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日本の映画界にはクソ野郎が多いが、心ある人たちもいる=そこに希望がある! [映画業界物語]

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日本の映画界にはクソ野郎が多いが、心ある人たちもいる=そこに希望がある!

日本映画はなぜ貧しくなったか?という記事をシリーズで書いた。まだまだ、紹介したい酷い話もあるが、本ができるほどいろんなエピソードがあり、しっかりと分析もしたいので、大変な分量となる。だから前回で一度まとめた。言えることは、映画界のみならず、隆盛を極めた巨大組織、大きな業界は必ず腐るということだ。

今の政府を見ればよく分かる。本来、国民のための政治をするはずが、自分たちの立場を利用して私服肥やし、身内の利益ばかりを追求。国民は踏みつけ。嘘とごかましで逃げ回る。今、皆さんが見ている通りなのだが、政府に関わらず、大企業も、映画界も、長くつづく巨大組織は同じように腐っていく。

「沈まぬ太陽」でモデルとなった日航も同様。映画や小説でどれだけ腐っていたか?が詳しく綴られていたが、映画の世界でも似たようなことがあり、胸が痛んだ。ただ、それも映画界だけではなく、役所でも、宗教団体でも同じ。近年、仕事をした大きな組織も本当に腐り切っていて、自分で首を絞めるかのようで、終焉を早める努力しかしない。が、それが巨大組織の宿命なのだろう。

ただ、どんな腐った組織でも、それを立て直そうとする心ある人たちはいる。この数年、痛感した。あのどうしようもない宗教団体にもれいわ新撰組の候補者・野原さんがいたように、僕が仕事した腐った組織にも熱い思いを持ち、今も撤回に努力する人がいる。まさに山崎豊子さんが描いた小説と同じ。「白い巨塔」でも里美助教授がいたし、「沈まぬ太陽」では恩地さん。「二つの祖国」では天羽賢治。彼らのような人は小説だけではなく現実にも存在するのだ。

映画界でも同じ。安いギャラでも決して手抜きせずに、全力でかかってくれるスタッフ。有名俳優でも、作品の意図やテーマに賛同して出演してくれる方々もいる。「世の中金や!」と昔から言われるが、金だけでない、思いを大切にする人たちが映画の世界には結構いる。「戦争を止めたい」「戦争の怖さを伝えたい」「原発問題を考えたい」「自殺する子供達に希望を伝えたい」いろんな形で、何かの役に立てばと思い、映画を作る人たちがたくさんいる。

「そんなのドラマの世界だけ!」と思えるような素敵な人たちに僕は何十人にも会っている。そんな人々と仕事をするからこそ、素晴らしい映画が出来る。太田組のメンバーは皆、そんな思いを持つ人ばかりだ。僕の映画が評価されるのは、そんな仲間と作っているから。映画の世界にはまだ希望はある。また、この話、書きます。


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地方映画の作り方(最終回)費用対効果は数億円から数十億円!=街の宣伝が大いにできる    [映画業界物語]

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地方映画の作り方(最終回)費用対効果は数億円から数十億円!=街の宣伝が大いにできる           

地方を舞台に映画を作った場合。その映画によって町が宣伝されるだけではない。マスコミによるパブリシティ効果も大きい。説明する。映画を映画館公開すれば、必ずネットの映画サイトや情報雑誌が紹介してくれる。テレビ、新聞、雑誌でも映画紹介コーナーがある。

俳優たちは雑誌、新聞、テレビでインタビューを受ける。バラエティ番組に出ても告知してくれる。FMやネットの映画紹介番組もある。ラジオで番組を持っている俳優もいる。ブログ、Twitter、イスタグラム、でも映画のことを書いてくれる。

マスコミが映画のことを扱ってくれれば、ものスゴイ宣伝。おまけにどのメディアも宣伝費を取らない。これがパブリシティだ(逆にお金を払う宣伝をPRと呼ぶ)映画でないと成り立たない展開。街の魅力をアピールしたいからテレビに出して欲しいと頼んでも、よほどでないとOKは出ない。

テレビどころか新聞、雑誌だって無理。俳優に頼めば莫大なCM料が必要。でも、映画なら全てタダ。映画がアピールされるというのは、地元の魅力もアピールされるということ。映画以外ではあり得ない宣伝となる。

映画館公開、宣伝、テレビ、ケーブルの放送まで。これらを地元宣伝の費用対効果(お金を払って宣伝した場合だといくらかかるか?)で計算すると数億円から十数億円となる。現金で払えばそれだけの額がかかる宣伝が、1本の映画で出来たことになる。

だからこそ、多くの街が故郷映画を作ろうとするのだろう。そして何より、映画は100年先まで残る。何よりの記録となるはずだ。

(了)

写真は「明日にかける橋」地元映画館公開時の楽屋。主演の鈴木杏さんを囲んで監督と地元実行委員会のみなさん。この映画も大企業や自治体主導ではなく、地元のおばちゃん達が寄付を集め作り上げた故郷映画。映画館公開時だけで1億円以上の費用対効果を上げている。地元企業や自治体がやりたくても、なかなか費用面でやれない大きな故郷アピールをしたのである。


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板尾創路さん。そして「明日にかける橋」の想い出 [映画業界物語]

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板尾創路さんからの連絡。そして「明日にかける橋」の想い出

「監督。今、渋谷で舞台やってるんですけど、見に来ませんか?」

僕の監督作「明日にかける橋」に出て頂いた板尾さん。自らの連絡!昨年秋のことだ。「これは行かねば!」と翌日、お邪魔した。若い俳優さんと共演するコメディで、何度かすでに上演しているシリーズの1つ。ステージの上を出演者が走り回るパワフルな舞台。

で、入場時に受付でチケットを受け取ると「面会券」というのが付いていた。裏を見ると「いたお」と書かれている。多くのファンが楽屋に訪ねてくるので、関係者用に整理券が用意されているのだ。終演後。その券を持って、関係者入り口に並び、スタッフさんに誘導されて中へ。すでに関係者が板尾さんを囲み、盛り上がっていた。

お花を渡したり、一緒に写真を撮ったり。邪魔しないように少し離れて見ながら、「明日」での彼の名演技を思い出す。鈴木杏ちゃん演じる娘と思いを語る場面は本当に涙なしで見られなかった。単に板尾さんの芝居がうまいというだけではない。渾身のシーンとなった。

しかし、なぜ、板尾さんはわざわざ連絡をくれたのか? 通常、映画に出てもらった俳優さんの舞台があると、撮影直後なら僕はできる限り拝見する。鈴木杏ちゃんも、田中美里さんも、藤田朋子さんも、百川晴香さんの歌のライブも見せてもらった。

でも、俳優さんから連絡をもらったのは初めて。それも撮影が終わってすでに2年近い。そんなことを考えていると、最後の客がいなくな理、板尾さんが急ぎ足でこっちにやって来た。

「監督〜。わざわざ、ありがとうございます!」

本来は今見たばかりの芝居の話をまずしなければならないのに、なぜか?「明日にかける橋」の話をしてしまった。というのも、俳優さんは撮影が終わると、すぐに次の映画。映画館公開初日は舞台挨拶で来てくれるが、そのあとはさらに次の作品。と、映画がその後、どんな展開をしたか?を知らないことが多い。特に板尾さんは超売れっ子。あれから何本も映画やドラマに出演しているはず。

で、映画のご報告。アメリカの映画祭で招待上映になったこと。地元・静岡では9週間のロングランになったこと。さらに年明けにアンコールでもう1日だけ、映画館上映されたこととか。

「そら凄いですなあ〜。普通ないですよ〜」

と板尾さんも喜んでくれた。「明日」は企業映画ではない。地元のおばちゃんたちが手を挙げ、寄付を集めて作った故郷映画。毎日、おばちゃんたちが朝ごはんを作ってくれ、スタッフもキャストもそれを食べて撮影を始めた。いつもと違う、そんなスタイルの映画に板尾さんも感じるものが多かったようだ。

「また、静岡で、映画。やりたいですよね〜」

しみじみとそういう。ああ、きっと今回の連絡はこういうことだろう。「あれから映画。どーなったんかなあ。地元の人ら、元気かなあ?監督に連絡したら分かるんちゃうかな」と思い、くれたものではないか? それほどあの夏の撮影が想い出に残っているということ。

企業映画やテレビドラマは製作費も豊富。大きなトラブルもない。対して故郷映画は地元手動なのでいろいろ大変。予算も少ない。でも、そこに愛があり、真心がある。多くの俳優さんたちはそれを感じ、頑張ってくれる。板尾さんもそんなお1人なのだ。多くのメジャーな仕事をこなす人の記憶にも残る映画だったということ。映画は関わった人たちの素敵な思い出として残って行くのだと改めて感じる。俳優さんから直接、それを聞くことは少ないので、とても嬉しい瞬間だった。


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俳優との縁。大切だと思うこと。WSで出会った俳優たち? 参加者募集中! [映画業界物語]

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俳優との縁。大切だと思うこと。WSで出会った俳優たち?

プロデュサーという人種。キャスティングとなると、すぐに知名度の高い俳優や大手事務所の役者を入れたがる。もちろん主役は知名度が必要だ、大手事務所は宣伝等でバックアップしてくれる。意図は分かるが、そんな俳優ばかりでキャスティングするから、役のイメージとかけ離れた役者を呼ぶことにも繋がる。

ただ、Pたちの思いが分かる部分もある。ある程度知名度ある俳優はかなりの演技ができるし、経験値もある。トラブルを起こさないし、何でも器用にこなす。便利は便利。でも、お仕事的になりがちで「思い」がない人もいる。その手の俳優は便利で作品のクオリティを下げないが、上げることには繋がらない。

その意味で僕は日頃から俳優探しをしていた。太田組俳優部セピア(?)を考えていた。が、以前にも書いたように、親しくすると俳優たちに甘えが出る。「監督なら分かってくれる」と失敗しても許されると思うようになる。それで15年ほど前に止めた。が、無名でも、できる俳優は必要。そこで前回の「明日にかける橋」撮影前に7年ぶりのワークショップを開いた。

本当の目的は俳優探しだが、それは謳わずに開いた。3回ほど。毎回、20人ほどが集まる。皆、それなりの実力派だった。WSのいいところは時間をかけられること。通常のオーディションだと1人10分とか5人で30分ということが多い。じっくりと俳優の力量を見極めることができない。俳優にとっても5分で実力発揮はできない人もいる。その意味でWSは4時間でもできるので、両者にとって好都合だ。

前回のWSから3人を選んだ。皆、無名だが、事務所には所属しており、プロの仕事をしている。「明日にかける橋」ではかなり重要な役で出てもらった。演技力だけでなく、キャラも重要だからだ。3人とも大活躍。P的に知名度のある俳優からでは選べないタイプなので、僕も嬉しかった。

監督という奴は気にいると、また別の機会でも仕事を頼む。実力が分かっていれば安心だから。僕の場合はその俳優のキャラに合わせて次回作のシナリオを書いたりする。「明日にかける橋」では太田組レギュラーと言える栩野 幸知さん、冨田佳輔くん、草刈麻有さんらは当て書き。彼ら彼女らの魅力が生きる役にしてある。

ただ、前回は撮影直前のWSだったので、色々バタバタ。次は余裕あるときにしたい。例えばこの秋とか考えている。


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地方映画の作り方(第11回)その後の展開 =海外の映画祭。DVD、テレビ、衛星放送!  [映画業界物語]

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地方映画の作り方(第11回)その後の展開 =海外の映画祭。DVD、テレビ、衛星放送!                           

映画館公開は基本、東京に始まり、あと日本各地の映画館で上映される。そして世界の映画祭にも出品が可能。もちろん、審査を経なければならないが、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの大きな映画祭で上映される可能性もある。

太田組作品は毎回、ロスアンゼルスの映画祭に招待される。過去にはカンヌ映画祭にも出品。

映画館上映が終われば、レンタル上映。日本各地の団体やグループに貸し出して上映会を行うことができる。そしてメーカーが手を挙げればDVDが発売される。全国のTSUTAYAでレンタル。Amazonや楽天で販売。

さらにテレビ、ケーブル、衛星放送、ネット配信と現在はいろんなメディがコンテンツとして映画を必要としている。その種の会社からのオファーもある。こうして作品は映画館公開を終えても、数年はどこかで放送、配信されており、多くの人たちの目に触れる。

1度放送して終わりのテレビドラマと違い、様々な可能性を秘めており、世界に発信することができるのである。(つづく)

写真は「朝日のあたる家」がNetflixで配信されていた時のもの。




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「僕には夢がある」といいながら何もしない若者たち?① [映画業界物語]

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「僕には夢がある」といいながら何もしない若者たち?① 

(5年前の記事から)

「夢」を追いかける話を何度か書いたら、いずれも好評。今回はあるちょっと辛口だが、若い夢追う人たちの参考にしてほしい。

僕が20歳くらいの頃。まわりには、いろんな夢を追う友人たちがいた。「俳優になりたい」「映画監督が目標だ」「ミュージシャンになりたい」「小説家を目指している」「カメラマンになる!」皆、ことあるごとに夢を語り続けた。

だが、彼等のほとんど、いや、全員といっていい。誰1人夢を実現することはできなかった。早い者は1年以内に消えて行き、長くても5年経つと、彼等はもう夢を語ることはなく、就職するか、連絡が来なくなった。あれから30年が経つがその後、彼等がどこかの業界でがんばっているという話は聞かない。

「世の中甘くないからな〜、夢はしょせん夢でしかないんだよ」

と、大人たちは訳知り顔で語るだろう。だが、そうではない。そんな一般的な言葉では片付かない、歪んだ思いが絡んでいる。夢を追いかけた彼らの思いを検証してみよう。最初は本気で「俳優になりたい!」と思った。バイト先で夢を語る。まわりの目が違って来る。

「あいつ俳優、目指してんのかよ?」

とバカだと思う奴もいるが、目的を持たずに生きている若者からすると「スゴイな」と思う者もいる。特に夢を語る男は女の子たちからも注目される。大人たちも「**君は俳優を目指しているのか? 今時の若者は遊んでばかりいると思っていたけど、目的を持ってがんばっているなんて偉いな?」と認めてくれる。

つまり、「夢」を語るだけで、まわりが一目置き、認めてくれる。「あいつは、その辺の奴と違う」特別視してもらえる訳だ。そんなタイプは元々、演劇や映画。音楽が好きなので、語るのは得意。

「この間***さんの舞台を観てきたけど、感動した。僕も彼のような役者を目指したい」

「***監督の映画は特撮が下手だ。オレがやればもっと上手くできる」

とか話をすれば、「やっぱり、この人は違う」と思われる。そんな環境が彼ら腐らせて行く....。


(つづく)



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監督との出会いが俳優の運命を決めたケース。オーディションを受けるだけではダメ。 [映画業界物語]

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監督との出会いが俳優の運命を決めたケース。オーディションを受けるだけではダメ。

「アメリカン・グラフフィティ」に主演。のちに「グッバイガール」でアカデミー主演男優賞を取ったリチャード・ドレイファス。決して2枚目でもないが、演技派として高い評価を受けている。そんな彼がまだ有名でない頃、スピルバーグの出世作「ジョーズ」に出演した時のこと。サメを調べる海洋学者の役だ。

撮影中に監督のスピルバーグから次回作はUFOの映画。そのあらすじを聞いて強い興味を持った。「出たい!その役をやりたい」だが、スピルバーグはジャック・ニコルソンのような中年男性をイメージしていてあっさりと断られた。が、その後、ドレイファスは撮影の間中、スピルバーグを口説き続けた。年齢を下げてもその役は成り立つ。僕ならできる!

その情熱に負けたスピルバーグはシナリオを書き直し、そのロイニアリーの役をドレイファスに依頼した。それが「未知との遭遇」だ。彼はそれで一躍注目を浴び、アカデミー賞俳優への道を驀進する。俳優のきっかけは監督との出会いであること大きい。その後、スピルバーグはドレイファスと再び組んで「オールウェイズ」を監督する。

大杉蓮さんも監督との出会いが大きかった。映画ファンでも知らない俳優。それが北野武監督に見出され、毎回出演。次第に大きな役になり、「HANABI」では準主役という感じ。そのことで注目され、あちこちからオファーが殺到。北野作品に出る余裕もなくなるほどだった。テレビ、映画、何を見ても大杉さんは出ている時期があった。寺島進さんも同じ構図。北野監督が彼らの魅力に気づいたことが大きい。

俳優はオーディションに行く以外にアピールする機会はなかなかない。だから、努力のしようがないこともある。それでもあれこれ考えれば機会はある。僕の知る若手俳優たちも、そんな機会を無にしている子達が多い。ダメと言われて大人しく引き下がる。力を見せる機会をみすみす逃してしまう。誰もが認める実力なんてなかなかない。

ある監督がそれを認めたことで、他の人たちも注目する。他からも仕事が来る。その最初の監督が北野武ではなく、無名の人かもしれない。小説家も同じ。あの編集者でなければ、その作家の魅力は気づかないということがよくある。宮部みゆきも、京極夏彦も最初、多くの編集者は出版を考えなかった。ある編集者との出会いがベストセラー作家への道を開いたのだ。映画も同じ。監督との出会いが大きい。



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愛を選ぶか? 仕事を選ぶか? 女優は2つを選べない。 [映画業界物語]

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愛を選ぶか? 仕事を選ぶか? 女優は2つを選べない。

助監督をやっている後輩がいる。ある時、チャンスがやってきて監督をすることになった。当時、女優の卵と付き合っていて、彼女も喜んでくれた。そして当然、自分は何らかの役でキャスティングされると思った。彼は自分のことを愛しているし、女優として花開くことを応援してくれているからだ。

だが、後輩は彼女をキャスティングするのを躊躇っていた。女性としては愛していたが、俳優として実力に欠けたからだ。ただ、自分の作品に出ることで注目されて、女優として展開するチャンスを掴めればとも考えた。同時に演技力がもう一息な彼女を出演させることで作品自体のレベルが下がることもある。

愛する女性のために

多少実力が足りなくても出演させるか? それともデビュー作でもあるし、失敗作にはしたくない。それに彼女だから実力不足なのに出演というのは彼女にも失礼だ。実力をつければ他でもチャンスを掴めるはず!そう考えて、キャスティングしなかった。

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彼女は涙を零す。

日頃から応援してくれていた彼氏が映画を監督するのに自分を出さない。実力がずば抜けている訳ではないことは分かっている。でも、このチャンスを生かし、頑張り、必ず期待に応える芝居をするつもりだった。そんなチャンスを愛する彼はくれなかった。これは愛がないということだと感じた。

それがきっけで、何かにつけ揉めるようになる。結局、2人は別れる。彼女は別の男と出会い。結婚した。男は映画界の人間ではないが「君は女優としての才能がある!応援したい」と言って口説いたという。その言葉が嬉しくて結ばれた。その後、妊娠。子供が小学校に行くようになったら女優として、もう一度勝負したいという。

そんな話を何年か前に聞かされた。どちらの気持ちも分かる。が、監督業をする僕から言うと、彼女は愛と実力を混ぜこぜに考えている。彼氏が監督だから実力が伴わなくても出演できる。というのは思いは縁故入社を期待するようなもの。それを愛というのは違う。入社できたら「頑張る」は誰でも思うこと。入社前に頑張って実力をつけるのが順序だ。甘えがある。

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そして彼女は後輩を「愛する男性」としか見ておらず、「監督」として考えていない。もし、映画に出て自分の芝居が不味くて作品をレベルを落としたら、彼のキャリアも傷がつく。作品もダメになる。彼のことを本気で考えているように思えない。もちろん、彼女はそうならないように頑張ると思っているが、頑張ったからといきなり実力が伸びるものではない。「頑張る」「愛している」という言葉で自分を甘やかしている。

ただ、女性はそこを冷静に見つめるのが苦手

な人も多い。だから、俳優の素質や実力が分かるわけがないカタギの男性に「才能ある。応援したい」と言われて「この人は愛がある」と感じてコロッと行った。子供が大きくなったら再挑戦というが、それではもう遅い。本気で女優を目指すのなら結婚や出産を優先してはいけない。女優になるというのは、ある種、女を捨てることなのだ...。

彼にも問題はある。女優の卵。あるいは女優と付き合うと必ず、この手の問題が出てくる。監督はキャスティング権を持つ。その気になれば、実力のない女優でも出演させられる。女優であればそこに期待する。「愛があれば出してくれる」と考えてしまう。後輩の場合もそうなった。予期できたことだ。後輩も彼女も2つは選べないことに気づいていない。監督業も俳優も孤独な仕事なのだ。


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俳優になりたい!という若者。表現者(芸術家)とは何なのか考えた(下)ゲゲゲの鬼太郎でいう妖怪と人間? [映画業界物語]

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俳優になりたい!という若者。表現者(芸術家)とは何なのか考えた(下)
ゲゲゲの鬼太郎でいう妖怪と人間?



もともと違うのではないか?ということ。なぜか「ゲゲゲの鬼太郎」を観ていると感じるのだが、表現者というのは妖怪であり、人間ではない。鬼太郎はいう「妖怪と人間は仲良くしてはいけない」その言葉を痛感すること多々ある。

一般の人たちと接していると、最初は映画監督(妖怪?)を珍しがって、チヤホヤしてくれる。が、次第に人間(一般の)ルールを押し付けて来て、あーだ。こーだと言い始める人が出てくる。それを受け入れないと

「失望した」「裏切られた」「酷い」

と言って中傷。鬼太郎の物語と同じ。泥田坊のエピソードでも、悪いのは人間なのに、工事業者は鬼太郎に「退治しろ!」と強制する。それに似たようなことが起きる。

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やはり鬼太郎は人間が困ったときだけに登場して、悪い妖怪を退治したらさっさとゲゲゲの森に帰るべきなのだろう。その後も町の人たちと交流したり、ときどき訪ねたりしてはいけないという思いを抱かせるエピソードがある。

映画人だけでなく、表現者というのも同じではないか?と思える。誤解される。理解されない。ただ、妖怪にも、ねずみ男のような半妖怪もいる。猫娘のように限りなく人間に近い妖怪。人間にも妖怪を理解しようとするマナちゃんもいるが..。

それは表現の世界でも同じ。彼ら彼女らはどちらの世界でも生きていける。が、本当の妖怪はそうはいかない。「鬼太郎」だけでなく、「Xメン」も同じ構図の物語。ミュータントは特殊な能力があるために人間世界で生きて生きづらい。

それを自分でコントロールできず、周りに迷惑をかけることも多い。映画「ダークフェニックス」はそんな話。それらもミュータント=表現者を表しているように思えてしまう。また、あれこれ考える。



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俳優になりたい!という若者。表現者(芸術家)とは何なのか?考えた(上) [映画業界物語]

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俳優になりたい!という若者。表現者(芸術家)とは何なのか?考えた。

俳優になる!という「夢を追うこと」でいうと、努力した人が成功して、努力が足りないとダメ? そう、一概には言えない。もちろん、努力しないで俳優にはなれないが、努力したからと言って俳優になれるわけではない。ただ、この考え方も違う。努力すれば俳優にはなれる。ただ、ブレイクできるかどうか?は努力だけではない。というのが正解だ。

1つの目の壁。素質があるかどうか? 体や言葉を使って表現するのが俳優業。カッコ良さや可愛さが大事と思いがちだが、それは2番目、3番目。体を使った表現に向いた資質があるかどうか? 表現の能力はいろいろあって、文章で表現、絵で表現、写真で表現、音楽で表現と、様々な形がある。俳優は体と声で表現する仕事。まず、その素質があるかどうか?

これは才能ではない。素質。今はうまく芝居ができなくても、素質があればそれを磨き、上達する。才能という言葉を信じている人は「何もしなくても才能があればできる」と思いがちだが、それはあり得ない。才能なんて存在しない。素質を磨き、練習し、力を伸ばし、名演技ができるようになる。演技以外の表現も同じだ。

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ただ、そのような表現するという能力を日本の教育では伸ばそうとしない。むしろ押さえつけ、封印しようとすることが多い。そのために真面目に学校に通っていると、その種の素質は開発されず、表現が苦手な大人に育ってしまう。真面目に10年の教育を受けてから、俳優業を目指そうというのはかなり厳しい。

スケートでも、ピアノでも、子供の頃から訓練して、その道に進むべく育てられる。大きくなってから始めて出来るものではない。が、演技の場合は子役からスタートしなくても、10代から始めれば間に合うというのはある。演技でなくても、歌をやっていれば、30代から俳優に!というのも可能。歌手出身の俳優は多い。

そんな観点から表現の仕事を考えることはできるが、最近思うことがある。

(つづく)



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仕事のない俳優はどうやってチャンスをつかめばいいか?(下)=監督を口説いて得た役で大ブレイク。アカデミー賞俳優に! [映画業界物語]

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仕事のない俳優はどうやってチャンスをつかめばいいか?(下)=監督を口説いて得た役で大ブレイクしたアカデミー賞俳優。

スピルバーグ監督が「ジョーズ」を撮影していたとき。出演者のリチャード・ドレイファスとランチをした。そこで次回作はUFOものをやると話す。強い興味を持ったドレイファスは言った。

「スティーブン。その役を僕にやらせてくれよ!」

が、スピルバーグのイメージはジャック・ニコルソン。年配の親父イメージ。ドレイファスは若すぎると断られた。でも、彼は諦めず、スピルバーグと飯を食うたびに口説き続け、最後は主人公の年齢を下げさせて自身が演じることで了解を取り付けた。

その映画が「未知との遭遇」。彼はそこから大スターになり、数年後、「グッバイガール」でアカデミー主演男優賞も受賞する。待っているだけではなく、行動して栄光を掴んだのだ。

自分の思いを実力を伝えることで道が開けることもある。でも、その前に俳優は監督と話ができる機会が必要。小さな役だと撮影も数日。現場は過酷。そんなときに監督とじっくり話したりできない。でも、舞台挨拶なら余裕あり、あれこれ話ができる。帰りに飲み会になるかもしれない。が、先の若手はそこまで考えず。バイトを選んだ。

俳優業は厳しい。チャンスを探す者。バイトだからとチャンスを逃す者。道は大きく分かれる。今はFacebookというツールもある。まあ、それを使って「俺を出演させてください」というのは嫌われるが、監督の記事を読めば思いを知ることができる。俳優というのは監督の思いを、いかにして演技で伝えるか?が大事。だから、信頼できる俳優を監督たちは毎回起用するのだ。

と書くと、その手のメッセージが多量に僕のところへ来ると怖いので、なるべく書きたくなかった(僕にその手の連絡はしないように!)いや、僕だけでなくメッセージを送るのは逆効果。特に女優がすると相手は勘違いするだけ。

仕事のない俳優はどうやってチャンスをつかめばいいか? 女優が飲み会に通っても興味を持つのは、スケベ親父だけ。今回書いたのは営業しろということではなく、目の前のチャンスを逃すなということ。そしていつもいうように営業するより、演技力をつけろ。それが一番大切なことなのだ。(了)



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仕事のない俳優はどうやってチャンスをつかめばいいか?(中)=ギャラが出ないからと舞台挨拶に出ない若手。 [映画業界物語]

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仕事のない俳優はどうやってチャンスをつかめばいいか?(中)=ギャラが出ないからと舞台挨拶に出ない若手。

ある俳優。僕の場合の映画の市民俳優オーディションに参加した。プロなのに市民と共に審査を受けた。受かってもギャラも交通費も出ない。それでも「この監督の映画に出たい!」という。それは嬉しく。やる気を買って採用した。芝居はまあまあだったが、それなりの役で出演してもらった。が、最後に会ったとき、こういわれた。

「監督。今回はノーギャラで出たので、次回はギャラお願いしますね!」

呆れた。やる気は買ったが、実力は買っていない。ギャラを払ってまで呼ぶつもりはない。でも、何らかしらの芝居に対する映画に対する思いがあれば、次も何かで呼びたいと思うが、彼にとってノーギャラ出演は、初回無料のお試し使用でしかなかったのだ。それならギャラなりの芝居をする役者を呼ぶ。不用意な言葉で人間性が見えてしまう。

別の俳優。彼も無名。ある監督の作品に出た。小さな役だがとても魅力的な役。監督も評価していた。その映画の初日。メイン俳優による舞台挨拶。彼は登壇できない。だから、劇場には行かなかった。

その後、舞台挨拶part2があり、彼が誘われた。が、バイトがあるからと断った。舞台挨拶はギャラがでない。最終日、監督が映画を見に行くという情報、でも、彼はバイトに行った。すでに映画は見ていたからだ。その無名俳優の友人=彼も俳優=はいう。

「お前、ほんと馬鹿だな。なぜ、行かないんだ!行けば帰りに監督が飲みに誘ってくれたりするかもしれないだろ? 思いある監督は初日と最終日に劇場に行くんだよ。そこで会えば、こいつも思いあるんだな?と評価されるだろ? そして何で舞台挨拶行かなかったんだ?」

つまり、撮影現場ではなかなか監督と話をする機会もない。でも、舞台挨拶なら、待ち時間。終わってからもいろいろ話せる。そこで思いを伝えれば気に入られて、次も依頼くれるかもしれない。ということ。その若手はそれに気づいていなかったのだ...。(つづく)



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仕事のない俳優はどうやってチャンスをつかめばいいか?(上)=監督やPに近くキャバ嬢のような若手女優? [映画業界物語]

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仕事のない俳優はどうやってチャンスをつかめばいいか?(上)=監督やPに近くキャバ嬢のような若手女優?

俳優業はとても大変だ。テレビや映画に出ている人たちはほんの一握りで、ピラミッドでいう上の部分にいる人たち。だが、底辺にはその何百倍。何千倍もの無名俳優たちがいる。

映画やテレビには出たことがない。事務所に所属はしているがオーディションに受かったことがない。エキストラのような仕事しかしたことがない。映画に出ても小さな役。年に1回2回ある程度。そんな人が多い。

20代だけではない。30代。40代の人たちもいる。皆、アルバイトをしながら生活を立てている。僕もそんな子たちをたくさん知っているが本当に大変だ。だから、飲み会等で監督やプロデュサーが来ていると彼らは力が入る。

「ここで親しくなり、作品に出してもらおう!」

だが、監督やプロデュサーは男性が多い。むさ苦しい野郎どもに興味はない。女優で可愛い子たちには関心を持つが、そこで次回作のキャスティングをしようなんて思わない。単なるスケベ心でしかない。

また、無名の女優でもしたたかな子がいて、そんな男どもの心理を逆手に取り、恋心があるかのように思わせて近づき、親しくなり、仕事をもらおうとする子もいる。でも、体は売らない。相手のスケベ心を利用しているのだ。

まあ、やり手のキャバ嬢のようなもの。そんなことがあるので、僕は俳優がいる飲み会にはまず行かない。行った先で出会ってしまったとか、関係者の会なら仕方ないが、いつも書くように俳優とは距離を置きたいからだ。

僕のようなひねくれ者もいるので、俳優たちはさらにチャンスを見つけにくい。が、見ているとチャンスが目の前にあるのに気づかずに、みすみす逃してしまう人たちも多い。例えば...。

(つづく)



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山田洋次監督の映画が大嫌いだった10代。アメリカで見た寅さん映画のこと。 [映画業界物語]

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山田洋次監督の映画が大嫌いだった10代。アメリカで見た寅さん映画のこと。

10代の頃。「男はつらいよ」シリーズが毎年、盆暮れに公開されていた。当時僕は日本映画が大嫌い。「ハリウッド映画こそが本物の映画!」と思っていた。が、いつしか将来は映画の仕事がしたい...と強く思うようになって「趣味だけでなく、いろんな映画を観なければ」と、高校時代に「男はつらいよ」を見に行った。

1978年の正月映画で19作目の「寅次郎頑張れ」(大竹しのぶ、中村雅俊)だったと思うが、異常に場内が盛り上がり観客が大笑いしているのに驚いた。が、いかにもの下町人情劇。当時、ハリウッドは「ガントレット」「私を愛したスパイ」「カプリコン1」が正月映画。その落差を感じた。高校を卒業。真剣に映画監督を目指すべく東京へ。その年に日本アカデミー賞を取ったのが「男は」シリーズの山田洋次監督の「幸福の黄色いハンカチ」だ。

その後、テレビで見たのだが、途中でオチが分かる!(というより、予告編でラストの大量のハンカチが映る!)展開。これが作品賞? と19歳の僕は憤慨した。「将来、監督になっても、山田洋次のような映画だけは絶対に撮らない!」と固く誓ったものだった。それが20歳を超え、いろんな人生を経験して、ふとまた「男はつらいよ」を観ると「意外にいいじゃないか?」と感じた。

それから盆暮れになると、寅さんを見に行くようになる。毎回は見れなかったが、ちゃんと映画館で見た(というか当時はまだレンタルビデオが普及し始めた頃)その後、アメリカ留学。LAで生活して感じたのは「男はつらいよ」に描かれている日本こそが、日本であること。

当時の日本映画はニューヨークを舞台にしたような、おしゃれな青春映画が多く、日本らしくない作品が増えていた。が、LAで見ると(この頃はもうビデオが普及。アメリカでも日本映画をビデオで観れた)恥ずかしいようなものばかり。例えれば地方に行くと、いかにも東京にあるカフェ風の作りだが、どこか垢抜けないセンスのない店があるが、そんな感じ。

あちこちで感じた。ディズニーワールドでも、ニューヨークのメトロポリタン美術館でも。日本は世界に通用する文化や風景がある。なのに、アメリカのモノマネばかり。田舎の人が田舎っぽいのを嫌い、都会の真似をした店やファッションを追いかけるのと同じ。そんな中で山田洋次監督の描く世界こそが日本であること。そこに僕らが生きていることを実感した。

その後、映画監督となり、気づくと田舎を舞台にした家族物語を描いていた。「ストロベリーフィールズ」も「青い青い空」も「朝日のあたる家」も、その後も全て同じ。まさに山田洋次の世界。「絶対に山田監督のような映画は撮らない!」と誓ったのに...。後日談がある。業界の先輩が教えてくれた。

「山田監督が松竹に入った頃は木下恵介監督の全盛期。泣ける家族ドラマが大ヒット。山田洋次は、俺は絶対に木下恵介のような映画は撮らない!と言っていたらしい。が、気づくとまさに木下恵介監督のような家族ドラマばかり作っていたんだと」

とてもよく分かる話だ。ははは。


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夢破れた友人たち。生き残り夢を掴んだ者たち。=その違いは何か? [映画業界物語]

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夢破れた友人たち。生き残り夢を掴んだ者たち。=その違いは何か?

僕が通った高校。進学校なので99%が大学に行く。が、同級生たちは夢を語ろうとはしなかった。希望する大学名も口にはしない。受験して落ちたらカッコ悪いからだ。また「将来は商社に入って海外と取引がしたい」なんていうと「お前が商社に入れるのか? その前にまともな大学に行け!」とか言われるからだ。

そんな中でも、親しい友人たちは密かに夢を語った。「会社員になるより、カメラマンになりたい」「コピーライターになろうと思う」「本当は小説家を目指している」僕は当時から映画監督を目指していた。当時からシナリオを書いていたし、8ミリカメラを回していた。

友人たちは大学に進学。4年間のバケーションを手に入れた。僕は大学を拒否。映画学校に入学したが、すぐに絶望。学生映画を始めた。ミュージシャン志望の若者が仲間を集めて素人バンドをするようなものだ。友人たちも、それぞれの夢を追って行動を開始。新たに出会った仲間たちは監督、シナリオ、俳優を目指して努力した。

しかし、若い頃は自分に何ができるか分からず、あれこれ葛藤する者。監督になりたい者は「自分に感動的な映画が作れるか?」作家志望は「俺にベストセラー小説が書けるのか?」俳優を目指す奴は「俺はテレビで活躍するような演技ができるのか?」と苦しんだ。それから40年。ああ、もう40年も経つんだ...。

夢追った多くの友人は夢破れ、去って行った。でも、彼らを見ていて思うのは、夢を追うと決めながら「俳優になりたい」と言いながら、彼女を作ることにも努力していた。脚本家になると宣言しながら、バイトバイトで生活。最後まで書き上げることはなく、人に見せることもなかった。4年の大学生活はあっという間。就職。多くが似たようなことで夢破れた。

漫画家を目指すという後輩もいたが、描いたものを出版社に持ち込むこともなかった。見ていて思ったのは、多くが趣味のレベル。大学生なら講義に出て、バイトして、コンパして、旅行して、その残った時間で趣味の活動。写真撮ったり、小説書いたり、8ミリ映画を作ったりしていた。何もしていないのに「世の中は甘くない」と諦めて就職する。世の中が厳しいのではなく、本人の意識が甘いことに気づいていない。

一方、僕は幸運にも映画の世界で仕事ができるようになった。同じようにここまで辿り着いてきた人たちを見ていると、別のものを感じる。全てをかけて戦っている。大学を中退して学生映画を作り続けた人。就職せずにカメラを選んだ者。アルバイトをしながら俳優を続ける奴。生活の残った時間で、趣味レベルで夢を追うのではなく。生活を人生を賭けて、ここまで来た人たちだ。まだまだ、書きたいことあるが、長くなったのでまた。


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