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映画監督っていろんなタイプがいる=撮影現場の監督ってどんな風か? [映画業界物語]

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映画監督っていろんなタイプがいる=撮影現場の監督ってどんな風か?

映画監督というと撮影現場で怒鳴っている怖い人。という印象を持つ人が多いようだ。なので、一般の人と会うと「監督ってもっと怖い人だと思った」とよく言われる。多分、昔、NHKで放送された黒澤明のドキュメンタリー番組の印象が今だに残っているのかもしれない。

しかし、実際に撮影現場で怒鳴る監督はいるが、その段で怒鳴っても俳優の芝居が良くなるなんてことはない。現場がダレている時になら怒鳴ることでピリッとするというのはあるが、怒鳴られてら逆に萎縮して芝居ができなくなる。その意味で僕はよほどのことがないと怒鳴らないし、怒らない。

特に太田組は若い新人女優が多く出演するので、オヤジたちが怒鳴っているとビビってしまう。芝居にも影響するので怒鳴るのは禁止だ。そしてスタッフもダレて仕事をする奴は一人もいないので、これまた怒鳴る必要はない。それ以前に僕は強面で現場を進めるタイプでもない。

ただ、武闘派の監督というのもいる。ヤクザ映画の現場等ではその種の俳優さんが集合。芝居だけでなく、本物に近い方々もいる。そんな役者には演劇論は通用しない。男気とか、度胸とか、そんなことが大事? ガタイのデカイ監督が野太い声で「本番行くか〜!」「おー」みたいな現場もあるようだ。そんな風に監督でも不良グループのボス的なキャラもいるし、インテリで理屈っぽい人もいる。

職人風で淡々と現場を進める監督もいる。川島雄三監督は撮影現場でもスーツにネクタイ姿だったという。それを模したのか?三谷幸喜監督もネクタイをして演出するという。あ、これはビリーワイルダーを真似たのだっけ? 昔参加した日米合作ドラマの現場。カナダ人監督はいつもグリーンのブルゾン。帽子も緑。それがトレードマーク。とにかく、いろんなスタイルの監督がいる。

僕は毎回、ロックバンドのTシャツ。Rストーンズから、Bスプリングスティーン、THE WHO、そして映画関係、「バック・トウ」から「ジュラシックパーク」「13日の金曜日」、さらに母校USCのもの。(写真は「ウォーキング・デッド」Tシャツ)そしてインディ・ジョーンズが被っているステットソンの帽子(1930年代に流行った)。そして現場では怒鳴らない。ほとんど俳優に指導はしない。「え? なんで?」と思うだろう。字数が多くなったので、その話は別の機会に!

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矢沢永吉に学ぶ映画作り? =「え?彼はミュージシャンだよね?」 [映画業界物語]

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矢沢永吉に学ぶ映画作り? =「え? 彼はミュージシャンだよね?」

映画監督業を目指していた頃、スピルバーグ、ルーカス、コッポラ等のインタビューを読み漁った。彼らからの発言。仕事ぶりからもあれこれ学んだ。

が、ある意味で監督たち以上に学んだのが、矢沢永吉だ。へ?ミュージシャンだよね? はい。そんな彼のバンド「キャロル」のメンバーだったジョニー大倉が「笑っていいとも!」に出演したとき。タモリがこう聞いた。

「矢沢永吉ってどういう人なの?」

それに対してジョニーは「大阪商人ですね!」と答えている。つまり、矢沢は歌がうまい!とか、作曲が上手というミュージシャンとしての力だけでなく、ビジネスマンとして優秀ということなのだ。実際、彼の自伝である「成り上がり」を読むと、芸術家というより、やり手のビジネスマンの側面が綴られている。

僕も10代にその本を繰り返し読んだし、彼のインタビューが掲載された雑誌は必ず買ってファィルした。そんな矢沢はキャロルを解散するときにこう言った。

「もう2度とバンドは組まない。今後はソロでやる!」

というのは「何かをしようとしても、他のメンバー3人を説得しなければならない。でも、1人なら自分が行きたい方向にすぐに進むことができる」という。ソロデビューしてからのアルバム「ドアを開けろ」かな?そこからはプロデュースも彼自身が担当。

とてもよく分かる話で、僕が監督業を始めてからも同じことがあった。僕が企画し、お金を集め、シナリオを書いて、演出もするのに、年寄りのPがあーだ。こーだと。自分の趣味や古い価値観を押し付けてくる。

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それでもPなので説得するのだが、無駄に時間がかかる。隠れて勝手なことをしたり、やるべきことをしなかったり。そんなPが続いた。で、ある時期からは自身がPを担当し始めた。あれこれ他の人を説得せずに進めることができる。Pがいない方がトラブルも少なく、スムーズに進んだ。

矢沢はその後、コンサートの演出も、興行も自身でやるようになる。90年代からはバックを務めた元ドゥビーブラザースのメンバー等も自身で交渉。ギャラを決めて日本に呼んでいる。(もちろんレコーディングも彼ら!)

対して、映画界。日本の監督はP任せ、作品の中身のみに集中する。本来それがいいのだけど、僕には任せられるPがいない。彼らは社員であることが多いので、作品に命懸けにはならず、次もまた無難に仕事できる環境作りを優先。何より製作費を抜き、コネを作ることばかりに精を出す奴が多い。だから、僕がやるようにした。ちなみに矢沢も似たようなことを言っている。

「ビートルズには有能なマネージャー・エプスタインがいた。でも、俺にはそんな人がいない。だから、マネージメントも自分でやるしかなかったのさ!」

とてもよく分かる発言だ。矢沢が他のミュージシャンと違う展開をし、アメリカの凄腕ミュージシャンたちと仕事ができるというのは、ビジネスマンと側面が強い。

僕は現在、低予算ながらメジャーで撮れば1億円近いレベルのことをやっている。多くの有名俳優が毎回、何人も出てくれる。そこは矢沢から学んだ部分が大きい。手抜き、金抜きのPと組んだり、あれこれ説得せねばならない連中がいたら、できなかっただろう。「先人に学べ」は正解。ただ、矢沢は大金持ちになったが、僕はダメ。そこは音楽界との違い。残念!


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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?⑤終 [映画業界物語]

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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?⑤終
(2014年の記事から)

20歳の時。遠回りではあるけど、海外で生活することにした。友人にその選択を話したら、こういわれた。

「そうか、がんばれよ。俺は日本でがんばる。才能があれば、やっていけるはずだ。将来、一緒に映画を撮ろう。『トワイライトゾーン』のようなオムニバス映画を一緒に作ろう。俺は俺に才能があると信じている....」

それから30年。僕は4本目の劇場用映画を作っている(注・この記事を書いたのは2014年。「向日葵の丘」製作時。その後、5本目の「明日にかける橋」も監督。その次が「ドキュメンタリー沖縄戦」である)友人は何年か前に東京を引き払い、古里へ戻った。結局、監督になることはなかった。それを聞いた別の友人がいう。

「結局、あいつは才能がなかったんだよ」

でも、それは違う。彼は才能がないのではなく「才能があるから俺はやっていける」と思い込み、努力しなかったことが夢破れた原因だったのだ。

僕は結局、若くして監督デビューはしなかった。43歳になっていた。でも、「才能」なんてものを信じなかったことが正解。どんな仕事でも同じだろう。料理人でも、職人でも、ピアニストでも、 漫画家でも。努力が必要。特にクリエーターなら、経験値が大切なのだ。

映画は人や世の中を描く仕事。その人や世の中を知らずに、それらが描ける訳がない。20歳頃はそれを明確に伝えることはできなかったが、今ははっきりいえる。

「才能なんて存在しない!」

クリエーターの世界では努力と経験が大事。もちろん、それだけではないが、ネットで世間を知ったつもりになってはいけない。自身が経験すること。それが重要だ。若い人にはそう伝えたい。(了)


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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?④ [映画業界物語]

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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?④
(2014年の記事から)

「才能があればやっていけるんじゃないか? 手塚治虫だって、若くしてデビューしたけど、あれだけ多くの作品を書いたんだ」

当時、18歳。映画監督を目指す友人はそういうが、僕は「才能」なんてものはない思えていた。しかし、友人の言葉が引っかかる。手塚治虫や黒澤明のことを調べた。

彼らはもの凄い努力をしていた。どうも、才能があるから名作を作れたのではなく、常人を超えた努力で作品を生み出したようだ。

そしてジョン・レノンの言葉

「才能とは99%の努力と1%のひらめきである」

を知る。チャップリンも同じことをいっている。

「才能があるから作品が作れるのではない」そう確信する。では、何が必要なのか? やはり経験だ。昔から憧れていたアメリカ留学を決めた。海外で暮らすことでいろんなことが見えてくるはず。

異文化の、言葉の違う国では、数々の経験ができるはずだ。以前、先輩にいわれたことを実践した。

「監督になるなら、いっぱい遊ばないといけないぞ」

(つづく)



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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?③ [映画業界物語]

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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?③
(2014年の記事から)

映画監督を目指し、10代から仲間たちと何本かの学生映画(8ミリ)を作っていて、気づいた。僕が物語を作るバックボーンは高校生活の記憶からだ。それは3年間の経験でしかない。

小説「悪名」(勝新太郎主演で映画化もされた)で有名な作家の今東光は作品は糞だという。食べて消化されて出たものと同じということ。その通りだと思えた。ウンコを出すためには食べなければならない。人と違う糞をするには人とは違った物を食べねばならない。つまり経験をせねばならない。

が、高校卒業以来、僕は学生映画をやっていたので、学生映画の世界と高校時代しか経験値がない。実際、学生映画では学生映画の世界を描くものが多かったが、そんなものを何本も作ることはできない。すぐにネタが尽きる。若くして映画監督になったとしても、手持ちのカードがすぐなくなり、作品を作れなくなる。同じ夢を目指す友人にどう思うか? 訊いた。彼はいう。

「才能があればやっていけるんじゃないか? 手塚治虫だって、若くしてデビューしたけど、あれだけ多くの作品を書いたんだ。俺にもそんな才能があるということを信じるしかないんじゃないか? そう、才能があればやっていけるはずだ!」

しかし、僕にそんな「才能」があるのか? 何の経験がなくても面白い物語が思いついたり。何の努力も経験もなく、ハラハラドキドキする映画が作れるのか? 

今は分かるが、血のにじむような努力や様々な経験がないと、音楽でも、小説でも、映画でも、何でも作ることはできない。その努力を知らない人が、自分にはできない作品を作ったのを見たとき「あの人は才能がある」といって理解しようとする。そのための便利な言葉が「才能」。つまり存在しないものなのだ。

ただ、当時は「才能」なんて存在しない!というほどの確信はなかった。大人からも、先輩たちからもよく言われた。

「お前、才能あるのか? 才能がないと映画監督にはなれないぞ!」

(つづく)



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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?② [映画業界物語]

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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?②
(2014年の記事から)

「もし、映画監督になれたとしても、多くの観客に感動を与える作品が作れるだろうか?」

1980年代前半。僕は映画監督を目指しながらも、そんな不安があった。が、同じ夢を持つ友人の多くは、そんな疑問はないようだった。

「俺に1億円出せば、最高の映画を作ってやるよ!」

自信満々な奴が多かった。が、どんな世界でも、どんな実力があっても、いきなり名作を作ることはできない。ピアニストなら子供頃から厳しい練習を積む。

小説家だって、学生時代から何本も書き続け、何度も賞に応募。出版社に通い、デビューする。俳優だって、料理人だって、職人だって同じ。修行や練習が大切。映画監督も同じだろう。いきなり新人が1億円で映画を撮ったとしても、まともな作品ができるはずがない。ある友人は言う。

「だからこそ、10年間。助監督として勉強して監督になるんだよ」

でも、それも違うと思えた。助監督業。実は僕も経験した。あるとき、業界の先輩に言われた。

「太田は何になりたいの? もし、カメラマンとか照明とか技術部が志望なら、遊んでいちゃいけない。バンバン仕事して技術を学ばなきゃ。でも、監督なりたいなら、仕事していちゃいけない。いっぱい遊んで、いろんなことを経験しなきゃ駄目だよ」

当時、僕は19歳。全ての意味は理解してなかった。が、次第に分かってくる。助監督業は「映画の作り方」は学べるが、「物語を作る」ことは学べない。特に僕の場合は、「脚本も自分で書いて監督したい!」という思いがあったので、まさに先輩の言う通りだったのだ。

いろんなことを経験してこそ、それらの世界が描ける。いろんな人と出会ってこそ、人間を描ける。ずっと撮影現場にいては、狭い世界で暮らすことになり、世間や時代が見えなくなる。ただ、その先輩の言葉を実感として理解したのは、21歳になってからだ....。(つづく)


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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?① [映画業界物語]

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「才能があればやっていける!」と断言していた友人の結末?①
(2014年の記事から)

高校卒業後、映画監督を目指して人生をスタートさせた。1980年代前半。小泉今日子や松田聖子が大人気だった時代だ。僕は18歳だ。同じ歳で、同じ夢を持ち、同じようにハリウッド映画が好きな友人がいた。よく酒を飲みながら、将来について語り合った。

当時は不安だらけ。平凡なサラリーマン家庭で育ち、親戚に芸能人がいる訳でもなく、身内に芸術家がいる訳でもない、そんな、どこにでもいる18歳が映画監督になんてなれるのか? 

当時はもう映画会社での新人募集はない。黒澤明監督らの時代は映画会社に入り、10年間助監督をして修行。チャンスをもらって監督になったのだが、映画産業はすでに斜陽。映画会社に所属する社員監督はもう数人。募集は何年も前からなかった。

そんな中でいかにして、映画監督になり、映画を作るか? 僕らは悩んでいた。いや、悩むというより、絶望的な状態に直面しているというのが正解だった。映画好きの友人には、フリー助監督になる道を選ぶ者もいた。

といって、昔のように10年勤めたからと監督になるシステムはすでにない。一生、助監督で終わる可能性も高い。別の者は、8ミリフィルムの自主映画を作って注目を浴びて、プロデビューしようとした。

いかにして、監督になるか? 

は重要なことだが、次第に僕は別のことが気になり出した。監督になるのも大変だが、もし、なったとしても、多くの観客に感動を与える作品が作れるだろうか?ということだ....。(続く)



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