SSブログ

ロスアンゼルスで開催される映画祭に参加 [7月ー2018]

E38381E383A3E382A4E3838BE383BCE382BAE382B7E382A2E382BFE383BC-dbac5-52250.JPG

「明日にかける橋」が海外の映画祭の招待作品となった。嬉しい。その映画祭は毎年行われるもので、LAのリトル東京を中心に何箇所かで、この1年くらいに製作、公開された日本映画が何本も上映する。日本文化に興味のあるアメリカ人、日系人、そしてLA在住の日本人らが観客。

LAも昔は日本映画専門の映画館がリトル東京にあったのだが、80年代に潰れて、それ以来、日本映画を大スクリーンで見るのがむずかしくなった。ま、DVDがあるので日本のレンタル店に行けば見ることはできるが、やはりスクリーンで見れないのは残念。そんな状況なので、映画館で日本映画が観たい!というひと人々が映画祭に集まる。

10686824_707158509358456_5115492575530701301_n.jpg

僕の映画は以前にも招待作品となり、上映してもらったことがある。あるときは映画館(タランティーノがオーナー!)あるときはリトル東京のホール。時と場合でいろんな会場となる。多くの人が集まることが多いが、そこそこのこともある。カンヌやベルリンのような大きな映画祭ではなく、日本文化を広めるために市民が続けている小さな映画祭だ。

ただ、やはり、アメリカ人に見てもらえる機会であり、自分が作った映画がどんなふうに見てくれるのか?興味深々。反応も楽しい。舞台挨拶あり、観客とのQ&Aあり、いろんなイベントがある。日本からのゲストも大林宣彦監督、俳優の仲代達矢さんなど大物もいる。常盤貴子さんも飛び入りしたことがある。

DSCN4034.jpg

オープニングパーティから、クロージングまで、毎日何かイベントがあるが、多少の時間はあるので毎回、同行してくれた人たちをLA観光に連れて行く。僕にとっては以前に6年も住んでいた街なので、地図もナビもなしで案内できる。通訳兼ガイド。おまけに映画ロケ地ツアーまでやってしまう。

「ターミネーター」「ブルーサンダー」「ヒドウン」「ダークナイト ライジング」「理由なき反抗」「キルビル」「ブレードランナー」「24」「パラダイム」「リーサルウエポン」とLAでは多くの名作映画が撮影されている。それらの場所を僕は全て知っているので(もう、地元ですから!)同伴者はめっちゃ楽しんでくれる。

P1030311-5fd9e.JPG

あと、LAには美味しいレストランがたくさんある。チャイナタウン、コリアンタウン、ハンバーガー(最近はインアンドアウト・バーガーがお勧め)カルフォルニア・キッチンもうまい。「プリティウーマン」の舞台となったロデオドライブは高級品店がずらり。サンタモニカは桜田淳子の歌で有名? チャイニーズ・シアターでスターの手形を見るだけで何時間も過ごしてしまう。映画好きにはLAはヘブンだ。

何だか映画祭に参加するのか? ツアーガイドに行くのか?分からなくなるが、そんな映画祭に8月参加する。楽しみだ。



DiHE4YWU8AEU3tu.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

昔「夢を諦める若者」今「夢が見つからない若い人?」 [my opinion]

37208242_2044080585666235_1096932693188280320_n.jpg

記事等で「夢を諦めてはいけない」と書くと、「現実は甘くない」と批判する奴が必ず出てくる。だが、夢を追いかけることは、人生にプラスになるということ。成功するかどうか?だけではない。それが近年、興味深い意見を聞く。「夢を諦めてはいけない」というと、こんな批判が来ることがある。若い人からである。

「その夢が見つからないんだよ! ムカつくなあ!」

その言葉の意味。分かるだろうか? 僕の時代には「夢なんてしょせん夢。現実を見ろ」と大人たちは言っていた。だから、将来の夢があっても、それを諦めるのが大人の考え方だと自分自身に言い聞かせたものだ。

だのに、今時の若い人たちは「夢が見つからない」という。これは僕らの世代とは違う。つまり、夢を見つけ、それに向かって真剣になってみたいという願望がある。だから「諦めるな」と言われると「その夢が見つからない」と腹立たしく思うようだ。

俳優になりたい!歌手になりたい!作家になりたい!レーサーになりたい! ボクサーになりたい! そんな夢がない。でも、何かに夢中になり、必死にがんばるという青春を送ってみたいという気持ちがある。では、なぜ、そんな夢が見つからないのか?考えてみた。

たぶん、彼らは真面目に教育を受け、おとなしいいい子として育つ。成績優秀でなくても、そこそこ勉強をし、暴走族になったり、ドラッグをやったりせず。いい子でいた。余暇ではテレビを見たり、漫画読んだりするが、クラブ活動に熱を入れたりしない。学業の邪魔になることはしない。

厳しい受験戦争を乗り越えて大学に入り、バイトをする。コンパをする。スキーに行く。海に行く。彼女を探す。時間はある。そこそこのお金もある。でも、特にやりたいことはない。そんなとき僕の記事を読んだ。「夢を諦めてはいけない」....何言ってんだ!その夢が見つからないんだよ!とムカつく。

そんな彼らの人生を見つめれば夢が見つからないのも分かる。勉強をする。邪魔になることはなるべくしない。クラブ活動もしない。しかし、勉強の邪魔になることこそが「夢」につながるのだ。邪魔になるというのは、そちらに熱を上げ時間を費やし、勉強に身が入らなくなるということ。

邪魔になることは排除してきた。小学生からずっと。それが大学生になり、時間ができた。そこから何かやれ!夢を追えと言われても、どうしていいか?分からない。でも、若い心の中に「何か夢中になれるものはないか?」「真剣に時間を忘れて没頭できることがしたい!」という思いがある。なのに。それが見つからない。

なのに、聞いたこともない映画監督が「夢を諦めるな!」という記事をネットに書いてる。「うるせーなー。その夢が見つからないんだよ!!!」ということなのだ。何度もそんなコメントを書き込まれたことがある。ただ、その種の声を僕が若いころにはほとんど聞かなかった。先にも書いた通り「夢なんてしょせん夢」「諦めるのが大人の考え方」というのが当時の若者の考え方。

映画が好きでも、ロックが好きでも、そこそこにして、ましてプロを目指そう、将来そんな仕事に就きたいと思っても自制して、勉強に身を入れる。同級生の多くがそんな感じだった。大学生になっても、バイトと、コンパ。スキーに旅行。ただ、同級生たちと話すと「本当はギターリストになりたかった」「小説家を目指していた」という。でも、夢を諦めた。それが今の若い人は諦める以前に夢が見つからないという。

確かに勉強の邪魔になると思い、避けていては夢は見つからない。夢以前に自分がしたいことは何なのか?も分からない。なら、僕らの時代はなぜ、それを見つけることができたのか? むしろ、そちらが疑問に思えてくる。大学時代にバンドしていた奴がいる。小説を書いていた奴もいる。彼らを思い出してみると、高校時代からそれが好きで、いつか自分もステージで! 本屋の店頭に著書を並べたい!そんな夢をみるようになった。

今の子たちはどうか? たぶん、自分で何かを始める前に自分で自分を止めるのではないか? 「ギターを弾きたい。でも、勉強の邪魔になる。やめておこう」「ミステリーが好きだ。自分でも書いてみたい。でも、やめておこう」僕らの時代に比べて自己制御機能が強くなっているのではないか? だから、何かをしたい!という気持ちを抑えてずっと生活する。大学に入り、時間ができた。でも、何をしていいか分からない。無名監督の記事が目に入る「夢を諦めるな」うるせーー!

僕らの時代以上に教育と学校。さらには社会が個人を押さえつけ、誰かが注意しなくても、ルールを作らなくても、個人の欲求を抑え、夢を追いかけたりしないで、まじめに勉強をする環境が出来上がっているのだ。おとなしく勉強さえすれば、安定した人生が送れるという思いに縛られてしまうのだろう。誰もそんなことを保証しているわけではなく、会社の終身雇用制は崩れ、正社員にさえなれない時代なのに、若い人たちは過去の価値観に縛られたまま、20代を迎える。

そこまで来て初めて「こんな人生でいいのか?」「どうせ厳しい社会なんだから、本当に好きなことをやりたい」そこで気づく。「俺には追いかける夢がない.....」僕らの時代は「夢はしょせん夢」と諦めた。今の若者は「その夢が見つからない」どちらが幸せなのか? どちらに可能性があるのか? いずれにしても、管理社会は想像以上に個人を束縛し、考え方をもコントロールしていることを痛感する。


DiHE4YWU8AEU3tu.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

夏になると毎年聴くアルバム [7月ー2018]

37296216_2043429922397968_373048171997167616_n.jpg

1982年の夏。今から36年前。僕は横浜に住み。映画学校に通っていた。が、授業は本当に詰まらなくて、学校には行かず、仲間と8ミリ映画を作っていた。その上映会をするために、日時をコピーしたものをチラシの裏に貼り付ける作業をしていた。

当時は4畳半一間。エアコンどころか扇風機もなかった。風も通らない部屋。まるで真夏のビニールハウス。そこで友人と2人で、チラシの裏に日時を書いた小さな紙をノリで貼り付ける作業をしていた。汗が滝のように溢れる。頭にタオルを巻いて作業。

ラジカセでテープをかけた。それが当時大人気だった「ナイアガラ・トライアングルVOL2」だった。特に「LOVE HER」が流れると、涼しい風が吹いたようだった。友人も顔を上げ「俺もそう思ったよ」と呟いた....。それから36年。

今年の夏は「明日にかける橋」の宣伝とメイキングの編集。生活のための仕事もせねばならないが、まだ手付かず。やばい。でも、あれから36年。僕はあのころと同じことをしている。チラシを作り、予告編を作り、メイキングを編集。今年も暑い夏が続きそうだ...。


DiHE4YWU8AEU3tu.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

メイキング編集は続く⑤ 誰も教えてくれない。学校では学べない。どうする若者? [映画業界物語]

21752699_1616818365059128_2289782317453116829_o.jpg

撮影6日目の素材を見ている。メイキング担当の学生君が撮ったものだ。最初に比べて映像が落ち着いてきた。ということは初めての撮影現場で動揺してミスを連発していたと思える。ピンボケ。手ぶれも少なくなった。が、確か、この辺で僕が彼の撮影振りを見て注意したのも思い出す。

あと、6日にして彼はとうとう革新する。誰が主人公か?を把握したようでカメラの中心でその俳優を捉えていたのだ!!!!そしてついに、6日目にして初めて、その俳優の寄り絵を撮影した!!! よしーーー!というか?遅すぎるのだが、、、、

それでも弁護的にいえば、撮影1週目は何を撮っていいか?全く分からない映像の連続。ロケ地近所の家の犬を延々撮影していたりする。それが少しすると引き絵ばかりだが、撮影の全体を撮るうようになる。それだけではダメなのだが、一時は彼は「メイキングとは引き絵で撮影風景を撮ること?」と考えているのかとさえ思えた。が、6日になると、途中でズームして俳優の寄り絵を撮るうようになった。凄い。進化している!

ただ、それは当たり前のことで、そのくらいのことは撮影初日からできることなのだが、まったくやる気のない学生というわけではないようだ。そして、いかに映画学校で何も学んでいないか?を痛感する。ただ、現場は学びの場ではない。実習でもない。真剣勝負の場だ。学生の勉強のために呼んだわけではない。でも、彼だけに関わらず、多くの若い人はその辺が分からないようで、「ギャラはいくらですか?」とまず口にする。とても金を払える腕でもないに関わらずだ。

バイト感覚。1時間働いたらいくら?ということなのだろう。だから、プロの現場でそんなレベルの学生を使うことは危険。本当は彼にとってとても勉強になるのだけど。それがあちこちで低予算映画が作られる中、学生であっても現場に呼ばれるチャンスが出てきた。真剣勝負の場というのは、ものすごく勉強になる。俳優でも100回レッスンを受けるより、1回撮影現場に出る方が100万倍勉強になる。スタッフも同じだ。

予算削減と不況のせいなのだが、それが学生には大きなチャンスとなっている。にも関わらず、それを生かせず、バイト感覚。言われたこともできない。言われたことしかしない。メイキングが何たるか?を勉強して来ない。主人公が誰なのか?も把握しない。ため息が出るが、以前のメイキング担当は編集を投げ出して逃げしまった。それに比べて今回の学生君は怒られながら叱られながら最後まで現場を務めた。映像を見ると少しずつだが進歩している。

今回は彼の学習の場を作ったわけではなく、プロの仕事としてお願いしたので、それはまったく果たせてはいないが、その背景にあるもの。いろいろと感じる。僕は思う。学校システムが、特に映画学校や演劇学校はその役割を果たしていない。彼らは高い授業料を払うだけで、役に立つことを学べず。学ぼうとせず。現場では使い物にならない。昔の映画界はそんな若者を育てる場でもあったが、今は違う。即戦力が必要とされ、育てる余裕はない。

学校でも学べず、現場でも教えてくれない。これは映画界に限ったことではないだろう。原石を磨くとかいうが、誰も磨いてはくれないのだ。自分で考えるしかない。DVDを見る。自分でやってみる。自分で腕を磨くしかない。そして、いつまでも無意味なレッスンをしていないで、現場に出ること。それが大切なこと。学生君の奮闘からも感じる。


DiHE4YWU8AEU3tu.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

メイキング編集は続く④ 大切なのは反省と分析。前向きに考えるのはそのあとだ。 [映画業界物語]

21752699_1616818365059128_2289782317453116829_o.jpg

本日も朝から作業。現在は撮影の順にメイキング素材を確認。使えそうなものを選んで行く。6日目の病院ロケを作業中。何度も書いている通り、この作品は予算の都合で映画学校の学生君に頼んだもの。上がりはかなり酷い。でも、そこから現代の若者像が見えてくるので、記事にしている。

以前はこんな記事を書くと、業界の先輩が「内輪の恥をネットで晒すようなことをするな!」とか怒られたが、先輩も今は行方知れず。注意がくることもなくなった。彼は記事を読むと「愚痴を語るな」「恥を晒すな」「個人攻撃をするな」などとよく言ってきた。

が、全て当て外れ、愚痴ではなく反省。恥ではなく、トラブルをいかに克服したか?を綴っているのだし、個人攻撃ではない。固有名詞をあげていないし、彼がダメなやつだと指摘するのではなく、その背景にある教育を問題視しているのだ。

先輩は非常に日本人的というか、古いというか? 内輪の問題は隠すべき。外部に漏らすべきではない。という観念があったのだろう。ま、60代だし、古い価値観に縛られており、後輩がバカなことを書いている。注意してやらねば恥をかくぞ。という思いで連絡をくれたのだと思える。後輩思いではあるが、やはり彼の価値観は古いと考える。

映画監督を目指す若い人が数多く、僕のFacebook記事を読んでくれている。後輩のディレクターや監督たちも注目してくれている。その人たちに対して、華やかな映画界の部分だけを伝えていいのか? 特に今は予算削減。信じられないような製作費で映画を作る会社が多い。その中で、どうやって質を落とさずに安く上げるか? 学生や一般の人の力を借りてがんばるか? その際の問題。プラスやマイナスをあげて分析。伝えることこそ、学校では教えてくれない勉強になりはしないか?

内輪の恥を晒すとか、個人攻撃と考えて闇に葬ってしまうことに意味があるのか? それは時代と逆行している。問題が続発しているのに、いいことしか伝えないのは大本営発表であり、どこかの政権がまさに今、行っていること。それでは新しい時代を乗り切ることはできない。問題や事件を正面から見据えて、その背景や原因を追求する。そして解決策を考えることこそが映画の仕事だけでなく、大切なことなのだ。

だから、先輩の苦言を聞くたびに日本の企業や役所の隠蔽体質を思い出してしまう。その先輩も今どこにいるか?分からない。業界でも噂を聞かない。悪い人ではない。お世話にもなったし、感謝感謝の方だ。でも、古い価値観を振り回す人たちは、やがて淘汰されていくことも感じる。「いつまでも悩んでいても始まらない。今度のことは忘れて前向きに考えろ」とよく言っていた友人もいるが、過去に向き合わず、同じ失敗を繰り返していたことを思い出す。

大切なのは失敗から学ぶこと。事件を分析すること。予算がなかったから.....で済ませてはいけない。まず反省。分析。そしてどうすべきだったか?を考えること。そしてなぜ、彼があんな映像を撮ってしまったか?を検証することだ。それが次の仕事に生きるはずだ。


DiHE4YWU8AEU3tu.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

番宣用のメイキングを編集中。 [7月ー2018]

37161688_2043214119086215_8251936398270005248_n.jpg

メイキングを編集中。

部屋の温度は34度!

本日も暑い。。。

でも、冷房入れずに仕事。


DiHE4YWU8AEU3tu.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。