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メイキング編集は続く(9)教育に歪められた子供たちの叫びなのか? [映画業界物語]

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一番の注目点は学生君の映像が前半と後半でかなり違うことだ。前半は映像科の学生とは思えないブレブレ、ボケボケの映像。後半は落ち着いた映像だが、引き絵がほとんどで防犯カメラのようなものばかり。いずれにしてもメイキング映像として最悪なものだ。とても作品にならない。が、ここに彼の心理が反映されている。

まず、前半。彼の心理はこうだ。初めての撮影現場に戸惑い、緊張し、カメラを巧みに操り、落ち着いた映像を撮ることができなかった。カメラ以前に、どこから撮ればいいか?も分からない。変な場所に立っていたらスタッフから怒られる「邪魔だよ」逃げ回りながら撮る。だから、ピントもボケる。画面もブレブレ。その上、貴重なチャンスを逃したり、撮らなければならない俳優が見えない位置にいたり、それが前半の映像が酷い理由だ。

では、後半はどうか? なぜ、引き絵ばかりとっているのか?説明する。撮影現場は俳優がいて、その前に本編カメラ。その後ろに照明部や演出部。さまざまなパートがおり本番に臨む。学生君はさらにその後ろからメイキングカメラをまわす。だから、俳優は豆粒のようにしか写っておらず、犯罪を街角の監視カメラが捉えたような絵になっている。俳優がどんな表情で芝居をしたか? 本前は緊張していたか?本番後は笑顔だったか?は全く分からない。その辺を見せるのがメイキングの役割なのだが、それが分からない映像になっている。

なぜ、学生君はそんな絵ばかり撮ったのか?「メイキングを知らない?」いや、何本もDVDで見ていると答えている。それに前半はカメラの横にいて、俳優の表情の分かる映像も撮影している。画面はブレブレだが撮っている。では、なぜ、後半は引き絵ばかりを撮っていたのか?

ここまで書くと答えは簡単。学生君は前半の撮影で感じた。「本編カメラのそばにいると、メイキング的ないい絵は撮れる。けど、いろんなスタッフに注意され、叱られる」彼に聞くと「勉強になります」とは言っていたが、内心はショックだった。邪魔者扱いされ、自分が気が回らないことを痛感、経験値が低いことを感ずる。本来はそうやって学ぶ。大学では教えてくれないことばかり。彼も「勉強になります」と言っていたが、本音は後半戦に現れている。

他のスタッフから注意を受けないように、誰もいない撮影隊の背後に立ち、そこからメイキング撮影をしたのだ。後ろにいれば邪魔にならない。ただ、そのために引き絵が多くなる。俳優は豆粒。そんなものは数秒あればいい映像。なのに、彼はそれを延々と、1日中。最終日まで撮り続けた。ほとんど使うことができない映像を延々と撮ったのである。

彼の使命はメイキング用の映像を撮ること。メイキングは撮影中&撮影前後の俳優の様子を記録するのが中心。表情や発言。動きを撮影する。学生君は撮影前半、ボケボケ&ブレブレの映像ながら、それをやっていた。が、後半で本来やるべきことはやめて、撮影隊の一番後ろから引き絵のみを撮っている。先に書いたように注意されない。叱られない。でも、メイキング本来の映像が撮れない。つまり本来の仕事をすることより、注意されないことを優先したのだ。

本当なら本編カメラのそばにいながら、注意されないように振る舞うことが大事。だが、学生君はそうではなく、絶対に注意されない撮影隊の一番後ろに行って、撮影を始めた。そんな絵は10秒あれば十分なのに、前へ行くことはなく、延々と撮影を続けた。彼はそれで仕事をしていることにしたのだ。

たぶん「寄り絵はないが、撮影風景は撮っている。仕事はしている。何度も注意されたり、叱られるのはもう嫌だ」そう考えたのだろう。俳優のアップやオフショットを撮るのがメイキング。彼はそれを分かっている。なのに、叱られるのを避けるために、嫌な思いをしないように、仕事をしているように見せかけながら、楽にやれる方法を選んだのだ。

「でも、彼は映画のカメラマンを目指しているんでしょう? 映画監督にもなりたいんだよね? だったら、せっかくのチャンス。なんでがんばらないの?」

そう思う人がいるはずだ。が、そこに今時の若者の姿が彼に重なる。僕はよく演劇学校や映画学校で講師をする。若い人たちと接する機会がよくある。そして彼ら彼女らと話していて驚かされることがある。ある映画学校。講義終了後に質問に来た生徒。やる気を感じる。彼はいう

「監督。映画監督って食えますか?」
「監督で食える人なんて日本で5人くらい。もし、安定を求めるなら映画の仕事を選んではダメだ」
「そうですか、食えないのは嫌だなあ。でも、映画やりたいんだけどなあ」
「もし、食うのが大事なら公務員になった方がいい。大企業だって倒産して失業する時代だからね?」
「んーー映画。やりたいんだけど食えないんならなあ...」

彼は暗い顔をしてお礼も言わずに去っていった。その子が特別ではない。映画学校にいる多くの生徒が似たような発想を持っている。卒業しても監督になれるわけではない。にもかかわらず、休まず授業に出る。実習をする。卒業式まで学校に通う。学校は就職の世話をしてくれるわけではない。なのに、毎日、授業に出る。

では、やる気があるか?というと、そうでもない。クラスで居眠りをしている生徒もいる。ノートに落書き、スマホでメールしている奴もいる。高校や大学と同じ光景。そんな生徒を見ていて思い出すのは、高校時代の同級生。勉強は嫌だ。でも、いい大学には行きたい。誰も知らない三流大学は嫌だ。できれば、「へー**大学!!」と言われるところに行きたい。が、勉強は好きではない。

そこそこ勉強はする。親や教師にも成績のことを言われる。「努力しろ!」と言われる。努力する振りをする。深夜遅くまで起きているが勉強ではなく、深夜ラジオを聞く。先生に「成績悪いな!」と言われれば「次はがんばります...」とやる気を伝える。でも、死に物狂いで勉強をする生徒はほんの一部。あとは、勉強する振り。そのくせいに有名大学に行きたい。これと映画学校や俳優スクールの生徒は同じなのだ。

「監督になりたい!」「俳優になりたい!」そういいながら努力しない。学校には真面目に通う。が、あとはバイトにコンパ。大学生と同じ。講師に言われれば「がんばります...」というが、何もしない。シナリオの提出といっても、締め切りを過ぎても出さない。実習といっても現場にいるだけ。その他、自主的に何もしない。自分から手を上げない。そのくせ「映画監督になりたい!」「俳優になりたい!」という。「有名大学に行きたい!」=>「監督&俳優になりたい」と変わっただけ。

今回の学生君も同じだ。「映画監督になりたい!」現場に出るチャンスを掴む。が、注意されたくない。だから、背後で撮影する。受験生が「有名大学に行きたい!」でも、勉強は嫌だ。親に注意される。勉強する振りをして深夜ラジオを聞く。学校に通う俳優志望も監督志望も多くはそういうタイプなのだ。夢は大きく、努力は少々。人に注意されると、やる気がある振り。結果、目的は達成できない。

「彼らは怠け者なのか?」というと、そうではない。ではなぜ、そんな若者が増えてしまったのか? 大学を拒否して俳優や監督になりたいという連中が、結局、ダメな受験生と変わらないことをするのはなぜか? そこが今回の記事の肝となるところである。それは最近の若者だけではない。僕が若い頃からその風潮は始まっていた。

子供の頃はいろんな夢がある。「パイロットになりたい」「野球選手になりたい」「総理大臣になりたい」だが、中学生になり、高校生になると、夢を実現するのは大変なことに気づく。また、日本のいう国は「夢はしょせん夢」という風潮がある。大人たちは「何、子供みたいなこと言ってるの?」と批判する。「世の中あまくない」という。それに感化され、子供達も次第に夢を語る友達を「甘い」「現実を知らない」と言い出す。

「そう。夢を追いかけるのは子供。世間知らずなんだ...」と考えるようになる。高校になれば受験。大学で人生が決まる。本当なら様々な人生があるべきなのに「大学にくらい行かないと恥ずかしい...」と思える。「有名大学を出ていないとアホだ...」と思われる。世間からそんな声が聞こえて来る。大学のブランド=人間の価値のように思う人がたくさんいる。そんな中で子供たちも、その価値観に染まり、違うと思っても無意識に寄り添い、迎合していく。

だから、勉強嫌いな同級生も「有名大学に行きたい!」という。大学は勉強するところ。嫌なら行かなければいいのに、「大学も出ていないのは恥ずかしい...」という。これは何かというと、戦時中と同じ。「戦争に行くのは日本男子の本分。お国のために死ぬのが日本人!」という教育を行った。それを批判すると「非国民!」と言われた。国策だ。だが、僕らの若かった頃も似たようなもの。戦争が受験戦争に変わっただけ。勉強しない者は「非国民」ではなく「落ちこぼれ」と言われた。

国策として優秀なサラリーマンを育てるための教育。それに賛同しようがしまいが、多くの日本人が巻き込まれ、いつしか、自らその道を歩んでしまう。国が指導するというより、国民が互いに道から外れないように統制していく。「大学にも行ってないの?はずかしい...」「***大学?三流ね...」と人を学歴で判断する。「勉強できないから、大学なんて無意味なんていうのね?負け犬の遠吠えね....」戦時中は「戦争にいくのが怖いから、戦争は無意味だなんていうのよ」というのと同じ。

つまり、当時は戦争が絶対。その後は大学が絶対。それを否定するものは、人にあらず的な風潮が日本を覆ったのである。そんな中で育った僕らの世代は「落ちこぼれ」と言われ劣等感を持っても、我慢して生きて来た。そこから外れて夢を追うなんていうとバカだと言われた。が、そんな時代が長く続くと、若い人たちは気づいてくる。意味ないんじゃない? 受験戦争を勝ち抜いて大手銀行に就職しても倒産するじゃん。

日本はすでに金持ちの国じゃない。電化製品も韓国、台湾に抜かれた。なんで勉強しなきゃいけないんだ? 理屈ではなく、感覚としてそう思う。が、親の世代(つまり僕の世代)は時代は変わっているのに、自分たちが若かった頃の価値観を振り回し、大学に行けという。そんな子供たちの反乱が、「本当に自分探し」「夢を追いかける」「就職しない」という選択なのだろう。

フリーターとか、ビル街でダンスするとか、いろんな生き方を模索する若者が増えたのは、そんな背景を感じる。だが、彼らは10年近く、与えられる教育をしてきた。「考える」という教育を受けていない。だから、夢を追いかけているといいながら、映画学校や演劇スクールで、高校時代と同じように居眠りをする。落書きをしている。

まじめに授業に出るが、学ぼうとしない。注意されると「やる気」ある振りをする。楽な方を選ぶ。手を抜く。夢を掴むのにプラスになることより、注意されないこと。叱られない選択をする。そもそも「表現の仕事」は学校で学べないのに、学校へ行くこと自体がおかしい。でも、彼らは何かをするには学校で...という発想から離れられないのだ。

なぜ?そうなるのか。10年の教育で、皆、与えられたことを適度する反抗しないサラリーマン予備軍に育っていたのである。先の学生君もまさにそれ。映画監督になる!という夢があるのなら、素晴らしいメイキング映像を取れば次の仕事につながるのに、叱られないことを優先する。自分で考えようとしない。言われたことを適度する。指摘すると「がんばります」という。やる気のない受験生と同じ。彼もまた長年の教育によるサラリーマン予備軍として、その価値観で育ってしまったのだろう。

最近の若者を「やる気がない」と大人はいう。その前の世代ー僕らのときは「やる気はあったが、それを押させて受験勉強をした」今の子たちはそのやる気が最初から育っていない。それでも若い感性は「このままじゃいけない!」と感じている。にも関わらず、刷り込まれた教育の歪み、手抜き。見せかけだけの行動。叱られないことを優先。器用に生きようとしてチャンスをなくしている。悲しい話だ。

すでに優秀なサラリーマンを育てる教育は崩壊している。文科省も現在は「考える」教育を始めるべく、カリキュラムを準備している。孫正義はいう「考える教育をしなければ、日本は金輪際アジアで勝てない」その通りなのだ、でも、すでにそんな教育を受けて育った子たちは、考える力を持つことができない。せっかく、夢を掴む撮影現場にきているのに自らそれを放棄する。だが、本人はそれなりにがんばったつもり。

そんな子たちの多くが映画学校に行き、俳優スクールに通っている。どうすればいいのか? どうすれば彼ら彼女らを変え、大切なことを伝えることができるのか? そんなことを考えてしまう。


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メイキング編集中⑧ なぜ、若者は「本気出してない」になってしまったのか? [映画業界物語]

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いよいよ確信に迫ってきたので、もう少し書く。個人の批判をしているのではない。そこに日本社会が抱える問題や歪みがあるので長々と書いている。その辺を念頭に置き、読んで頂きたい。

映画学校の学生君が撮影したメイキング。素材が本当に酷い。高級なカメラを持ち、大学で映画作りを学んでいるのに、お年寄りが趣味で撮っているビデオ以下のクオリティ。映像を見ていると船酔いするほど、画面がブレブレ。撮影の後半戦でようやく映像が落ち着いてきたかと思うと、撮影風景を引き絵で延々と撮るだけ。

メイキングというのは撮影中に俳優がどんな表情を見せるか? 撮影前後はどんな風か? そのシーンはどんな感じで撮影されたのか?等を見せるもの。なのに学生君が撮った映像は防犯カメラのように広い絵で、撮影風景を広角で延々と撮るだけ。

映像科の学生なら、引き絵だけでなくクローズアップという技法を知らないはずがない。遠くにいても望遠レンズを使えば、撮影中の俳優の表情を捉えられる。それを学生君が知らないはずはない。素人でも今時望遠レンズは使っている。はっきり言って彼の撮った絵の90%は使えない。いくらギャラが安いとはいえ、あまりにも酷すぎる。

もう最初は怒り心頭で、今から呼び出して説教してやる!と、血が逆流する思いだった。メイキングは撮影のやり直しがきかない。予算がなく、そのギャラでやってくれるプロはいなかったということはあるが、映像科の学生がなぜ、あんな絵を撮るのか?信じられなかった。が、最後まで彼の撮った素材を見て、どんな思いで撮影に参加したか?理解できた。

そもそも彼は将来、映画のカメラマンになりたい。そのあとは監督もしたいという目標があり、映像科のある大学で学んでいる。年齢は20歳少々。今回の超安いギャラでも「勉強になります」と参加した。撮影前からプロデュサーに叱られ、今時の子はすぐやめるから....とPが心配したが、わざわざ事務所まで謝罪に来て「がんばります」と告げた。今時めずらしい、やる気のある男の子である。

それが撮影前半はブレブレのピンボケ映像を連発。後半戦は引き絵で防犯カメラの映像のようなものしか撮っていない。ときには全く撮影していないシーンもある。秋公開に合わせてネットで配信するメイキング作品の準備をしているが、これでは番組として見せるレベルではない。それは大問題なのだが、とりあえず置いておいて、なぜ、彼がそんな素人まがいの映像を撮ったか?推理してみた。

まず、前半はブレブレのピンボケ。だが、後半はそれほどではない。彼は自前の高級一眼レフ(動画撮影可能)を使っていた。ピン送りはマニュアルだ。これらの事実から彼はカメラを使えないのではく、初めての撮影で混乱し、緊張し、落ち着いて撮影ができなかったのだと思える。それにプラスして、メイキングというものは、どの位置からどんな風に撮影するか?理解していなかったようにも思える。

撮影前にメイキングの基本を教えた。DVDの特典メイキングとか見たことある?と聞くと「はい。結構、見ています」と答えている。それなら見よう見まねで同じように撮ればいいのに、それができず、現場であたふた、スタッフから何度も邪魔だと注意され逃げ回りながら撮影したことで、画面はブレブレ。ピントはボケボケになったのだ。

実際、メイキング映像にも記録されているが、彼は何度もスタッフから注意されている。「動くときにチャラチャラ音のするもの(キーホルダー等)を外せ」「本編カメラの前に出るな(これは当然のこと)」「お借りしている民家の壁を傷つけるな(学生君はなぜか?大きなリュックを背負って撮影に来る。メイキング班は身軽が基本。彼が動き回るたびにリュックが壁や障子を傷つける)」

そんなふうに撮影当初は何度も注意された。これらは現場経験がないとわからないこともある。が、ちょっと考えればわかることもたくさんある。ただ、注意されることで学び、勉強することもできる。大学の教科書には書かれていないことを現場ではたくさん学べる。にも関わらず、最近の若いスタッフは注意されると、極端に落ち込み、撮影中にも関わらず、帰ってしまい。二度と撮影に出て来ないということがよくある。

しかし、今回の学生君は何度叱られても、「勉強になります」「注意されるのは僕のためを思って」といい、帰ってしまうことはなかった。が、実は学生君、あることを考えていたのだ。現場では気づかなかったが、その答えは彼が撮った映像にあった.....。そこには現代社会、そして教育の歪みが秘められていたのである。(続く)


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メイキング編集中⑦ 学生君はプロを目指すといいながら、なぜ酷すぎる映像を撮影したのか? [映画業界物語]

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学生君が撮ったメイキング映像を全て確認した。はっきり.....言って酷すぎる。が、そういうと「素人を使うからだよ!」という人もいるだろう。そんな話ではない。彼の映像を見ていると彼が撮影現場で何を考え、どんな思いで、仕事をしていたか?がよく分かる。そこから今時の若者の姿がはっきりしてきた。

学生君は20〜22歳位。大学の映像科で勉強している。将来は映画のカメラマンになりたい。その後は監督もやりたいとのこと。かなり高級な一眼レフを持っており、動画も撮れるので今回の撮影ではそれを使用。途中で必要と分かった一脚をAmazonで購入するなど、プロを目指していることを感じた。

が、初期の撮影ではカメラはブレブレ。ピントはボケボケの映像が多発。全く使えないものばかり。それならオートフォーカスのカメラを使えよ!といいたいが、一眼レフなので手動でピント。間抜けだが、こだわりを見せていた。撮影位置がまちがっていることが多く。いや、初期から中期まではほとんど不正解。何でそんなところから撮影するの?ということを連発。

シナリオを読み、現場を見て、本編のカメラが置かれればどこで何が進行するか?は想像ができる。その場合、本編カメラに映らず、他のスタッフの邪魔にはならず、そのシーンを撮影できる場所を見つけ、そこから撮影する。それがメイキングの基本。だが、彼が選ぶ場所は間違いだらけ。「そんなところから撮ったら俳優が映らないだろ?」「そこからじゃ全体が見れないだろ?」という場所ばかり選ぶ。

学生君が撮った映像を見ていて笑ったのは、監督がメイキングカメラに向かって「そんな遠くから撮るんじゃない。もっとこっちに来て!」と叫んでいる場面が何回かあること。学生君は渋々、近づいてくるのだが、その辺から分かることがあった。彼はまた、撮影部等からも「そこは邪魔なんだよ」「音出さないで」と何度か注意を受けている。

2日目の撮影では大きなリュックを背負ったまま、現場である居酒屋の中をウロウロ。美術部さんに叱られていた。前日も彼が振り返るたびに、そのリュックが部屋の壁や障子にあたり傷とつけていたというのだ。そもそも、なぜ、狭い撮影現場にリュックを背負ってくる必要があるのか?メイキングは機動力だ。身軽でいることが基本なのに?

もしかして叱られたら、そのままリュックを背負って帰京するための準備?とも考えたが、彼は怒られつつも最後まで撮影をし、3日目からはリュックを持たずに現場にきている。それらから分かること。機材のことから考えると、彼は真剣にプロを目指している。大学の映像科でも学んでいる。ただ、現場は初めてで冷静さをなくし、どこから撮ればいいか?分からず、現場をウロウロ。音を立て、リュックを背負い、撮影部の邪魔になる。何度も注意される。

そんな彼が後半戦で多少、落ち着いた撮影を見せるようになった。が、広角で撮影現場全体を撮り、俳優にズームすることもなく延々と撮るようになる。なんとか観れる絵にはなったが、これでは防犯カメラの映像だ。俳優が本番前にどんな緊張を見せるか? カット!の声でどんな安心した顔をするか? そんなとこがメイキングの面白さ。なのに、引き絵で延々と撮るだけ。俳優の表情は分からない。

バカ過ぎる!!と思えてきたが、先の件から学生君の心理が分かってきた。彼の行動、行為、様々な出来事から、彼の思いが明されて行く....。(つづく)


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メイキング編集はつづく⑥ 日本映画界のメイキング現場とは? [映画業界物語]

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今はどの映画も予算削減で苦しんでいる。テレビ局が製作する超大作は別にして、特に小品と呼ばれる作品は様々な形で製作費を抑える。メイキングはDVD化するときに「売り」となる重要アイテム。その映画がどのようにして撮影されたか?を見ることができるドキュメンタリー。DVDを購入する映画ファンにとっては楽しみのひとつ。

だが、製作サイドはそのメイキング費用もなるべく抑える。例えば、現場にホームビデオ用のビデオカメラを置いておき。手の空いたスタッフがまわすという作品もある。ただ、手が空くのはそれなりのシーンで、ここぞ!という見せ場は皆、忙しくて誰もカメラをまわせず。「え? 何であのシーンないの?」ということになる。

ある映画ではプロデュサーがメイキングカメラをまわしていた。なので、映るスタッフは誰も嫌な顔をしない。本来、メイキングはお邪魔虫でスタッフに嫌われる存在。本編撮影の現場をウロウロされてはたまらない。だが、プロデュサーが撮影しているので、皆、除けて撮影しやすいように協力する。

が、多くはカメラが下手。ただ、撮っているだけのものが多い。ドラマティックがない。撮影現場の中継のようなもの。プロデュサーは人扱いや金を扱いが仕事。カメラがうまい人はなかなかいない。やはり、メイキングはディレクターの仕事だ。

そんなふうに毒にも薬にもならないメイキング映像はプロデュサーが撮っていることが多い。でも、Pや手の空いたスタッフが撮影すればメイキングの人件費がいらない。感心でることではないが、そうやって節約するのである。

それで良質のメイキングは絶対にできない。単なる人件費節約だ。が、批判ばかりしていられない。今回の作品は予算削減に厳しく見舞われ、本編の予算を減らして映画自体のクオリティを下げるより、メイキング等の付加的なものの予算を下げることにしたもの。そのために安価なギャラで頼める映画学校の学生君を雇うことになる。

というか、そのギャラで手を挙げるプロがいなかったのだ。それでもメイキングはカメラがまわせ、映画撮影というものを理解していれば出来る仕事。僕も18歳の映画学校時代にプロの現場でメイキングをまわしたことがある。のちにあるイベントでも上映された。今の学生にだって出来るはずだ。
情熱のないプロより、やる気のある若者の方が期待できる。

が、その期待は大いに外れ、その学生君が撮った映像を殺意(?)を感じつつ現在、編集している。カメラが下手とかいうことだけではない。彼がなぜ、「考える」という行為をしていないか?に怒りを覚える。ただ、それが現代教育を受け育ったよくいる若者だということも分かってきた・・・・。


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