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明日にかける橋ー編集日記(9日目)孤独との戦い。作業中は普通じゃない? [「明日」編集]

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編集にはスタイルがある。友人のディレクターは同僚と世間話をしながら会社の隅にある機械で編集する。が、多くの映画監督は編集室に籠って作業。「編集しているときは、声をかけたら殺される!」と言われる巨匠もいる。普通の状態ではなくなる。それくらいに集中して作業する。

僕は作業の前からなるべく人に会わないようにして、編集モードに入って行く。以前にも書いたが、ボクサーがタイトルマッチの前になると、他の仕事をせず、ジムに籠もり、ひたすら練習に打ち込む。闘志をかき立てて試合まで、マスコミ取材も拒否するというが、それに近い。

いつも編集開始になるとFacebook等で告知。関係者に連絡しないようにお願いする。最近は皆、理解してくれていて、関係者からはピタリと連絡が止む。本当にありがたい。現在の連絡はプロデュサーが受け付けてくれている。問題があるときは彼からメールで連絡が来て、こちらもメールで返信。電話は厳禁。しゃべると編集モードからトーキングモードに切り替わり、何日も作業が止まるからだ。

ボクサーが試合前になると家族と離れてジムに泊まり込んだり、マスコミ取材も受けず、友達と遊ぶのも止めるというのも、同じ発想のような気がする。「必ずタイトルを取ってやる!ぶちのめしてやる」という闘志が人と会うと失われるからだろう。その意味で編集もボクサーも、きっと他のスポーツ選手も、さらには作家や画家、音楽家も同じかもしれない。

自分を追い込み、孤独の中で戦う。気持ちを盛り上げて集中する。これも以前に書いたが「あしたのジョー」の力石徹がジョーと対戦する前にジムに籠るエピソードがあるが、それを思い出す。

すでに人と話さない期間が数週間。買い物はスーパーやコンビニなので店員と会話を交わす必要はない。ランチは食べに出るが、僕のことを知らない店に入る。「あー監督。お久しぶり」とか言われると返答しなければならない。監督とは知らないまでも、顔を覚えてくれている店員さんもマズい。ファーストフードとか、アルバイト店員で、顔を知らない店を選ぶ。

飯を食ったらとっとと編集室に戻り、作業。朝から晩まで続く。ときどき、誰かと無性に話をしたくなることがあるが、「今話してはダメ」というときは絶対にしない。そのことで作業ができなくなることもあるから。

携帯は電源を切ってある。が、面倒なのはメッセンジャー。着信があると勝手に画面に表示される。なるべくネットも切って作業するのだが、メールでもあれこれ連絡があると、気になってしまう。大事件なら対処せねばならないが、友人からの近況報告とか、下らない噂話とかもある。

先日も今頼んで来るか?!というメールもあり、爆発しそうになった。本人に罪はないが、こちらは神経過敏、情緒不安定、編集という作業はそうでないと出来ない。感度が日頃の何倍にもなっている。普通の状態ではない。異常者に近いのだ。だからちょっとしたことで怒り爆発。でも、ここで怒ったら編集モードが切れてしまう。どうやって気持ちを整理して、作業を続けるか?で半日も葛藤した。

などと書いてもなかなか編集作業というのは分かり辛いものだと思う。だから、一番簡単に理解法は「監督業ってクレージーなのね?」ということかもしれない。作業を続ける。


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明日にかける橋ー編集日記 編集作業とはどんなものか? [「明日」編集]

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現在続けている編集というのは「粗編集」と呼ばれるもので、物語順に大まかにカットを繋いで行くものである。だから、芝居のダブりがあったり、カットが長かったり、音の調整もされていない状態。これで最後まで作業してから頭に戻り、今度は1秒、1コマの編集をする。それでまた最後まで行ったら、次は音の調整、カットによって台詞は音のタイミングは違う。それを1カットずつ直して行く。

そのあとに明るさの調整、色の調整、合成、修正、画面の嵌め込み、タイトル、クレジット入れ、音楽制作、効果音、MA、等の作業が続く。編集を含めたその種の作業をポストプロダクションと呼ぶ。よく市民の方に言われるのは「撮影が済んだのだから映画は完成ですね!」ということ。実は先に上げたような作業が延々続く、通常は3ヶ月から6ヶ月。今回はそれを12月上旬まで上げねばならないので大変。

じっくりと編集しているだけではダメ。映画は上映のタイミングがある。どうしても撮影のあと年を超してしまうと、全てが過去の思い出になってしまう。「そういえば映画撮ったよねえ?」てなことになってはマズい。湖西市で撮った「朝日のあたる家」は撮影終了後3ヶ月で完成披露上映会。3000人が詰めかけた。やはり時期は大切なのだ。

そんなプレッシャーを感じながら、作業は続いている。昨夜はこれまで編集したところまで、通して見た。1シーン1シーン編集していると気付かないことも、通して見ると気付くことが多い。また、そのシーンの編集はよくても前後の繋がりで見るとおかしいということもある。そしてリズム。スムーズに展開しているか?様々な視点で確認する。

ただ、編集をしていると反省点が次々に上がる。「この場面。もっと長めに撮っておけば良かった......このカットは芝居が始まる前の時間を空けるべきだった」等々。その日のことを思い出すと時間がない日。スケジュールがいっぱいで、移動ー撮影ー移動が続く日であることが多い。気持ちが焦るから余裕をなくしているのだ。

「あーこのカット。別アングルで撮っておけばよかった」というのもある。撮影のときも、もう一息だなあと思ったのだが、いいだろうと、やはり次の撮影に早く映らねばならないのでOKしたたもの。ただ、もし、それら反省するカットを粘って撮っていたら、その日の予定を全て消化できず、大変なことになっていたかもしれない。1日撮影が伸びると100万円の損出というのが映画の世界だ。

本日はこれから、みゆきの家出準備シーンを編集。さて、本日はどこまで進めるか? 11月中旬には編集作業を終わらせて、ポスプロの第2段階に入りたい。


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