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僕がオリジナル・シナリオにこだわる訳?③(終)映画を念頭に書く。原作ものでは出来ない作品になる。 [映画業界物語]

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僕がオリジナル・シナリオにこだわる訳?③(終)

シナリオはオリジナルであるべき。と思っている。でも、書くのは大変なのだ....。「青い青い空」のときは題材となった書道を3年かけて取材。勉強したし、「朝日のあたる家」のときは原発事故を1年以上勉強した。

なので、オリジナル・シナリオを書く作家は、取材や勉強に時間とお金がかかるので、ちょこちょこと調べて(同じ題材の漫画読んで済ますとかして)物語を書いてしまうことがある。小説はその辺、本当によく調べてある。が、シナリオの準備に2年も3年もかけていられないので、短期間で適当に済ますことが多い。だから、中身がない物語になり、説得力に欠け、詰まらない映画となりがち。だから、原作もの!ということになるのだ。

でも、時間もお金もかかっても、ちゃんと調べてオリジナル・シナリオを書けば原作ものに負けない物語ができる。おまけに最初から映画にすることを念頭に書く。活字で表現する小説ではないのだから。そうすれば原作ものでは出来ない魅力的な作品になる。

「向日葵の丘」では1983年が舞台なので、当時のことを徹底して調べなければならなかった。が、幸い、僕はその頃、オンタイムで青春時代。さらに、当時からその時代を映画化したいという思いがあり、資料をたくさん残していた。何年もかけて勉強する必要はなく、数ヶ月でシナリオを書き上げた。

とはいえ、1本のオリジナル・シナリオを書くのは本当に大変だ。だから、僕は4−5年に1本しか映画を作れなかったというのもある。そして、脚本料は安いので、3年かかって取材して書いたものでも、先に上げたように、ちょこちょこと勉強して書かれたシナリオと同額のギャラしかもらえない。取材だって、執筆中の生活費だって出ない。だから、そこまでする脚本家はいないということもある。

それを僕はやっているので、毎回、映画が完成したときに残るのは借金だけ!ということになる。しかし、監督した「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も、「朝日のあたる家」も、リピーターが多く、何度も映画館に足を運んでくれる人が毎回、多数いる。やはり年月をかけて調べ、取材した事実を踏まえて書いた物語なので、1度見ただけで十分!とはならない、重さ、深さを感じてくれるからだと思える。

多くの観客が繰り返し見てくれるような映画になれば嬉しいこと。そんな思いで、いつもシナリオを書いている。(了)


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僕がオリジナル・シナリオにこだわる訳?②何年もかけて取材。ようやく完成? [映画業界物語]

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僕がオリジナル・シナリオにこだわる訳?②

原作小説というのは、それ自体を書くために、長い年月ともの凄い労力をかけている。何年もかけて取材。ようやく完成する。もし、それと同じクオリティのオリジナル・シナリオを書くには、同じように膨大な年月ともの凄い労力をかけねばならない。でも、それにはかなりの経費がかかる。そんなこともあり、すでに完成している原作本に原作料を払って映画にする方が早いし、安上がりということもある。

また、オリジナル・シナリオを映画化するより、ベストセラー原作を映画にした方が知名度があり、ヒットさせやすいという現実もある。そんな訳で、映画界では時間も労力もかかる上に、知名度がないオリジナル・シナリオを使うより、人気のある原作を映画にすることが多いのだ。

では、なぜ、そんな面倒なオリジナル・シナリオを自分で書いて、それを自身で監督するのか? そこには理由がある。

もし、誰かの書いた小説や漫画で心惹かれるものがあればいいのだが、それが見つからない。面白い小説はある。でも、小説は文章を読んで面白くなるように書かれてあるので、映像化したからと面白くなるとは限らない。映画化しても面白い小説って本当に少ない「ゴッドファーザー」とか「ジュラシックパーク」とか、なかなか思いつかない。

そう考えると映画にするには、最初から映像にして面白くなる物語を用意しなければならないのではないか?と思える。俳優が演じ、美しい風景があり、音楽が流れる。そんな小説では見せられない魅力を多用してこそ、映画ならではの面白さが伝わるはず。

だから、オリジナル・シナリオであるべき。と思っている。でも、それを書くのは確かに大変なのだ....。(つづく)


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僕がオリジナル・シナリオにこだわる訳?①一番近いのはクエンティン・タランティーノ監督? [映画業界物語]

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僕がオリジナル・シナリオにこだわる訳?①

よく訊かれること。「太田監督はなぜ、自分の監督作品のシナリオを自身で書くんですか? それも原作ものではなく、全部オリジナル・シナリオでしょう? 大変じゃないですか?」

確かにそうだ。多くの映画監督は「次は何を撮ろうかなあ?」と考えると、ベストセラー小説や好きな作家の本を読み、「よし!これを映画化しよう」と思い立ち、作品をスタートさせる。そして脚本家に頼んで脚色(小説をシナリオにすること)してもらい、それを監督して映画にする。

が、僕の場合。これまで監督した4本。全てがオリジナル・シナリオ。つまり、原作がない。僕自身がストーリーをオリジナルで考え、登場人物を作り、書き下ろした脚本を使っている。それを自身で監督する。先の質問は、そんなことをする監督は非常に少ない。だって大変だから。なのになぜ?という意味なのだ。

確かに、そうだ。あのスピルバーグだって、原作もの(「ジョーズ」「カラーパープル」「ジュラシック・パーク等)があるし、オリジナル・シナリオ作品も、自身ではなく、別の脚本家が書いている(「未知との遭遇」「1941」「インディ・ジョーンズ」シリーズ)。なかなか、オリジナル・シナリオを自分で書いて監督する人は少ない。

黒澤明監督も「七人の侍」「生きる」はオリジナルだが、「赤ひげ」「どん底」「乱」「蜘蛛巣城」は原作もの。オリジナルも必ず誰かと一緒に執筆している。

「ゴッドファーザー」のフランシス・コッポラは若い頃に、「自分が監督する作品は全て自分でシナリオ書く」と宣言していた。彼も元々は脚本家としてデビューしたあとに監督になった人だ。が、なかなか、そうも行かず、「地獄の黙示録」以降は別の誰かがシナリオを書いたものが多い。

一番近いのはクエンティン・タランティーノ監督だろう。彼の作品はほとんど(全部かも?)オリジナル・シナリオ。それを自身で書いて、監督もしている。が、他にはなかなか思いつかない。というふうに、オリジナル・シナリオというのは大変。それを自身で監督までするのは、さらに大変。だから、「なぜ?」と訊かれるのだ。

(つづく)


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