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お願い! 連絡しないでください。2017年10月17日〜 [再掲載]

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編集作業がようやく進み始めた。それを察知した多くの方が気遣い、連絡を控えてくれている。本当にありがたい。が、そのことを知らない方もいて、ここ数日、電話やメールが続いている。今、それらに対応すると編集がストップする。

「電話出るくらいいいじゃん?」

という人もいるだろう。その説明を今はしない。今までに何度も書いてきた。メールも同じ。急ぎの方はプロデュサーに連絡してほしい。他は申し訳ない、お返事できない。携帯も止めてある。

編集は戦い。精神状態ギリギリで作業する。この映画に参加した多くの人のためにも、編集で全てが決まる。手を抜けない。集中したい。協力をお願いしたい。経過はこのFacebook等で報告する。よろしくお願いしたい。



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明日にかける橋ー編集日記 映画は子育てと同じ、子供と真剣に向き合うこと [「明日」編集]

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毎回、思う事だが、映画作り、特に編集作業は子育てだと思える。撮影は出産。編集は生まれた子供を育てる作業。完成披露試写会は小学校の入学式か? 多くの関係者に祝ってもらう。そのあとの東京公開が成人式だろうか。そこまで行くと僕や関係者の手を離れて1人歩き、多くの観客に感動を与える仕事をしてくれる。

そんな1人前の大人になり、愛される社会人となるように育てるのが監督の仕事なのだ。まさに子育て。その間、多くの人のサポートを受けながら、子供のーつまり作品ーをより良い方向に導き育てることが大事。幼い頃のしつけや教育が、映画では編集作業なのだ。そこで手を抜けば、子供が不良や問題児になるように、作品もろくでもないものになる。

子育てを世間のパターンで行えば、フツーの平凡な大人に育ってしまうことが多いように、作品もパターンで編集すればフツーのどこにでもある映画になってしまう。大事なのはその子の個性や可能性を親が見抜き、それを延ばしてやること。映画も同じ。その作品の良さを見抜くーといっても、「え?映画ってシナリオ通りに撮るんだから、良さを見抜くって言っても?」と思うかもしれない。

しかし、映画は子供と同じ。この両親から生まれた子だからどちらか両親と同じ能力を持っているだろうと思っていたら、意外な別の素質を秘めていたり、親が理解できないことを始めたりする。映画も同じ、シナリオに書かれていないのに、撮影された素材には別の可能性を秘めていることがある。「えーどういうこと?」と思うだろう。でも、そこも子供育てと同じ、両親が思いもしない素質を持っているように、監督すら想像しないものが映画が秘めていることがある。

ただ、それに気付かない親が多い。その子の秘めた力を延ばそうとせずに、世間的な価値観で教育してしまい、その子の個性や力を潰してしまう。その素質を開花させずに大人にしてしまう。そして往々にして、親たちはそれが子供のためと思い込んでいる。映画も同じ、その作品の秘めた素質を見抜き、編集でそれを前面に引き出す。その力を延ばすことが大事なのだ。

さらに親の願望を叶えるために、子供を無理矢理教育することがある。有名大学を目指させたり、一流企業のサラリーマンになることを望んだり。子供が勉強が出来て、そんな仕事に向いていればいいが、そうではない仕事に向いている子供まで、親のエゴや世間体を気にして押し付けることが多い。そんな子は反抗したり、不良になったり、引きこもったり、まともな社会人になれない。映画も同じ。

監督がこれは拡張高い文芸作品にしたいとか、評論家が褒めてくれるような名作に仕上げたいとか、作品の持ち味を考えずに高望みしたり。或は憧れの監督の物まねで編集してしまうと、その作品の力は開花せず、詰まらないものになる。そう考えると本当に子育てと映画作りは似ている。その子が持つ、素質、秘めた力、個性、それは親が望んでいないことであるかもしれない。でも、それを見抜き、育て、応援することが、その子の幸せに繋がる。

大人になった子は親から離れて、自分の個性や能力を発揮し社会に貢献するように、映画も多くの観客に愛され、感動を与えることになる。そこまで行けば親や監督の力はもう必要としない。だからこそ、子供時代が大事。映画は編集が大事。子育てなら数年。編集なら数ヶ月。そこの期間、自分の子供と真剣に向かい合うこと。それが子供の、作品の未来を決めるのだ。

そう考えると映画作りと子育てはとても似ている。さて、今回の映画に秘めた力とは、個性とは何か? それが少しずつ見えて来た。シナリオでは分からないそんなものを見抜き、作業することが編集なのである。


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「朝日のあたる家」もTSUTAYAでレンタル終了!でも、取り寄せは可能かも? [My Movies]

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 「朝日のあたる家」DVDも発売から1年が経ち、

 TSUTAYAの棚からは消えることになりました。

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 店舗によっては取り寄せがまだ可能なところもあります。


 この機会にぜひご覧下さい。

 公式HP=>http://www.asahinoataruie.jp

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明日にかける橋ー編集日記 小説や漫画ではない映画ならではの表現? [「明日」編集]

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かなり調子が出て来て、昨日も午前中から作業を始めて深夜0時過ぎまで。もう少しやりたかったが体力の限界。また、神経が麻痺して来るので終了にしたが、気持ちとしては早く続きを編集したい。

「愛と悲しみの山河」の章を作業中だが、ここはシナリオに書かれた通りに繋ぐだけではダメ。僕の映画にはそんなシーンが必ず出て来る。この章はひとつのシーンではなく、いくつものシーンが集って出来ている。通常はカットが集ってシーンを作るが、ここはシーンが集まることでひとつの章となる。

撮影した映像を違う意味で使ったり、がんばって撮った素材をカットすることもある。また、シーンが前後したり、通常しないことをする。というのも、映画というのは机の上で文章によって物語を書き留めて行く。が、映画は映画は映像。文章を映像に置き換えるだけでは不十分だったり、表現しきれなかったりする。

また、頭で考えると、それで伝わると思っていても、その映像ではそうならないこともある。現場で撮れた思わぬ風景とか、素晴らしい演技。そんなものを活用することで映像的になる。小説や漫画では表現できない方法で物語を伝えることができる。

ここはもしかすると太田組スペシャルかもしれない。あまり普通の監督はしない。そして、そんなシーンは最初から意図していないこともある。今回はまさにそう。おーーこの章は.....と閃いた感じだ。面白くなって来た。


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なぜ、「明日にかける橋」の舞台は1989年なのか? [映画業界物語]

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前作「向日葵の丘」は1983年が舞台。バブル前夜ともいう時代を見つめることで、大切なことが分かって来ると思えたからだ。あの時代はまだバブル以前で裕福だったが、希望が感じられ、これから新しい何かがスタートできる気がする時代だった。そこに今の日本が失ったものがあるーと感じていたことがきっかけだった。

前作でバブル前夜を見直したのなら、今回はバブル最盛期を見つめてみようと思った。日本の企業がアメリカのビルや映画会社を買収。世界1の金持ち国だったころ。ただ、その時代を見つめるだけでは「あーあの頃はよかったなあ」で終わってしまう。そう、そのあとに訪れるバブル崩壊を一緒に見つめないと意味がない。

札束が乱れ飛んでいたバブル時代。それが崩壊することで日本は激震した。絶対に潰れないと思っていた銀行や証券会社。そして大企業が次々に倒産。仕事をなくす人たち。同時に就職難。不況の波。日本は転げ落ちるように厳しい時代に突入。それは今も続いている。

「バブル最盛期」と「バブル崩壊」その2つの時期を見つめることで見えて来るものがある。単に不況になり大変だなあーではない。崩壊直後は「また、バブルが来て景気がよくなればいいのになあ」という人もいた。でも、それから20年以上が過ぎても景気は回復しない。

つまり、ひとつの時代が終わったのである。イギリスやアメリカを見れば分かるが、経済発展が進み、国が裕福になる。そして大国に。でも、頂点を過ぎるとあとは下り坂。隆盛を二度掴むことはできない。人は成長して大人になり、その後は歳を取り老人になり死んで行く。国も同じ。その意味で日本はもう繁栄の時代を終えたのだと思える。

同時に、新しい時代を迎えたとも言える。その時代に必要な方法論や価値観。考え方が見つからないので、不況から脱出できない。古い方法論で足掻いているから足踏み状態が続くのではないか?と思えて来る。そこでいつものテーマを考える。では、そんな困難な時代に大人は、親は子供たちに何を伝えればいいのか?

これまでと同じ教育をし、古い価値観にしがみついては新しい時代を乗り切れないだろう。だから、まず、バブル時代とその崩壊を見つめてみたい。バブルはなぜ崩壊したのか? 不況時代にやるべきことは何なのか? 生きる意味をどう考えるのか? そんなことを物語通じて考えてみたくて1989年という時代を選んだ。

背景になるのは静岡県西部。袋井市、磐田市、森町。緑が溢れる美しい町。バブル絶頂期にもまだ大いなる恩恵が届いていなかった時代。青春ものであり、家族ものとも言える物語。それらを通じて子供たちに伝える大切なことを考えるのが「明日にかける橋」という物語である。 



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「明日にかける橋」編集日記(11日目)ーこんなシーンを作業中 [「明日」編集]

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さあ、次第に内容が見えて来た。単なる家族ドラマではなく、大きな時代に翻弄される家族の物語。なぜ、幸せになれないのか? なぜ、不幸は続くのか?そんな時代に親たちは何をすべきか? 子供たちに何を伝えるべきなのか?「明日にかける橋」ー僕が書いた以上の物語に膨らんで行くこと感じる。 



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「向日葵の丘」DVDレンタルーTSUTAYAで終了。取り寄せは可能かも? [My Movies]

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 僕が監督した映画「向日葵の丘」DVDが発売から1年が経ち、

 TSUTAYAの棚からは消えることになりました。

 店舗によっては取り寄せがまだ可能なところもあります。

 この機会にぜひご覧下さい。

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「明日にかける橋」編集日記ー背中に激痛。作業が出来ない。 [「明日」編集]

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編集は進み。技術的にむずかしい交通事故のシーンまで来た。その日の撮影は大変な日で時間なく、バタバタの撮影。案の定、撮り忘れのカットもあって、心が折れそうになる。だが、編集するとなかなかの感じに仕上がる。この日、初登場の俳優・栩野 幸知さんがとてもいい感じ。感謝。

次のシーンは葬式。これは気が重い、カット数はさほどないのに心が暗くなる。物語でいうとここから「愛と悲しみの山河」の章に突入する。なのに、なのに、背中が痛い。朝から晩まで同じ姿勢でモニターに向かい編集しているので、肩や背中にもの凄い負担がかかっている。それがもう何週間も続いているので、肩こりとかを超えて堪え難い痛み、激痛になって来る。

ちょっと体操したくらいでは直らず、デスクに向かっていられない。横になり、休息をするが、ちょっとやそっとで痛みは消えず、こんなときはもう指圧に行くしかない。が、その時間がもったいない。近所にある店は本当に下手で、体を触られるだけ。あるとき店のスタッフに言われたが「お客さんほど酷いコリの人は珍しい」どうやら僕は難しい患者のようだ。

なのでかなり離れた駅にある名人のいる店に行くのだが、それには電車で1時間以上。往復2時間。治療に1時間。その時間がないし、外出すると編集モードが切れてしまう可能性がある。しかし、苦痛。早く次のシーンを編集したいのに。。。その葬式シーンが終われば、そこから怒濤の「愛と悲しみ山河」の章が始まる。ここはもの凄い気力が必要だ。とにかく、少し休息する。


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