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最近、身近に困ったちゃんがいなくなった?=緑のタヌキ式「排除」作戦? その攻防を振り返る [映画業界物語]

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最近、身近に困ったちゃんがいなくなった?
=緑のタヌキ式「排除」作戦? その攻防を振り返る。

この数日、あれこれ書いていて、これまで僕もいろんな批判をされて来たなあ...と思い出した。過労になるまで映画製作に奮闘しているのに、倒れると「怠けている!」「本当はサボりたいだけ!」と「過労」というものを知らない連中が批判、直接言って来る人もいた。その前は「制作費を集めて映画を作る」というと

「無理だ!」「不可能だ!」「やめた方がいい!」
  
「お前にできる訳がない!」

と助言(大きなお世話)して来る人たちがいた。なぜ、人は頼みもしないのに、おまけに経験のないことを上から目線で言いに来るのだろう? そして、スタッフ内で、ロケ地でも、自分の都合だけであれこれ主張する人、横槍を入れて来る人、邪魔しかしない人たちがいた。まあ、人は愚かさを知らずに、間違った方向にエネルギーを費やしがちなのかもしれない。かよわき子羊ということか?

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と、あれこれ書いているが、実はここ数年はその手の人が激減している。というか、ほとんどいない。「明日にかける橋」の時なんて、スタッフ、キャスト、地元のみなさん。本当に素晴らしかった。もちろん、何人か困ったちゃんがいたが、以前の勘違い野郎どもに比べると問題にならない。

これまでは推進しているつもりで映画製作を崩壊させようとした人たち。明らかに欲得のためだけで入り込み、あるいはゴリ押しして来る連中もいた。が、そんな人たちが全くいない。また、僕が過労でダウンしていても、以前のように

「どうせ仮病でしょう?」

「いつまでも甘えてないで、さっさと仕事をしなさい」

とか言って来る人もいない。

「映画監督は仕事しないで遊んでばかりいるらしいけど、そうなの?」

と面とむかって皮肉をいう地元の人もいない。以前はそんな人たちが結構いて、だからと言って殴り倒す訳にも行かず(逮捕されます!)イライラが連日、最高潮だった。それでいて映画を作る、終わると半年間寝込んだりした。今回はまだ1ヶ月少々だが、かなり回復している。以前のように当て外れの批判や誹謗中傷して来る人。利益を求めて入り込む寄生虫のような輩がいなかったのでストレスが軽減されたのだろう。詳しく思い返してみる。

1つは地元の皆さんが素晴らしかったこと。事前に映画作りを勉強し、自分たちでルールを作り、頑張ってくれたこと。振り返ると、どの街でもメンバーに困ったちゃんがいた。深く考えず

「映画作り楽しそうだね〜」

というだけで参加。どれだけ大変であるか?を後で知る。その段階で辞めればいいのに、対面を保とうと、あれこれ勝手なことを言い出して皆を困惑させる。要は辞めたいだけ。あるいは以前にも書いたが、自分の店をアピールするだけのために応援している振りをする。ロケ地に選ばれないと掌返し。

「俺は利用された〜!」

と被害者を演じる人もいた。どうしても、その手の人がチームに入ってしまうことがある。後者の利益を求めるのは持っての他だが、前者の安易な気持ちで参加して、大変だと分かると、あれこれ反対ばかりするようになる。要は逃げ出したいだけ。それはもう工作員と同じで、体制を壊すために潜入したようなもの。でも、地元の人たちも「除名」ということができない。映画が終わっても顔を合わせるからだ。

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そんな人がどうしてもメンバーに1人2人いたのだが、今回はいなかったこと。本当にありがたかった。スタッフなら、あまりに酷いと僕自身がクビするが、地元の人を解雇するわけには行かない。それで思い出したが、初期の頃はプロデュサーがスタッフを集めた。時々、困ったちゃんが来てしまう。Pに「あいつは本当に役に立たない!」と進言しても「まあ、今更クビにはできないから...」と止められた。そもそもPが

「ギャラが安い」「顔馴染み」「依頼がないので暇な人を探した」

ということで呼んだスタッフ。監督の思いを理解するとか、この作品のテイストに相応しいで選んではいない。本当の原因はPなのだ。そこで何作目からかは、

緑のタヌキ作戦?

(当時、小池百合子はその発言をしていないが)Pを排除した。そして僕自身がプロデュサーも担当。キャストだけでなく、スタッフも僕が全て声をかける形にした。そのことで困ったちゃんがいなくなる。また問題を起こせば次から呼ばないので自然、腕のいい素敵な人たちばかりになった。

キャストも同様だ。以前から誰が何と言おうが出演者は監督が選ぶことが重要なので、それを通して来たが、外部からPを呼ぶと、あれこれ自分の趣味を押し付けたり、癒着している事務所の俳優をねじ込もうとすることが多かった。そんな役者を入れてもいい作品になる訳がない。当然、拒否するが、Pと議論を続ける時間も、エネルギーも無駄。抵抗勢力が身近にいるのと同じ。なのでPを呼ばなくなってからは完全に全員、僕が選び、議論したエネルギーは作品を良くすることに注いだ。

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3つ目には信頼。初期の頃、僕は海のものとも山のものとも分からない無名監督。周りは心配だ。

「こんな奴に任せて大丈夫なのか?」

不安になり、あれこれ口を出す。また

「何も知らない若造だから、うまく利用してやれ!」

と笑顔で近づいて来る奴もいた。あれこれ圧力をかけて来たり、周りを味方にして追い詰めたりと、ズルイ大人の作戦。が、そんな輩は全て排除。あと何本も映画を撮り、それらがとても評判がいい。そこで信頼が生まれて来たというのもあるだろう。

「あの監督は言い出したら聞かない。面倒臭いんだよなあ」

と思うと悪意ある連中は近づいて来ない。一般の人は

「有名でないけど、DVD見たらいい映画だった。何本も映画を撮っている監督なんだね」

と信頼してくれる。スタッフ、キャストも同様だろう。

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「この監督、大丈夫かよ? 不安だな〜」

と初期は 思っただろうけど、作品を見ると安心した。その一環として特に信頼を上げたのは有名俳優の出演だったと思える。

松坂慶子、長門裕之、津川雅彦、常盤貴子、田中美里、藤田朋子、今回で言えば鈴木杏、板尾創路、宝田明という錚々たる名優たちが僕の映画に出演してくれている。大企業が作る大作ならいざ知らず、おまけに毎回、低予算。なのになぜ?というと

「監督がいい映画を作るから、あんな凄い俳優さんも出演するんだ」

そう考えてくれるようになったのだろう。これはもう、出演してくれた方々に感謝するばかり。いろんな意味で前に進んでいること。感じる。まあ、毎回、必死なので、そんなことを振り返ったりする余裕もなかった。たまには過労で倒れることも大事かもしれない。

ただ、次なる課題もいくつかある。さらに上のステージに上がるには、どうするか? 考えねばならない。多くの人がより喜んでくれる映画を作るには、監督1人が努力してもダメ。地元、スタッフ、キャストの助けがとても大きい。そのことを踏まえつつ、次の目標を目指したい。


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過労を数値で表すこと出来るのを発見=強度のストレスが長期間続くと「体や心が悲鳴をあげる」それが過労やうつ病なのだ。 [2019]

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過労を数値で表すこと出来るのを発見
=強度のストレスが長期間続くと「体や心が悲鳴をあげる」それが過労やうつ病なのだ。

医者に行くと血液検査等をされるのだけど、内臓が弱っているとか、血がドロドロ血だとか、その程度のことしか分からない。過労というのはウイルスやバイ菌とは関係ない。数値で測れるものではないらしい。なので、「過労」というと「疲れているだけ」と思われがちで

「俺だって疲れているよ!なのにお前は自宅でお休み?」

みたいなことをよく言われた。映画を撮った町の人からも「映画が完成していてから何してたの?」と言われ「過労でダウンしていた」というと、

「映画監督って仕事もせずに、遊んでばかりいるって聞くけど本当なんだなあ」

と嫌味を言われたこともある。信じられない安いギャラで町のための映画を撮って、その町の人にそう言われるのは本当に悲しかった。が、それくらいに過労は理解されにくい。1ヶ月も寝込んでいるというと、余程の重病であり「過労」でそんなことになるのが想像できないのだ。

そこで何か医学的な説明ができればいいが、それを病原菌や数値で表すことが出来ない。僕自身、なんでここまで体調が悪いのか? 近所のコンビニまで行くだけで、その日の体力が尽きてしまうのは「疲労」だけとは思わず、体が壊れたのでは?と考えたりした。が、毎回、何ヶ月か静養すると良くなり、以前のようにコンビニまで余裕で行けるようになる。

それが今回、血圧を測っていて数値の変化を確認した。「沖縄ドキュメンタリー」完成から1ヶ月後に測った時には「危険値」に限りになく近かった。病院に行けば確実に「危険だから、血圧を下げる薬を」と言われる。実際、以前にそう言われた。それから1ヶ月。つまり、完成から2ヶ月の経緯を見ていた。

塩分の取りすぎというの原因もあるが、僕は外食が少なく、自宅では塩や醤油はほぼ使わない。考えられるのはストレス。強度のストレスに長期間晒されると血圧が上がる。それが原因だ。測定を続けた。多少のばらつきはあるが、少しずつ下がって来ている。この1ヶ月で30ほど下がった。と言っても標準値まではまだ行っていない。

一度下がってまた上がることもあるが、すぐに下がる。一時的なことで全体的には下がっている。これらから分かることは、強度のストレスで血圧が危険値まで上がっていたということ。それが長期間続けば脳梗塞に至る可能性があること。過労が原因で直接死ぬことはない。それが要因で体が弱り病気にかかるとか、心臓麻痺とか、それこそ脳梗塞で死に至る。

つまり3年続いた映画製作により強度のストレスを受け続け、血圧が危険値まで上がっていた。体力が尽き(だって休まないからなあ)内蔵機能も弱り切っていた状態だったのだ。だから、静養することで、血圧が下がって行き、標準値に近づいて来たのである。なるほど、何度も過労で倒れているが、初めて数値でそのことを確認ができた。

自分自身では体が悪いというより、根性がなくなった?かのような気分であり、気持ちは焦るが、コンビニまで行くだけで精一杯という現実に毎回、情けなく思う。もしかしたらうつ病?と思え、周りからは

「監督はうつ病になってもおかしくないだけの仕事してますから。誹謗中傷、陰口、悪い噂、心ない人たちの批判、当て外れの非難。町から預かった巨額の制作費の管理。もし、足りなくなっても個人で補填できる額じゃない。

さらに周りに対する細かな気配り、スタッフに対し、キャストに対し、町の人たちに対してせねばならない。トラブルの解決。いろんな人が勝手なことを言い出す。後先考えずに行動する人もいる。映画作るだけでなく、その全てに対応せねばならない。うつ病にならない方がおかしい。見ててもそう思いますよ」

そんなことも言われた。が、診断は毎回、過労。けど、どちらも原因は同じ。許容範囲以上のことをし、強度のストレスに長期間晒され続けることで、体が悲鳴をあげるのが「過労」心が悲鳴をあげるのが「うつ病」どちらも、自分の意思とは別に緊急停止してしまう。人間の体はうまく出来ている。

ただ、過労は下手すると突然死に見舞われる。無事に映画が完成して、劇場公開。多くの観客が喜んでくれれば、それで過労死しても構わないと毎回思っている。が、その結果を見ずに死ぬにはちょっと嫌。そして、死なずに生き残ったなら、神様が

「もう1本、撮りなさい!」

そう言っているのだと思うことにしている。


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映画監督の夢を追う友人=自分だけの世界に閉じこもり夢見る若者たち。 [映画業界物語]

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映画監督の夢を追う友人=自分だけの小さな世界に閉じこもり夢見る若者たち。

1980年代。自主映画=学生映画作りが流行った。8ミリフィルムで映画を撮り、プロデビューする。スピルバーグやルーカスのようになりたい。日本でも20代の大森一樹や石井聰亙が監督デビューした時代だ。

後輩の友人A君もそんな1人。8ミリカメラとわずかな衣類だけを持って上京。映画学校に通った。が、生徒の多くはロクに映画も見ていない奴ばかり。授業も退屈なだけ。彼は仲間を集めて8ミリ映画を撮り出した。

「今、リバイバルしているあの映画。すっごい面白いから見た方がいいよ」

学生映画の先輩が言う。でも、A君は見に行かなかった。

「何で、行かなかったんだよ?」

「ええ、忙しくて...」

別の先輩には映画に誘われた。「***を見に行こう」A君は答える

「今、そんな気分じゃないんです」

次第に彼の評価が決まってくる。気分で映画を見に行くのは映画好きの人。嫌なことがあったからコメディでも見たい。気分くらいからアクション映画で憂さを晴らしたい。そんな感じだ。先のお勧め映画も興味を持てなかったので行かなかったようだ。

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つまり、A君は自分の趣味の映画だけ見る。そんな好きな映画の焼き直しを8ミリ映画を作る。趣味のレベルなのだ。アクション映画が好きでも、それ以外も見てこそ勉強。親しい友人が推薦するなら、見て見たいと思うのに、それも拒絶。バイト先では「俺は将来、映画監督になる」と言っていて、大学生から一目置かれてるらしい。

夢を掲げるだけで尊敬を集め、趣味の映画だけ見て、その焼き直しを8ミリで作る。それでいて将来はプロだ!と思う。小さな世界で空回りにしているだけだなのだ。例えば子供が成長するには、肉だけでなく、野菜や魚も食べなければならない。なのにA君は自分が好きな肉だけしか食べていない状態。

また、趣味の映画と同じような、その学生版のような映画を作るのはビートルズのコピーバンドと同じ。よほどでないとプロデビューはない。めちゃめちゃ技術レベルが高くて、ビートルマニア(本物そっくりの演奏をするグループ)クラスなら分かるが、それは当時でいうと「太陽にほえろ」ごっこ「蘇る金狼」ごっこなのだ。大学生の友人にサングラスをかけさせ刑事役

「なんじゃこれは〜!」

と松田優作風に絶叫させる。でも、それは趣味の世界。カメラも、照明も、素人。友人が観れば笑ってくれるが、第三者には厳しい。だが、A君はいう。

「プロの監督になり、プロのスタッフが参加すれば問題ない」

彼は非常に危険なところに堕ち混んでいた。要は自分は努力しない。でも、プロのスタッフがいれば技術は大丈夫。自分の作品はプロで通用するはず。他人の力を借りれば、プロでやって行けるという発想。でも、刑事ごっこの映画しか作らない彼を誰が認めるのだろう?後年、僕も知ることになるが、プロの世界は本当に見る目のない人ばかりなのだ。

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結局、彼はプロデビューすることはなかった。当然なのだが、彼のようなタイプは今も多い。映画監督志望だけでなく、俳優志望にも言えるのだが、

「私は才能がある。見る人が見ればプロデビューできる」

でも、努力はしない。(本人は努力しているつもり。何より才能があると思い込んでいる)映画や舞台で見に行くのは趣味のものだけ。先輩に勧められた作品も見ない。DVDを借りてもそのまま。やってることは実は趣味レベル。

「でも、プロデビューすればプロがやってくれるから大丈夫」

と他力本願。まるで

「いつかは白馬の王子様が私を迎えに来てくれる」

という昔の少女漫画のヒロインのようだ。小さな自分の世界を作り上げ、バリアーを貼り、その中で生きている。「マトリックス」の世界で眠っている。現実を想像する力がない。いや、ありもしないことを夢見る想像力はある。そして、狭い世界にいる自分に気づかない。

「私は違う!」「僕は大丈夫!」

根拠のない自信。そんな子たちを数多く見てきた。どうすれば、その狭い世界から抜け出し、現実の中の戦いをスタートできるのか? 長年、考えて来たが、結局、自身が屈辱的な経験をし、敗退して、未熟さを痛感すること。そこから、もう一度立ち上がってスタートする。それしかないのだろう。でも、そこで終わる子がほとんどなのだ。悲しい...。


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友達も、恋人も、夫婦も、何かプラスがあるから長続きする? [my opinion]

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友達も、恋人も、夫婦も、何かプラスがあるから長続きする?

泉谷しげるの歌に「長い友との始まりに」というのがあるが、僕にも長年の友達が何人かいる。古くは中学時代から。もう、44年の付き合い。高校時代からの友人は3人。学生映画時代の友は1人。LA留学時代は1人。それでも34年の付き合いだ。

学生時代に仲良くしていても、卒業するとそれっきりという同級生が多いことを考えると、その後も連絡があったり、会ったり、飲みに行ったりで、10年、20年、30年と、付き合いが続くのは凄いこと。そんな友人たちは、僕がどんな人生を送って来たか?を知っている訳で、あれこれ言わなくても分かってもらえるので、とてもありがたい。

では、なぜ、そんな長い付き合いになったのか? そしてなぜ、その他の同級生とは疎遠になったのか? 考えてみると長年の友人ほとんどに言えることは「映画好き」ということ。だから、会うと話題に困らない。「あの映画見たか?」「DVDで話題の作品見たよ」と、あれこれ話題がある。近年はシナリオを書いている時、撮影の前後。編集時。公開前と、その時々にいろんな面で相談している。

友人にすれば「観る側」だった僕が「作る側」になったことで、違った視点で話が聞ける。業界の話が聞ける。また、エキストラやボランティアで撮影に来てくれる奴もいる。現場にいくチャンスなんてなかなかないので、面白がってくれる。そんな映画という「絆」があることで、長い付き合いとなったのだ。

これがもし、会って世間話をするだけなら、クラスが変わったり、職場が変われば、それでお別れだ。長い付き合いには何かプラスが必要。恋人関係、夫婦関係にも言えるだろう。最初は愛だ!恋だ!と盛り上がるが、いずれのカップルもやがては冷める。

最初は「彼女は可愛い[黒ハート]」と思い、「彼氏はカッコいい[黒ハート]」と感じていても、それが当たり前になる。恋人時代は互いに努力して、彼女が好きな「恋愛映画」を一緒に見たり、彼氏が好きな「カンフー映画」に付き合ったりする。逢っているだけで楽しい。でも、次第にそれが当たり前になり、恋が覚め、愛が失われる。互いにわがままが出る。

なぜ、あの夫婦は結婚したんだろう?仲良くないし、趣味も合わない。ということがあるが、それが恋から覚めた状態。そこで子供がいれば、夫婦生活がうまくいかなくても我慢。子供が大きくなるまでは離婚しないでいよう。学費、生活、いろんな面で2人で頑張ることが必要。と考える。

あるいは妻が栄養を考えた食事を作る。炊事、洗濯をする。そのことで夫は仕事に専念できる。共働きなら、そのことで経済的に潤う。何とか生活できる。1人ならかなり大変な生活になるということ。妻がいるから育児を任せられる。夫がいるから生活費を稼いでくれ、育児に専念できる。

これは「生活」「子供」が2人の絆になっている。それがあるから恋が覚めても、離婚しないし、文句を言い合っても一緒にやっていかねばと考える。これが経済的に余裕があり、両者共に仕事があれば、小さな不満から離婚ということもある。女優がよく離婚するのは、自分で稼げるからだ。夫の経済的援助が必要ないから。

そう考えると、友達でも、夫婦でも、何かプラスとなるもの。趣味なのか? 経済なのか? 子供なのか? 何かがあることで続いて行くのだろう。友人の夫婦。結婚生活?年。今や兄妹のような関係。でも、奥さんは毎日、健康的な食事を作ってくれるという。そのことで夫はしっかり仕事ができる。ある夫婦は夫がしっかり稼いでくれる。それがあるので妻は自分の好きな趣味を続けることができる。

無償の愛とかいうと美しいが、互いにプラスがあるから長続きするのだ。友達関係でも、恋人関係でも、夫婦関係でも。それが同じ趣味でも、生活でも、経済でも、子供でも。国と国との付き合いも同じ。原料を売ってくれる。それで加工した商品を買ってくれる。何も利害がなければ交流の必要はない。

人の関係も同じなのかもしれない。可愛い。カッコいい。「だから好き」だけでは長続きしない。その人がいることで助かる。便利。ありがたい。心和む。美味しい料理を作ってくれる。健康を気遣ってくれる。生活費を稼いでくれる。理解してくれる。何かプラスがあることが長続きする上で大事なのだろう。


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1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たちは大切なものを失っている?!(改訂版) [映画業界物語]

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1時間働けば時給がもらえるのが当然ーと考える若者たちは大切なものを失っている?!(改訂版)

 ときどき専門学校に呼ばれ特別講義をする。そこでこんな質問を受けたことがある。「映画監督業は食えますか?」「月いくらの収入がありますか?」そんな質問が出ること自体に疑問を感じたが、正直に答えた。

「監督業はブラック企業を超える。アルバイトをすれば時給900円とかもらえるが、監督業は時給50円。いや、日給50円。月収50円ということもある。それが監督業だよ」

そういうと生徒たちは

「映画監督なんてなるものんじゃないなあ!」

という顔をする。だが、それが現実。年収ゼロ円という監督もいる。奥さんに食わせてもらっていたり。アルバイトで生活している先輩もいる。監督業は厳しいという話ではない。そもそも、その生徒の発想が間違っていると言う話をしたい。

彼らの発想はバイトが基本になっている。1時間働けば900円。た1日10時間労働で9000円。1ヶ月に20日間働けば18万。

「それなら、どーにか生活できるかなあ?」

という考え方だ。それはバイトや会社員の価値観。映画の仕事は監督でも、脚本家でも、カメラマンでも、技術がいる。質問をした生徒はまだ何も技術を持っていない。にも関わらず1時間働けばいくら? 1日働けば***円という計算をしている。

何の技術もない彼らが撮影現場に来ても、何の役にも経たない訳で、1時間いくらどころか、1円たりとも払われることはない。いや、現場に呼ばれることすらない。そのことに気付かず。「監督をやれば、いくら? 脚本家なら**万円?」と時給計算をしている学生たちはおかしい。

バイトというのは、ちょっと教えてもらえれば出来る仕事。特別な技術は必要ない。それで1時間900円とかいう賃金をもらえる。だが、映画の仕事は誰にもでできるものではない。技術があった上にセンスも必要。それを持った人にギャラを払って働いてもらう。その違いを学生たちは理解せず。1時間働けば***円とバイトの感覚で考えるので、ズレてしまうのだ。

時間の切り売りをして、賃金をもらえるのは、アルバイトだけ。その発想で映画業界を考えてはダメ。「仕事」を得るためには、それなりの「技術」や「経験」が不可欠。映画界だけでなく、一般の社会もそうなって来た。

 大学の4年間。或は専門学校の2年間。バイトして、コンパして、旅行して、さあ、就職だ!といううときに、技術も経験もないと大変なことになる。最後に少し前に専門学校に行ったとき、出た質問を紹介する。

「太田監督の撮影現場はボランティアでお手伝いしている人がいると聞きましたが、僕らも参加できますか? それらは1日いくらもらえますか?」

 僕は答えた。

「通常は撮影現場に一般の人は入れない。技術も経験もない人が参加すると、トラブルを起こしたり、隠れて俳優の写真を撮ったり、大変なことになることが多い。だから、よほど信頼できる人で、映画愛のある人。この映画を応援したい!という人だけを厳選。お願いする。その意味で君はダメ。ボランティア・スタッフでいくらもらえる?なんて質問する段階でアウトだ。ボランティアは無報酬のお手伝いだよ」

「よく分かりました。ノーギャラでもいいので、手伝わせてください!」

といってくるかと思ったが「何だ、タダかよ!」という顔で、その生徒は帰って行った。バイトというシステムが若者たちに勘違いさせ、時代を逆行していることを改めて感じた。学校教育で与えられたことだけをやっていたら、社会に出て大変な事になる時代。なのに気付かぬ若い人が多い。悲しい話である...。


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他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。 業界は見る目のない人でいっぱい?!ー改訂版 [映画業界物語]

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他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。
業界は見る目のない人でいっぱい?!ー改訂版

もう、20年ほど前になるが、アメリカ留学から戻り、映画監督デビューを目指してシナリオを書いていた時期がある。自分で考えたオリジナル・ストーリーをシナリオに。まだ、パソコンもない時代なので、原稿用紙に手書き。

夜、アルバイトを終えて帰宅。朝まで執筆。昼前に起きてバイトへ。という生活をしていた。が、シナリオを読んでくれる業界の人は少なく、読んでもらっても全否定の批評が返って来た。

「僕は脚本家に向いていないのか...」

と落ち込んだ。でも、何度もシナリオを見てもらっていて、気づいたことがある。

「才能ないんじゃない?」

という人が結構いたことだ。その話は以前に書いたが「才能」なんて存在しない。現在、映画監督として仕事をし、様々な業界で活躍する第一線のアーティストとお会いすると、まさにそのことを痛感する。「才能」ではなく「センス」や「素質」を持つ人が物凄い努力をして素晴らしい作品を作るのだ。

なので当時から「才能」という言葉を使う人は胡散臭いと思えた。
その後、理解したのは、その手の人は

「私の趣味じゃないからダメ!」

ということなのだ。なのに「才能がない」という言葉を無神経に使っているだけだと分かって来た。最初は「業界の人に全否定された....」と落ち込んだが、背景が分かってくると気が楽になる。

また、一般の人が映画を見て「何か詰まらない!」「大したことない!」と批判するのは自由。だが、映画業界で仕事する人が同じレベルの批評をするなら問題だ。なぜ、詰まらないのか? 何がダメなのか? それを分析し、テーマを推察して、それに到達している、していないを判断。言葉にすることが、彼ら彼女らの仕事だ。それができない人が業界には多いこと分かって来た。

「才能ないと何度も言われたけど、実は見る目がない人が多いんじゃないか?」

そんな人たちの批判を真に受けて、落ち込んでいてはいけない。念のために補足するが「俺の素晴らしいシナリオを理解できる奴がいない!」というのではない。当時、僕が書いていた作品は未熟ものである。しかし、正当な批評をしてもらわないと、何が足りなくて、何が悪いか? どこがいいのか?を分からない。客観的に観て指摘してもらってこそ、実力は伸びるのだ。

その後もシナリオを書き続け、5年後に脚本家デビュー。その後、監督した映画5本全て原作ものではなく、僕のオリジナル脚本である。

「太田監督の映画は毎回泣ける!」

と多くの方が褒めてくれるが、デビュー前は否定の連続だった。今思うと、業界のプロデュサーたちに全否定されたのだから「僕にシナリオは無理だ」と諦めていてもおかしくなかった。

ただ、彼らの言葉の全てを受け入れなかったこと。そして彼らの批評をよく考えると、読み手に想像力がない、新しいものを理解できない。自分の趣味と客観的判断をごちゃまぜにしている人たちが多いと気づいた。

「そんな人たちの言葉を信じる必要はない!」

と考えたことが幸いした。同じことは他の業界でもあるだろう。新人たちを否定する人は多い。いや、業界に限らず。安易に人を批判し、他人を否定しているところがある。人の言葉に振り回されてはいけない。自分のいい部分を探し、延ばすことで道は開けるのだから。



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才能なんて存在しない。大事なのは資質と経験だ=夢を掴むために足掻く若者たち!?(改訂版)            [映画業界物語]

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才能なんて存在しない。大事なのは資質と経験だ
=夢を掴むために足掻く若者たち!?(改訂版)           

高校卒業後、専門学校に通い、映画監督を目指した。同じ歳で、同じ夢を持ち、同じような映画が好きな友人がいた。よく酒を飲みながら、将来について語り合った。

だが、当時の僕は不安だらけだった。平凡なサラリーマン家庭で育ち、親戚に芸能人がいる訳でもない。どこにでもいる18歳が映画監督になんてなれるのか? けど、友人は強気だった。

「俺に1億円出せば、最高の映画を作ってやるよ!」

僕にそんな自信はなかったが、あるきっかけで助監督を経験する。19歳。現場で先輩に言われた。

「太田は何になりたいの? もし、カメラマンとか照明とか技術部が志望なら、遊んでいちゃいけない。バンバン仕事して技術を学ばなきゃ。でも、監督なりたいなら、仕事していちゃいけない。いっぱい遊んで、いろんなことを経験しなきゃ駄目だよ」

僕は「脚本も自分で書いて監督したい!」という思いがあったので、まさに先輩の言う通りだった。いろんなことを経験してこそ、物語を描くことができる。いろんな人に出会ってこそ、人を描ける。映画館に通うだけでは、世間や時代が見えなくなる。でも、友人はこういう。

「才能があればやっていけるんじゃないか? 手塚治虫だって、若くしてデビューしたけど、あれだけ多くの作品を書いたんだ。俺にもそんな才能があるということを信じるしかないんじゃないか? そう、才能があればやっていける」

しかし、その頃から「才能」なんてものが本当に存在するのか?と疑問を持っていた。ただ、当時は「才能なんて存在しない!」と言い切れるほどの確信はなかった。では、今、必要なものは何か? そう考えて、昔から憧れていたアメリカ留学を決めた。海外で暮らすことでいろんなことが見えてくるはず。友人にその選択を話した。彼はこういう。

「そうか、がんばれよ。俺は日本でがんばる。才能があれば、やっていけるはずだ。俺は俺に才能があると信じている」

それから30年。僕は4本目の劇場用映画を作った。僕は若くして監督デビューはできなかった。43歳になっていた。友人は何年か前に東京を引き払い、古里へ戻った。結局、監督になることはなかった。それを聞いた別の友人がいう。

「結局、あいつは才能がなかったんだよ」

でも、それは違う。彼は才能がないのではなく「才能があるから俺はやっていける」と思い込み、努力しなかったことが原因。どんな仕事でも同じだろう。料理人でも、職人でも、ピアニストでも、漫画家でも。努力が必要。特にクリエーターなら、それプラス経験値が大切なのだ。

「才能」なんて存在しない努力と経験が大事。ネットで世間を知ったつもりになってはいけない。自身が経験すること。若い人にはそう伝えたい。(2014年10月)


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夢破れていく若者たち。対人関係の甘えが道を閉ざしてしまう?  [映画業界物語]

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夢破れていく若者たち。対人関係の甘えが道を閉ざしてしまう? 

20年ほど前になる。まだ映画監督デビューする前。監督業はすでにスタート。俳優の卵たちを集め、無料で月イチのワークショップをやっていた。卵と言っても事務所に所属して、俳優活動をしている。台詞が一言のような役だが映画やテレビに出ている。が、それはたまのことであり、日頃はバイトに追われながら有名俳優になることを夢見ていた。

当時は大きな劇場(T劇場とか、S演舞場)の 招待券をよくもらっていたので、メンバーの誰かを連れて行ったりした。太田組俳優予備軍という感じで、いろんな勉強をさせることで実力をつけてもらい、映画監督デビューするときには、その子たちの本領発揮ができる役を用意しようと考えていた。

飯を食わせたり、名作映画のビデオ(当時はDVDがまだない)を貸したり、小さな役だが、僕が監督するVシネマや深夜ドラマにも出演させた。が、次第に問題が出てきた。例えば友人監督のオーディション情報を聞いた。求める役に近い卵がいたので、連絡した。

「監督。すみません。せっかくですけど、その日はバイトなんすよ〜」

呆れた。オーディションを受けるだけでも大変なことだ。それなりの事務所に入っていないと連絡も来ない。卵たちは名もなき弱小の事務所所属かだ。何より役者になるために東京に出てきたのに、生活のためのバイトを優先するのが分からない。

また、親しくなると問題が出る。ワークショップで出した宿題をして来ない。宿題と言ってもビデオを見て感想を書くだけなのだが、それもしない。

「バイトで忙しくて時間なかったんです...」

ワークショップに課題のシナリオを忘れて来る奴もいた。全部、セリフを覚えて置いてくるならいい。覚えてもいないのに忘れて来る。お稽古事気分だからだ。また、女優を目指す子の中には

「監督は私のことが好きだから応援するんだ...」

と勘違いする子もいた。女優とは付き合わない。その頃から決めている。が、その子は甘えれば役がもらえると思い始めた。そこでアウト。彼氏とうまく行かなくて芝居に集中できなくなる子もいた。それもアウト。俳優業を目指すなら、恋より、家庭より、バイトより、何よりも芝居を優先しない様ではダメだ。

当時、僕は熱く、そんな時は説教大会だ。皆、基本はいい子たちなので、その意味を理解した。が、プライベートで悩み、生活に追われ、何年経っても仕事がないことに失望し、卵たちは少しずついなくなった。病気で俳優業を続けられない子もいた。本人の責任ではない。そうやって数年で誰もいなくなった。タレント・マネージャーをする友人に言われた。

「俳優を育てるのは監督の仕事じゃないですよ。僕らは1000人育てて1人が花開けば御の字と言います。それが俳優業です」

直後に映画監督デビューの機会が来た。卵たちが出演することはなかった。同じくらいの年代の若いプロの子達を起用した。皆、凄かった。卵たちでは足元にも及ばない。愕然とした。草野球とプロ野球ほどの差があった。

卵たちは皆、いい子だったが、覚悟がなかった。芝居をしたいのではなく、女優と呼ばれたい。テレビに出たい。そんな思いが強かったのではないか? バイト生活に追われることで、目標を見失う程度しか思いがなかったのかもしれない。第1線で活躍する子たちと比べるとそう感じた。

僕も反省がある。劇団キャラメルボックス演出の成井豊は、劇団員とは飲みに行かないと、のちに聞いた。だから、いつまでも素敵な芝居を作り続けることができるのだ。馴れ合いになってはいけない。僕は厳しく接しているつもりだったが、何度も顔を合わせたことで、親しみが生まれて来たのだ。

「監督は優しいから。きっと分かってくれる...」

それが甘えに繋がる。監督はお父さんでも、兄貴でも、彼氏でも、先生でもない。そんな勘違いが卵たちをダメした。こちらが線を引いても、相手が親近感を持ち甘えが出てしまう。緊張感がなくなる。だから、こちらが考えねばならない。そのことを学んだ。

少し前だが、キャスティングで俳優のプロフィールを見ていると、一時期、卵グループにいた奴の書類があった。と言って採用はしなかった。芝居がド下手な子だったが、あれから20年。まだ、頑張っていたんだ。少し嬉しかった。


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最近のカルチャーショック=やはりamazon! 50代は時代について行けるのか? [my opinion]

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最近のカルチャーショック=やはりamazon! 50代は時代について行けるのか?

若い頃、ウォークマンの登場は衝撃だった。外で音楽が聴ける!凄い!と思った。そのあとはCD。なんて音がいいんだろう!と感動。LDも嬉しかった。映画が高画質で格安で買える! DVDはサイズが小さくなっただけなので、大きな感動はなかった。ビデオにダビングもできなくなったし。

携帯も今もなくていいかな?と思うので感動はない。次はパソコンか? 資料を整理しやす! いや、その前のワープロだ。字が汚い僕には画期的な商品。文章の直しも簡単。これがなければライターの仕事はできてなかっただろう。

今はamazonだ。映画と音楽が月極め価格で観たり聞いたりし放題。Netflixまで契約してしまった。が、映画に関してはまだまだソフト数が少なく、不満は多い。それでも観たい作品はまずまずある。先日もマーベル作品を徹底的に見た。TSUTAYAまで行かずに済むだけでも便利。amazonミュージックの方は前回書いたが、音楽天国だ。本当に凄い。

ラジオ=>レコード=>レンタルレコード=>CD以来の歴史的な革新だと思える。だが、そのサービスを使っている同世代がいない。友人に会うたびに、その魅力を語るのだが、誰も実践してくれない。まあ、それが50代ということかもしれない。新しいものを受け入れられない。懐疑的に思える。CDやDVDで十分だと考える。

若い人たちと話すともう何年も前から使っていると言われる。その意味で僕もかなりスタートが遅い。それでも同世代でamazonやNetflixを使っているのは、、、、あ、1人だけいた。幼い子供がいるので、一緒に観るという。なるほど。

思うのはこれがザッツ老化なのだ。新しいものが苦手になる。なくても大丈夫と思う。若い頃に大人たちの時代感覚が異常に遅れていることを感じたが、僕らの世代もその年齢に到達したということだ。しかし、AIの普及。PCのさらなる進化。時代はいつもテクノロジーで進む。

一時期、パソコンが使えないおじさんたちが会社で邪魔者扱いされたように、メールができないと仕事ができない。携帯がないと仕事にならない。それらは僕の世代も対応して来たが、amazonだけでなく、いろんな技術がどんどん出てくる中、それを使いこなせるか?それが生き残りの条件のように思える。


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最近、嬉しかったこと。amazon ミュージックの存在。 [2019]

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最近、嬉しかったこと。amazon ミュージックの存在。

amazon会員になるとプライムビデオが見られると同時に、amazonミュージックも付いてくる。ショッピングの翌日配達サービスも付いて1年1万円しない。その「ミュージック」の方をさらに月1000円弱払うと、unlimitedというコースがあり、6500万曲聴き放題というサービスだ。

以前にも紹介したが、とにかく凄い曲数。僕は500枚くらいCDを持っているが、その80%を処分してもいいほど充実。本当に聴きたいアルバムは買うなりレンタルするなりするが、ちょっと聴いてみたいだけのアーティストにTSUTAYAレンタルで100円と言えど、払うのは躊躇する。それなら未見の映画を見た方がプラスになる。それが月1000円未満でアルバム聴き放題!

また、TSUTAYAにあるCDはメジャーのものばかり、なのでLAに言った時にameba MUSIC(シネラマドームの隣。オン・サンセットです)のどでかい店に行ってエッタ・ジェームズやベッシー・スミスを探し購入していた。が、その店舗でさえないようなアルバムがamazonには山のようにある。(写真はビリーホリデーのセクション。見た事のないものがザクザク!)

前にも書いたが高校時代に聴きたくても、買えなかったアルバム(当時は2500円。レンタルレコードはなかった)カンサス、ブームタウンラッツ、ELO、ボストン、カーズ、等はFMで流されるのを探してカセットテープで録音するしかなかった。(FMfanとかFMレコパルを購読していた)

その後も、気になったアーティスト。LA留学してからだと、トム・ペティ、ジョージ・マイケル、デュラン・デュラン、Ha~HaHa、等もすべて網羅されている。毎日聞いても月1000円しない。TSUTAYAまで行かなくてもHa、等もすべて網羅されている。毎日聞いても月1000円しない。TSUTAYAまで行かなくても自宅でゲット。本当に凄い。


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