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1時間働けば時給がもらえるのが当然!ーと考える若者たちは大切なものを失っている?!(改訂版) [映画業界物語]

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1時間働けば時給がもらえるのが当然ーと考える若者たちは大切なものを失っている?!(改訂版)

 ときどき専門学校に呼ばれ特別講義をする。そこでこんな質問を受けたことがある。「映画監督業は食えますか?」「月いくらの収入がありますか?」そんな質問が出ること自体に疑問を感じたが、正直に答えた。

「監督業はブラック企業を超える。アルバイトをすれば時給900円とかもらえるが、監督業は時給50円。いや、日給50円。月収50円ということもある。それが監督業だよ」

そういうと生徒たちは

「映画監督なんてなるものんじゃないなあ!」

という顔をする。だが、それが現実。年収ゼロ円という監督もいる。奥さんに食わせてもらっていたり。アルバイトで生活している先輩もいる。監督業は厳しいという話ではない。そもそも、その生徒の発想が間違っていると言う話をしたい。

彼らの発想はバイトが基本になっている。1時間働けば900円。た1日10時間労働で9000円。1ヶ月に20日間働けば18万。

「それなら、どーにか生活できるかなあ?」

という考え方だ。それはバイトや会社員の価値観。映画の仕事は監督でも、脚本家でも、カメラマンでも、技術がいる。質問をした生徒はまだ何も技術を持っていない。にも関わらず1時間働けばいくら? 1日働けば***円という計算をしている。

何の技術もない彼らが撮影現場に来ても、何の役にも経たない訳で、1時間いくらどころか、1円たりとも払われることはない。いや、現場に呼ばれることすらない。そのことに気付かず。「監督をやれば、いくら? 脚本家なら**万円?」と時給計算をしている学生たちはおかしい。

バイトというのは、ちょっと教えてもらえれば出来る仕事。特別な技術は必要ない。それで1時間900円とかいう賃金をもらえる。だが、映画の仕事は誰にもでできるものではない。技術があった上にセンスも必要。それを持った人にギャラを払って働いてもらう。その違いを学生たちは理解せず。1時間働けば***円とバイトの感覚で考えるので、ズレてしまうのだ。

時間の切り売りをして、賃金をもらえるのは、アルバイトだけ。その発想で映画業界を考えてはダメ。「仕事」を得るためには、それなりの「技術」や「経験」が不可欠。映画界だけでなく、一般の社会もそうなって来た。

 大学の4年間。或は専門学校の2年間。バイトして、コンパして、旅行して、さあ、就職だ!といううときに、技術も経験もないと大変なことになる。最後に少し前に専門学校に行ったとき、出た質問を紹介する。

「太田監督の撮影現場はボランティアでお手伝いしている人がいると聞きましたが、僕らも参加できますか? それらは1日いくらもらえますか?」

 僕は答えた。

「通常は撮影現場に一般の人は入れない。技術も経験もない人が参加すると、トラブルを起こしたり、隠れて俳優の写真を撮ったり、大変なことになることが多い。だから、よほど信頼できる人で、映画愛のある人。この映画を応援したい!という人だけを厳選。お願いする。その意味で君はダメ。ボランティア・スタッフでいくらもらえる?なんて質問する段階でアウトだ。ボランティアは無報酬のお手伝いだよ」

「よく分かりました。ノーギャラでもいいので、手伝わせてください!」

といってくるかと思ったが「何だ、タダかよ!」という顔で、その生徒は帰って行った。バイトというシステムが若者たちに勘違いさせ、時代を逆行していることを改めて感じた。学校教育で与えられたことだけをやっていたら、社会に出て大変な事になる時代。なのに気付かぬ若い人が多い。悲しい話である...。


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他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。 業界は見る目のない人でいっぱい?!ー改訂版 [映画業界物語]

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他人の批判で「私はダメだ」と思ってはいけない。
業界は見る目のない人でいっぱい?!ー改訂版

もう、20年ほど前になるが、アメリカ留学から戻り、映画監督デビューを目指してシナリオを書いていた時期がある。自分で考えたオリジナル・ストーリーをシナリオに。まだ、パソコンもない時代なので、原稿用紙に手書き。

夜、アルバイトを終えて帰宅。朝まで執筆。昼前に起きてバイトへ。という生活をしていた。が、シナリオを読んでくれる業界の人は少なく、読んでもらっても全否定の批評が返って来た。

「僕は脚本家に向いていないのか...」

と落ち込んだ。でも、何度もシナリオを見てもらっていて、気づいたことがある。

「才能ないんじゃない?」

という人が結構いたことだ。その話は以前に書いたが「才能」なんて存在しない。現在、映画監督として仕事をし、様々な業界で活躍する第一線のアーティストとお会いすると、まさにそのことを痛感する。「才能」ではなく「センス」や「素質」を持つ人が物凄い努力をして素晴らしい作品を作るのだ。

なので当時から「才能」という言葉を使う人は胡散臭いと思えた。
その後、理解したのは、その手の人は

「私の趣味じゃないからダメ!」

ということなのだ。なのに「才能がない」という言葉を無神経に使っているだけだと分かって来た。最初は「業界の人に全否定された....」と落ち込んだが、背景が分かってくると気が楽になる。

また、一般の人が映画を見て「何か詰まらない!」「大したことない!」と批判するのは自由。だが、映画業界で仕事する人が同じレベルの批評をするなら問題だ。なぜ、詰まらないのか? 何がダメなのか? それを分析し、テーマを推察して、それに到達している、していないを判断。言葉にすることが、彼ら彼女らの仕事だ。それができない人が業界には多いこと分かって来た。

「才能ないと何度も言われたけど、実は見る目がない人が多いんじゃないか?」

そんな人たちの批判を真に受けて、落ち込んでいてはいけない。念のために補足するが「俺の素晴らしいシナリオを理解できる奴がいない!」というのではない。当時、僕が書いていた作品は未熟ものである。しかし、正当な批評をしてもらわないと、何が足りなくて、何が悪いか? どこがいいのか?を分からない。客観的に観て指摘してもらってこそ、実力は伸びるのだ。

その後もシナリオを書き続け、5年後に脚本家デビュー。その後、監督した映画5本全て原作ものではなく、僕のオリジナル脚本である。

「太田監督の映画は毎回泣ける!」

と多くの方が褒めてくれるが、デビュー前は否定の連続だった。今思うと、業界のプロデュサーたちに全否定されたのだから「僕にシナリオは無理だ」と諦めていてもおかしくなかった。

ただ、彼らの言葉の全てを受け入れなかったこと。そして彼らの批評をよく考えると、読み手に想像力がない、新しいものを理解できない。自分の趣味と客観的判断をごちゃまぜにしている人たちが多いと気づいた。

「そんな人たちの言葉を信じる必要はない!」

と考えたことが幸いした。同じことは他の業界でもあるだろう。新人たちを否定する人は多い。いや、業界に限らず。安易に人を批判し、他人を否定しているところがある。人の言葉に振り回されてはいけない。自分のいい部分を探し、延ばすことで道は開けるのだから。



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才能なんて存在しない。大事なのは資質と経験だ=夢を掴むために足掻く若者たち!?(改訂版)            [映画業界物語]

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才能なんて存在しない。大事なのは資質と経験だ
=夢を掴むために足掻く若者たち!?(改訂版)           

高校卒業後、専門学校に通い、映画監督を目指した。同じ歳で、同じ夢を持ち、同じような映画が好きな友人がいた。よく酒を飲みながら、将来について語り合った。

だが、当時の僕は不安だらけだった。平凡なサラリーマン家庭で育ち、親戚に芸能人がいる訳でもない。どこにでもいる18歳が映画監督になんてなれるのか? けど、友人は強気だった。

「俺に1億円出せば、最高の映画を作ってやるよ!」

僕にそんな自信はなかったが、あるきっかけで助監督を経験する。19歳。現場で先輩に言われた。

「太田は何になりたいの? もし、カメラマンとか照明とか技術部が志望なら、遊んでいちゃいけない。バンバン仕事して技術を学ばなきゃ。でも、監督なりたいなら、仕事していちゃいけない。いっぱい遊んで、いろんなことを経験しなきゃ駄目だよ」

僕は「脚本も自分で書いて監督したい!」という思いがあったので、まさに先輩の言う通りだった。いろんなことを経験してこそ、物語を描くことができる。いろんな人に出会ってこそ、人を描ける。映画館に通うだけでは、世間や時代が見えなくなる。でも、友人はこういう。

「才能があればやっていけるんじゃないか? 手塚治虫だって、若くしてデビューしたけど、あれだけ多くの作品を書いたんだ。俺にもそんな才能があるということを信じるしかないんじゃないか? そう、才能があればやっていける」

しかし、その頃から「才能」なんてものが本当に存在するのか?と疑問を持っていた。ただ、当時は「才能なんて存在しない!」と言い切れるほどの確信はなかった。では、今、必要なものは何か? そう考えて、昔から憧れていたアメリカ留学を決めた。海外で暮らすことでいろんなことが見えてくるはず。友人にその選択を話した。彼はこういう。

「そうか、がんばれよ。俺は日本でがんばる。才能があれば、やっていけるはずだ。俺は俺に才能があると信じている」

それから30年。僕は4本目の劇場用映画を作った。僕は若くして監督デビューはできなかった。43歳になっていた。友人は何年か前に東京を引き払い、古里へ戻った。結局、監督になることはなかった。それを聞いた別の友人がいう。

「結局、あいつは才能がなかったんだよ」

でも、それは違う。彼は才能がないのではなく「才能があるから俺はやっていける」と思い込み、努力しなかったことが原因。どんな仕事でも同じだろう。料理人でも、職人でも、ピアニストでも、漫画家でも。努力が必要。特にクリエーターなら、それプラス経験値が大切なのだ。

「才能」なんて存在しない努力と経験が大事。ネットで世間を知ったつもりになってはいけない。自身が経験すること。若い人にはそう伝えたい。(2014年10月)


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夢破れていく若者たち。対人関係の甘えが道を閉ざしてしまう?  [映画業界物語]

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夢破れていく若者たち。対人関係の甘えが道を閉ざしてしまう? 

20年ほど前になる。まだ映画監督デビューする前。監督業はすでにスタート。俳優の卵たちを集め、無料で月イチのワークショップをやっていた。卵と言っても事務所に所属して、俳優活動をしている。台詞が一言のような役だが映画やテレビに出ている。が、それはたまのことであり、日頃はバイトに追われながら有名俳優になることを夢見ていた。

当時は大きな劇場(T劇場とか、S演舞場)の 招待券をよくもらっていたので、メンバーの誰かを連れて行ったりした。太田組俳優予備軍という感じで、いろんな勉強をさせることで実力をつけてもらい、映画監督デビューするときには、その子たちの本領発揮ができる役を用意しようと考えていた。

飯を食わせたり、名作映画のビデオ(当時はDVDがまだない)を貸したり、小さな役だが、僕が監督するVシネマや深夜ドラマにも出演させた。が、次第に問題が出てきた。例えば友人監督のオーディション情報を聞いた。求める役に近い卵がいたので、連絡した。

「監督。すみません。せっかくですけど、その日はバイトなんすよ〜」

呆れた。オーディションを受けるだけでも大変なことだ。それなりの事務所に入っていないと連絡も来ない。卵たちは名もなき弱小の事務所所属かだ。何より役者になるために東京に出てきたのに、生活のためのバイトを優先するのが分からない。

また、親しくなると問題が出る。ワークショップで出した宿題をして来ない。宿題と言ってもビデオを見て感想を書くだけなのだが、それもしない。

「バイトで忙しくて時間なかったんです...」

ワークショップに課題のシナリオを忘れて来る奴もいた。全部、セリフを覚えて置いてくるならいい。覚えてもいないのに忘れて来る。お稽古事気分だからだ。また、女優を目指す子の中には

「監督は私のことが好きだから応援するんだ...」

と勘違いする子もいた。女優とは付き合わない。その頃から決めている。が、その子は甘えれば役がもらえると思い始めた。そこでアウト。彼氏とうまく行かなくて芝居に集中できなくなる子もいた。それもアウト。俳優業を目指すなら、恋より、家庭より、バイトより、何よりも芝居を優先しない様ではダメだ。

当時、僕は熱く、そんな時は説教大会だ。皆、基本はいい子たちなので、その意味を理解した。が、プライベートで悩み、生活に追われ、何年経っても仕事がないことに失望し、卵たちは少しずついなくなった。病気で俳優業を続けられない子もいた。本人の責任ではない。そうやって数年で誰もいなくなった。タレント・マネージャーをする友人に言われた。

「俳優を育てるのは監督の仕事じゃないですよ。僕らは1000人育てて1人が花開けば御の字と言います。それが俳優業です」

直後に映画監督デビューの機会が来た。卵たちが出演することはなかった。同じくらいの年代の若いプロの子達を起用した。皆、凄かった。卵たちでは足元にも及ばない。愕然とした。草野球とプロ野球ほどの差があった。

卵たちは皆、いい子だったが、覚悟がなかった。芝居をしたいのではなく、女優と呼ばれたい。テレビに出たい。そんな思いが強かったのではないか? バイト生活に追われることで、目標を見失う程度しか思いがなかったのかもしれない。第1線で活躍する子たちと比べるとそう感じた。

僕も反省がある。劇団キャラメルボックス演出の成井豊は、劇団員とは飲みに行かないと、のちに聞いた。だから、いつまでも素敵な芝居を作り続けることができるのだ。馴れ合いになってはいけない。僕は厳しく接しているつもりだったが、何度も顔を合わせたことで、親しみが生まれて来たのだ。

「監督は優しいから。きっと分かってくれる...」

それが甘えに繋がる。監督はお父さんでも、兄貴でも、彼氏でも、先生でもない。そんな勘違いが卵たちをダメした。こちらが線を引いても、相手が親近感を持ち甘えが出てしまう。緊張感がなくなる。だから、こちらが考えねばならない。そのことを学んだ。

少し前だが、キャスティングで俳優のプロフィールを見ていると、一時期、卵グループにいた奴の書類があった。と言って採用はしなかった。芝居がド下手な子だったが、あれから20年。まだ、頑張っていたんだ。少し嬉しかった。


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