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トリトンとアムロに共通するもの。富野由悠季の思いとは? 表現者の悲しみ? [映画業界物語]

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トリトンとアムロに共通するもの。富野由悠季の思いとは? 表現者の悲しみ?

「海のトリトン」ー緑の髪の少年トリトンは漁村に住んでおり、髪のせいで子供たちからイジメられていた。が、やがて白いイルカがトリトンを呼びにやってくる。実は彼こそがトリトン族の生き残りであり、海を支配しようとするポセイドン一族の野望を止める最後の希望なのだ....というのがプロローグ。

手塚治虫が原作、プロデュースが「ヤマト」の西崎義展。演出が「ガンダム」の富野由悠季という凄いメンバーのアニメーション作品。これが子供の頃に凄く心に残った。

それから20年ほど「トリトン」の富野由悠季が原作、演出。今も人気の「機動戦士ガンダム」ーその主人公・アムロレイは普通の少年。というより機械オタクのような子だが、ふとしたことからガンダムに乗り込み、戦争に巻き込まれていく。

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この2つの作品に共通するのは、トリトンも、アムロも、特別な子供ではないということ。アニメの主人公は往往にして明るく活発で、正義感があり行動的。兜甲児も、不動明も、剣哲也も、紅三四郎も、大鷲のケンも、東鉄也(キャシャーン)もそうだ。それがトリトンも、アムロも友達が少なく、内にこもりがち。が、やがてトリトンは大海原へ、アムロは宇宙(そら)へ飛び出して行く。

「トリトン」は手塚治虫原作だが、中身はかなり違う。ラストなど手塚治虫の世界ではなく、同じ富野監督の「イデオン」を思わす悲惨な結末。「ガンダム」はもちろん原作・富野由悠季である。そこから2人の主人公は彼の思いが反映されたキャラだと思える。では、何を反映させたのか? これも「Xmen」「鬼太郎」と同様のものを感じる。

アムロも、トリトンも友達が少なく、理解されない。アムロは1年戦争に参加。次第に仲間ができるが、ニュータイプの開花と共に、仲間たちが付いてこれなくなる。本来のアニメならそこでヒーローとなり、周りから賞賛させるのだが、ハヤトも、フラウも次第にアムロとの距離を感じて行く(そのためにアムロに片思いしていたフラウは結果、ハヤトと結婚する)

トリトンは髪の色が違うことで村の子供からイジメに会うが、イルカたちとは仲良くなる。共通するのはアムロも、トリトンも、普通に人たちには理解されない。特殊な能力がある。アムロで言えば彼を理解するのは同じニュータイプであるララであり、それに近い能力があるシャアなのだ。だが、彼らは敵側。これも従来のアニメでは理解し共感するのは味方同士のはず。

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そんなキャラクターに富野監督が投影したものとは? それこそが「表現者」の感性ではないだろうか? 鋭く感じるとる力。一般の人は気にしないことが気になる。そのために日常生活はうまく行かない。他の人と強調できない。が、海や宇宙(表現の世界)へと飛び出した時、その能力を発揮し、凄いことができる。ただ、人々は付いていけず離れて行く。そんなクリエーターの悲しみを反映さえているように思えるのだ。

その「表現者」の素質をトリトン族、あるいはニュータイプという形で描いたのではないか? また、続き書きます。



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