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「海月姫」のヒロイン芳根京子さんが主人公を演じる映画「向日葵の丘 1983年夏」 [My Movies]

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2015年に公開された僕の監督作4作目「向日葵の丘 1983年夏」左が芳根京子さん。

主人公の多香子を演じてくれた。(大人の多香子は常盤貴子さん)

その芳根さんは現在、月9「海月姫」でヒロインを演じている。

太田組出身の新人はブレイクする!と言われるが、またまたそれを証明してくれた形。

「向日葵の丘」はゲオでDVDレンタルできる。

購入はAmazon、楽天で!


「向日葵の丘」監督日記はこちら=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp

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映画監督業はつらいよ!ーー応援と誤解と失望の中で仕事する難しさ。 [映画業界物語]

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「映画監督」というと一般の人は「偉い人」とか「凄い人」と思ってくれる。もちろん、巨匠にはそんな方がいっぱいいるが、僕のような無名監督は「偉い人」でも「凄い人」でもなく、単なる労働者だ。ただ、やはり映画という特殊な世界なので「スゲなー」「大変だなー」と思われることはある。

有名俳優さんとも仕事するし、そんな俳優さんたちは監督というと一目置いてくれる。それを見た人は「おー有名俳優の**さんに指示しているよ。映画監督って凄いな」と思ってしまうのだろう。でも、それは運転手さんが巨大なトラックを運転したり、ライオンの面倒を見る動物園の職員さんと同じで、人が簡単にできないことをするので「スゲー」になるのだと思える。また、僕の場合は感動作ばかり作っているので

「あんな泣ける映画を撮る監督は情の厚い、いい人に違いない!」

と思われることがある。だから、Facebook友達になると「あの監督ならいろいろ質問しても答えてくれるはずだ!」と友達承認をしたとたんに質問の嵐!ということがある。或は「承認ありがとうございます」とメッセージが来たので「こちらこそ、よろしくお願いします」と返事すると「ところで監督の新作はどのようなテーマでしょうか?」とか質問になる。

急に返事を止めるのも変なので、質問に答える。と、「俳優とかもう決まっているんですか?」と質問が続く。その段階でそんなことは言えない。が、「選考中です」と答える。と、さらに「最近売り出し中の**さんがいいんじゃないですか?」と来る。その内に「監督の前作に出た女優の**さん。不倫していると聞きますが、本当にアイドルの***さんと付き合っているんでしょうか?」とかいう質問が出て来る。


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会ったこともないFacebook友達に、いや、昔からの友達だとしても、仕事仲間である俳優のプライベートを話すことはできない。それ以前に会ったこともない人が、Facebook友達にそんなことを訊くことは常識的でないことになぜ気付かないか? また、そんなことを監督業の人間が答える訳ないと考えないのか?

だが、多くは「だって、監督はあんな素敵な映画を作るのだから、優しい人だ。私の質問にも丁寧に答えてくれるはず」と思っている。常識もある。礼儀もわきまえている。「でも、監督はいい人だから答えてくれる」という勝手な期待を持ってしまうのだ。これが不良が喧嘩する映画ばかり撮っていると「あの監督は怖そう。詰まらないこと訊いたら怒鳴られるかも?」と畏怖。近づいて来ないのだが、、。

俳優も同じで「いい人」「献身的なキャラ」を演じる俳優は「この人はプライベートでもいい人のはずだ!」と思われて、街角で見つけると、すぐサインをねだられる。これがヤクザな役が多い俳優だと「怖そう。殴られるかも?」と思い、町中で気付かれても声をかけて来ないと言う。そんな「いい人」をよく演じる俳優はこういう。

「勝手にいい人だと思い込んで、絶対にサインしてもらえる。記念写真もOKと声をかけてくるんで溜まらないですよ。急いでいるので断ると、失望した。裏切られた。もう応援しないなんて、ネットで拡散されたことありますよ」

僕も経験ある。勝手に「監督はいい人だ」と思い込み、連絡してくる。「監督の映画を今日、観に行きます。どこで上映していますか? 何時からですか?」と訊いて来た人がいる。そのときは仕事の返事もできないくらい忙しいときだったので、頭に来て「そんなこと自分で調べてください!」と返事したら「監督は優しいから絶対に調べてくれると思ったのに....悲しい....」と言われ、その日の内にFacebook友達から削除された。


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矢沢永吉の武道館公演に行くのに、矢沢と知り合いだからと本人に「武道館はどこですか? 何時からスタートですか?」なんて訊くか? まあ、あちらは超有名だけど、そんなことに関わらず、普通はYahoo!とか公式HPで調べるだろ? この背景も同じ。「監督はいい人だから、親切に教えてくれるはず」という思い込み。でも、そんな非常識な頼み事を断ると、先の俳優のファンと同じで「裏切られた。失望した。そんな人だと思わなかった。許せない。二度と応援しない」とあちこちにいい触れ回られることが多い。

こんなこともある。撮影でお世話になった方、それぞれ担当者がお礼に伺う。僕もご挨拶に行く。映画というのは本当に多くの人の強力で成り立つ仕事なのだ。ただ、監督業は撮影が終わっても編集という仕事が待っている。応援してくれた人一人一人にお礼すると膨大な時間を取られプロジェクトがストップ。いろんな支障が出て来るので、本当に一部の方だけにご挨拶させてもらう。なのに

「応援したのに礼にも来なかった」

と言われたことがある。担当者がすでにお礼に伺っているのだが「監督が礼に来なかった」と怒っているのだ。このケースも難しい。家を建てれば建設会社の担当者はお礼に来るが、社長はお礼に来ない。それと同じなのだが、その人は「あの監督だから応援したのに....」という。だから「挨拶に来るのが当然だ!」と怒っていたらしい。

では「あの俳優だから応援した」といえば、その俳優は挨拶に行かねばならないのか? 応援してくれるのはありがたいが、そのために交通費を出し、もう一泊現地に泊まり、すでにスタッフが感謝を伝えた方に、監督が改めて挨拶をするのはどうなのか? 気持ち的にはお訪ねしたい。が、製作費、時間、そのあとの作業を考えると難しい。


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そんなことが何度もあった。しかし、そんな人たちは決して悪意があるとか、魂胆があるではなく、多くは僕の映画を観て純粋に感動してくれた人たち。本気で応援してくれていた。が、相手が映画監督とか俳優となると、一般の友達以上の期待をしてしまうことがある。ちょっと考えれば、長年の友達にだってそんなこと訊かない、頼まないでしょう?と分かることをつい訊いてしまう。ささやかな応援なのに、礼に来ないと腹を立てる。課題な期待をし、そして拒否されると失望し、怒る。

これはその人たちが悪いというより、俳優や映画監督という職業の宿命なのだと思える。いい言い方をすれば夢を売る商売。だから、期待される、憧れが生まれる、多くの人が近寄って来る。感動作に出ている、作っているー素敵な人だと思われてしまう。しかし、Facebookでも何千人と「友達」ができ、毎日、何十人からも質問を受ければ、それが答えられる質問でも対応することで多くの時間を取られてしまう。本来の仕事ができなくなる。例え5分で返事ができても、10人から質問がくれば50分。それを質問する側は想像しない。

でも、その想像はなかなかできない。ならば、こちらが努力するしかない。数年前からFacebookでは質問されても平等に誰にも返事をしないと決めた。友達申請をして、わざわざ「承認ありがとうございます」とお礼のメッセージをくれた方にも、御返事はしない。一般論では良くないことだが、以前のように返事をしたことで、俳優のプライベートまで訊かれて、答えないと「裏切られた! 失望した」と嫌な思いをさせてしまうこともあるからだ。それは本人がどうこうより、期待させる側に責任がある。

そんなことで、Facebook上では交流しないことを一ヶ月に1回くらい告知。多くの方が理解してくれて助けられているが、一ヶ月に数十人の新しい「友達」ができるので、告知を続けている。これが有名監督なら「有名税」なのだろうが、無名でも、こんなふうになることを痛感。監督業というのは因果な商売である。だからこそ一線を引き、応援は感謝するが、個々に訪ねたり、礼状を送ったりはしない。プライベートな交流もしない。感謝は素敵な映画を作ることで伝える。という形を続けること大事だと思えている。


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映画「祈りの幕が下りるとき」感動作だった。原発ジプシーの話、関心持たせる! [映画感想]

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ほんの少し余裕ができたので、映画を観る。映画人として「忙しくて映画を観る暇もない!」というのは、スポーツ選手が「忙しくて練習する暇がない!」というのに近い。時間を作ってでも今、公開されている映画を観ることは大事。

そんな中で観たのはこれ。かなり良かった。泣けた!現代版の「砂の器」。感動作!僕の「明日にかける橋」とも似た構図の物語。一言でいうと「過去の謎を紐解くことで、父娘の悲しい絆が見えて来る」というもの。

もうひとつ興味深かったのは、原発ジプシーの話が出てくること。これはマスコミがほとんど触れることのない原発問題の闇のひとつ。映画ではさらっと触れるだけだが、原作者は東野圭吾だ。「天空の蜂」の原作者。原発問題をサラッとで設定として使う訳がない。

という訳で原作を購入。きっとマスコミが追及できない部分を小説として描いているに違いない。


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明日にかける橋ーポスプロ日記 いい映画を作ると制作者は儲からない? [映画業界物語]

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まだ、改訂版は完成していが、世は確定申告の時期。そのためにこの1ヶ月、再編集作業と平行して準備が続き本当に大変だった。映画制作にかかった費用数千万円分を全て確認。何にいくらかかったか? そして領収書、請求書を全て揃えてカテゴリー別に分けてファイルに貼付け。申告、税金を払わねばならない。最終的な手続きは税理士さんにお願いするのだが、そこまでの段階は全て僕が作業する。その方が安上がりだからだ。

もちろん、最初から経理スタッフを入れておけば全部やってもらえるので時間も労力も大いに節約できるのだが、それでは人件費が高騰する。どんなスタッフでも1人雇えば、その人が生活できるギャラを払わねばならないので高額になる。だから、人をなるべく減らして、その分を僕が担当することで毎回、人件費を押さえている。

ただ、僕は経理のプロではないので、最後はプロの税理士さんにお願い。全てを再確認し、申告をしてもらう。「使途不明金はないか?」「二重に計上しているものはないか?」「漏れている事項はないか?」「不正な支出はないか?」「誤摩化しや間違いはないか?」等。全て正当な支出であることを徹底してチェックした上で、税務署に提出。手続きを代行してもらう。

疑問点が見つかると税理士さんから連絡が入る。そのたびにに説明をする。前回も書いたが、それが古畑任三郎か?刑事コロンボか? 杉下右京か!という細かい質問だ。僕は意外に記憶力がいい方だが、昨年の7月に銀行から引き出した90000円を誰に支払ったか?と訊かれてもすぐに思い出せない。通帳を見ても、提携銀行から振込をした場合は、相手先の名前が記録されないのだ。

あれこれ当時の記録やスケジュールを見て思い出し、あーそうだ!と相手先が誰か答える。「分かりません...」ではダメなのだ。それでは誰だか分からない人に製作費を渡していることになる。公金横領と同じだ。そして税理士さんには通帳のコピーも渡しているので、誤摩化しは効かない。もちろん誤摩化すつもりはないけど「忘れちゃったなあー」では通らない。

そんなふうに僕が見落としていること。気付かなかったことも税理士さんはいろんな角度から検証。細かい部分も確認してくれるので、製作費が正当に使ったことが証明されるのである。でないと、税務署に提出した段階で、問題があると、今度は税務署から厳しい追及が行なわれる。そうならないように事前に不正なし、ミスなし、誤摩化しなし、疑問なしにしてくれるのが税理士さんの仕事なのだ。

ただ、映画の場合。たいていは製作費をオーバー。その場合は僕自身のギャラでそれを補填せねばならない。製作者は受けとった額内で映画を作るのがルールであり、オーバーしたらそれは自己負担となる。その段でスポンサーに追加予算を頼むのはあり得ない。なので多くの製作会社やプロデュサーは赤字がでないように、なるべく安上がりに映画を作ろうとする。

それは分かるが、会社の中には最初から半分以上の製作費を抜いておき、受けとった半額で映画を作る。当然、クオリティは低く、粗悪な作品となる。でも、そのことで会社は確実に赤字にならない。抜いた半額は手数料と称して自社の利益とする。これ本当に嫌らしいやり方だが合法。形だけの作品を作り、多額の利益を得る。だから、多くの製作会社が作る映画は駄作ばかりなのだ。

だが、映画監督主導で映画製作をすると、利益より「より映画を良くするため!」と利益を度外視、費用を全て映画製作に注ぎ込みがち。毎回、赤字になる。僕も毎回それだが、大事なことは良い映画を作ること。こちらも生活があるので、ある程度のギャラは頂くが、映画を優先してしまうのは映画監督業。だから、俳優や映画監督が主催するプロダクションは儲からず、いつか倒産するのである。因果な商売だ。でも、大事なのは素晴らしい作品を残すことだと思う。

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町おこしのための地域映画が成功しない理由ー映画が完成すると撮影に参加した人が、単なるお客様になってしまう現象? [地方映画の力!]

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映画は本当にお金がかかる。製作費だけでは十分でなく、地元の方が数多くボランティアで参加してくれる。或は市民俳優として出演。物を借りたり、建物を貸してもらったり、差し入れを頂いたり、情報を提供してもらったり。何百人もの応援を得て映画は完成する。

「私たちの街を舞台とした映画が出来た!」

と、皆、喜んでくれる。が、不思議なことに、撮影が終わると参加者の多くが、単なる観客になってしまう。「公開が楽しみだな〜」といって待つばかりとなる。「それでいいんじゃないの?」と思う人もいるだろう。

が、撮影のあとは「宣伝」という大事な仕事がある。なのに、多くの人は「撮影終了」=「完成」。自分たちが作った映画なのに「あとは、観るだけ〜」とお客様になってしまうのだ。

映画は宣伝し、多くの人に伝えないと映画を観に来てはもらえない。だから、ポスターを貼ったり。チラシを配ったり。前売り券を売ったりするのだが、地元の人は何もしなくなる。なぜか? 一般の人はこう思いがち。

「映画を作ればテレビが勝手に宣伝しくれて、新聞にも広告が載るだろ。だから、放っておいてもお客が来るんじゃないの?」

と無意識に思い込んでいるからだ。けど、テレビや新聞に広告が出るのは広告料を払うから。それには何千万も何億も必要。そんな余裕がないから、製作費を寄付で集め、ボランティで多くの市民に参加してもらった。巨額の宣伝費がないこと、分かりそうなのに........誰も、気付かない。説明してもピンと来ないようで、「今、忙しいから...」と言われる。撮影のときはあれほど、がんばってくれた人たちがそんな返事。そして以下のような会話となる。

「だって、広告会社がやってくれてるんだろー?(予算ないから雇えない!)」

「映画館が宣伝してくれるんだろー?(しません)」

「テレビが宣伝してくれるよね〜?(金を払わないとしてくれません)」

なのに最後は「映画の公開。楽しみにしています〜」で終わる。結局、お客様。動こうとする人はなかなかいない。最近はテレビ&映画業界については詳しい人が多いのに、なぜか「宣伝」に関して多くの人が「誰かが宣伝してくれるんじゃないの〜」と思い込んでいることが多い。だから、毎回、そこから説明して、宣伝活動に参加してもらうのだが、こんな人もいる。

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「映画ってのはいいものを作れば、口コミで広がってヒットすんだよ。宣伝するのは作品に自信がないからだ!」

だが、それも違う。映画館上映は最低2週間。事前に前売り券が売れてこそ、3週4週と伸びる。そのためには公開前から宣伝が必要。それを映画が公開されてからの口こみを待っていたら、客が来る前に上映は終了。口コミが広がるには、かなりの時間がかかる。

僕の友人が古里で撮影した映画も同様だった。その街の映画館で上映されるのに「いつから公開されるか?」をほとんどの人が知らない。地元の人が前売り券を売ってない。その結果、初日の映画館がガラガラ。数週間で上映打ち切り!

地元でヒットしない映画が東京で公開される訳もなく。あれほど、みんなががんばって、一致団結して作った映画が、一部の人だけが見ただけで終わる。参加者でさえこういう人が多い。

「え?いつ上映したの?知らなかった...」

宣伝しないから皆、上映を知らなかったのだ。あの大変な撮影は何だったのか? あの努力と奮闘は無意味だったのか? そんなことが地方映画ではよくある。何より自分たちの街の良さを全国にアピールするための映画なのに撮影だけ参加して「あとはよろしく〜」みたいな人が多い。だが、彼らが、いい加減ということではない。一般の人の多くは「宣伝」という認識がないからだ。

「誰かがやってくれるだろう。テレビで宣伝してくれるはず。映画館が告知してくれる」

と思い込んでいるのだ。自分たちが作った映画は自分たちで宣伝しなければ、誰も宣伝しないことが分からない。なのに実行委員や関係者が「映画公開、楽しみ〜」とネットで「いいね」を押するだけになってしまう。せっかく、みんなで作った映画が、そのために惨敗して2週間で終わり。他の街では上映されない映画もよくある。

宣伝というのは、撮影と同じくらいのエネルギーと労力が必要。そこで何もしなかったら、せっかくの映画が無駄になる。なのに地方ではそんなふうに宣伝の大切さを分かってもらえないことが多い。上映が終了し、何ヶ月かして「そーいえば、あの映画どうなったんですか?」といわれることもよくある。本当に悔しい....。

映画だけではない。日本人って大変な状況になっても、自分たちがとんでもない目に遭っても「誰かが何としてくれるだろう?」と思いがち。しかし、誰も何もしてくれない。自分たちが動かなければ何も変わらない。それに気付いていない人、多いのだ。悲しい...。


2015-05-20


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明日にかける橋ー地方映画が陥る問題を超え、東京公開は射程距離に! [地方映画の力!]

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近年、地方映画は数多く作られている。

市や県が予算を出したり、市民が寄付を集めて町をアピールするために映画を作る。そうやって地元の魅力を全国に紹介。観光誘致する。ただ、何度も書いたがそのほとんどが失敗している。

完成したものは映画ではなく、長めの地元紹介映像になっているからだ。映画は物語がありドキドキハラハラして笑ったり泣いたりする内容だからこそ、人は映画館に行く。なのに物語はおまけのようなもので、ほとんどが地元の観光地や歴史紹介ばかり。そんな映画を人は観たいとは思わない。

地元の人たちはそこを勘違い。

映画の中で地元を宣伝することがPRだと考えてしまう。それは映画ではなくPR映画。アンテナショップで上映すべきもの。それを映画館で入場料を取って見せようというのだから、映画館側も上映を断る。地元の人たちが劇場側に頼み込み、お金を払いレイトショーされることもあるが、観に来るのは地元関係者ばかり。結果、地元PRにはならない。

「我が故郷は素晴らしい」

「***が名産品だ」と映画の中で地元愛を歌うほどに、他県の観客。特に東京の人たちは冷めてしまい、映画を観てくれない。分かりやすくいうと、テレビドラマを観るのはドラマを観るのだ。間に入るコマーシャルを観るためではない。それを地方映画の多くはドラマを少しにして、コマーシャルを長くして「みなさん。観てください!」といっているのである。それでは多くの人が観てくれないのは当然。

そんなことが多い中、今回の「明日にかける橋」は陥りがちな問題を乗り越えて、東京公開が決まりそうだ。昨年末の完成披露試写会でもロケ地以外の人たちが多く訪れ「感動した」「泣けた」「ドキドキした」とかなり評価が高い。「どーせ、地元のPR映画だろ?」と思っていた近隣のある方も「全然違って、凄くよかった」と評価してくれた。

通常の商業映画と同じで、

物語を楽しむことができる作品だかこそ、東京の映画館も上映することを同意してくれた。ここまで来れたのはやはり、地元実行委員会の方々が映画作りをイチから勉強。「PR映画にしてはいけない」「観光地や歴史の紹介。地元名産物のアピールを映画の中ですることが実はマイナス!」と感じて、製作サイドにそれを押し付けず、本来の映画のあり方を理解してくれたことが大きい。

今回はそれを超えて商業映画と肩を並べて戦える作品となっている。さて、地方映画が犯す第二の失敗。それがこれからの課題だ。いかに宣伝して映画の存在をアピールするか?だ。多くの地元関係者は映画が完成すると「終わった!終わった!」と何もしなくなり、観客になってしまう。だが、本当の戦いはこれから。映画を他県の人たちに観てもらってこそ、地元アピールになるのに、日常に戻ってしまう。

多くが無意識に映画館が上映して、宣伝してくれるだろうと考えるのだ。しかし、映画館は上映するだけ。宣伝はしない。配給会社が宣伝をするが、通常の商業映画は宣伝に数千万から1億単位をかける。地方映画にそんな予算はない。では、どうするか?それが大きな壁となる。次回はその辺の方法論も紹介して行きたい。


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明日にかける橋ー制作日記  東京公開に向けて会議 [2月ー2018]

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先日、地元実行委員の方が上京。配給会社を交えて打ち合わせをした。映画の現状、映画館公開、宣伝等について報告。委員会側の展開を伝えてもらった。

東京の映画館では何とか夏前に公開してくれそうなところがある。決まり次第、映画館名と公開日を発表したい。それにしても通常は映画完成から1年待ちの公開なのだが、それが半年あまりで公開というのはありがたい。映画館側のご好意と、配給会社の奮闘のおかげだ。

しかし、問題はある。多くの地方館は東京の成績を見て上映を決める。東京上映で客が入らないと地方の映画館は上映しない。だから、なんとしても東京を成功させなければならない。その意味でまず東京に全力を尽くし、満員御礼にして、秋から地方公開にすれば、多くの映画館が上映を希望してくれる。

チラシ、ポスターのデザインはすでにデザイナーさんが初めてくれている。僕は予告編を作る。あと、地元委員会はクラウドファンディングをスタートさせるとのこと。宣伝費を募るのだ。大口で投資してくれた人にはレアな特典もあるとのこと。詳しく決まったら、また紹介させてもらう。

いよいよ、東京公開が視野に入れた準備が始まる。ひとつ階段を上がり、「明日にかける橋」東京決戦に進む。



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明日にかける橋ーポスプロ日記 税理士さんから質問の嵐? [2月ー2018]

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やっと再編集が終わり、データを書き出し、音楽と音響効果の担当者に送る。これで作業は終了。税金の申告準備も終えて、先週終わりに税理士さんに書類を渡した。

ほんと、この一ヶ月はもう大変だった。これでようやく終了!ほっと一息ではなく、夏の東京公開に向けて宣伝準備をせねばならない。でも、今日だけは、ゆっくりと......と思っていたら税理士事務所から連絡。いろんな質問がメールされて来た。

まるで古畑任三郎。もう、本当に細かい指摘が続く。「ん〜〜この領収書は?」「この振込は誰に?」「あとひとつだけいいですか〜。この費用は何でしょうか?」と古畑というより「マルサの女」か? 多くの製作会社がやるように製作費を誤摩化したり、流用したりはしていない。全て映画費用に間違いないのだが、夏の撮影最中のこととなると、戦時下みたいなもので、記憶が曖昧。

スタッフに電話。「あの領収書ってもらいましたっけ?」とか聞いて「あーやっぱりまだか〜」ということで、急ぎ送ってもらうことにしたり。通帳を遡って調べたり、ない領収書を探したり、今日1日はそんなことで終わってしまった。映画というのは本当に経費がかかる。また、それが外部の人から見ると何のための費用か?分かり辛いものが多く、誤解も生む。

その一つ一つを説明。書類に書き込む。その辺、映画専門の経理スタッフを雇えば楽なのだが、そのためにまた費用が嵩む。だから、僕ができる限りやった上で税理士さんにお願いする。その方が安上がりなのだ。そんなこんなで悪戦苦闘していると、宣伝準備の連絡。素材を送ったり、作ったり、選んだり。
0時を過ぎたが、次はその辺の作業を片付ける。


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地方映画の力ー僕の作品は他の地方映画と違うメリットがある? [地方映画の力!]

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地方映画は我が故郷をアピールすることが目的で作られることが多い。そして映画館で公開される前から地元の宣伝になる。制作発表や宣伝段階でも街がPRされることは前回書いた。出演俳優が番組やブログでロケ地のことを伝えてくれる。映画サイトがその街で撮影が行われることをネットで発信してくれる。これだけで数百万から1000万近い宣伝費をかけるのと同じ効果なのだ。

どの地方映画でもそれは同じなのだが、僕の作品はさらに、もうひとつメリットがある。自分でいうのは何だが、僕自身が毎回、映画の企画時からブログとFacebook、そしてツイッターで情報発信をしていること。先の2つは毎回、準備段階、撮影、編集、宣伝、公開とその全てを日記形式で綴る。このFacebookでも今回の「明日にかける橋」のことを何百回も書いている。

もちろん、多くの人に映画を知ってもらい、観てもらうための宣伝の一環だが、そのことによって「袋井って街で太田監督は新作を撮るのかあ〜」「磐田ってとこでもロケするらしいなあ。あのサッカーのジュビロ磐田の磐田?」「森町ってとこは監督が好きな古い風景が多いなあ。どこにあるんだろう?」と読者は感じる。

これは映画の宣伝と同時に町のアピールにもつながる。僕のFacebook「友達」やブログの読者はロケ地の町を覚え、関心を持ってくれる。「映画を観る前に一度、その町に行ってみようか?」「撮影でボランティアを募集しているなあ。応募しよう」「市民俳優オーディションが地元であるのか!いいなあ」と町に来てくれたりもする。だから毎回、全国から応募やボランティア、市民俳優がやってくる。

「ただ、監督がブログを書くのは当然だろ?」という人もいるだろう。いや、当然ではない。ほとんどの監督は撮影日記を書かない。ブログで毎日連載なんてしない。本当は監督が情報発信することが一番、映画ファンは興味を示すのだけど、忙し過ぎて時間がないので、ほとんどの監督が制作日記のようなものを連載する余裕がない。たまに映画公開前に限定2週間とかでブログを書く監督もいるが、それですら極まれだ。

なのに何で僕がそんなことできるのか? は以前に何度も書いたが、僕は毎回7人分の仕事をする。そして映画制作以外の時間はなくてもいいと思っている。「たまにはパチンコ行きたいし」「旅行もしたい」「家族団らんも大切だし」とサラリーマンのようなことをいう監督もいるが、映画作りは戦い。人生を賭けた勝負。だから、プライベートがなくても良い映画を作ることの方が大事と僕は考える。

ま、動機は何でもいいが、ブログ、Facebookで僕が発信することで大きな宣伝になるのだから、やらない手はない。現在、Facebook友達は3297人。ブログは1日800件アクセス。これが公開前になると5000ー8000アクセスになる。Twitterは5000人くらいのフォロワーがいる。つまり、映画の情報が1万人を超える人たちに毎日発信できるのだ。これは大きい。

また、僕の映画を毎回応援してくれている著名人、文化人、俳優、歌手、政治家の方々もいる。その人たちがシェアやリツイートをしてくれるので、さらに情報は拡散される。全国に応援団ともいえる人たちもいて、僕が映画を撮ると熱烈応援してくれる。自分の店にポスターを貼ってくれたり、ブログで映画の感想を書いてくれたり、Twitterで上映する映画館を告知。上映時間までツイートしてくれるたりもする。

それらを含めると、これも数百万の対費用効果ーつまり、数百万円を使わずにして、それだけの宣伝効果が上がる。だから、なぜ、多くの監督はFacebookやブログで映画日記を連載しないのだろう?とも思うのだが、皆、映画の公開日を告知する程度で、企画時から日記を連載する人はほぼいない。

もちろん、そんなことをすれば、映画ファンからあれこれ質問が来て、答えないと「無視された!」「裏切られた!」と騒ぐ人もいる。1人に答えると次々に質問がくる。返事で1日2時間!邪魔にしかならない大きなお世話もあり、本当に大変なことになる(僕も一時期大変でFacebookを二度休止した)ただ、それでも宣伝になるのだが、やるべきだと思うのだが、そんな監督はほとんどいない。

その意味で僕が担当する映画は他とは違うメリットがあるといえる。「自画自賛?」と言われそうだが、それなりの効果があるので続けたい。もちろん、監督でなくても地元の方が情報発信をするのも大事。宣伝こそが、町のアピールに一番大きな力となる。地方映画の多くは何億もかけた企業映画のような宣伝費はないのだから、せめて無料のネットを使い情報発信することは大切なのだ。


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明日にかける橋ー再編集作業も最後の最終確認? [2月ー2018]

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最終確認をしていたら、また問題点や直し点を発見。それから2週間くらい作業を続けた。そして本日、最終の最終確認をしている。これでオーケーなら音効さんと音楽家さんに本編素材を送り、音響効果と音楽を新たにつけてもらう。

しかし、自分で作った物語とはいえ、見るたびに悲しい思いをする。主人公のみゆき。16歳が何であんな思いをしなければならないのか? 家族がなぜ悲しみに沈んで行くのか? 胸が痛む。それは俳優たちー板尾創路、田中美里、越後はる香、そして鈴木杏ーの素晴らしい演技があるからなのだが、胸につきささる悲しみの連続に映像を続けて見るのが辛い。

同時に監督として、試写会版より数段クオリティが上がったことも実感。間違いなく感動が3倍になる。繰り返すが、あまりにも過酷で悲しみのつるべ打ちなので続けて見ることができず、今は休憩。その間にこの記事を書いている。

税金の申告準備は先週で終了。あとは税理士さんがやってくれる。しかし、映画製作は本当に大変で何千万円分もの請求書や領収書を1枚1枚整理、分けて、貼り付け。それを全部記録せねばならないのは本当に大変だ。それだけ映画製作というのは膨大な制作費がかかるということ。

現在作業中の最終確認が終われば、あとはMA。これで完成だが、すでに夏に東京公開ができるように、宣伝の準備も始まっている。予告編も数種類作らねばならず、本編が完成してもまだまだ忙しい日々は続く。


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