831_2698133420675956736_n.jpg

「本当の私が分かかい? お母さん。お父さん。そして先生」

職員室で英語の先生に突っかかる時に聞く「四重人格」と「愛の支配」はまさにWhoのアルバム名と、曲のタイトルだ。しかし、現在10代の越後が尾崎豊に共感するというのは、時代が変われど10代の葛藤は変わらないということ。その背景にあるのは何だろう。僕も10代の頃は気づかなかったが、「光」の主人公ジミーも気づかずに暴走するしかなかった。

彼もまさに学校を卒業しても、今度は社会が大きな力で押さえつてきたのである。尾崎の「卒業」の歌詞の通りに。

「卒業して一体何が変わるというのか? 
これからは何が俺を縛り付けるのか?
あと何度、卒業すれば、本当の自分にたどり着けるのだろう
仕組まれた自由に、何も気づかず 足掻いた日々も終わる
この支配からの卒業」

18歳の時にこの映画を観て。それから39年。その向こうにあるものが今は見える。大人たちに心を捨てさせ、子供達を踏みつけてきた背景にあるのは社会構造。政治家と金持ちが手を組み、庶民を必死に働かせて楽して優雅に暮らす。昔は分かりづらかったが311以降。そして現政権の恥じらいもないやり方で明確になった。僕らを縛り続けていた連中の正体が今は見える。

そして僕らはいつまでも無力ではない。「行動すれば時代は変わる」それを伝えたのが「明日にかける橋」。その原点となった「さらば青春の光」が39年ぶりにリバイバルされたのも。新しい始まりなのかもしれない。


61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

18歳の時に観た「さらば青春の光」を58歳で見直して分かったこと、 [映画感想]

72640580_3087817251292558_1449598758579863552_n.jpg

18歳の時に観た「さらば青春の光」を58歳で見直して分かったこと、

1980年、なぜ、僕は2日続けてこの映画を映画館で観たのか? 原作であるThe Whoの2枚組アルバム「四重人格」を何度も繰り返し聴いた理由が分かった。

今振り返ると、主人公ジミーの境遇に物凄く共感したのだと思う。共感どころではなかった。「これは僕だ!」と思ったのだろう。この映画の公開から3年後に登場する尾崎豊の歌を聴いた時のような思いだった。

「僕も同じ気持ちだ....」

そんな感じだった。当時、ローリングストーンズやビートルズは聴いていたが、三大バンドの一つ、The Whoだけは日本で人気がイマイチ。知らない人が多い。また、当時Whoは日本でライブをしたことがなく、実現するのは1990年代に入ってからだ。

しかし、そのThe Whoの歌は当時のイギリス、そしてアメリカの若者の共感を集めて大ヒット。10代の葛藤を歌ったものだった。その歌詞に共感するのは日本でも同じ。その彼らのアルバムを映画化したのだから、10代の僕は共感しないはずはない。

当時のイギリスの若者たち。

ドラッグと、SEXと、暴力と、米軍の放出コートを着てベスパにまたがり、仲間が集まり、強がって見る。パーティで酒を飲んで踊り、街を暴走する。そんな彼らは学歴もなく、安い賃金のどうでもいい仕事をしている。親から理解されず、大人たちから批判されてばかり。仲間とバカをしている時だけが、惨めな自分を忘れ、俺たちは特別だと思える。

しかし、彼らは同じ境遇のロッカーズと抗争。本当の敵が見えないでいる。主人公ジミーがシャワールームで再会した友人。服を着れば親友は黒い革ジャンのロッカーズと分かる。裸になれば皆、同じであり、友と昔と同じように接することができるのに、服を着ただけで敵味方。ドラッグで自分をごまかし、大人にダマされて、ブライトン(地名)では逮捕される。

そこからジミーはさらなる転落。

やっと手に入れた彼女を仲間に奪われ、仕事を無くし、親から縁を切られる。真剣な恋だと思った彼女が遊びだと分かり、大切なベスパも壊れてしまう。そして、憧れのエース(演じるはあのスティング!)の正体を知り全てに絶望する。そこに再び、18歳の僕は自身を重ねたのだろう。親も、教師も、同級生も、誰にも理解されなかった10代の自分。The Whoの大ヒット曲「マイゼネレーション」はこんな歌詞だ。

「みんなが俺たちをダメにしようとしている
なぜなら、俺たちが面倒を起こすからさ
俺たちは年取る前に死にたいぜ」

映画のオープニングで流れる「real Me」の一節はこうだ。

「あんたは本当の俺が見えているのかい?」

医者に、母に、父にそう問いかける歌詞だ。高校卒業の翌日に名画座で観たこの映画。主人公のジミーはすでに社会人になり働いているが、僕自身の高校時代があまりにもダブった。映画とロックが好きなだけの無力な18歳。大学に行くのも拒否。誰もが「無理だ」と否定する映画監督を目指して横浜に旅立つ直前だった。また、別の機会に続きを書く。


61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

39年ぶりに映画館で見た「さらば青春の光」 18歳で見た衝撃の青春映画。当時をリアルに思い出した。 [映画業界物語]

72640580_3087817251292558_1449598758579863552_n.jpg

39年ぶりに映画館で見た「さらば青春の光」 
18歳で見た衝撃の青春映画。当時をリアルに思い出した。

60年代にビートルズ、ストーンズと並び大人気のロックバンドだったThe Whoのアルバム「四重人格」。それを原作に映画化したもの。1979年製作。日本は1980年公開。1960年代モッズ族とロッカーズの抗争を背景にした青春物語。

スーツに米軍放出アーミーコート(少し前で言えば「踊る大捜査線」の織田裕二が着ていた緑のコートと同じタイプ)。イタリア製のスクーター・ベスパに乗るのがモッズ族。

対してロッカーズは皮ジャンにオートバイ。日本の暴走族のような感じ。まるでドキュメンタリーを見るようなリアルなイギリスの貧しい若者たちの生活が綴られる。恋、喧嘩、疎外感、やり切れなさ、親との軋轢、ドラッグ、パーティ、

僕は高校の卒業式が終わった翌日に見た。18歳。今から39年前だ。大阪の戎橋劇場で2本立て。物凄い衝撃を受けた。映画を超えていた。見終わって呆然とした。翌日、もう一度、見に行った。当時、同じ映画を2度3度見ることはあったが、翌日にもう一度見たのは後にも先にも、この映画だけだ。

その後、横浜に行き。映画学校に通いだす。その最初の月に銀座の名画座で「さらば青春の光」が上映。また見に行った。今はシネスイッチになった映画館が1980年は名画座だった。横浜時代は4畳半のアパート。トイレ共同、風呂なし。そこで映画の原作となったアルバム「四重人格」を繰り返し聴いた。2枚組なので全部聴くのに2時間ほどかかる。何度も朝まで聴き続けた。

横須賀のドブ板通りに出かけてモッズ族と同じコートを買った。ベスパは高かったので日本製のスクーターに乗って横浜の街を1人で走った。当時18歳の僕をそれほどまでに引きつけたものはなんだったか? DVDが発売されたのはかなり遅く、1990年代になってから。

IMG_2274.jpeg

だが、なぜか怖くて見れなかった。買って10年以上が経つが未だに見ていない。それが映画館でリバイバル。極音上映される立川まで行った。

39年振り。青春との再会。その日は1日中。現実に帰って来れなかった。主人公ジミーがベスパで駆け抜けたブライトンの街。ドーバー海峡に広げた自身の18歳の地図から戻って来れなくなった。続きはまたいずれ...。


61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「過去を振り返らず、前向きに生きること!」は間違っている!?(終)ーだから日本は戦争が出来るようになった。 [映画業界物語]

72111861_3087781471296136_3321650539048992768_n.jpg

「過去を振り返らず、前向きに生きること!」は間違っている!?(終)
ーだから日本は戦争が出来るようになった。

先輩や友人だけではなく根本的に間違っている人が多い。「愚痴」と言う言葉を辞書で引けばこう書かれている。

「言っても仕方のないことをグダグダと言い続けること」

つまり「あの時、うまく言っていればなあ」「あいつのせいでダメになった」と言う恨みつらみや失望を語るのが愚痴である。原因を考え、次回に生かそうとするための反省や究明は愚痴ではない。そのように失敗を振り返ることを「愚痴」と決めつけ止める人が多い。

が、その日本人的習慣が酷い目に遭ったときにも発揮される。国民のためにならない法律が強行採決された。消費税がまた上がった時にも、文句を言わず従うのは愚痴を言っても仕方がない判断するからではないか?「愚痴を言わない」と言うのは支配者層に都合のいい表現なのだ。

話を戻す。だから僕は、よりよい映画を作るために、機会あるごとに過去に起きたトラブルを再分析し、反省し、同じ失敗を繰り返さないように反省する。そして次に活かす。そのことを学んだのはスピルバーグ監督からだ。

映画監督というのは傲慢な人が多く。自分は絶対に正しいと思い込んでいる。が、彼の映画を見ると以前の反省に立った演出がかなりある。完成後に問題点を分析して、「これはうまく行ってない。次はこうしよう!」とか考えていることが分かる。「1941」の失敗を「レイダース」で再挑戦。「レイダース」の失敗を「ET」で。同じ設定の中でチャレンジし、成功させている。

日本では「終わったことをいつまでも言っていても仕方ない。前に進もう!」というと、正しいと思われがち。だが、それは違う。何度でも反省して、問題点を把握することが大切。それをしないから日本という国自体が今、戦争と言う名の愚かな失敗を繰り返そうとしている。まさに「過去を振りからず前向きに進もう」としている。大事なのは反省と分析。過去の愚行は忘れないこと。前へ進むのは、それからなのだ。(了)                        (2014年の記事)

「ドキュメンタリー沖縄戦」予告編=>https://youtu.be/sGFjWg0fo00



61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「過去を振り返らず、前向きに生きること!」は間違っている!?③ 「人のせいにするな」と言う先輩 [映画業界物語]

11825614_871027912971514_6740257249980222481_n.jpg

「過去を振り返らず、前向きに生きること!」は間違っている!?③
「人のせいにするな」と言う先輩

もし、僕が「**君のせいで大失敗した。許せない〜」と言っているだけなら、先輩が指摘するように、愚痴だ。でも、***君がなぜ失敗したか?を分析し、その理由が努力不足か? 無責任か? それを分析し、誰に任せるべきだったか?と次の反省に繋げるならば、それは愚痴ではない。

先輩は「過去の失敗談」や「苦い話」を書くだけで「愚痴をいうな」といっているだけ。付け足すと先輩は「人のせいにするな!」とすぐにいう。

責任転嫁はいけないが、原因は誰にあったか?を客観的に分析し、なぜ、その人が問題を起こしたか?を理解し、それを防ぐために何かできなかったか?を考えることが必要。

だが、先輩は過去の失敗を話すと「愚痴をいうな」問題ある人物の話をすると「人のせいにするな」と怒り、話を終わらそうとする。先輩にしろ、「終わったことは忘れて前に進もう」と言う友人にしろ、意味をはき違えている。

失敗を反省すること。分析することは「愚痴」ではない。それをしないことは前向きというより、愚かなだけ。責任が誰にあるか?を明確にすることは「人のせいにすること」とは違う、同じ失敗を繰り返さないために大切なことだ。

8月が来る度にマスコミは「終戦記念特集」をするが、あれは「愚痴」だろうか? 二度と悲惨な戦争を繰り返さないために、当時の日本は何を間違い、なぜ戦争に参加し、どんな悲劇を起こしたか?を分析、反省するためのものだ。(つづく)(2014年の記事)



61328389_2713611712046449_5637045108852391936_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。