関係者のみなさんーお返事ができず、申し訳ないです。 [1月ー2018]
関係各位。いろんな方から連絡もらいながら、お返事できずにすみません。複数の件が同時進行。締め切りが目前。余裕ができたとき順にお返事させてもらう。だが、こんなとき「3分もあれば返事が書けるだろう?」といってくる方がいる。だとすると10人から連絡がくれば返事に30分! 20人なら1時間が必要。その時間、仕事が中断することになり、さらに時間が足りなくなる。
また編集の仕事は勢いが大事。作業を止めて3分メールの返事を書くことで、集中力が途絶えてしまうこともある。もし、打ち合わせのときに、他のスタッフがいるのに「ちょっと悪い!」と会議を中断して監督がメールを打つのもよくない。それでなくても僕は人と会っているときには、よほどのことがないと携帯に出ない。そしてちゃんとした人からメール連絡を貰えば考えて返事したいので、3分で返事というのがそもそもできない。
映画作りは一般常識では理解してもらいにく仕事だし、監督をするような人は僕を含めて独特。常識がない。「失望した」「いい加減なやつだ」と言われることもある。そもそも「仕事中」というと、多くはサラリーマンがデスクワークをしているイメージ=メールや電話がくれば即、返事「はい。営業3課の青島です!」と答える、テレビドラマでよく見る光景=を想像するのだろう。だから、3分もあれば返事が書けると指摘する。
しかし、映画の仕事というのは敵と交戦中の兵隊のようなもの。そんな兵士に戦闘中に連絡して「なんで返事がない!」というようなものだと思ってほしい。いろいろ面倒をかけますが、よろしくお願いします。
明日にかける橋ーポスプロ日記 再編集をもう少し続ける。 [1月ー2018]
再編集後の3度目の確認作業が続いている。もう、直すところはないと思えたので、すぐに終わると思いきや。確認するたびに小さな直し部分が見つかる。
このカットは3秒だけど、5秒にした方がいいなー。とか。このクローズアップ、最後の2秒は止めた方が伝わるな。とか。ささいなことだがそれでかなり印象が変わる。いやいや、5秒ではなく、6秒だ。だったら、先のあのカットも6秒にしよう!と、またまた直しをしてしまう。現段階では問題を修正するというより、その場面をよりよくするための作業である。
音響効果担当者が音入れ作業をするので、こちらの上がりを待っている。急がねば!と思っていたら、先方は別の仕事で忙しいらしくて、2月上旬のMAを少し遅くしてほしいとの連絡あり。ありがたい。これでもう少し時間ができた。完成披露試写会でご覧になった方も、映画館バージョンをご覧になると、かなり印象が違うことに驚くだろう。それくらいに直しを入れている。でも、どこが違うか?は分からない。そこがプロの仕事。
料理と同じ。同じラーメンなのに? 同じ具が入っているのに? 量も同じなのに、前よりうまい。何が違うのか?と感じるのと映画は近い。申告の準備も同時に進めている。こちらは待った無し。締め切りに間に合わないと大変なことになる。その作業も続ける。
明日にかける橋ーこうして映画で街がPRされる!関係者が情報を発信してくれる? [地方映画の力!]
前回は映画サイトにより街のPRができてしまうこと書いたが、映画サイトばかりではない。地元で映画を製作すると、いろんな形で地元ーわが町ーが全国にアピールされる。町のPRで大事なのは、まず町の名前を他県の人に覚えてもらうこと。それが第1歩だ。なのに多くの地方でPRをしたい人たちは、楽して大きな展開を望み失敗している。
もし、自分たちが動かずに大々的に町をPRしたければ億単位の宣伝費を用意するべき。でも、それは自治体や地元企業にはできない。だから、小さな努力を続けて、時間をかけ、町の情報を発信していくしかない。そんな中、地元で映画製作すればタダで情報発信ができる。その意味でいつも書くように「映画ができた!バンザーーイ」で解散してしまう地方映画というのは、本当にもったいない。
話を戻そう。地元映画が作られれば映画サイトだけでなく、多くの個人もネットを使い情報を発信する。まず、映画を作った地元実行委員の方々は宣伝や告知のためにFacebookやツイッターで映画のことを書く。友達は他の町や他県にもいる。いつもは個人として繋がっているが、友人が住む町に強い興味を持つことはない。だが、友人たちが町で映画を作ったとなると「へーーどんな映画だろう?」「どんなところで撮影したんだろう?」と興味を持つ。まず、ここで町に関心を持つ人が増える。
撮影のために映画スタッフがやってくる。撮影がなければなければ一生くることのない町であることが多い。しかし、撮影で訪れ、美しい風景や立派なお寺。懐かしい木造住宅の街並みに触れる。「あーこんな素敵な町があったんだ!」と感動する。地元の食材を食べる。温泉に行く。地酒を飲む。地元の人たちと交流する。そんな彼らは撮影が終われば帰京。また、別の撮影に参加。そのときに、町の話をする。おいしかった食材のことを伝える。
懐かしい町を探している企画があれば「***市がまさにそれでしたよ。街の人たちもとても親切だし」とプロデュサーに話すだろう。「だったら、そこで撮影するか!」となり、新たな撮影チームがやってくる。さらなる宣伝になる。というふうに、スタッフからも町の魅力が拡散されていくのである。
撮影に参加するのはスタッフだけではない。我が太田組の場合は日本各地からボランティア・スタッフがやってくる。そんな彼らも町を体験する。美しい風景、素敵なお寺。彼らは町の名前を覚え、寺の名前も覚え、ブログを書き、***市ロケの映画の情報を発信する。彼らに300人のFacebook友達がいれば、その300人がロケ地***市の存在や魅力を知ることができる。
ボランティアだけでなく、エキストラ、市民俳優という人たちもいる。「映画に出たい!」と他県からも大勢がやってくる。隣町の人でも、すぐ近くの町のことを知らないものだ。そんな人たちもロケ地の魅力を知ることになる。近隣なら「また、来よう!」と思う。ロケ地めぐりも週末にできてしまう。それをまたブログに書く。ここでも町の魅力が拡散される。
以上の流れだけで、映画に参加した地元の人、スタッフ、ボランティア、エキストラ、市民俳優たちがネットで情報を発信。あるいは口コミで町の魅力を伝えることで、何千人という人に町の名前、魅力が拡散されるのだ。もし、映画を作らなければスタッフも、ボランティアも、エキストラも、市民俳優もその町に来ることも関心を持つこともない。当然、Facebookやツイッターでその町のことを書くこともない。
地元の人が自分たちの町の魅力をFacebookで綴っても、関心を持ってくれるのはごく一部だろう。でも、「わが町で映画を作ります!ロケがありました!」というと、多くの人が「へーー」と思う。関心を持つ。つまり、映画を作るだけで、映画館で公開される前すでに、わが町の魅力が全国に発信されるのである。それもタダー無料で!
何千万円も払ってテレビで町のCMを流すのも宣伝。しかし、そんな広告料を払える地方はなかなかない。でも、映画を作れば、映画館公開前だけでも、かなりな宣伝が可能になる。だからこそ、多くの町が映画ロケ誘致のためにフィルム・コミッションを作ったり。自治体が制作費を捻出して地元映画を製作したりするのだ。でも、まだ、これだけではない。映画による地元の宣伝。次回もご紹介する。
明日にかける橋ー映画館公開情報 6月東京公開案?! [1月ー2018]
配給会社が映画館上映の交渉を続けてくれている。現時点で可能性があるのが、東京6月公開。全国(静岡県を含む)9月下旬公開というもの。通常は完成してから1年待ちが普通。それが6ヶ月で東京公開というのは、かなり凄い。配給会社がかなり奮闘してくれたということだ。
何より東京でまず公開するのはインディペンデト映画の基本。東京で公開すれば映画の情報が全国に拡散される。全国一斉だと全国的に情報発信が必要でかなり大変。宣伝費も膨大になる。その意味では東京先行はいい形だ。
ただ、6月公開となると、いろいろ準備が大変だ。マスコミ試写会も3月頃にはスタートせねばならない。それまでにチラシ、ポスターも用意する必要がある。その他もろもろ、いろんな準備をせねば! まだ、確定ではないが、そんなスケジュールが浮上。そのための対応をせねばならない。
地元で映画を作ると、公開前から大きなPR効果がある?! [地方映画の力!]
地元を舞台にした映画を作ると(作られると)多くのメリットがある話を何度も書いた。そんな1つを今回も紹介する。
僕が監督した「明日にかける橋」もそんな映画の1つ。静岡県の袋井市、磐田市、森町の市民が中心となり寄付で製作された映画。公開は今年の夏ー秋だが、すでに町PR効果がスタートしている。下記をクリックすると「映画.com」という映画紹介のサイトに行く。日本最大の映画サイトで何十万人という人(何百万人?)が読んでいる。そこに「明日にかける橋」の紹介記事が出た。以下のような文章が並ぶ。
「全国的にも最大級の規模を誇る静岡県の袋井花火大会を舞台にした作品」
「8月11日にクランクインし、8月末まで同県袋井市、磐田市、森町で撮影される」
ちゃんと町のことが紹介されている。これを「ただ、町名が出ただけじゃん。こんなことじゃPRにならないよ」と言う人もいるだろう。それがまさに素人考え、雑誌やテレビ、新聞、そしてネットの大手サイトでどんな形であろうが紹介されるということは、もの凄いことなのだ。
情報発信というのはお金がかかるもの。新聞広告で小さな記事を出しても何十万何百万だ。だが、記事になれば広告料を払わずに宣伝してもらうのと同じ。 何より記事というのは、お金を出しても書いてもらえるものではない。(だから、記事風の広告が多い)広告は読み飛ばしても記事なら読者が読むからだ。つまり広告より効果がある。
そんな記事として「全国的にも最大規模を誇る静岡県の袋井花火大会」と書かれている。これを何十万人もが読む。「へーーそんな花火大会があるんだ」「知らなかったなあ」となる。この記事が掲載され読むことで、花火大会が大いにアピールされるのだ。袋井の花火大会は大規模で本当に凄いが、都会ではほとんどの人が残念ながら知らない。また、その手の雑誌で紹介されることは少なく知名度が低い。だが、この記事を読み「じゃあ、来年の袋井花火に行ってみよう」と言う人も数多く出るはずだ。
これがPRなのだ。さらに「同県袋井市、磐田市、森町で撮影される」町の名前が紹介される。オリンピックや国体。万国博でも***市でいつから開催と報道される。札幌の雪祭も、毎年ニュースで開催が報道される。そんなことで町の名前がアピール。多くの人たちがそれを覚える。そして興味を持つ。観光で訪れる。そんな機会がないと人は自分が住んでもいない町を知ろうとはしない。また、大イベントがあるのはやはり大きな町だ。だから小さな地方はアピールしない。
それが映画製作を行なったことで、日本最大の映画サイトが「袋井市、磐田市、森町で撮影される」と記事を出し発信したのだ。磐田市はジュビロ磐田で有名だが、残念ながら袋井、森を知る県外の人は多くはない。でも、こうして記事に出れば「どんな町だろう?』と思う。名前を記憶が片隅に残る。そんなことの積み重ねで、何かの機会に「あーー袋井って聞いたことある。何だっけ? あー映画のロケ地ねえ。それがこの町か!」と結びつき、町の名前を覚え関心を持つ。
PRとはそういうもの。ゴールデンタイムにCMでバンバン、町の宣伝をすることだけがPRではない。おまけに、それだと何十億円も広告料を取られる。それが映画のロケがあれば、広告料を払わなくても、こうして日本最大の映画サイトで紹介され、何十万人もの読者が町の名前を知る機会が生まれるのだ。こんな美味しい話はない。
もちろん、これで十分という訳ではない。広告というのは一度発信して終わりではなく、繰り返し発信しないと多くの人は情報を受け止めない。その意味で映画は強い。以下の記事は「製作発表」時。撮影前だ。そのあと、撮影終了時には地元新聞の記事になったし、完成披露試写会は地元テレビが報道。このあとは東京公開、全国公開とそのたびにマスコミは注目する。テレビや新聞、雑誌、ネットで映画が紹介されるたびに、ロケ地である町がクローズアップされる。
もし広告としておなじ分量をメディアに発注していたら数千万円になる(それを対費用効果という)映画を製作したことで、全てタダでマスコミが発信してくれる。もちろん、より多くのメディアに発信してもらためには、それなりの戦略が必要だが、町でロケされること。あるいは町で映画を製作することは、そんなふうに大きなPR効果がある。もちろん、映画を観た人は「素敵な町だなあ。一度行ってみたい!」と思うのだが、映画が公開される前段階で、これだけの効果があること。意外に気付かないものだ。凄いでしょう?
こちら=>http://eiga.com/news/20170719/4/
映画「明日にかける橋 1989年の想い出」特報③ [告知]
学校でいくら学んでも夢は掴めない?ー映画監督になる方法 [映画業界物語]
高校時代。将来、映画監督という仕事をしたいと思った。いや、ちょっと違う。映画監督になりたかったのではなく、映画が作りたかったのだ。シナリオを書き、撮影をして、編集をして、観客が喜ぶ作品を作る。それができる仕事というのが「映画監督」という仕事だった。
が、1970年代すでに、大手映画会社では新入社員の募集をしていなかった。昔は、映画会社の試験にパスし、そこで助監督をしながら経験を積み、監督になるというのが王道だった。あの黒沢明監督だってそうだ。なのに、当時もう映画産業は斜陽で、映画会社はテレビドラマの下請け制作等で食いつなぐ状態。すでに自社専属の監督や脚本家というのはおらず。ほとんどのスタッフがフリーであった。
高校生の僕は、どうすれば日本で映画監督になれるのか? 調べてみた。それで先の黒沢監督ら大監督たちが映画会社の社員として、入社。監督となったことが分かる。社員募集がなくなってからは、それ以前に映画界に入り、助監督を勤めて来た人たちが監督になるケースが多かった。
ただ、それは若い人たちには当てはまらないケース。さらに調べた。CMディレクターをやっていた人が映画を作り、その後、映画監督になるという形も見つける。大林宣彦監督だ。百恵友和コンビのグリコのCM。ソフィアローレンのラッタタタ。Cブロンソンの「ん〜マンダム」とヒット作を撮ったあと、「HOUSE」で映画監督デビューしている。
「映画監督になるには、CM界で成功してからでないと今の時代は駄目か?」と思えたり。さらにハリウッド監督についても、調べた。「アニマルハウス」のジョンランディス監督は映画会社でメールボーイをしていた。コッポラは学生時代からロジャーコーマンのスタジオでアルバイト(Jキャメロンも同じ)ルーカスは大学時代に知り合ったコッポラの助監督からスタート。
それら多くがロサンゼルスのUSCという大学の映画科で学んだ者が多いことも分かる。そんなことがあって、のちのち僕もUSCを目指すことになるのだが、それはまだ先の話。一番興味を引いたのがスピルバーグ。大学時代にユニバーサル撮影所に忍び込み。そこで空き部屋を勝手にオフィスにして、「監査役」という名札を作り、スタジオ内を見学してまわっていた。
それがバレて、当時の社長、シド・シャインバーグに呼びつけられて「何でそんなことをした?」と訊かれる。スピルバーグは答える「映画監督になりたかったんです...」普通なら、追い出されて終わりだが、社長は2万ドル(だったと思う)で映画を撮ってみろ!といったのである。それで作ったのが映画「アンブリン」(のちにスピルバーグの会社名ともなる)その出来に感心した社長は彼と監督契約を結ぶ。そして「刑事コロンボ」の「構想の死角」日本では劇場公開された「激突」を監督。その後、メガヒットを連発するのだ。
調べてみると、それぞれが面白い。で、気づいたのは同じパターンで監督になった人はいないということ。それぞれが考え、努力して、夢を掴もうとしていた。「じゃあ、僕の場合はどうすればいい?」と考えた。そのあとに2つのチャンス。8ミリ映画ブームとUSC留学。しかし、そこではまだ夢の実現には至らない。さらに3回目の戦いでリーチをかけるのだが、それはまた別の機会に。要は夢を掴むのにマニュアルはないということだ。
なのに、先日も書いたが映画学校に通う今の生徒たち。卒業すれば監督や脚本家になれると思っている子たちが多い。講師の先生から「卒業しても何の意味もない。学校来るよりパチンコ屋でバイトしろ」と言われても、ピンと来ない。まじめに毎日の授業に出て、宿題をこなす。
彼らは日本の教育システムにどっぷり浸かり、発想を凝り固められてしまったのだ。高校受験=>大学受験=>就職試験=>会社員=>定年という日本人のほとんどが歩むコース、それ以外の方法論というのを考えることができない。だから、映画監督になりたければ、映画の専門学校に通う。卒業しても就職試験?はないのに、学校に通う以上の努力をしない。
映画作りはある種、芸術。サラリーマンとは違う。ただ、思うのはカタギの世界も映画界と同様に混沌として来たということ。もはや、入社しても定年まで安泰ではない。社員になることすら難しい時代だ。黙っていたらブラック企業で過労死するまで働かされる。どんなに働いてもまともな生活ができないこともある。映画監督になるには、様々な知恵を絞り、人とは違う方法で自分をアピールしなければならないが、現在においてカタギの仕事も同じ構図になっている。
年老いた人たちから押し付けられた古い価値観に従い、ただ学校に行くだけでは潰れていくしかない。何事においても絶対的な方法論はもうないんだ。自分なりの方法を探すこと。模索することが、夢を掴むこと、生き残ることに繋がるのではないか?