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明日にかける橋ー編集日記 やはり編集は演技と通じるものがある? [「明日」編集]

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昨日は1日。作業ができなかった。先に書いた通りに前の日に会議があり、いっぱいしゃべってしまったからなのだが...。脳がトーキングモードになり、編集モードに戻らない。で、あることに気付いた。俳優との共通点である。

俳優は自分ではない別の人間を演じる。その際にあれこれイメージし、その役の職業を詳しく調べたり、背景を想定したりして、その人に成り切ろうとする。撮影現場の待ち時間。他の俳優とおしゃべりしている人もいるが、皆とは距離を置き、1人であれこれ考える人もいる。

スタッフにいつ呼びに来られても役に成りきれるように、自分に戻ってしまわないようにしているのだ。もちろん、おしゃべりしていても、現場に入るとすぐに切り替わって役を演じられる人もいる。が、演技派と呼ばれる人は切り替えがうまくないことが多いようで、役のままいるために、待ち時間も俳優仲間やスタッフとも話さない。

今回の現場でいうと板尾創路さんがそんなタイプだった。出番待ちのときには冷房の効いた部屋にいられるようにしていたのだが、そこには行かず、真夏の太陽が照りつける外に置かれた折りたたみ椅子で1人シナリオを読み直していた。あるいはカメラからかなり離れた誰もいない場所に行き、一人物思いにふける。声をかけるのも憚れる緊張感があった。

「話しかけてくれるな!」という感じがして、僕も撮影中はほとんど話をしなかった。でも、そんなタイプの俳優さんは何も言わなくても本当に素晴らしい芝居をしてくれる。それを応援するためにはあれこれ話かけず、構わずにいることが大事。それを思い出し、あーー一緒なんだあ...と。

話は逸れるが、板尾さんに関わらず、多くの俳優はもの凄い集中力で演技する。そして役に成り切らねばならない。物語の中で相手役と会話するのは大丈夫だが、待ち時間にファンに「サインしてください!」とか「この間のドラマ見ましたー」とか言われると本人に戻ってしまう。ファンの人は応援のつもりでも、俳優にとっては邪魔されているのと同じなのである。でも、彼らからそれは言えない。人気商売であだし、下手なことを言えばTwitterで悪口を拡散される。

まして撮影のサポートをしてくれている一般の方から話かけられると断りにくい。逆に一般の人は俳優に会うと嬉しくてあれこれ話たり、訊いたりしたくなるのが当然。ただ、それでは仕事の邪魔していると同じ。そこで今回の撮影で実行委員のスタッフは「俳優に話かけない」「聞かれたことは簡素に答える。余計なことは言わない」というルールを作り実践してくれた。これは本当にありがたく、俳優が仕事をしやすい環境作りとなった。なかなか彼らの気持ちというは分かり辛いものなのだが、それを理解。今回はそんな意味でも素晴らしい現場になった。

話は戻る。編集も同じ。僕の友人監督なんかはスタッフと世間話をしながら編集するが、僕はできない。俳優で言えば板尾さんタイプだろう。誰とも話さない。電話も出ない。それどころか1日の作業が終わっても誰にも会わない。物語の世界に入り込み作業する。そんな編集スタイルであること。再確認した。


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明日にかける橋・今後のスケジュール 2017年10月以降 [「明日」編集]

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明日にかける橋・今後のスケジュール

10月〜11月 編集作業、パンフレット制作、記事執筆等

11月下旬〜 特殊効果、映像処理、音楽制作開始

地元ロケ地紅葉のタイミングで秋風景撮影。
    
12月上旬  編集終了。音楽入れ作業、パンフレット印刷

12月中旬  完成予定

12月下旬  地元で完成披露上映会

2018年 夏以降 全国映画館で公開




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明日にかける橋ー編集日記 やはり編集モードに戻れない!? [「明日」編集]

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パンフレット会議でかなり声を出して話してしまったので、脳がトーキング・モードになってしまった。翌日、編集に戻ろうとしたが、切り替えが効かず、作業に入れない。まあ、シナリオを書くときもそうだけど、その辺のことを説明しても分かってもらえないことが多い。

「要はさぼりたい訳だ?」「言い訳しているだけだろ?」「文句言わずにさっさと仕事しろ」とか、昔はよくそう言われた。ただ、以前に無理に作業したことがある。が、結局、あとで見直すとよくなくて、全部やり直したことがある。やはり霊(?)が降りて来ないとダメなのだ。

まあ、霊とかいうから余計に分かり辛いが今回、編集しながら自分を見つめるという作業をしている。いつも夢中で編集してあとでそのときの記憶がないことが多いからだ。まさに霊が降りて来て編集をしてくれたような感じだが、まじめに解説すると、俳優がある役を演じているのに近い感覚なんじゃないか?

監督は撮影現場のことはよく覚えているが、俳優は思い出せないという人がときどきいる。もの凄い集中力で演じると覚えていないようだ。別のいい方をすると、撮影期間は別人になっているからかもしれない。編集も同じで登場人物に感情移入して物語や人生を見つめるので、自分でなくなっているのだろう。

そんな感覚に嵌ることでいい編集ができるのだ。よく「取り憑かれたようだ」とかいうが、まさにそんなときにいい芝居も出来、いい物語が書け、よい編集ができる。そのためにタイトルマッチ前のボクサーのように自分を追い込み、人と会わないようにして、電話も禁止。その世界に入り込むことが大事。

一昨日は1989年の世界に住む自分が久々に2017年に戻って来たような感覚だったのだが、人と接した事で2017年の住人になってしまった。もう一度、1989年に戻らなければ.....「土曜日の実験室ーーー」ではないが、「1989年の教室ーーー」に戻れるように本日は努力する。



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1989年に戻らなければ....。 [「明日」編集]

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昨夜は打ち合わせの帰りに1人で外で飲んだ。

外飲みは久しぶり。

明日から編集に復帰...

1989年に戻らなければ....。















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映画宣伝はこうして進めるーメインビジュアルの決定。 [映画業界物語]


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映画の宣伝。第1歩はメインビジュアルの選定。映画は全国の人がターゲット。地元は地元用の宣伝法があるが、全国向けは別の展開が必要。例えば地元では「わが町、オールロケ映画」とキャッチコピーが最大の宣伝となる。が、全国に向けて「***市、オールロケ映画」は最悪の展開となる。「北海道オールロケ」ならいいが、有名観光地でなければ多くの人は関心を持たないからだ。なので全国展開は映画の中味で勝負せねばならない。

そのためにはまず、メインビジュアルを決める。皆が知る映画で例を上げるなら、少し古いが僕と近い世代の方々に説明するなら「ジョーズ」。鮫が海から上がって来て、泳いでいる女性を襲おうとしている絵。あれがメインビジュアルと呼ばれるものだ。

「未知との遭遇」は夜の道。その奥で光る何か? 「ET」は宇宙人の指と少年の指がくっついてるあれ。というふうに映画はメインビジュアルを決めて、ポスター、チラシ、チケットと全て同じデザインに統一して宣伝する。あれこれいろんなパターンを使うと見る人が覚えてくれないからだ。それが宣伝というもの。

「ジョーズ」で言えば、鮫のポスター。鮫のチラシ。鮫の前売り券と全てデザインが同じものが使われた。もし、ひとつだけ別のデザインを使っていると、気付いてもらえず、アピールできない。宣伝においては基本。とても大切なこと。人というのはなかなか映画の存在を認知してくれない。だから、印象の強いーインパクトあるビジュアルを作り、全て統一して宣伝する。

作品によっては公開に近づくと、ビジュアルが変化するタイプもある。「スターウォーズ」シリーズがいい例だが、最初はダースベーダーだけ。それが次第に新しいキャラクターが紹介され、最後は全員がビジュアルに出る。だが、その場合は過去に使ったビジュアルはもう出さない。見ている人が混乱するからだ。

今回の映画は全国展開せねばならない。そのためには多くの人にアピールすることが大事。そのビジュアルを決めるにあたり、まず、誰が出演しているか? ジャンルは何なのか? アクション映画か? 恋愛ものか等。笑えるのか? 文芸作品なのか? 何なのか? どんな物語なのか? さらにはターゲット。子供向けか? 女性向けか ? 家族向けか?そんなことを1枚のポスターで伝えることが大事。

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ただ、全てを正確に盛り込むと逆に分かり辛くなることもある。分かりやすく「恋愛映画!」とした方がいいこともあるし「有名俳優が出てます!」という手もある。その役者のファンが大勢いるなら、その方がアピールする。が、有名でもファンが劇場まで押し掛けるようなタイプでなければ、意味がない。これは所謂、広告代理店的な発想。

監督が「この映画は恋愛映画だ。恋愛ものとして売ってほしい」と思っても、その年の日本映画に恋愛ものがやたら多ければ、霞むので別の要素を打ち出した方が差別化ができる。ポスターを始めとするメインビジュアルは「売りたいもの」を載せることではない。映画の一番の魅力をそこに打ち出すこと。「感動できる映画」なのか? 「大笑いできる映画」なのか? それを伝えてこそ観客は「泣けそうな映画だから見たい!」「笑える映画だから見よう」となる。

僕の前作「向日葵の丘」を考えよう。売りは「有名俳優共演」「悲しくも美しい物語」的なイメージを伝え、写真を貼付けたようなデザインで青春時代を思い出すストーリーであることも表現。タイトルが「向日葵の丘」なのでひまわりとひまわり畑のビジュアルも必要。それをリンクさせることでタイトルが覚えやすくなる。

そして写真の通り。左からパンフレット、チラシ、DVD。下写真左ー前売り券、右ーホームページと全て同じデザインにしてある。そのことで一目で「ああ、向日葵の丘ね!」と分かってもらえる。これがひとつでも違うといろいろ面倒なことになる。タイトルを筆文字にして文芸作品タッチであることも伝える。

パンフレットだけ別デザインだと、映画館に置いても別の映画だと思われ売れない。HPのデザインが違うと、それを目にすることがあっても素通り。或は、見つけても「あれ?これじゃないよな」と記事を読んでもらえなかったり。「ジョーズ」の頃からメインビジュアル統一は映画宣伝の基本となっている。

そんなふうに宣伝ひとつ取ってもいろいろと約束事があり、全国公開はそれに従い進めて行く。


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