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明日にかける橋ー編集日記 映画は子育てと同じ、子供と真剣に向き合うこと [「明日」編集]

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毎回、思う事だが、映画作り、特に編集作業は子育てだと思える。撮影は出産。編集は生まれた子供を育てる作業。完成披露試写会は小学校の入学式か? 多くの関係者に祝ってもらう。そのあとの東京公開が成人式だろうか。そこまで行くと僕や関係者の手を離れて1人歩き、多くの観客に感動を与える仕事をしてくれる。

そんな1人前の大人になり、愛される社会人となるように育てるのが監督の仕事なのだ。まさに子育て。その間、多くの人のサポートを受けながら、子供のーつまり作品ーをより良い方向に導き育てることが大事。幼い頃のしつけや教育が、映画では編集作業なのだ。そこで手を抜けば、子供が不良や問題児になるように、作品もろくでもないものになる。

子育てを世間のパターンで行えば、フツーの平凡な大人に育ってしまうことが多いように、作品もパターンで編集すればフツーのどこにでもある映画になってしまう。大事なのはその子の個性や可能性を親が見抜き、それを延ばしてやること。映画も同じ。その作品の良さを見抜くーといっても、「え?映画ってシナリオ通りに撮るんだから、良さを見抜くって言っても?」と思うかもしれない。

しかし、映画は子供と同じ。この両親から生まれた子だからどちらか両親と同じ能力を持っているだろうと思っていたら、意外な別の素質を秘めていたり、親が理解できないことを始めたりする。映画も同じ、シナリオに書かれていないのに、撮影された素材には別の可能性を秘めていることがある。「えーどういうこと?」と思うだろう。でも、そこも子供育てと同じ、両親が思いもしない素質を持っているように、監督すら想像しないものが映画が秘めていることがある。

ただ、それに気付かない親が多い。その子の秘めた力を延ばそうとせずに、世間的な価値観で教育してしまい、その子の個性や力を潰してしまう。その素質を開花させずに大人にしてしまう。そして往々にして、親たちはそれが子供のためと思い込んでいる。映画も同じ、その作品の秘めた素質を見抜き、編集でそれを前面に引き出す。その力を延ばすことが大事なのだ。

さらに親の願望を叶えるために、子供を無理矢理教育することがある。有名大学を目指させたり、一流企業のサラリーマンになることを望んだり。子供が勉強が出来て、そんな仕事に向いていればいいが、そうではない仕事に向いている子供まで、親のエゴや世間体を気にして押し付けることが多い。そんな子は反抗したり、不良になったり、引きこもったり、まともな社会人になれない。映画も同じ。

監督がこれは拡張高い文芸作品にしたいとか、評論家が褒めてくれるような名作に仕上げたいとか、作品の持ち味を考えずに高望みしたり。或は憧れの監督の物まねで編集してしまうと、その作品の力は開花せず、詰まらないものになる。そう考えると本当に子育てと映画作りは似ている。その子が持つ、素質、秘めた力、個性、それは親が望んでいないことであるかもしれない。でも、それを見抜き、育て、応援することが、その子の幸せに繋がる。

大人になった子は親から離れて、自分の個性や能力を発揮し社会に貢献するように、映画も多くの観客に愛され、感動を与えることになる。そこまで行けば親や監督の力はもう必要としない。だからこそ、子供時代が大事。映画は編集が大事。子育てなら数年。編集なら数ヶ月。そこの期間、自分の子供と真剣に向かい合うこと。それが子供の、作品の未来を決めるのだ。

そう考えると映画作りと子育てはとても似ている。さて、今回の映画に秘めた力とは、個性とは何か? それが少しずつ見えて来た。シナリオでは分からないそんなものを見抜き、作業することが編集なのである。


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