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「海月姫」のヒロイン芳根京子さんが主人公を演じる映画「向日葵の丘 1983年夏」 [My Movies]

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2015年に公開された僕の監督作4作目「向日葵の丘 1983年夏」左が芳根京子さん。

主人公の多香子を演じてくれた。(大人の多香子は常盤貴子さん)

その芳根さんは現在、月9「海月姫」でヒロインを演じている。

太田組出身の新人はブレイクする!と言われるが、またまたそれを証明してくれた形。

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「向日葵の丘」監督日記はこちら=>http://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp

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映画監督業はつらいよ!ーー応援と誤解と失望の中で仕事する難しさ。 [映画業界物語]

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「映画監督」というと一般の人は「偉い人」とか「凄い人」と思ってくれる。もちろん、巨匠にはそんな方がいっぱいいるが、僕のような無名監督は「偉い人」でも「凄い人」でもなく、単なる労働者だ。ただ、やはり映画という特殊な世界なので「スゲなー」「大変だなー」と思われることはある。

有名俳優さんとも仕事するし、そんな俳優さんたちは監督というと一目置いてくれる。それを見た人は「おー有名俳優の**さんに指示しているよ。映画監督って凄いな」と思ってしまうのだろう。でも、それは運転手さんが巨大なトラックを運転したり、ライオンの面倒を見る動物園の職員さんと同じで、人が簡単にできないことをするので「スゲー」になるのだと思える。また、僕の場合は感動作ばかり作っているので

「あんな泣ける映画を撮る監督は情の厚い、いい人に違いない!」

と思われることがある。だから、Facebook友達になると「あの監督ならいろいろ質問しても答えてくれるはずだ!」と友達承認をしたとたんに質問の嵐!ということがある。或は「承認ありがとうございます」とメッセージが来たので「こちらこそ、よろしくお願いします」と返事すると「ところで監督の新作はどのようなテーマでしょうか?」とか質問になる。

急に返事を止めるのも変なので、質問に答える。と、「俳優とかもう決まっているんですか?」と質問が続く。その段階でそんなことは言えない。が、「選考中です」と答える。と、さらに「最近売り出し中の**さんがいいんじゃないですか?」と来る。その内に「監督の前作に出た女優の**さん。不倫していると聞きますが、本当にアイドルの***さんと付き合っているんでしょうか?」とかいう質問が出て来る。


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会ったこともないFacebook友達に、いや、昔からの友達だとしても、仕事仲間である俳優のプライベートを話すことはできない。それ以前に会ったこともない人が、Facebook友達にそんなことを訊くことは常識的でないことになぜ気付かないか? また、そんなことを監督業の人間が答える訳ないと考えないのか?

だが、多くは「だって、監督はあんな素敵な映画を作るのだから、優しい人だ。私の質問にも丁寧に答えてくれるはず」と思っている。常識もある。礼儀もわきまえている。「でも、監督はいい人だから答えてくれる」という勝手な期待を持ってしまうのだ。これが不良が喧嘩する映画ばかり撮っていると「あの監督は怖そう。詰まらないこと訊いたら怒鳴られるかも?」と畏怖。近づいて来ないのだが、、。

俳優も同じで「いい人」「献身的なキャラ」を演じる俳優は「この人はプライベートでもいい人のはずだ!」と思われて、街角で見つけると、すぐサインをねだられる。これがヤクザな役が多い俳優だと「怖そう。殴られるかも?」と思い、町中で気付かれても声をかけて来ないと言う。そんな「いい人」をよく演じる俳優はこういう。

「勝手にいい人だと思い込んで、絶対にサインしてもらえる。記念写真もOKと声をかけてくるんで溜まらないですよ。急いでいるので断ると、失望した。裏切られた。もう応援しないなんて、ネットで拡散されたことありますよ」

僕も経験ある。勝手に「監督はいい人だ」と思い込み、連絡してくる。「監督の映画を今日、観に行きます。どこで上映していますか? 何時からですか?」と訊いて来た人がいる。そのときは仕事の返事もできないくらい忙しいときだったので、頭に来て「そんなこと自分で調べてください!」と返事したら「監督は優しいから絶対に調べてくれると思ったのに....悲しい....」と言われ、その日の内にFacebook友達から削除された。


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矢沢永吉の武道館公演に行くのに、矢沢と知り合いだからと本人に「武道館はどこですか? 何時からスタートですか?」なんて訊くか? まあ、あちらは超有名だけど、そんなことに関わらず、普通はYahoo!とか公式HPで調べるだろ? この背景も同じ。「監督はいい人だから、親切に教えてくれるはず」という思い込み。でも、そんな非常識な頼み事を断ると、先の俳優のファンと同じで「裏切られた。失望した。そんな人だと思わなかった。許せない。二度と応援しない」とあちこちにいい触れ回られることが多い。

こんなこともある。撮影でお世話になった方、それぞれ担当者がお礼に伺う。僕もご挨拶に行く。映画というのは本当に多くの人の強力で成り立つ仕事なのだ。ただ、監督業は撮影が終わっても編集という仕事が待っている。応援してくれた人一人一人にお礼すると膨大な時間を取られプロジェクトがストップ。いろんな支障が出て来るので、本当に一部の方だけにご挨拶させてもらう。なのに

「応援したのに礼にも来なかった」

と言われたことがある。担当者がすでにお礼に伺っているのだが「監督が礼に来なかった」と怒っているのだ。このケースも難しい。家を建てれば建設会社の担当者はお礼に来るが、社長はお礼に来ない。それと同じなのだが、その人は「あの監督だから応援したのに....」という。だから「挨拶に来るのが当然だ!」と怒っていたらしい。

では「あの俳優だから応援した」といえば、その俳優は挨拶に行かねばならないのか? 応援してくれるのはありがたいが、そのために交通費を出し、もう一泊現地に泊まり、すでにスタッフが感謝を伝えた方に、監督が改めて挨拶をするのはどうなのか? 気持ち的にはお訪ねしたい。が、製作費、時間、そのあとの作業を考えると難しい。


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そんなことが何度もあった。しかし、そんな人たちは決して悪意があるとか、魂胆があるではなく、多くは僕の映画を観て純粋に感動してくれた人たち。本気で応援してくれていた。が、相手が映画監督とか俳優となると、一般の友達以上の期待をしてしまうことがある。ちょっと考えれば、長年の友達にだってそんなこと訊かない、頼まないでしょう?と分かることをつい訊いてしまう。ささやかな応援なのに、礼に来ないと腹を立てる。課題な期待をし、そして拒否されると失望し、怒る。

これはその人たちが悪いというより、俳優や映画監督という職業の宿命なのだと思える。いい言い方をすれば夢を売る商売。だから、期待される、憧れが生まれる、多くの人が近寄って来る。感動作に出ている、作っているー素敵な人だと思われてしまう。しかし、Facebookでも何千人と「友達」ができ、毎日、何十人からも質問を受ければ、それが答えられる質問でも対応することで多くの時間を取られてしまう。本来の仕事ができなくなる。例え5分で返事ができても、10人から質問がくれば50分。それを質問する側は想像しない。

でも、その想像はなかなかできない。ならば、こちらが努力するしかない。数年前からFacebookでは質問されても平等に誰にも返事をしないと決めた。友達申請をして、わざわざ「承認ありがとうございます」とお礼のメッセージをくれた方にも、御返事はしない。一般論では良くないことだが、以前のように返事をしたことで、俳優のプライベートまで訊かれて、答えないと「裏切られた! 失望した」と嫌な思いをさせてしまうこともあるからだ。それは本人がどうこうより、期待させる側に責任がある。

そんなことで、Facebook上では交流しないことを一ヶ月に1回くらい告知。多くの方が理解してくれて助けられているが、一ヶ月に数十人の新しい「友達」ができるので、告知を続けている。これが有名監督なら「有名税」なのだろうが、無名でも、こんなふうになることを痛感。監督業というのは因果な商売である。だからこそ一線を引き、応援は感謝するが、個々に訪ねたり、礼状を送ったりはしない。プライベートな交流もしない。感謝は素敵な映画を作ることで伝える。という形を続けること大事だと思えている。


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