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やらまいか?5人分の仕事。がんばる。「明日にかける橋」 [「明日」編集]

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ようやく地元版ポスター&チラシのデザインが出来、Facebookでの「撮影日記」が完結してほっとしていたら、次なるステージ。でも、毎回のこと。がんばるにゃん。

①製作費の清算と決算

②スチール写真選び(数千枚から)

③パンフレット記事執筆

④全国版ポスターデザイン

⑤本編映像の編集(これが一番大事!!!)



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明日にかける橋ーパンフレット制作準備中! [「明日」編集]

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12月の地元完成披露上映会に合わせて、過去の作品と同じようにパンフレットを作ろうと準備をしている。俳優たちのインタビュー、スチール写真、撮影風景、撮影の裏話、ロケ地マップ等を掲載。映画が2倍面白くなる内容。30Pほどの豪華カラー版。

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ま、その前にそのスチール写真の選択を何千枚からしなければならないし、本編の編集もあるので、さらにやるべきことが増えるが、来年の夏以降となる映画館公開時までパンフレットがないのは寂しい。何より地元の方々に撮影の思い出になるように作りたいと考えた。がんばります!

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明日にかける橋ー編集日記(2日目) 映画作りとは人生と向き合うこと  [「明日」編集]

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ボクサーがタイトルマッチを控えて、ジムに泊まり込み。試合だけのことを考えて朝から夜まで練習するように、映画の編集も編集室に閉じこもり作業を続ける。この数週間も関係者以外に会わず、できるだけ1人で仕事をしていた。

いろんな人に会うといろんなことを考えてしまう。しかし、今は「明日にかける橋」を編集することだけを考えるようにする。ボクサーが試合のことだけ考えて外部との接触を断つように。そうやって少しずつ編集モードに切り替えを進めて来た。

映画は「仕事」ではない。「人生」であり「戦い」。生活のためにする訳ではない。というより映画で生計は立たない。映画の仕事だけで食って行ける者は極僅か。にも関わらず映画を作るのは、人生と向かい合うためだ。

自分が生きている意味を、生きている理由をそこで探す。そして俳優たちの人生を。支援、応援してくれる多くの方々の思いを受け止めること。それを作品に反映させなければならない。映画作りはそんな人生を賭けた戦い。

特に編集は作品に魂を入れる作業。例え血を吐いても、作品と向かい合い、最後まで見つめなければならない。そうしてこそ、観客の魂を揺さぶる作品になる。そんな編集作業がついにスタート。12月の地元先行上映会に間に合うべく戦いが続いている。


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明日にかける橋ー編集日記(1日目) ついに始動! [「明日」編集]

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本格編集作業がスタート。「向日葵の丘」以来3年振りの編集。いつもはどんなふうに作業していたか?思い出せないでいる。でも、タイムラインに素材を物語順に並べて行くと新鮮な気分。シナリオを自身で書き、撮影現場では演出しているのだから、物語については誰よりも詳しいはずなのに、何だか新しいドラマと向かい合うような気持ちになる。

実は毎回そう。その辺が編集は映像を繋ぐという作業ではない所以なのだ。「撮られた映像をどう繋ぐか?」で世界観や意味が変わって来る。自分が「こんなふうに繋ぎたい」と思ってもそうならず、思いもかけない繋ぎ方になったりする。自分の意思でどうこうするのではなく、すでに決められている方向をいかに掘り当てるか?という感じなのだ。

彫刻家もそんなことを言うのを聞いたころがある。自分が石を掘って作品を作るのではなく、石に閉じ込められている作品を自分が掘り当てるのだーという。何だか化石堀りみたいな感じ。地面を掘って行く内に「プロントザウルスかな? ベラキュラプトルかな? いや、アロザウルスだ!」みたいな。それを掘り当てるのが編集だと思える。

シナリオも同じ。この物語をどう進めるか?ではなく「その物語がどうなるか?」を見つめているような気がすることがある。「主人公の友人をここで殺そうか?」とかではなく、それはすでに決まっていることで、それに自身が気付くという感じ。10年ほど前からそんな思いでシナリオや編集をしていたら、先人たちも同じことをいうので驚いたことがある。

だから今回の編集も同じ。物語を知っているにも関わらず「どうなるのだろう?」と思えて来る。結末を知っているのに、ドキドキする。説明はむずかしいが、やはり編集というのは作業ではなく、物語の世界に入って行くということなのだろう。けど、ときどき現実に戻って来ます。

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