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映画監督にもいろんなタイプがある? 分かりやすく説明。スピルバーグは②と③の両方? [映画業界物語]

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映画監督にもいろんなタイプがある? 分かりやすく説明。スピルバーグは②と③の両方?

映画界にこのような分類がある訳ではない。が、僕なりに考えた3つのグループに分けてみた。もちろん、これらに属さない人もいるし、複数に属する人もいる。でも、そのことでいろいろ理解しやすくなるので、やってみよう。

①「ディレクター」タイプ
テレビドラマと同じように、撮影現場に立ち作業を進行させる。が、作品の個性は反映せず、制作費内、期日内にトラブルを起こさずに、まとめて作品を完成させるタイプ。テレビ局が製作する映画はこの手の監督が重宝される。意見を主張せず、決められたキャストとシナリオで、作品を作り上げる。スポンサー、映画会社に言われた通りの作品を作る。いわば「社員タイプ」の監督

②「職人監督」タイプ
個性はある。現場を仕切る。面白く作ってある。でも、作品で主張はしない。娯楽映画を割り切って撮っている。ハリウッドで言えばトニースコット監督。「トップガン」「アンストッパブル」等のエンタテイメントを作った。日本でも黄金期。プログラム・ピクチャーが量産されたときには、この手の人が多かった。1960年代で言えば「悪名」「兵隊ヤクザ」「眠狂四郎」「若大将」「社長」シリーズ等だ。これらは「職人タイプ」の監督と言える。

③「映画作家」タイプ。
主張がある。娯楽作品でも、芸術作品でも映画を通して自分のメッセージを伝えるタイプ。そして作品に個性があり、独特のスタイルを持つ。日本で言えば黒澤明、大林宣彦、岡本喜八、大島渚ら。主張とこだわりがあるので、時にはスポンサーや会社と激突。気難しく、文句も多い。でも、思いを貫く「作家タイプ」の監督。

映画会社からすると、「ディレクター」タイプが使いやすい。自社で決めたものを、あれこれ言わず映像化してくれる。だが、話題になったり、ヒットするのは他の2タイプの監督。巨匠と呼ばれるのは「映画作家」タイプが多い。企画からシナリオ。全てに携わり、キャストにもこだわる。全てに監督の思いが込められている。

が、映画会社からすると、一番面倒なタイプ。「この俳優はダメだ。人気があればいいというもんじゃない!」とか言い出す。作品を依頼しても、予定したものと全然違うものにしてしまう。その点、「職人監督」は制作費、撮影期間をオーバーせずに良い作品を撮ってくれる。映画もヒットする。ただ、名作、話題作はあまり作れない。やはり、その手の作品には監督の「思い」と「主張」が大事なのだ。

スピルバーグは「職人」と「作家」の両方をこなす。与えられた作品を面白く作るのもうまいが、自分で企画して社会に訴える作品も作る。「作家」なのである。日本でいうと松林宗恵監督も「職人」として「社長」シリーズを撮りながら「人間魚雷」等の戦争の悲劇を訴える「作家」タイプの作品がある。

どのタイプが一番偉いとかではない。が、それぞれを一言で評すると「従順」「温厚」「気難しい」となる。それを考えながら映画を観ると「この映画。金かかっているけど、全然面白くない!」とか「金かかってないけど、心に刺さるものがあった」「観ている間は楽しかったが、終わると何も残らない」とか感じる理由が分かるだろう。

ちなみに僕は最後の「作家」グループだと思える。5本の監督作。全て自身で企画。シナリオも書く。メッセージがある。そして気難しく、文句が多く、こだわる。そしてすぐ揉める。ただ、難しい文芸映画にはしない。どんな題材でも一方的に主張ばかりせず、エンタテイメントとして見れるように、ドキドキ、ハラハラ、泣けたり、感動したりというものを大切にする。その辺は「職人」的な部分か?

それぞれのタイプに用途がある。プログラム・ピクチャーを作るのに、映画作家を起用すればまず揉める。いろんな会社が出資した映画だと、関係者全員の顔を立てねばならない。そんな時はディレクタータイプだ。社会性のある作品を作るなら、それに関心のある映画作家タイプ。あと「ディレクター」「職人監督」はそれなりの高額なギャラを取る。面倒な作品、ヤバイ作品は敬遠する。が、「映画作家」は金だけではなく、作品を作ることがある。

こんな風に映画を観る側も監督タイプ分かっていると映画を選ぶ時にも、役立つはずだ。



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俳優は可愛く、綺麗で演技ができる人、ではない。ニュータイプというのが一番近い。 [映画業界物語]

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俳優は可愛く、綺麗で演技ができる人、ではない。ニュータイプというのが一番近い。

先日、友人と話していて盛り上がった話題がある。そう言えば、この話はブログ等で紹介したことがないな?と思えたので書いてみる。俳優という人たちは、綺麗で、可愛くて、かっこよく、センスがあり、感動的な演技ができるというだけではない。

撮影現場というと美男美女が集まり、カメラの前で芝居をする職場と思うかもしれないが、そんな印象を持ったことはない。僕が思う俳優というのは物凄く感覚の鋭い、病的に凄い人たち。超能力者というと少し違うのだけど、「ガンダム」シリーズのニュータイプのような感じが近い。空を飛んだり、手を触れずに物を動かしたり、というのではないが、一般人には感じないことまで感じてしまう。

現実的な例で言えば絶対音感素質者。ピアノの一音を聞いただけで「ド」とか「「レ」とか聞き分けられる。特殊な能力。演奏者には多くいると聞く。そんな一人に聞いたことがあるが、雨の日が耐えられないという。ピアノの音だけでなく、あらゆる音を聞き分けてしまうので、メロディのない不協和音のような雨音が耐えられないというのだ。

「Zガンダム」の(とこの種の例を挙げて何人が理解してくれるか?不明だが、適当な例が他にない!)フォー・ムラサメが「頭の中で蛇がのたうち回る感覚」「これがお前たちに分かるか!」と苦しみを漏らす場面があったが、それが役者の感覚に近いと思える。役を演じ出すと、自分に戻れなくなるとか、いろんなことを感じ過ぎてパンクしそうになる。

優れた感性が暴走し、日常生活を送れなくなる。それは俳優だけでなく、作家や音楽家も同様。芸術関係の人には多いが、世間から見ると変人に見える。芸術家として認められれば「だから変わっているんだよなあ」と理解されるが、その世界で活躍できないと、単なる変人にしか見えない。

だから、救いを求めて酒やドラッグ。宗教に走ってしまうのだ。「Zガンダム」のフォーは悲しい結末を迎えるし、主人公のカミューユでさえ、精神が崩壊してしまう。そんなところも優れた俳優たちの姿がダブることがある。


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「誰とでも仲良くしてはいけない」「みんなに好かれるようではダメ」それが最近の僕のテーマ。 [my opinion]

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「誰とでも仲良くしてはいけない」「みんなに好かれるようではダメ」それが最近の僕のテーマ。

子供の頃、よく親が言ってたこと。

「誰とでも仲良くしなさい」

「みんなに好かれるような子供になってほしい」

これは関西でも関東でも、どこの親でもいう台詞ではないだろうか?これらの言葉を否定する人はまずいない。人として大切なことだからだ。

が、それらが間違っていることに気づいた。認識したのは最近、50代になってからだが、実は子供の頃から、それらに逆らうことばかりだったことに気づく。説明していこう。

「仲良くする」はいいことだ。喧嘩ばかりしているより、仲良くすることはいいことのはず。が、考えてほしい。「仲良くする」にはどうするか? 人はそれぞれに価値観が違い、主張がある、方向性もある。生活習慣、趣味、志向、全てが同じ人はいない。

それぞれが違う者同士が仲良くするには、

どうしなければならないか?それは我慢すること。洋食が好きな人が和食が好きな人と「仲良くする」には、好きでなくても和食を一緒に食べることが必要だ。たまにならいい。でも、結婚して妻が和食好きで「朝は味噌汁とご飯」がいいという。夫はトーストとスクランブルエッグ。どうすればいい?

1日起きに和洋変えるか?妻に合わせて、和食にするか? 夫は自民党支持。妻はれいわ新撰組。これも我慢して合わせるのは難しい。たまにならいいが、毎日、何年もとなると葛藤が生まれ、ぶつかってしまう。溝が生まれる。子供の教育はどうか? 健康管理はどうか? 

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「一流大学に行き、一流会社に就職する」

親がそれを期待する。子供にそれを押し付ける。でも、僕は違うと思っていた。だから、親と仲良くできなかった。「映画監督になりたい」というと、友達や教師までが反対。会ったことのない親戚にまで説教された。彼らは自らに正義があるようにいう。僕が新興宗教に入信したいと言っているように感じ止めようとする。

つまり「誰とでも仲良くする」というのは自分の価値観や志向、目標を抑えて、相手に合わせることなのだ。しっかり勉強すれば仲のいい親子になる。友達、教師とも仲良くできる。大学や就職だけではない。それなりの歳になると田舎では、近所の人や親戚がこう言いだす。

「結婚はいつ?」「子供はまだ?」

30を超えて1人でいると、あれこれ噂され、批判される。その人たちと「仲良くする」には、いい歳になったら結婚し、子供を作るという行為をしなければならない。要は自分を殺し、夢を諦め、一般的な価値観で生きなければ「誰とでも仲良く」することができないのだ。地方地方での習慣。業界での慣習。人は無意識にそれらを押し付けてくる。

仲良くするには、我慢し、

従わなければならない。何十年もその街にいる人。その業界にいる人を変えるのは難しい。仲良くするには自分が我慢し、変わるしかない。「誰ともでも仲良くしろ」というのは「長いものに巻かれろ」「郷に入れば郷に従え」ということ。これもまた「村社会ルール」であることが分かる。皆と同じことをしろ。勝手なことをするな。「みんなに好かれる」にはそれに従えということ。

振り返ると僕はそんなことに逆らい続けてきた。映画の仕事をするためではあるが、そうでない人も考えてほしい。時代は変わる。これから大切なことは「誰ともでも仲良くしないこと」「みんなに好かれる必要はないこと」だ。また、その辺を詳しく書く。



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「私の実力を認めて!」と主張する前に、皆のために何ができるか?を考えることが大事① [映画業界物語]

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「私の実力を認めて!」と主張する前に、皆のために何ができるか?を考えることが大事①

(2015年記事より)

劇団員というのは大変だ。

食って行ける劇団はいくつかしかなく、ほとんどメンバーがバイトで生活を支えいる。公演時は1ヶ月前からバイトを休み、ノーギャラの上に、チケットを100枚ほど売るのがノルマ。

そんな劇団の一つに20代のA子がいる。月18万ほどのバイト料から毎月1万ずつ貯金して、20万溜まったら、芝居に出られるという。その劇団は小さく、観客のチケット代だけでは赤字。劇場を借り、ポスターやチラシを作り、衣装や小道具を借りると、持ち出しになる。

だから、劇団員が1人20万ずつ出し合って公演をする。その金がないと、出演することができない。だが、月18万円で毎月1万の貯金は大変。月1−2回の飲み会に出るともうアウト。節約して生活しても2年かかる。

A子の夢はプロの俳優になること。

いつか映画やテレビドラマに出られるようになりたい。そう思ってがんばっている。彼女が以前、僕が講師をするワークショップに来ていたこともあり、その劇団の芝居を見た。抜群にうまくはないが、がんばっている。

もう10年以上も前の話だが、その年に撮影する僕の映画に出演しないか?と訊いてみた。エキストラに毛のはえた役だが、台詞がある。勉強になる。舞台とは違う映画の芝居を経験できる。ただ、製作費も厳しいのでノーギャラ。それれでも、撮影現場を経験できるし、プロの俳優たちと並んで芝居ができる。勉強になるはずだ。が、彼女は不満そうにこう訊いた。

「ノーギャラってどういう意味ですか?」

(つづく)



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シリーズ④ 「監督は映画と結婚した」という指摘はおかしい!? [映画業界物語]

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シリーズ④ 「監督は映画と結婚した」という指摘は正しくない!?

「監督は映画と結婚したんだね?」というコメントがいくつかあったが、それは正しくない。というよりおかしな表現であること解説する。結婚し、夫婦となると、片方が片方に尽くすだけではなく、互いに支え合い、相手を思いやり、人生を歩むパートナーとなる。

が、映画と結婚したなら、映画は何をしてくれるのか? 飯を作ってくれるのか? 疲れて家に帰った時に「お帰りなさい」と言ってくれるのか? 困った時に相談に乗ってくれるか? 嬉しい時に一緒に喜んでくれるか? 全てNOだ。映画とは結婚できないし、嫁にも、彼女にもならない。

あえていうと、映画は子供だ。映画作りは子育て。いろんな危険から守り、あれこれ教えて、栄養ある食事をさせ、成人させる。そうすれば、社会に出て人のために役に立つ。笑わせる。感動させる。大切なことを伝える。嫌な仕事を忘れさせ、2時間の間ハッピーにする。そんな世間に役立つ子を育てることと似ている。

言わば母子家庭。いや、父子家庭だ。両親はいない。父だけ。その手で子供を育てる。途中からはスタッフやキャストが加わるが、最後はまた父だけになる。映画「クレマークレーマー」のダスティン・ホフマンのような人生なのだ。

が、時々、子育ての援助をしてくれた人が現れて「この子の足は長すぎるから、切ってほしい」とか言い出す。「指は5本いらないから3本のしてほしい」と言われる。そんなことを言われて父親がはいそうですか?とは答えられない。子供を守るために戦う。最近はこんなことがあった。「この子は牢屋に入れて社会には出しません」苦労して育てた子供をそんな目に遭わせる訳には行かない。

それも子供を育ててほしいと言ってきたスポンサーだ。子供なんだと思っているのか? ある意味で殺せというのと同じ。その子が世間に出れば日本人の意識を変える仕事もするのに、牢に入れて外に出すな。関係者だけしか会わせない。それを父親は絶対に許さない。命をかけても子供を救い出そうとする。それが親だ。

その意味でも映画は子供であり、映画監督業とは父子家庭に近いもの。決して映画と結婚した訳ではない。ということでよろしく!


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結婚できなかったシリーズ③ 映画監督は女優と結婚できるのか? [映画業界物語]

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結婚できなかったシリーズ③ 映画監督は女優と結婚できるのか?

第2弾も好評なので補足編をアップ。先に書いたように現在の映画監督業は経済的に厳しい上に、長時間労働。おまけに映画界はウイアード(奇々怪界)な世界。そんな人を彼氏にすると、「何じゃこれは!!」と彼女は叫ぶしか無くなる。という話を書いた。ただ、結婚している監督も身の周りにはいる。あまり多くないが、、、さらに演出部なら結構いる。

というのは演出部。助監督も大変な仕事だが、物語を把握するのにあれこれ時間を取られても、ゼロから取材して、探し、調査して、勉強する訳ではない。出来上がった作品の世界観を把握するのが中心。対して、シナリオライターはその世界を0から勉強する。もちろん、同じ題材の漫画を読み、ちょこちょことシナリオにする作家もいるが、伊丹十三監督などは「マルサの女」の時に、国税庁査察部を徹底して取材しシナリオを書いている。

つまり、映画の仕事は真剣にやればいくら時間があっても足りないが、手を抜けばいくらでも手を抜ける。が、それは明確に作品に反映さる。そんな業界で、監督業だけ。シナリオだけ。助監督だけの仕事なら、結婚し、子供がいても、何とかやっていけるだろう。実際そんな人たちは僕の周りにもいる。

が、僕がやっているのは、監督業だけでなく、シナリオ、演出、編集さらにプロデュサー。そして宣伝まで担当する。ロケハンは本来、製作部の仕事だが、それもやる。ほぼ、7人分の仕事。それぞれが、とんでもなく時間がかかる作業なのだ。

監督、演出、編集はクリエティブな仕事だが、プロデュサー業では、資金の工面。管理、支払い。記録。申告までやる。ここはぜひ、誰かに頼みたいところだが、人件費がかかるので僕がやっている。以前はよく言われた。

「監督は大林恭子さんのような女性Pと結婚すればいいんだよ〜」

僕の師匠でもある大林宣彦監督は監督だがシナリオ、編集も担当するが、奥様の恭子さんがプロデュサー。見事なおしどり夫婦であり、憧れる。が、なかなか、そんな凄い女性とは出会わない。

では、女優と結婚は?といわれるが、以前にも書いた通り。女優は魅力的であり、映画作りの上では同志だが、仲良くなると互いに甘えが出るので、仕事以外では会わないというのが僕のルール。いい芝居をしてもらうには、そんな姿勢が大事。なので、女優と結婚したら、その人は絶対に自作には出せない。その意味で伊丹監督は奥様が女優の宮本信子さん。主演で映画を何本も撮っていたのは凄い。

ま、昔はそんな監督はたくさんいた。それは監督の収入がバカ高い時代であり、経済的な安定があるからこそ、女優と結婚生活が維持できたと言える。現在、女優と結婚している監督が非常に少ないことが、それを証明しているだろう。女優たちは今、IT系の社長と結婚することが多い。とにかく、7人分もの仕事をしていると、結婚生活は成立しない。1年で奥さんはいなくなる。また「映画監督はつらいよ」物語。その内に書かせてもらう。

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「幸せって何だろう? どこにあるんだろう?」結婚、金持ち、有名になること? 考えてみた。 [my opinion]

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「幸せって何だろう? どこにあるんだろう?」結婚、金持ち、有名になること? 考えてみた。

多くの人は「結婚」を一つの幸せを考える。ま、結婚してみるとそうでもないことを痛感することも多いが、愛する人と共に暮らし、苦しみも喜びも共にし、人生を歩むというのは基本、一つの幸せだだろう。

金持ちになるーというのも幸せだと考える人が多い。生活に不安がない。ほしいものが買える。海外旅行に行ける。大きな家に住める。外車に乗れる。だが、これも1人では幸せと言えないだろう。一緒に喜びを感じるパートナーがいるからこそ、旅行に行っても、美味しいものを食べても、豪華な家に住んでもハッピーなのではないか?

さらに人々が求める幸せー「有名になること」がある。これは心理学でいう「認知欲求」だ。人に認められたい。褒められた。チヤホヤされたい。賞賛されたい。そんな思いを叶えるためには有名になること。事業で成功する。研究でノーベル賞を取る。色々あるが、芸能人になれば手取り早く有名になれる!俳優、タレント、歌手、作家、アナウンサー、映画監督、ミュージシャンとテレビにも出る仕事。

だが、これらの仕事も知られざる現実がある。例えば俳優。売れるまでが大変。売れるとチヤホヤされるが、妬みも凄い。誹謗中傷を受ける。プラバシーが踏みにじられる。街を歩けなくなる。利用しようとする輩が近づいてくる。誰が自分を愛し、誰が利用しようとしているのか?分からなくなる。極度の孤独に悩まされる。

有名になるという代償はとても大きい。先の金持ちも同じだ。以前にお会いした超富豪の社長。何不自由ない生活をし、スーパーカーを何台もお持ちだが、誰も信用できないという。揉み手で近づいてくる人たち。「金貸してほしい」「出資してほしい」「事業を応援してほしい」と笑顔で集まってくる。先の芸能人と同様、誰が敵で誰が味方か?分からなくなる。部下も信用できない。

つまり、どの幸せも、必ず見返りが付いてくる。それを知らない人が「金持ちになりたい」「有名になりたい」というのだろう。そう考えると愛する人と結婚し、子供たちの成長を見守るというのは先の2つとは違い純粋に「幸せ」なのかもしれない。もちろん、相性が合わない。浮気をする。酒癖が悪いということで不仲になり、毎日が地獄になることもある。僕が監督した映画「向日葵の丘」で主人公を演じてくれた常盤貴子さん。こんなセリフがある。

「幸せって何だろう? どこにあるんだろう? その答えを探して私はシナリオライターになりました」

そのセリフ。僕自身の思いを込めて書いた。僕自身がその答えを探して映画監督になった。その答え。今も探し続けている。

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