SSブログ

「ドキュメンタリー沖縄戦」ナレーションは「ゴジラ」の宝田明さんが担当!12月9日〜10日完成披露上映会@沖縄、入場無料 [2019]

75619078_3236222153118733_5981841432653070336_o.jpg

「ドキュメンタリー沖縄戦」ナレーションは「ゴジラ」の宝田明さんが担当!

12月9日10日に沖縄の那覇で完成披露上映会のある「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」のナレーションは宝田明さんが担当している。僕の監督作「明日にかける橋」がご縁で実現した。

宝田さんは子供時代を満州で過ごし。終戦後に命の危険にさらされながら家族と共に日本に戻ってきた。その経験から、あの人生は戦争の悲しみを伝えることをテーマとし、講演会活動等を行なっている。

そのことを聞き、「明日にかける橋」では戦中を生き抜いた建築会社の社長の役を依頼。バブル景気も戦争時も金持ちが儲ける構図は同じ、国民が利用されていることを指摘する役どころを演じてもらった。

そして「沖縄戦」のナレーション。あれこれ考えて、やはり戦時中を知る方にお願いしたいと、「明日にかける橋」のご縁で、大胆にも大御所の宝田さんにお願いしてしまった。

26113835_1748616278546002_3175951485361916285_n.jpg
(「明日にかける橋」完成披露試写会のゲスト、宝田明氏)

快諾を頂き、都内のスタジオでナレーション録り。戦争を体験した人でなければ出ない説得力。そして名優ならでは言葉で作品は数段レベルアップ。ラストの言葉には映画を見た人たちは涙していた。

そんな宝田明さんがナレーションをする映画「ドキュメンタリー沖縄戦」はいよいよ12月に沖縄で完成披露上映会が行われる。入場無料。豪華パンフレットを全員にプレゼント。ぜひ!

「朝日のあたる家」の太田隆文監督作品
予告編=3> https://youtu.be/81I-BLROlxY
予告編4=> 予告編=>https://youtu.be/rN2EBIdlkbE

12月9日(月)〜10日(火) 沖縄、那覇市、
パレットくもじ(県庁前)市民劇場
9日 ①午後3時〜 ②6時30分〜
10日 午前9時40分〜 入場無料


73320400_3138188356255447_1754527516606857216_n-1.jpg


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

映画監督業で大事なこと=人と仲良くしないこと?その理由は何? [映画業界物語]


70393717_2975302395877378_6399382184481783808_n.jpg

映画監督業で大事なこと=人と仲良くしないこと?その理由は何?

子供時代から僕はわがままだった。あれこれ言われるのが嫌い。おまけに捻くれ者。右と言えば左。左といえば右。のような感じ。NHK では絶対働けない。

そんなだから高校生になると大変だった。大人たちが「大学は?」「就職は?」「しっかり勉強をしろ」とあれこれ言い出す。大きなお世話だ!同級生まで「映画見るのやめたら成績上がるぞ」なんて言う。皆、親切ぶっているが自身の価値観を押し付けるだけ。

正月に親戚のおじさんたちに会っても同じ。「彼女できたか?」「勉強は楽しいか?」「将来はどうするんだ?」「一流大学がいいぞ!」なぜ、人はあれこれ人の人生に関心を持ち、口を出し、自分の価値観を押し付けるのか? 皆「この子のため」と思っているようだったが、なるほどと思う言葉はまるでなく、役にも立たないことを上から目線で伝えたがった。その後、高校を卒業して1人暮らしを始めたので、もう誰もあれこれ言わない。映画学校も1年で辞めた。

DSCN1674.JPG

それから30年。映画監督の仕事をしている。いろんな人と接することが多くなる。スタッフ、俳優はいい。理解し合える。が、それ以外の人たち。スポンサーとか、プロデュサー(社員であることが多い)とか、関係者には、あの頃の大人と同じように、自分の価値観を押し付けてくる人たちが多かった。

あの頃は一般社会にいた。大人たちが自分たちのルールを子供である僕に押し付けるのも理解はできる。が、映画製作の場で古臭いルール、違う業界の論理を押し付けてくる連中がいた。映画のクオリティが落ちると説明しても理解せず、船の底に穴を開けるようなことを言い出す(本人たちは良かれと思っている)あの頃と同じ構図だ。

次に映画製作で知り合った人たち。最初は応援してくれた。とてもありがたかった。が、次第にあれこれ言ってくる。野菜が足りませんよ」それはまだ分かる。プライベートについてあれこれ言う。さらには映画のキャスティングにまで口出し。悪い人たちじゃない。が、いつしか彼らはご近所付き合い、サークル活動のノリだ。

受け入れないと、「許せない」「裏切られた」「失望した」と言い出す人もいる。「いい人だと思ったのに」となる。違う。もともと僕は捻くれ者ででいい人ではない。思い出すのは俳優の卵を応援していた頃。親しくなると彼らに甘えが生まれ、馴れ合いになった。「監督は優しいから分かってくれる」と一線を超えてしまう。親しいから許し合える。それは素敵なことだ。が、現場でそれは許されない。

P1060947.jpg

卵も、関係者も、あの頃の大人たちも、同じ背景であると気づく。親しくなると人は無意識に自身の価値観を押し付けるものなのだ。良かれと思い、無意味なことでも伝えてくる。親しみと共に甘えも生まれる。悪意はない。僕が大人なら「はいはい。それもそうですねー」とかわせばいいのだろうが、この歳になっても気分は17歳。「お前は誰じゃ!どんな根拠で言ってんだ!」とか思ってしまう。

ただ、そんな気持ちになるから原発問題でも、沖縄戦でも関心を持ち、憤りを感じ、じっとしてられなくなる。監督料安くてもやる。「はいはい。電力会社にも事情あるので仕方ないですね」と思えれば、危険な映画なんて監督しない。結論はこうだ。

できる限り、人とは親しくならないこと。仕事では親しくなる。それは大事。でも、プライベートには線を引き。関係者とは不必要に接しない。それが重要ではないか?と思えている。が、ミック・ジャガーもデビッド・ボウイも実践していたこと。それに最近気付いた。



m_58380866_2620621131345508_6956524637744267264_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

富野由悠季監督の描く「ガンダム」で登場するニュータイプとは何か? なぜ、エスパーではないのか? [映画業界物語]

10322653_627490547325253_2301909788386379308_n.jpg

富野由悠季監督の描く「ガンダム」で登場するニュータイプとは何か? なぜ、エスパーではないのか?

それは「表現者」の素質ではないか?

と前回書いた。もう少し考えてみる。本来ならエスパーや超能力者でもいいのをなぜ、ニュータイプという定義を作ったのか? また、非常に曖昧なのはなぜか?

超能力者というと、

最初からずば抜けた能力があり、敵をバッタバッタとなぎ倒す力があるように思える。が、アムロは最初、苦戦の連続だ。が、これはよく言われる「才能」と同じ定義だろう。何度も書いているが「才能」なんてものは存在しない。年月をかけて「素質」を磨き、伸ばした実力が作品を作ったり、歌ったり、演じたり、絵を描いたり、演奏することで観客を感動させる。

だが、一般の人にその「年月をかけて磨き」という部分が理解できない。訓練したからと、とても出来るものではない。天才的な演奏。涙が溢れる名演技。心に刺さる歌声。胸を突く物語。努力でできるとは思えない。だから「才能」という言葉を作り「あの人は才能があるから、あんな演技が出来る」「あんな絵が描ける」と解釈しようとしたのだ。

77110899_3207005576040391_7071223049348972544_o.jpg

それが間違った伝わり方をして「才能があれば芝居ができる」「絵が描ける」と広まった。それでは過去の映画やドラマで描かれた超能力と同じ。例えばサイコキネシスやテレパシーは最初から備わっている。ある日突然、能力を持つというパターンが多い。それを訓練して伸ばすという超能力ドラマはあまり見ない。一般が考える「才能」と同じ発想。超能力があるから物を動かせる。心が読める。富野監督はそれを

「超能力=才能。そんなものはない!」

と考えたはず。素質ある者が、戦いの中で磨かれ伸び、開花する。それがまさにアムロなのだ。最初は内気なオタク少年。それが宇宙に出て、戦いを強要されことで磨かれ、開花し、常人を超えた能力を発揮する。

これは俳優でも、歌手でも、作家でも、表現者になら全て当てはまる。そしてシャアやララのような優れた表現者と出会うことで、さらに磨かれる。が、同時に、もう一般人の理解を超えた部分であり、ハヤトやフラウは着いて行けない。

だから、優れた能力を持つ者は孤独。

理解されない。分かり合えるのは同じ力を持った者同士だけ。そんな表現者の感性、人生をアムロという主人公で描いたのが「ガンダム」という物語。ニュータイプとは表現者になれる「素質」「資質」のことだと思える。



m_58380866_2620621131345508_6956524637744267264_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

トリトンとアムロに共通するもの。富野由悠季の思いとは? 表現者の悲しみ? [映画業界物語]

77134785_3229460823794866_198136474976124928_o.jpg


トリトンとアムロに共通するもの。富野由悠季の思いとは? 表現者の悲しみ?

「海のトリトン」ー緑の髪の少年トリトンは漁村に住んでおり、髪のせいで子供たちからイジメられていた。が、やがて白いイルカがトリトンを呼びにやってくる。実は彼こそがトリトン族の生き残りであり、海を支配しようとするポセイドン一族の野望を止める最後の希望なのだ....というのがプロローグ。

手塚治虫が原作、プロデュースが「ヤマト」の西崎義展。演出が「ガンダム」の富野由悠季という凄いメンバーのアニメーション作品。これが子供の頃に凄く心に残った。

それから20年ほど「トリトン」の富野由悠季が原作、演出。今も人気の「機動戦士ガンダム」ーその主人公・アムロレイは普通の少年。というより機械オタクのような子だが、ふとしたことからガンダムに乗り込み、戦争に巻き込まれていく。

P1060445.jpg

この2つの作品に共通するのは、トリトンも、アムロも、特別な子供ではないということ。アニメの主人公は往往にして明るく活発で、正義感があり行動的。兜甲児も、不動明も、剣哲也も、紅三四郎も、大鷲のケンも、東鉄也(キャシャーン)もそうだ。それがトリトンも、アムロも友達が少なく、内にこもりがち。が、やがてトリトンは大海原へ、アムロは宇宙(そら)へ飛び出して行く。

「トリトン」は手塚治虫原作だが、中身はかなり違う。ラストなど手塚治虫の世界ではなく、同じ富野監督の「イデオン」を思わす悲惨な結末。「ガンダム」はもちろん原作・富野由悠季である。そこから2人の主人公は彼の思いが反映されたキャラだと思える。では、何を反映させたのか? これも「Xmen」「鬼太郎」と同様のものを感じる。

アムロも、トリトンも友達が少なく、理解されない。アムロは1年戦争に参加。次第に仲間ができるが、ニュータイプの開花と共に、仲間たちが付いてこれなくなる。本来のアニメならそこでヒーローとなり、周りから賞賛させるのだが、ハヤトも、フラウも次第にアムロとの距離を感じて行く(そのためにアムロに片思いしていたフラウは結果、ハヤトと結婚する)

トリトンは髪の色が違うことで村の子供からイジメに会うが、イルカたちとは仲良くなる。共通するのはアムロも、トリトンも、普通に人たちには理解されない。特殊な能力がある。アムロで言えば彼を理解するのは同じニュータイプであるララであり、それに近い能力があるシャアなのだ。だが、彼らは敵側。これも従来のアニメでは理解し共感するのは味方同士のはず。

DSCN9952_2 (1).jpg

そんなキャラクターに富野監督が投影したものとは? それこそが「表現者」の感性ではないだろうか? 鋭く感じるとる力。一般の人は気にしないことが気になる。そのために日常生活はうまく行かない。他の人と強調できない。が、海や宇宙(表現の世界)へと飛び出した時、その能力を発揮し、凄いことができる。ただ、人々は付いていけず離れて行く。そんなクリエーターの悲しみを反映さえているように思えるのだ。

その「表現者」の素質をトリトン族、あるいはニュータイプという形で描いたのではないか? また、続き書きます。



m_58380866_2620621131345508_6956524637744267264_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「沖縄スパイ戦史」「主戦場」に続く戦争関連ドキュメンタリーの最新作!  「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」 12月9−10日 完成披露上映会@沖縄 [告知]

IMG_3751.jpg

「沖縄スパイ戦史」「主戦場」に続く戦争関連ドキュメンタリーの最新作! 

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

12月9−10日 完成披露上映会@沖縄



75250994_3140479339359682_2248696519425261568_n.jpg


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「プロの世界は甘くない。学生時代の趣味では通用しない」はホントかな? [映画業界物語]

76919760_3227976843943264_1010163607800905728_o.jpg

「プロの世界は甘くない。学生時代の趣味では通用しない」はホントかな?

プロの世界は厳しい。野球でも、テニスでも、趣味でやるのは楽しいが、プロになると過酷な戦いになる。演劇でも、バンドでも同じ。プロは甘えが許されない。

僕も学生時代に自主映画をやっていて、仲間と共にプロを目指した。学生の作る映画でも大変なのだが、プロの現場はもっと大変なのだろうな...と日々感じていた。

それから20年。プロの世界で監督業をスタート。もう、14年ほどが経つ。振り返って思うのだが、プロの世界って楽〜!学生映画時代の方が大変だった!ーというと叱られそうだが、今回はそんな話をしよう。

22195749_1637620266312271_5514655678295112055_n.jpg              

学生映画はほとんどが趣味。プロを目指す者もいるが、趣味のレベルである者が多い。映画ごっこ的な側面が強い。俳優は友達。あるいは演劇学校の生徒。厳しく注意すると翌日から来ない。スタッフも同じ。僕が監督を担当しているのに、「それは違うだろー」とか意見を言い出す。

疲れると手を抜く。やる気をなくし撮影に来なくなる奴もいるので時々、彼らを励まさなければならない。可愛い女の子を主演にすると張り切る。彼女の出番がないとスタッフが減る。

そんな連中をなだめ賺して、撮影を続けた。交通費、食費は各自の自腹。ギャラはなし。それでも夏休みの1ヶ月。付き合ってくれる友達を見つけるのは本当に大変。撮影中に昼飯を食べる場所。事前に僕が現場に行き探す。学生は貧しいのでファミレスなんて無理。安い食堂を探す。ロケ地から遠いと時間のロス。そんなことまで考えて映画を作った。

22090174_1637754742965490_1446174860611685369_n.jpg

対してプロの現場。実力あるエキスパートがスタッフ。何も言わなくても100%の力で仕事をしてくれる。女優にちょっかい出したりする奴はまずいない。僕の演出に口出す者もいない。皆、各自の仕事を全力でやってくれる。俳優も素人ではなくプロ。本当に素晴らしい演技を見せてくれる。カメラも僕が回さなくても1000倍うまいプロが担当してくれる。

昼飯も、僕がタイミングを考えなくても、店を事前に探さなくても、演出部が「監督。この辺で昼飯入れたいんですけど?」と言ってくれる。制作部が人数分の弁当を用意。僕はその辺の心配せず、演出に専念。プロの世界っ素晴らしい!なんて楽なんだ〜ということ。スタッフが疲れてくると弱音を吐いたり、そんな時は励まして、終わりまで付き合ってもらう、、、、という努力もしなくてもいい。

プロって本当に素晴らしい。監督は「いい映画を作る」ことだけに専念できる。若い頃に「プロは厳しいぞ。学生映画のようには行かないぞ。甘い考えでは通用しないぞ」と言われたが、反対じゃないか? 現実って面白い。ははは。


m_58380866_2620621131345508_6956524637744267264_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

与えられたことしかしない子供。与えられたことができない子供たち。夢があるといいながら何もしない若者。夢があるから行動する人たち [my opinion]

15110909_1227066737367628_9146659783148361682_o.jpg

与えられたことしかしない子供。与えられたことができない子供たち。夢があるといいながら何もしない若者。夢があるから行動する人たち

子供の頃から長年感じていた違和感。同年代の友達も同じことを感じていたのだろうか?と思う。高校時代の友人とも少し前に話した。「あの頃はそれなりに楽しかった。特に苦痛ではなかった」と言われた。

僕の場合、特に高校時代は最悪。同級生たちは無意味と思える与えられた課題をこなし、成績に一喜一憂していた。そんなことが将来何のプラスになるというのか? だが、皆は疑問を持つことなく、本当は遊びたいと思いながら勉強していた。僕には人生で最低の3年間だった。なのに友人は「それになり楽しかった」という。

その後、映画学校に通うようになり、親しくなった同級生たち。学校に不満を持ち、皆、途中で辞めてしまった。いずれも将来は映画監督になりたい!と夢見て上京してきた連中。なのに、何もしない。学校にも行かず。アパートで毎日テレビを見て過ごしている。その内に「現実は厳しい...」とか言って1人消え、2人消え、皆、実家に帰ってしまった。

37161688_2043214119086215_8251936398270005248_n.jpg

僕が通った高校は進学校だったので98%が大学に行く。専門学校とか就職という生徒は限りなく少ない。が、そんな専門学校に行った別の学校の後輩に聞いた。彼もまた映画監督を目指して上京し、僕とは違う映画学校に通っていた。

が、そこは「映画の勉強」らしきことをするが、入学するほとんどの生徒は「映画監督になるぞ!」という思いはなく「映画見るの好き〜」「面白そう〜」というレベル。「高卒ですぐ就職するのは嫌だし、2年間遊びたい〜。でも、勉強するのが嫌だから、映画学校なら楽しいかも!」という動機だという。

困ったものだが、当時(今は知らない)はそんな若者は多かった。受験レースから落ちこぼれ、勉強するのはもう嫌、無理に大学行きたいくない。と言ってすぐに就職するのも嫌だという子供たちが結構、存在した。考えると、もしかしたら、映画学校時代の僕の同級生も、その種の若者だったのかもしれない。

11825614_871027912971514_6740257249980222481_n.jpg

学校で与えられることを真面目にこなす生徒たち。高校時代も、映画学校でもいた。高校時代に落ちこぼれて勉強を拒否した子供たち。無理して大学には行きたくない。遊んでいたい。専門学校に多いタイプ。ある教師に言われた。「お前は映画監督になりたいとかいうが、勉強するのが嫌で、そんな言い訳をしているだけじゃないか?」メチャメチャ腹が立ったが、今、思えば、そんな若者も多かったのだ。

そこから言えること。大学には行かない。でも、自分の夢を掴みたい。逃げではなく、口だけではなく、行動する。そんなタイプは僕の周りには、いなかったのではないか? 映画学校での友人たちは共に夢を追う仲間と思っていたが、そうではなかったのだろう。

が、やがて、同じように夢追う者たちと出会い学生映画を始める。皆、行動するタイプ。そこで僕はようやく自分らしさを発揮するのだが、また、それは別の機会に語らせてもらう。



m_58380866_2620621131345508_6956524637744267264_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「ドキュメンタリー沖縄戦」感想=「大量の資料映像と生々しいインタビュー」12月9−10日  完成披露上映会@沖縄 パレット市民劇場 [映画業界物語]

戦闘機.jpg

「ドキュメンタリー沖縄戦」感想=「大量の資料映像と生々しいインタビュー」


太田隆文監督 の「ドキュメンタリー 沖縄戦」を観た。大量の資料映像と生々しいインタビュー。「軍隊は住民を守らなかった」「皇民化教育、軍国主義の恐ろしさ」という体験者たちの声がずっと頭の中で渦巻いている。多くの人に観てほしい。今の時代だからこそ。

女性 Rさん

「朝日のあたる家」太田隆文監督作品 
12月9−10日 
完成披露上映会@沖縄 パレット市民劇場
入場無料
予告編=>https://youtu.be/rN2EBIdlkbE




nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

山本太郎が出演「朝日のあたる家」渋谷区の幡ヶ谷のTSUTAYAでは今もレンタル! [映画業界物語]

asahi20_edited-1-1.jpg


「朝日のあたる家」渋谷区の幡ヶ谷では今もレンタル!

僕が監督した「朝日のあたる家」(山本太郎さん出演)と

「向日葵の丘 1983年夏」(常盤貴子さん出演)

のDVD2枚とも、

71585439_3046767825397501_5612823430333202432_n.jpg

渋谷区の幡ヶ谷駅(京王新線ー新宿駅から2つ目)裏の

TSUTAYAで今もレンタルできます!

71890601_3046778605396423_2479716354941255680_n.jpg

旧作は十枚で千円。

僕の新作「明日にかける橋」もこの店にあります。

71117468_3046779052063045_529017444040179712_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「ドキュメンタリー沖縄戦」予告編⑤ 「朝日のあたる家」の太田隆文監督最新作 12月9−10日  完成披露上映会@沖縄太田隆文監督作品  [映画業界物語]



「沖縄スパイ戦史」「主戦場」に続く戦争関連ドキュメンタリーの最新作!

「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」

「朝日のあたる家」太田隆文監督作品 

12月9−10日 

完成披露上映会@沖縄 パレット市民劇場

入場無料


73320400_3138188356255447_1754527516606857216_n-1.jpg

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。