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東京からの嬉しい応援ー”今からでも映画「明日にかける橋」に寄付できますか?”という声! [2月ー2018]

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「明日にかける橋」改訂版はあと一息

で完成というところまで来たが、申告の時期でもあり、その準備も進めている。映画に関してここまでにかかった費用を全て確認。膨大な量の領収書を仕分けして、何にいくらかかったか? どこで買った? 誰に支払った? 全て書類にして、現在は税理士さんのチェックを受けている。費用が正当に使われているか? 映画以外のことに支払われていないか? 計算間違いはないか? 抜け落ちたものはないか? こと細かに精査してくれる。

単なる費用の使い道だけでなく、

申告のために映画製作の概要も伝えねばならない。今回は静岡県のおばちゃんたち3人が「町の魅力を全国に発信するために、子供たちに故郷の魅力を伝えるため」に映画作りを考えたのが始まり。やがて、多くの市民が参加。みんなで寄付を集めた(全員ボランティア。一切自分たちの利益にはしない)

スタッフも俳優も、その「思い」を支持、格安のギャラで参加。製作費は何とか集った。企業映画に比べるとかなりな低予算であるが、素敵な作品ができた。ただ、今も宣伝費が十分でなく、せっかく素敵な作品ができても、それを全国に伝える費用が足りていないので、おばちゃんたちは今も寄付を集めていることもお伝えした。すると税理士さん、こう言う。

「私も寄付できますか?」

そして、後日。同じ事務所の方と2人が支援金を振り込んでくれた。ビックリ! だって、こちらがお金を払い仕事で経理をやってもらっているのに、その担当者が寄付してくれるなんて、普通ありえない! でも、経費の書類から地元の方やスタッフがどんな思いで、がんばっていることを感じ取ってくれ、応援したいと思ってくれたのだ。感謝。

今回の映画も、本当にいろいろな方に支えられている。

地元静岡県の方々だけではなく、遠く和歌山県や名古屋。東京からも寄付を頂いている。1万円以上の方は映画のエンドロールに名前(ハンドルネームも可)が記載され、映画館で確認できる。3月末まで受け付けているので、もし「私も支援したい!」という方がいたなら、以下のHPを見てほしい。振込先や手続きが説明されている。思いのある多くの人の応援で映画「明日にかける橋」は間もなく完成。東京公開を目指して準備が進んでいる。

公式HP=>http://ffc2017.main.jp


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悲観主義者は成功しない。最後の勝つのはオプティミスト? [my opinion]

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なぜか?日本人はペシミスト(悲観主義者)が多い。ものごとを悪い方にばかり考える。例えば「俺は会社を作り世界と商売をするぞ!」と宣言したとする。まわりは必ずこういうだろう。「甘いなあ~」「身の程知らず」「そんなの無理に決まっている!」多くの人は夢や目標を批判、否定しようとする。

その背景には日本人の考え方があるだろう。「世の中に期待しない」「夢は所詮、夢」と厳しく悲観的にものごとを考えることが大人の発想であり、世間を知っていることだという意識があるからだ。だから夢を語ると、先のような批判をされる。

僕自身も経験がある。高校時代に「映画監督になりたい!」といったら、友達や先生、親、大人からもの厳しく批判、否定された。「世の中、そんな簡単にいかない」「もっと現実を見つめろ」「小学生みたいなことをいうな」「お前、才能あるのか?」ともう総攻撃。その後は夢を語らないようにした。

それがアメリカ留学し、大学の先生やクラスメートに「夢」を訊かれて答えたときは全然、違う反応だった。「映画監督か!グレート。がんばれよ」「グッド!いいね」「絶対になれるよ。応援する」ほとんどが好意的な意見で、背中を押すものばかり。日本は止めようとする人ばかりだったのに、何が違うのか?

僕が留学したのは23歳。日本なら大学卒業、就職の歳。後ろめたいものがあった。大学でそんな話をしたことがある。「僕はもう23歳だから…」というと「何いってんだ。まだ、23歳じゃないか!」「まだまだ、これから、何だってできるさ!」と、これまた何人もから言われた。アメリカは楽天家ばかり? でも、とても励まされた。

確か、ケンタッキーフライドチキンのカーネル・サンダースも60歳を超えてから成功したと聞く。さすが、アメリカン・ドリームの国。大学で出会った人たちも、皆前向きだった。で、気づいたのは日本は何で夢を語ると否定したがるのか? なぜ、夢を否定する? 厳しい現実を受け入れることを大人の考え方だと思い、何かにがんばろうとすると「子供じゃないんだから」などというのか?

日本に帰ってからも、僕は「映画監督になること」を目標にして、アルバイトをしながら、シナリオを書き続けた。相変わらず、友達も、親も、知人も、声を揃えてこういった。「いい加減。現実を見ろ。いい歳なんだから、早く会社に就職しろ!」そして相も変わらず「世の中、甘くない!」と言われた。

身のまわりでも、「ミュージシャンになりたい! 」「俳優になりたい!」「小説家になりたい!」という友人がいたが、1年、2年と経つと、次第に脱落。ふるさとに帰る者。会社に就職する者が出てきて、5年も経つと皆、いなくなった。「やっぱ、食って行けないから」「しょせん夢は夢なんだよな」そんな言葉を残して消えて行く。大人たちは、そんな彼らを見てこう言う。

「世の中、甘くない。諦めが肝心だよ…」

しかし、それは違う。彼らは全力で努力して諦めたのではなく、ほとんどが努力不足。見ていると、少しばかり足掻いてみて駄目だと、落ち込んで悩む。その期間の方が努力する時間より長い。もともと彼らは「日本でもアメリカン・ドリームを実現するぜぇ!」というタイプではない。大人たちと同じように、何かにつけ友人に対しては「世の中、甘くないぞ!」と言っていた。

「俳優になりたい!」といいながらも、現実の厳しさを認めるペシミストだった。だからこそ、2年3年で諦めてしまったのだ。そもそも、数年で俳優や小説家になれる訳がない。でも、彼らは自分の努力が足りないのではなく「世の中が厳しい。だから無理なんだ」という解釈をして行く。

気持ちは分かる。僕も何度か挫折しそうになった。いろんな努力をしても、なかなか映画監督へのチケットは手に入らない。でも、人が机の上で考える方法論なんて、ものすごく限られたもの。本当は別のところに、違った方法論があるものだ。なのに、ペシミストはそうは考えず。「世の中は甘くない。厳しいんだ」と解釈して諦めてしまう。

一方、オプチミィスト(楽天家)は「もう少し、がんばれば、別の出会いがあるかもしれない。別の方法論が見つかるかもしれない」と考えて、諦めない。そう、この「諦めない」ということが大切なのだ。ペシミストは努力しないのに「世の中甘くない」と考えて諦める。だから終わったしまうのだ。

実際、僕は5年目で脚本家になるチャンスを掴み、2年後に監督になる。さらに8年後に映画監督デビューする。それから4本の映画を撮り。最新作は日本全国32カ所の映画館、シネコンで公開される。もし、途中で諦めていたら今の自分はない。

振り返ると、アメリカ時代にもらった言葉に支えられたと思う。「まだ、23歳じゃないか?」「今からだってできる」「映画監督?グレート。がんばれ」「絶対になれるよ。応援する」特別の人ではない、普通のアメリカ人から何度もそう言われた。だが、僕がアメリカには行かず、ずっと日本で生活していたらどうだったか?

バイトを続けながら、映画監督を目指していたら? ほとんどの大人、そして友人たちがこう言い続けただろう。「世の中、甘くない」「夢は所詮、夢だ」「どーせ、無理だ」「可能性は低い」そんな言葉を何年も何年も聞いていると「そうだよな。やっぱ無理だよな」と思ったはずだ。そして、夢を諦めることこそ、大人だと思い、就職。がんばる若い人を見れば「甘いんだよなー」といいたくなったろう。

こんな言葉を聞いたことがある。「最後に勝つのはオプティミスト」そして「世の中には失敗した人と成功した人がいるのではなく、諦めた人と成功した人がいる」アメリカン・ドリームというのは決してアメリカ固有のものではない。ただ、日本人の多くはペシミストであり、何かがんばる人がいると頼みもしないのに「世の中甘くない」「現実は厳しい」と言いに来る人たちが多い。

それで若者は結局、諦めてしまう。けど、夢でも、目標でも、テーマでも、自分が掲げるもの、目指すものを掴むことはできるんだ。それには努力や洞察力も必要だが、一番大切なのはペシミストにならないこと。オプティミストでいること。そして「諦めない」ことなのだ。何事も諦めてはいけない!

(2015年2月)


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