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日本映画「蜜蜂と遠雷」とても良かった!「フェーム」を彷彿、おすすめ。 [映画感想]

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日本映画「蜜蜂と遠雷」とても良かった!おすすめ。

日本映画界で監督業をしているのに、偉そうに言わせてもらうと、邦画で「見たい!」という作品があまりない。そんな中、予告編を見てちょっと惹かれて見たこの映画。大ヒットだった。一口で言うなら日本版「フェーム」(1980)あのアランパーカー監督の作品のようだ。物語と言うより、まるでドキュメンタリー。

ピアニストのコンクールに4人の天才が挑む。1人の登場人物に視点を絞らず、まさに「フェーム」のように客観でそれぞれの人物を見つめる。まるでヨーロッパ映画を見るようだ。いろんなことを感じた。音楽と映画はとても似ている。それぞれに携わる人たちの思い。そして、天才が努力し、競う世界。僕も毎回、撮影で俳優たちと対峙するたびにそう思う。

俳優は演奏者。役は楽器。だから、キャスティングでは、どの俳優に何を弾いてもらうか?考えるような感じ。「向日葵の丘」ではFさんにはチェロを弾いてもらったが、「明日にかける」ではピッコロでお願いしよう。みたいな感じ。

この映画はピアニストたちが主人公。そして、その俳優陣が凄い。本当にピアノを見事に弾いているし、どうやって撮ったの?と言う感じ。映像も絵で音楽をしっかり表現しているし、監督自身がクラシックをよく知っている。日本の監督は音楽に疎い人が多いのに誰?と思ったら、ポーランドの国立大学で映画を学んだ人。やっぱ違う。ちなみにカメラマンはポーランドの人。だから、映画自体がヨーロッパぽい。

ネタバレになるのであまり書けないが、いろんな意味で素晴らしい。ただ、俳優で1人だけ、役に合ってないし、英語のセリフの意味理解していない人がいて、先の「記憶****」でも全体から浮いていたし、どうしたの?と言う人だけはとても気になったが、あとは皆、素晴らしい。あと、チラシのデザインもダサすぎる。あの映画の魅力が伝わらないが、興味ある方はぜひ!


予告編。本編の良さはあまり感じませんが=>https://youtu.be/b9z6NcS5Wwc


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自分にできる仕事とは何か?=子供時代を見つめる。自分の資質を発見? [映画業界物語]

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「監督。凄いですね。毎回、演出だけでなく、脚本も、編集もやってるんでしょう?」

と時々言われる。本来はそれぞれに別の者が担当するが、太田組では僕が全部やっている。一番の理由は経費削減。監督、脚本、編集を1人ずつ3人でやると、3人分のギャラが必要。でも、1人で3つやると、ギャラは3人分ではなく、1.5人分くらいで済む。という経済効果。

もう一つは歌と同じ構図。作詞、作曲、演奏、歌。昔はそれぞれが担当していた。作詞・阿久悠。作曲・都倉俊一。歌・ピンクレディ。演奏・ダン池田とデュークーフリード。でも、近年はMrChidlenらバンドは自身で作詞作曲、演奏して歌ってしまう。

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そのことで、誰かが作った歌詞に誰かが作曲して、誰かが演奏して、それを歌手が歌うというパターンでは伝わりにくいもの。作者の「思い」が伝わる。だから感動する。だからヒットする。そんな形が多い。映画も同じ。誰かが書いたシナリオを、監督が自分なりに理解して、演出する。撮影したものを誰かが編集するでは「思い」がダイレクトに伝わらない。

人を経るごとに「思い」が薄まって行く。それぞれが違う「思い」を持っているからだ。似た思い出も、同じではなく、最大公約数的になる。やはり、シナリオを書いた者が、演出し、編集してこそ熱い「思い」が観客に届く。ただ、難しいことがある。「社長」シリーズ「連合艦隊」で有名な松林宗恵監督に言われたことがある。

「監督と脚本はそれぞれに別の資質なんだよ」

確かにその通りで、監督は現場で多くのスタッフ、キャストを仕切らなければならない。文句が多いスタッフもいるし、わがままな俳優もいる。彼ら彼女らと対峙、引っ張って行く力がいる。どちらかというと武闘派が得意とする仕事。現場監督のようなもの。「行くぞ。おりゃー!」的な力が必要。もちろん、冷静沈着で物静かな監督もいるが、統率力とか人望が大切。

対して脚本家は孤独な作業。1人でコツコツと朝から晩まで書き続ける。その世界に入り込み、物語を構築。あえて言えばオタク的な仕事。武闘派ではなく、小説家のようなタイプが向いている。社交的で飲み会で大騒ぎするより、1人で本を読んでいるようなおとなしい性格が向いている。両者は両極端と言えるくらいに、別の資質であり、性質の違う仕事なのだ。

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僕は毎回、両方をやっているので、当たり前のことと思っていた。が、先のような質問をされると「そうだよなあ?」と考える。両方ができる理由は何だろう? 

「才能がある」なんてことはない。才能なんて存在しない。ただ、子供の頃を思い出す。小学校低学年は学校が終わると家に帰り、1人で本ばかり読んでいる子供だった。それが高学年になると、友達と自転車で街中を走り回っていた。キャラが全然違っているが、低学年が脚本家、高学年が監督に向いたものと言える。

人は何かのきっかけで外向きになったり、

内向的になったりするということ。そしていろんな素質や資質が子供には秘められている。運動部に入り、部長になったことでリーダー的資質が発揮されたり。たまたま読んだ本が面白くて創作に目覚めたり。子供にはどんな力が秘められているか分からない。

だが、親たちはそれを探そうとせず、暗記することが主である日本の教育を押し付け。勉強以外は遊びと考えて、子供達の秘めた力を見つける機会を失う。僕の場合も、親がそれを見抜いたのではなく、環境がそれを発揮する機会を作ったのだろう。あと、親や教師のいうことを聞かない子供だったので、自分が持つ資質を見つけ伸ばす機会が持てたということか?

お陰で映画製作ではいくつものパートで仕事ができている。そして学校で習ったことが全く生かされることがないことを感じる。子供達は遊びに中でこそ、自分の秘めたる力を発見する。その機会を潰しているのが親と教師ではないか?そこが結論のようだ。


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僕がワークショップをやる理由? 事務所や知名度に関係なく実力派を見つけたいから。 [映画業界物語]

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僕がワークショップをやる理由?

15年ほど前。太田組俳優部を作るべく、若手俳優のワークショップを月イチ無料でやっていた。それがうまくいかなかった理由は以前に書いた。演技力のレベルや表現の方向をよく知る俳優が身近にいれば、映画製作になってあれこれキャストを探さなくて済む。また、演劇学校等では型通りの表現がしか教えないが、そうでない部分がちょっと分かれば実力アップするのに!という思いからスタートした。

だが、若手たちは次第に勘違いが起こし、僕の側にいれば映画に出られると思い始める。失敗しても「監督は優しいから」と許されると考えてしまった。無料というのもダメ。身銭を切ってやるからこそ、学ぼうと思える。タダだから「がんばろう」にはならないことも痛感した。それ以来、10年ほどワークショップはしなかった。

が、前回、映画を撮るとは告知せずに開催。実はその中から「明日にかける橋」のキャストを選ぶつもりだった。もちろん、オーディションもする。が、1人5分、10分、15分という持ち時間となってしまう。30分あれば本領発揮の俳優。1時間あればエンジンがかかる役者もいる。

秘めた実力があっても、時間切れ。そんな俳優たちの力を知るには、4時間でもできるワークショップしかない。基本はあれこれ自分の力や個性を発見する機会にしてほしいが、できる人がいれば次回作で!と考えて実施した。結果、3人を選抜。オーディションでは見つからない面々。撮影時も本当に頑張ってくれた。大手事務所でなくても、知名度がなくても、経験が少なくてもいい役者というのはいるのだ。

そんな思いで、今回もワークショップを行う。ただ、今回はすぐに撮影があるわけではない。製作すら開始していない状態。「ワークショップに行けば出演できる!」という思いだけで参加しても、あて外れになる可能性が高いので覚悟はしてほしい。でも、実力ある俳優なら、シナリオを書く時に「あいつがこの役やるといいな」と思ったりするはず。そんな実力派と出会う機会になればと考えている。


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「明日にかける橋 1989年の想い出」(鈴木杏、板尾創路、田中美里、藤田朋子、宝田明が出演)静岡県版・予告篇! [予告編]



「明日にかける橋」静岡県版・予告篇!

DVDはamazon、楽天で購入できます。全国のTSUTAYAでもレンタルできます!

出演 鈴木杏、板尾創路、田中美里、越後はる香、藤田朋子、宝田明


予告編=>https://youtu.be/MacNc2k56wQ

監督ブログ=>http://cinematic-arts.blog.so-net.ne.jp
 
映画のHPはこちら=>http://ffc2017.main.jp

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映画「ジョーカー」を見てはいけない。心の闇に陥り、帰って来れなくなる?ただ、今年1番の傑作 [再掲載]

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映画「ジョーカー」を見てはいけない。心の闇に陥り、帰って来れなくなる?

昨日は1日、気分が滅入り立ち直れなかった。映画「ジョーカー」を見たせいだ。予感はあった。見たらヤバイ。ハリウッド映画の爽快感やエンタテイメントを期待したら大変なことになる。その通りだった。上映中。早く終わってくれと願いながら見ていた。辛すぎる。闇の世界に心が引き摺り込まれていく。

物語は「ダークナイト」等でお馴染み

の悪役ジョーカーの若き日を描いたもの。ノーランのシリーズでいうと「バットマン ビギンズ」以前の部分。青年がいかにして悪のジョーカーになるか?物語にはのちにバットマンとなるブルース・ウェインの幼い頃の姿も描かれ。彼の父、ウェイン財閥の創始者も登場する。だが、ノーランが描いた「ダークナイト」シリーズ以上にダークでヘビーな世界がある。

「ビギンズ」で描かれたブルースの両親の死が、犯罪者側から描かれる。そこに至るまでジョーカーはどんな環境で、どんな生活を、どんな思いでしていたのか? 映画はそれを瞬きせずに見つめる。だが、それはあまりにも悲しく、あまりにも陰惨で、あまりにも希望のないジョーカーの若き日。予想外に自身を重ね共感してしまう。そう、ジョーカーは誰の心にもいる。

この映画は「タクシードライバー」

の影響を多大に受けている。監督自身が愛する作品なのだろう。いたるところにオマージュがあり、先の作品を知っていると感嘆する。ジョーカーは「タクシー」の主人公トラビスでもあるのだ。そのトラビスを演じたロバート・デ・ニーロもこの作品に出演している。そこにも監督の強い思いが感じられる。

「タクシー」を見ていても多分、気づかないであろうところを紹介すると、ジョーカーの職場にいる黒人。衣装やファッションが「タクシー」の夜カフェにいる黒人と同じ。ジョーカーが愛する黒人女性。デ・ニーロが私生活で黒人好きだったことを踏襲? しかし、「タクシー」のオマージュというだけでない、重く、暗く、やり切れない世界が展開する。

それは主演俳優と監督の執念

ともいう「思い」がなし得たもの。アメリカでは上映中の映画館に警察官が配備されているという。「ジョーカー」を見た観客が暴動を起こすかもしれないからだ。実際、映画を見ると闇の世界に引きずり込まれ、皆、ジョーカーになってしまう。人の心に住む邪悪な世界に引きずり込む映画。痛快なハリウッド映画を期待する人は見ない方がいい。だが、今年のベストと言える傑作である。



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映画「ジョーカー」に登場する歪んだ人たち。日本にも大勢いるよね? [my opinion]

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映画「ジョーカー」に登場する歪んだ人たち。日本にも大勢いるよね?

映画「ジョーカー」に登場する歪んだ人たち。日本にも大勢いるよね?

この数年、僕が出会った「クソ野郎」と言いたくなる人たち。「ウジ虫」「困ったちゃん」「アホ」などと呼んで来たが、映画製作を邪魔したり、足を引っ張ったり、心ある人たちを踏みつけたりした連中。ドラマなら悪役となる人たちだ。ただ、昔の映画ならその手は権力欲が強く金のためなら人を殺し、踏みつける金持ち、政治家だった。だが、今の時代は多種多様。そんないろんな「クソ野郎」たちが見事に「ジョーカー」では描かれている。

①ブルース・ウェインの父 本来は街を浄化しようし、息子であるブルースに影響を与えた人物だが、この映画では庶民の痛みを理解しない実業家として登場。日本で言えば経団連会長や大企業のトップ。あるいは官邸にいるあの人のイメージ。ただ、これは従来からいる「クソ野郎」タイプ。そして、この人たちだけが悪でないことを映画は描いている。その他を以下で紹介。

②アーサーの上司 ピエロ派遣会社のマネージャー。彼はアーサーを「皆が君は変だというが、僕は君が好きだ」などと煽てて使うが、アーサーが災難に遭っても(子供たちに看板を盗られ壊されても)理解しようとせず、頭ごなしに非難。拳銃の件では会いもせずに電話でクビにする。社員を労働力としか見ず、問題点や職場環境を考えず、社員の苦労を理解しない。日本にも多い、ブラック企業の上司のような存在。この種のバカヤローが社員を苦しめる。


③アーサーの母 精神病による妄想で、ありもしないことを信じて、周りの人たちを巻き込む。本人は病気であり、悪意はない。が、息子がその妄想を信じたためにトラブルになり、人生が壊れて行く。実際、日本でもその種の事件は多い。患者が「私は酷いことをされた」と妄想し発言。周りが振り回され、罪のない人が加害者だと思われ関係者からバッシングを受け、そして反撃。諍いとなる。僕もこの種の人たちに何度も出会った。病気が原因での発言とは誰も思わず、無意味な争いを続ける。


④アーサー 病気の母の言葉を信じたばかり希望を持ち、そして破滅して、暴走して行く。彼自身が被害者なのに、加害者になってしまう。僕の周りにいた人たちも似ている。善良な市民だが、患者の妄想で酷い目に遭った被害者を加害者だと思い込み、批判、攻撃して追い詰め、孤立させ「当然の報い」と考える。妄想に巻き込まれたジョーカーが自分に正義があると感じたように、彼らも間違った正義を振りかざし、罪のない人を踏みつける自らの行動を把握できていない。

いずれのキャラも悪意はなく、自身の行動が誰かを傷つけていることに気づいていない。悪の組織や悪徳政治家だけではない。その種の人たちもまた、多くの人々を苦しめる。むしろ自分たちが被害者だと感じ、正義を振りかざすので始末に悪い。最後のシーンで暴動を起こす市民もまた同じ。もはや被害者ではなく加害者になっていることに気づかない。

そんな部分まで描かれていることで、多くの人が自分を重ね、いろんなことを感じたのだ。まさに日本も同じ。映画「ジョーカー」はそんな現代を映し出した作品である。



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俳優に大切な出会いは2つある。「役」と「監督」それが運命を決める? [映画業界物語]

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俳優に大切な出会いは2つある。「役」と「監督」それが運命を決める?

俳優たちを見ていて思うことがある。なかなかの実力派でも、すぐにブレイク出来る訳ではない。そこには2つの出会いが必要だ。一つは「役」。例えば武田鉄矢さんはやはり金八先生。あの役と出会わなければ、彼は海援隊時代の面白いおじさんと言うキャラの役しか依頼が来なかったかもしれない。渥美清さんは寅さん。ある大監督は言う。

「渥美くんはあの映画をやらなければ、もっといろんな役を演じる、素晴らしい俳優になったはずだよ」

どちらが幸せだったか?と思うが、寅さんで彼は国民的俳優となった。「役」と共に俳優に大事な出会い。それは監督だ。先の2人でいうと、山田洋次監督。武田鉄矢さんは彼との出会いで役者人生がスタートする。「幸せの黄色いハンカチ」だ。「金八先生」も大きいが、山田監督が彼を選ばなければ、俳優業さえスタートしてなかったかもしれない。

渥美清さんはすでに俳優だったが、山田監督との出会いが「寅さん」に繋がる。三船敏郎も黒澤明と出会わなければ、世界のミフネにはならなかっただろう。ハリウッドでも同じ。若き日のハリソンフォードは役者で食えなくて、大工をしていた。そんな時に受けたオーディション、それなりの役をもらう。それが「アメリカングラフィティ」のスピード狂の兄ちゃん。監督はジョージルーカスだ。

ルーカスは次回作で再び彼を選ぶ。今度は宇宙を飛び回るパイロット。そうハンソロ船長。「スターウォーズ」だ。それがあったのでルーカスが製作総指揮をした「インディ・ジョーンズ」に繋がり、彼は世界的なスターとなる。俳優は実力だけではない。出会い。役との出会い。監督との出会い。それが俳優の人生を決めていく。

それは監督にとっても同じ。スコッセッシはデニーロがいたからこそ「タクシードライバー」や「レイジングブル」が撮れた。逆にデニーロにとってもスコッセッシがいたから、大スターになったとも言える。だから、僕もそんな俳優たちとの出会いを求めて、来月ワークショップする。


詳しくはこちらを=>https://cinematic-arts.blog.ss-blog.jp/2019-10-23-5



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