「明日にかける橋」編集日記(12日目) 作品が成長する。涙のシーンが生まれる。 [「明日」編集]
昨日は「愛と悲しみの山河」の章の1日中編集していた。毎日4−5シーンくらい進むのに1シーン?と思うかもしれないが、このシーンは通常の10シーン分くらいあるチャプターなのだ。おまけに粗編集なのに、いろいろ加工したり、素材を合成したり、あれこれしてしまった。
というのもその辺の加工素材が入ることで意味が出て来て、その場面が盛り上がるからだ。こんなことアナログ編集時代にはできないことなので、デジタル、ノンリニア編集は今も嬉しくなる。場面でいうとみゆきの母(田中美里)が病気になり、父(板尾創路)が新しい会社を立ち上げるというあたりから、みゆきが就職。母が退院。父が酒に溺れる辺りまで。
昨日、作業をスタートしたのが朝9時頃。終わったのは(終わっていませんが)夜の9時頃。とはいえまだ完全にはできていないのが(粗編ですし)それに音楽をつけて見てみた。もちろん、音楽は既成の映画のサウンドトラック。
10分近くもあるシーン。さあ、どうか? 部屋を暗くして一気に見た。遠州の美しい四季をバックに、みゆきの家族が時代に翻弄されて行く様が描かれる。家族の死。悲しみ。父の葛藤。娘の卒業。母の病気。そして大学受験を諦める娘。だが、時代は容赦なく、その家族を襲う。バブル崩壊。不況。そんな中で主人公たちがひたむきに生活する。
自分で監督したシーンなのに、涙が溢れる。なぜ、この家族はこんな辛い目に遭うのか? なぜ、時代はかくも厳しいのか? なぜ、どうして? この家族は何も悪いことしていないのに? そんな憤りと悲しみが交差する。「それって自画自賛?」という人は映画作りを知らない。
作品は成長する。僕がシナリオを書き、現場で演出して、編集しても、コントロールできないほど作品は大きくなっていく。主張し、勝手に動き出す。そんなときは素晴らしい作品になる。監督はそれを見守るだけ。「こんなはずじゃなかった」と押さえ込んだり、ねじ曲げてはいけない。子育てと同じ。その子の良さを延ばしてやるのが親の使命。監督業も同じなのだ。
その作品が成長を始めた。毎回、粗編集時に泣けた場面は必ず映画館でも観客が涙を流すシーンとなる。そして、この場面が素晴らしくなりそうな要因は何か? それは俳優たちだ。板尾創路さんが素晴らしい。悲しみと愛が溢れる。田中美里さんがいい!心が壊れて行く母を見事に体現している。そしてみゆきを演じる16歳の新人。皆、本当に凄い。
実はすでに涙のシーンをもうひとつ発見している。この「愛と悲しみの山河」の章の前。葬式でみゆきと里美先生が出会うところ。そう、演じるは藤田朋子さん。ここも泣ける。いつも元気いっぱいの藤田さんが、この場面では泣かせてくれる。やはりトコちゃん凄い。あまり詳しく書くと完成時の楽しみが減るのでこのくらいにするが、そんなシーンの続きを本日も編集する。
いよいよ、次のシーンから鈴木杏ちゃんが登場する。さあ、みゆきの家族はどうなるのか? 父(板尾創路)は? 母(田中美里)は? そして新たなる登場人物。現在、NHKの大河ドラマに出演中の冨田佳輔と「3年B組金八先生」等で活躍。草刈正雄さんのお嬢さんでもある草刈麻有も登場。「明日にかける橋」第2部ともいえるチャプター。ま、僕はどうなるか?知っているんだけど、「どうなるんだろう?」と思ってしまう。作業を開始する。
「明日にかける橋」を完成させるための協賛金をお願いしています! [告知]
おかげ様で撮影は無事に終了しましたが、まだ完成までの製作費が足りていません。映画作りは撮影のあとも完成までに数々の作業が必要。数ヶ月に渡る編集、映像処理、特殊処理、音楽制作、演奏をスタジオで録音、効果音入れ、音声&音楽ダビング。そして映画館公開の宣伝費。といろんな仕事があり、多くのスタッフをギャラを支払って雇い、スタジオを借り作業せねばなりません。
この映画は大手映画会社や大企業が出資する作品ではなく「我が町を全国に発信しよう! 子供たちに古里の魅力を伝えよう」と静岡県の袋井市、磐田市、森町の市民グループが作る市民映画。地元のおばさんたちが協賛&寄付を今も集めています。何とか完成させたいので、ぜひぜひ支援をお願いしたいです。
出演、鈴木杏、板尾創路、田中美里、藤田朋子、宝田明、他。
「明日にかける橋」製作実行委員会HP
"http://ffc2017.main.jp/"
振込先 「明日にかける橋」(アスニカケルハシ)製作実行委員会
代表 西垣 邦彦
・磐田信用金庫 袋井支店 普通 5119453
・浜松信用金庫 袋井支店 普通 2114212
・ゆうちょ銀行 記号12310 番号 49891161
2年前に撮ってもらった写真。辛い思いが込み上げる。 [思い出]
下の写真を撮ってくれたのはニュー八王子シネマの支配人だった中島さん。2年前の今日、「向日葵の丘」舞台挨拶後に撮影した写真。その中島さんが先日亡くなっていたことを知りショックを受けた。
彼との出会いは「朝日のあたる家」だ。原発事故を題材とした映画だったので上映拒否する映画館が多かった。とはいえ、そのことが反発を呼び「だったらウチで上映しよう!」という心ある映画館の支配人たちが手を上げて全国23館で上映されたのだが、その内の1館が中島さんが当時支配人をしていた沼津のジョイランドシネマだった。
「朝日」は静岡県湖西市で撮影されながら、静岡県で上映された映画館は中島さんの沼津のみ。静岡市内の映画館は皆拒否という中、勇気ある決断。公開に踏み切ってくれた。地元の応援もあり大ヒット。その年1番の興行成績を上げ、お正月をまたいで3週間のロングランとなった。
その後、中島さんはニュー八王子シネマに移り、「向日葵の丘」はなんとゼロ号試写に来てくれた。映画を見た彼は大感動「必ず、ウチでやります!」といってくれた。その約束通り2年前の今日。八王子公開。舞台挨拶にも呼んでくれた。そのときの写真が上。
「向日葵」も3週間上映してくれた。八王子で3週はきつい。大ヒットする映画でも2週間程度。聞くとこう答えてくれた。「この映画館にくればいい映画をやっている。それをアピールしたい。そのために『向日葵の丘』は最適の映画ですよ」
嬉しかった。映画愛を感じた。その中島さんが亡くなった。彼は背が高く、禿げているので、恰幅もよく、いい歳に見えるが僕よりもずっと若い。「インディジョーンズ最後の聖戦」を見たのが高校生と聞いて驚いた。そんな方が亡くなるなんて....。
今回の「明日にかける橋」も中島さんに見てほしかった。きっと喜んでくれたに違いない。何だか「向日葵の丘」の梶原支配人のようだ...。そんな中島さんが天国から見れるように「明日にかける」完成させ多くの人に見てもらいたい。