大手広告代理店の友人との会話。 映画「明日にかける橋」は1億円以上の故郷宣伝効果?! [地方映画の力!]
大手広告代理店の友人との会話。
映画「明日にかける橋」は1億円以上の故郷宣伝効果?!
友人「監督。稚内の映画祭に行くんですって?」
僕「うん。昨年の『明日にかける橋』を上映してもらって俳優のトチノさんとトークショーしてくる
よ」
友人「また、『袋井市の3人の主婦が声をあげて、磐田市、森町の人たちも賛同して、市民の寄付で映画
作りが始まった』という話をするんでしょう?」
僕「もちろん。今回は企業映画でなく地元の人たちの思いで作った映画だと伝えないと!」
友人「多分、稚内の方々は『袋井』も『森町』も聞いたことのない街だと思うし、『磐田』はサッカー
で多少知られているけど、何もなければ一生、知ることがなすしね...」
僕「その街がどれだけ素敵で魅力的な街か?映画を通じて知ってもらうことも今回の映画の目的でもあ
るから、稚内の映画祭での招待上映はとてもありがたいよ」
友人「もし、ロケ地の市役所が映画なしに北海道で『我が街』をPRをしようとしたら大変。イベントを
開催しても、なかなか人は来てくれない。街の風景や歴史をパネルにして展示しても、興味を持っ
てもらうのは難しい。職員が街の魅力を語ってもまず聞いてくれない。何より職員の交通費、宿泊
費、資料代、展示資料代、会場代で何百万円は必要!」
僕「さすが広告代理店!プランナー。視点が違うね〜」
友人「でも、映画『明日にかける橋』があるので、交通費も、宿泊費も映画祭側が払ってくれて、会場
を用意、客も集めてくれて、役所がイベントでパネルを貼る以上の宣伝効果を映画はあげる。多く
の人が街の魅力を堪能してくれる」
僕「そーなんだよ」
友人「役所の職員が北海道まで行かなくても、おしゃべりな監督と俳優が出向いて、がんがんアピー
ル。地元でも役所の人の話より映画監督や俳優の話を聞きたがるから客も集まりやすい。それをま
た監督や俳優がSNSで発信。監督のFacebook友達は4千人以上でしょう? 役所の観光課が1円
も使わず、街の宣伝ができて、費用対効果は数百万円ということになるなあ。ふるさと納税に負け
ない額ですよ」
僕「なるほどねー」
友人「観光客を呼ぶことも重要だけど、まず、我が街を知ってもらうことが難しく。名前を覚えてもら
うだけでも、企業は何億円も払ってコマーシャルするんですよ。そう考えると故郷映画って凄い力
を発揮しますよね」
僕「うん。北海道の映画祭で上映と聞いても、へーそう?と思う市民もいるかと思うけど、地元の人た
ちが作った映画は物凄い宣伝効果を上げているんだよ」
友人「昨年までの全国公開、DVD発売、マスコミが取り上げ発信した情報、ちょっと計算したんですけ
ど、軽く1億円を超える費用対効果。1億円かけて故郷を宣伝したと同じ! 市や県は地元のおばち
ゃんたちを表彰するべきですよ!」
僕「その映画はこの先、10年、20年、50年、100年と残るから。延々とアピールになる。作ったおば
ちゃんたち、やっぱ凄いなあ〜」
24シーズン2、二度目、見終わる=やはり圧倒的だった!あれこれ豆知識を紹介する。 [ドラマ感想]
24シーズン2、二度目、見終わる
=やはり圧倒的だった!あれこれ豆知識を紹介する。
最初は外出した時に電車の中、amazonプライムで見ていた。すでに一度見ているのだが、もう10年か15年前なので、細かい部分を覚えておらず、結構、初見のようにハラハラドキドキしながら見てしまう。後半戦に入るとさらに「どーなるんだろう?」という思いが強くなる。今回もまあ本当に酷い話だ。
テロリストがLAに持ち込んだ核爆弾。
それをCTUのジャック達が探すのが前半の話。従来のドラマなら、警察なり、FBIの捜査官がチームワークで犯人を追い詰めて行くのだが、「24」では敵だけでなく、味方も主人公達を邪魔する。そしてシーズン1で悪女振り全開だった、ニーナとシェリーも再登場。さらにイライラ!
かと思うと、有能だが、ジャックの邪魔ばかりする上司メイスンが前回に引き続き出ているのだが、今回は捜査中に被爆、24時間以内に死亡するという役柄。あれだけムカついた奴なのに、死を目の前にして性格が変わり、人生最後の1日を爆弾探しに捧げる。疎遠になっていた息子と再会する場面は感動もの。
いい奴!と思わせて内通者!
というパターンばかりでなく、こんんな設定で攻められると泣けてしまう。やはり「24」は家族物語だと痛感。メイスンと息子。ジャックと娘キム。事件に巻き込まれるケイトと妹、婚約者、そして父。(母はケイトが高校時代に死亡)パーマー大統領と元妻。そして、トニーとミッシェルの恋もこのシーズンからスタート。
そんな家族の物語が縦横無尽に紡がれていることで、単なる核爆弾をめぐる事件で終わらない。また、核の話は12話前後で決着。後半は別の展開になる。シーズン1が「大統領候補暗殺計画」だけで24話を見せたのに対して、今回は2部構成だ。
1アイディアで24話引っ張るのはなかなか難しいし。そこで今回はスタイルが前半と後半で変わるという新しさを持ち込んだのだ。後半の設定も面白い。LAで核爆弾が爆発。実行犯であるテロリストを支援した国がある。軍はその国に報復攻撃をしようと提案するが、パーマー大統領は慎重に対応しようとする。しかし、その証拠となるのは捏造されてもの。テロリストに黒幕国はいない。なのに、副大統領と軍が無理やり戦争をしようとする。
これって911と同じではないか?
思い出してみよう。貿易センタービルが攻撃され。報復のためにイラクに攻め込む。でも、実際は証拠がなく、戦争したい連中が裏で暗躍していた。それとほぼ同様の設定だ。911テロは2001年の9月だが、このシーズン2の放送は2001年の11月。つまり、911以前にシナリオが書かれていた。そしてパーマー大統領は黒人だが、このドラマ放送から4年後の2005年にオバマがアメリカ初の黒人大統領に就任している。
非常に現実的な設定でシナリオが書かれていたのだろう。大統領の弾劾会議という展開も、なかなか他の作品では見られないし、核の描き方もアメリカは意外に無知なことが多く、放射能の存在が描かれていないことが多い。核爆弾というのは強い火力を出す兵器という程度の認識(「ダークナイト・ライジング」でも、「インディジョーズ4」でも同様)。その中で「24」はプルトニュウムによる被爆するエピソードがあるのが興味深い。
後半戦はもう、見出すと止まらない。
外出しなくても気になって、結局、部屋で残り全部を見てしまった。本当に良くできている。しかし、この後の展開はすでに知っているので辛いものもある。いろんな苦難を超えて恋を育んだトニーとミッシェルがのちに、あんな残酷な運命が待ち受けていると思うと辛い。そして意外なのはあのクロエがシーズン2でも登場していないということ。全シーズン出演かと思ったのに。
あと、ミッシェル役のレイコ・エイルスワース は、確か祖母が日系人。なので、名前は日本風にレイコなのだ。そして大統領の女性秘書を演じるのがタムリン・トミタ。あの「べストキッド2」のヒロインである。wikipediaによると
沖縄の嘉手納基地で生まれ、
アメリカ合衆国ロサンゼルスで育つ。1985年に2世ウィークの日本祭の女王に選出されたことで注目され、デビューした。とのこと。85年は僕もLAにいた!
1986年の『ベスト・キッド2』
に出演して知られるようになる。1987年には川島透監督の日本映画『ハワイアン・ドリーム』にも出演、時任三郎やジョニー大倉などと共演。1990年にはアラン・パーカー監督の「愛と哀しみの旅路」でヒロインを演じている。日系の人々が2人も活躍しているのも、また嬉しい。
「24」の面白さを分析する=何がこれまでのドラマと違うのか? [ドラマ感想]
「24」の面白さを分析する=何がこれまでのドラマと違うのか?
見だすともう止まらない。何時間でも見続けてしまう。0時を回り、2時3時になっても止まらない。主人公のジャックより見ている方が疲れて来るが「もう1話だけ見よう...」とまた1枚、ディスクをプレイーヤーに。気づくと外が白んでいる。そこまで夢中で見るドラマってなかなかない。
「あーー」「嘘だろーーー」「もうやめてくれ」「何でだよ」
と叫んでしまうドラマなんて他にない。本来、僕はドラマを作る側の仕事。どこかで冷静に見ている。
「これはスタジオで手持ちカメラか? このキャラはあの事件の伏線で登場させたな?」
とか考えるのだが「24」は普通の観客になってしまう。その凄さはどこから来ているか? 10年ぶりに見直すことで研究しようと考えた。
そもそも「24」は「刑事アクション」と思われがちだが、そうではない。レンタルDVDを借りた時に特典としてアメリカ版の予告編が収録されていた。それを見ると英語のナレーションで「スリラー」と言っている。制作側も「アクション」ではなく「スリラー」という認識なのだ。膝を打つ。
僕はアクション映画が大好き
ということはない。むしろサスペンスものが好き。ハラハラドキドキ。ヒッチコックのような映画。その意味で「24」はスリラーなので惹かれたのだ。刑事アクション映画のような銃撃戦もあるが、時限爆弾が爆発する=>そのタイムリミットとの戦い。大統領が狙われている=>どうやって阻止するか?というハラハラがメインなのだ。
見直して気づいたのは「24」は「刑事もの」のスタイルで捜査官が事件を追う形にはしているが、裏側は「家族ドラマ」になっている。通常の刑事ものは仕事に忙しく家族を顧みない主人公、という設定のためだけに、妻や子供が出てくることが多い。というのも家族にスポットを当てると話が逸れてしまうから。時間が取られる。それが「24」では「刑事もの」スタイルの中に家族ドラマを持ち込んでいる。
第1シーズンでは
主人公ジャックの娘と母が誘拐される。大統領候補暗殺に手を貸さないと殺されるという進行。その一方で候補者であるパーマー議員は息子の冤罪で家族がバラバラ。家族を顧みなかったツケを突きつけられる。さらに野心家の妻とのトラブル。家族の絆が試されている。そして敵側のテロリストも殺された家族の復讐。その家族を任務とは言え殺害したのがジャックだ。
そんな風に敵味方共に「家族との絆」を背負っている。通常の映画やドラマではあまりない設定。映画は2時間前後、そこまで描きこむ余裕がない。対して「24」は24時間のドラマ。脇のキャラクターも家族もしっかり描ける。そのことで単なる悪VS正義のドラマにはならず。また、家族が脅かされることで、よりハラハラさせられる。
背景の描かれていない通行人が
人質に取られても、観客は同情しないが、背景や家族関係が紹介されている妻や娘が人質になると「何とか助けて欲しい!」と願ってしまう。そのことでさらにハラハラドキドキ。そして「24」特有の展開。通常なら危機があっても、安易な方法で解決して「なーんだ!」ということが時々ある。対して「24」はより悪い方に展開し、重要な登場人物でもあったり死んだりする。
これまでのアメリカのドラマでは、レギュラーは絶対に死なないという暗黙のルールがあった。が、それがない。視聴者が好感を持ち、応援していたキャラも無残に殺されたりする。今までのドラマなら「この人はレギュラーだから大丈夫。絶対に死なない」どんな危機でも安心して見ていたが、容赦無く殺されるのが「24」ハラハラドキドキがさらに加速。
あと、「24」には必ず政治が絡む。
汚職や陰謀。政権争い。権力を悪用する人たち。そして味方の中に必ず裏切り者、内通者。「誰も信用できない!」そんな現代的な部分を反映した設定も魅力。まだまだ、書きたいことがあるが、そこがこれまでのドラマと違う部分である。続きはいずれ。
「24」がアメリカのテレビ・ドラマ史を変えた? [映画感想]
「24」がアメリカのテレビ・ドラマ史を変えた?
「24」が制作されたのは2001年。もう18年も前になる。僕が見始めたのはかなり遅い。正確な年は思い出せないが、「なんか話題になっているので、一度見ておこう」とケーブルテレビで一挙放送があった時に録画。それをかなり後で見た。ら、凄くて! 当時、VHSで録画していたら、1シーズン24話(24時間)が録りきれず切れず、途中で終わっていた。
「何だそれはーーー!」
とレンタル屋に走り続きを一気に見た。その後は毎年、新シリーズのDVDが発売されるたびにレンタル屋に走ったが、何十本もあるDVDが全て開始出し中だったりした。そんな「24」を今、「シーズン1」から見直している。というのも、この作品をきっかけにアメリカのテレビシリーズが以前と違うスタイルで大躍進をしたからだ。
昔からアメリカのテレビドラマは好きで、1960年代の白黒時代からあれこれ見ていた。「タイムトンネル」「宇宙家族ロビンソン」「スター・トレック」「600万ドルの男」「バイオニック・ジェミー」等のSFシリーズから、70年代に入ると刑事ドラマ。「刑事コロンボ」「警部マクロード」「刑事スータスキー&ハッチ」「刑事コジャック」「探偵キャノン」「女刑事ペッパー」
LA留学時もその辺のアメリカ人より詳しかった。流石にジョントラボルタが人気になった「ウェルカム・バック・コター」やマイケルJフォックスが出ていた「ファイミリータイズ」は日本で放送されてないので見ていないが、(のちに放送されたかも?)存在は知っていた。だから、USCで英語クラスに通っていた時に、スピルバーグ製作のテレビシリーズ「アメージング・ストリーズ」をオンタイムで見られたのは超嬉しかった。
話が逸れた。そんなアメリカのテレビドラマを変えたのが「24」だ。これは10年ほど前に記事にした記憶があるが、(それを探してコピーしようと思ったが見つからない!)それまでは1話完結ものだったのが、「24」あたりから続き物に、「つづく」で終わる連続物になった。それによって以前はできなかった物語や表現が可能になった。
が、実は日本ではその手のドラマは昔から存在する。山口百恵が出演した「赤い」シリーズがまさにそれだ。大河ドラマだって、連続物。それが意外なことにアメリカでは2000年代までなかったのだ。もちろん「逃亡者」等は「片腕の男」を探して旅するという一貫性はあるが、ドラマは毎回完結し、次の街へという形だ。
「24」はそれらを連続物にしただけでなく、これまでになかった様々な手法でハラハラドキドキのドラマを描き大ヒット。その影響で「プリズン・ブレイク」「ヒーローズ」等の同じスタイルのドラマが登場した。ま、本当の元祖は「ロスト」なのだけど、それを押し上げたのが「24」だと思える。また、本論を書く前に字数が多くなったので、また次回。
「24」をシーズン1から再見。amazonプライムは強い味方? [ドラマ感想]
「24」をシーズン1から再見。amazonプライムは強い味方?
amazonプライムが凄いのは自宅で、いろんな映画やドラマが好きな時間に観ることができる。iPadがあれば外出時にも、外で映画が見られる。が、映画人として、そんな形で映画を見るのは製作者に対して失礼だ。映画館で見るのがベストだが、DVDであっても、せめて部屋を暗くして真剣に見る。食事しながらとかではない形で見ない。
なので、外でiPadで見るのは、すでに観た作品。勉強のために、もう一度観なければと言う形だ。話は戻るが、amazonプライムは外で見るにはWi-Fi環境が必要。でも、事前にダウンロードしておけばWi-Fiがなくても観れる。(ただ、48時間以内に見ないと消去される)ウォークマンが発売されて音楽を外で聴けるとようになったように、映画やドラマを外に持ち出せる時代になったのだ。
で、最近は移動中の電車、バス。待ち合わせの時間に「24」を見直している。部屋の大型テレビで見るのは新作「ブラックサマー」とか「ベイツモーテル」「ウエストワールド」で、外では以前に見たもの。今は「24」だ。日本でも話題になり、レンタルDVDだけでなく、テレビ放送もされた。今年はリメイクで日本版が制作されるとの話も聞く。今も人気のテレビシリーズである。
僕が気づくのは遅くて、ブームが去った頃にケーブルテレビで見た。歳をとって感性のアンテナが錆び始めたことと、忙しくて新しい情報を得ることができない環境。等があった。が、前者が大きいだろう。身の回りでも若い映画人は皆「24」を見ているが、同世代で見ている友人はほぼいない。完全に時代からズレる世代となったのだろう。
その「24」について書こうと思ったが、ここまででかなりな字数となったので、別記事にて書かせてもらう。今回はamazonプライムがとても便利という話とする。ただ、「24」を見だすと再見であっても止まらなくなり、目的の駅で降りるのを忘れるで、電車で見るには相応わしくないかもしれない?!
最近、身近に困ったちゃんがいなくなった?=緑のタヌキ式「排除」作戦? その攻防を振り返る [映画業界物語]
最近、身近に困ったちゃんがいなくなった?
=緑のタヌキ式「排除」作戦? その攻防を振り返る。
この数日、あれこれ書いていて、これまで僕もいろんな批判をされて来たなあ...と思い出した。過労になるまで映画製作に奮闘しているのに、倒れると「怠けている!」「本当はサボりたいだけ!」と「過労」というものを知らない連中が批判、直接言って来る人もいた。その前は「制作費を集めて映画を作る」というと
「無理だ!」「不可能だ!」「やめた方がいい!」
「お前にできる訳がない!」
と助言(大きなお世話)して来る人たちがいた。なぜ、人は頼みもしないのに、おまけに経験のないことを上から目線で言いに来るのだろう? そして、スタッフ内で、ロケ地でも、自分の都合だけであれこれ主張する人、横槍を入れて来る人、邪魔しかしない人たちがいた。まあ、人は愚かさを知らずに、間違った方向にエネルギーを費やしがちなのかもしれない。かよわき子羊ということか?
と、あれこれ書いているが、実はここ数年はその手の人が激減している。というか、ほとんどいない。「明日にかける橋」の時なんて、スタッフ、キャスト、地元のみなさん。本当に素晴らしかった。もちろん、何人か困ったちゃんがいたが、以前の勘違い野郎どもに比べると問題にならない。
これまでは推進しているつもりで映画製作を崩壊させようとした人たち。明らかに欲得のためだけで入り込み、あるいはゴリ押しして来る連中もいた。が、そんな人たちが全くいない。また、僕が過労でダウンしていても、以前のように
「どうせ仮病でしょう?」
「いつまでも甘えてないで、さっさと仕事をしなさい」
とか言って来る人もいない。
「映画監督は仕事しないで遊んでばかりいるらしいけど、そうなの?」
と面とむかって皮肉をいう地元の人もいない。以前はそんな人たちが結構いて、だからと言って殴り倒す訳にも行かず(逮捕されます!)イライラが連日、最高潮だった。それでいて映画を作る、終わると半年間寝込んだりした。今回はまだ1ヶ月少々だが、かなり回復している。以前のように当て外れの批判や誹謗中傷して来る人。利益を求めて入り込む寄生虫のような輩がいなかったのでストレスが軽減されたのだろう。詳しく思い返してみる。
1つは地元の皆さんが素晴らしかったこと。事前に映画作りを勉強し、自分たちでルールを作り、頑張ってくれたこと。振り返ると、どの街でもメンバーに困ったちゃんがいた。深く考えず
「映画作り楽しそうだね〜」
というだけで参加。どれだけ大変であるか?を後で知る。その段階で辞めればいいのに、対面を保とうと、あれこれ勝手なことを言い出して皆を困惑させる。要は辞めたいだけ。あるいは以前にも書いたが、自分の店をアピールするだけのために応援している振りをする。ロケ地に選ばれないと掌返し。
「俺は利用された〜!」
と被害者を演じる人もいた。どうしても、その手の人がチームに入ってしまうことがある。後者の利益を求めるのは持っての他だが、前者の安易な気持ちで参加して、大変だと分かると、あれこれ反対ばかりするようになる。要は逃げ出したいだけ。それはもう工作員と同じで、体制を壊すために潜入したようなもの。でも、地元の人たちも「除名」ということができない。映画が終わっても顔を合わせるからだ。
そんな人がどうしてもメンバーに1人2人いたのだが、今回はいなかったこと。本当にありがたかった。スタッフなら、あまりに酷いと僕自身がクビするが、地元の人を解雇するわけには行かない。それで思い出したが、初期の頃はプロデュサーがスタッフを集めた。時々、困ったちゃんが来てしまう。Pに「あいつは本当に役に立たない!」と進言しても「まあ、今更クビにはできないから...」と止められた。そもそもPが
「ギャラが安い」「顔馴染み」「依頼がないので暇な人を探した」
ということで呼んだスタッフ。監督の思いを理解するとか、この作品のテイストに相応しいで選んではいない。本当の原因はPなのだ。そこで何作目からかは、
緑のタヌキ作戦?
(当時、小池百合子はその発言をしていないが)Pを排除した。そして僕自身がプロデュサーも担当。キャストだけでなく、スタッフも僕が全て声をかける形にした。そのことで困ったちゃんがいなくなる。また問題を起こせば次から呼ばないので自然、腕のいい素敵な人たちばかりになった。
キャストも同様だ。以前から誰が何と言おうが出演者は監督が選ぶことが重要なので、それを通して来たが、外部からPを呼ぶと、あれこれ自分の趣味を押し付けたり、癒着している事務所の俳優をねじ込もうとすることが多かった。そんな役者を入れてもいい作品になる訳がない。当然、拒否するが、Pと議論を続ける時間も、エネルギーも無駄。抵抗勢力が身近にいるのと同じ。なのでPを呼ばなくなってからは完全に全員、僕が選び、議論したエネルギーは作品を良くすることに注いだ。
3つ目には信頼。初期の頃、僕は海のものとも山のものとも分からない無名監督。周りは心配だ。
「こんな奴に任せて大丈夫なのか?」
不安になり、あれこれ口を出す。また
「何も知らない若造だから、うまく利用してやれ!」
と笑顔で近づいて来る奴もいた。あれこれ圧力をかけて来たり、周りを味方にして追い詰めたりと、ズルイ大人の作戦。が、そんな輩は全て排除。あと何本も映画を撮り、それらがとても評判がいい。そこで信頼が生まれて来たというのもあるだろう。
「あの監督は言い出したら聞かない。面倒臭いんだよなあ」
と思うと悪意ある連中は近づいて来ない。一般の人は
「有名でないけど、DVD見たらいい映画だった。何本も映画を撮っている監督なんだね」
と信頼してくれる。スタッフ、キャストも同様だろう。
「この監督、大丈夫かよ? 不安だな〜」
と初期は 思っただろうけど、作品を見ると安心した。その一環として特に信頼を上げたのは有名俳優の出演だったと思える。
松坂慶子、長門裕之、津川雅彦、常盤貴子、田中美里、藤田朋子、今回で言えば鈴木杏、板尾創路、宝田明という錚々たる名優たちが僕の映画に出演してくれている。大企業が作る大作ならいざ知らず、おまけに毎回、低予算。なのになぜ?というと
「監督がいい映画を作るから、あんな凄い俳優さんも出演するんだ」
そう考えてくれるようになったのだろう。これはもう、出演してくれた方々に感謝するばかり。いろんな意味で前に進んでいること。感じる。まあ、毎回、必死なので、そんなことを振り返ったりする余裕もなかった。たまには過労で倒れることも大事かもしれない。
ただ、次なる課題もいくつかある。さらに上のステージに上がるには、どうするか? 考えねばならない。多くの人がより喜んでくれる映画を作るには、監督1人が努力してもダメ。地元、スタッフ、キャストの助けがとても大きい。そのことを踏まえつつ、次の目標を目指したい。
過労を数値で表すこと出来るのを発見=強度のストレスが長期間続くと「体や心が悲鳴をあげる」それが過労やうつ病なのだ。 [2019]
過労を数値で表すこと出来るのを発見
=強度のストレスが長期間続くと「体や心が悲鳴をあげる」それが過労やうつ病なのだ。
医者に行くと血液検査等をされるのだけど、内臓が弱っているとか、血がドロドロ血だとか、その程度のことしか分からない。過労というのはウイルスやバイ菌とは関係ない。数値で測れるものではないらしい。なので、「過労」というと「疲れているだけ」と思われがちで
「俺だって疲れているよ!なのにお前は自宅でお休み?」
みたいなことをよく言われた。映画を撮った町の人からも「映画が完成していてから何してたの?」と言われ「過労でダウンしていた」というと、
「映画監督って仕事もせずに、遊んでばかりいるって聞くけど本当なんだなあ」
と嫌味を言われたこともある。信じられない安いギャラで町のための映画を撮って、その町の人にそう言われるのは本当に悲しかった。が、それくらいに過労は理解されにくい。1ヶ月も寝込んでいるというと、余程の重病であり「過労」でそんなことになるのが想像できないのだ。
そこで何か医学的な説明ができればいいが、それを病原菌や数値で表すことが出来ない。僕自身、なんでここまで体調が悪いのか? 近所のコンビニまで行くだけで、その日の体力が尽きてしまうのは「疲労」だけとは思わず、体が壊れたのでは?と考えたりした。が、毎回、何ヶ月か静養すると良くなり、以前のようにコンビニまで余裕で行けるようになる。
それが今回、血圧を測っていて数値の変化を確認した。「沖縄ドキュメンタリー」完成から1ヶ月後に測った時には「危険値」に限りになく近かった。病院に行けば確実に「危険だから、血圧を下げる薬を」と言われる。実際、以前にそう言われた。それから1ヶ月。つまり、完成から2ヶ月の経緯を見ていた。
塩分の取りすぎというの原因もあるが、僕は外食が少なく、自宅では塩や醤油はほぼ使わない。考えられるのはストレス。強度のストレスに長期間晒されると血圧が上がる。それが原因だ。測定を続けた。多少のばらつきはあるが、少しずつ下がって来ている。この1ヶ月で30ほど下がった。と言っても標準値まではまだ行っていない。
一度下がってまた上がることもあるが、すぐに下がる。一時的なことで全体的には下がっている。これらから分かることは、強度のストレスで血圧が危険値まで上がっていたということ。それが長期間続けば脳梗塞に至る可能性があること。過労が原因で直接死ぬことはない。それが要因で体が弱り病気にかかるとか、心臓麻痺とか、それこそ脳梗塞で死に至る。
つまり3年続いた映画製作により強度のストレスを受け続け、血圧が危険値まで上がっていた。体力が尽き(だって休まないからなあ)内蔵機能も弱り切っていた状態だったのだ。だから、静養することで、血圧が下がって行き、標準値に近づいて来たのである。なるほど、何度も過労で倒れているが、初めて数値でそのことを確認ができた。
自分自身では体が悪いというより、根性がなくなった?かのような気分であり、気持ちは焦るが、コンビニまで行くだけで精一杯という現実に毎回、情けなく思う。もしかしたらうつ病?と思え、周りからは
「監督はうつ病になってもおかしくないだけの仕事してますから。誹謗中傷、陰口、悪い噂、心ない人たちの批判、当て外れの非難。町から預かった巨額の制作費の管理。もし、足りなくなっても個人で補填できる額じゃない。
さらに周りに対する細かな気配り、スタッフに対し、キャストに対し、町の人たちに対してせねばならない。トラブルの解決。いろんな人が勝手なことを言い出す。後先考えずに行動する人もいる。映画作るだけでなく、その全てに対応せねばならない。うつ病にならない方がおかしい。見ててもそう思いますよ」
そんなことも言われた。が、診断は毎回、過労。けど、どちらも原因は同じ。許容範囲以上のことをし、強度のストレスに長期間晒され続けることで、体が悲鳴をあげるのが「過労」心が悲鳴をあげるのが「うつ病」どちらも、自分の意思とは別に緊急停止してしまう。人間の体はうまく出来ている。
ただ、過労は下手すると突然死に見舞われる。無事に映画が完成して、劇場公開。多くの観客が喜んでくれれば、それで過労死しても構わないと毎回思っている。が、その結果を見ずに死ぬにはちょっと嫌。そして、死なずに生き残ったなら、神様が
「もう1本、撮りなさい!」
そう言っているのだと思うことにしている。