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「ゲゲゲの鬼太郎」と「X-men」の共通点? [ドラマ感想]

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「ゲゲゲの鬼太郎」と「X-men」の共通点?

それらを例に上げて俳優や表現の仕事をする人たちの記事を書いたが、あとで気付いた。そもそも、今シーズンの「鬼太郎」を作る若いスタッフ。

かなり優秀で、過去の名作をよく勉強している。「ジャイアントロボ 地球が静止する日」「機動戦士Zガンダム」「ぬーベー」等。それらを昇華し取り入れている。

そして若き彼らが「妖怪」という存在をどう捉えているか? というと、そこは僕らの世代とは違い。おどろおどろしい妖怪ではないようだ。簡単にいうとエスパーであり、超能力者。「ジャイアントロボ」の国際警察機構のメンバーに近い。その意味でバックベアードの西洋妖怪チームはBF団のエキスパートのイメージ。

さらに言えば「Xメン」のミュータント。それが象徴されているのが猫娘。ほとんどウルバリンだ。それもキャライメージだけでなく、妖怪と人間は一理解し合えないという鬼太郎の思いも、まさに「Xmen」ワールドから来ているのだろう。そのX menこそがクリエーターの葛藤をミュータントに反映した物語と思える。

だから、先の記事の例は「鬼太郎」と「Xmen」となった。全て同じところが派生しているから。自分で書いていて納得した。


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「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」予告編④ 12月9−10日 完成披露上映会@沖縄 [予告編]



「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」予告編④

原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」(山本太郎出演)太田隆文監督作品

12月9日(月)〜10日(火) 沖縄、那覇市、
パレットくもじ(県庁前)市民劇場

9日 ①午後3時〜 ②6時30分〜
10日 午前9時40分〜


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「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」とはどんな映画か?12月9−10日に完成披露上映会@沖縄 [告知]

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「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」とは?

日本、唯一の地上戦が行われた沖縄戦。それを描いた映画やドラマは少ない。学校の授業でも駆け足で終わる。そのため多くの日本人は沖縄戦を知らない。

なぜ、沖縄戦は伝えられないのか? それは子供達には伝えられない凄惨と絶望。そして禁断の背景があるではないか? 当時、負け続いていた日本軍は本土決戦の時間稼ぎのため、沖縄を捨て石にしている。十分な兵力と武器も送らず、米軍50万8千人に対して、日本軍は11万6400人。

「1人が5人殺せば勝てる!」

と精神論で戦わせた。さらに足りない兵を補充するため、沖縄県民の14歳から70歳までを徴用。戦闘協力を強制。結果、全戦没者20万656人の内、沖縄県出身者12万2282人。当時の人口で言えば3人に1人が死んだことになる。

さらには、軍の強制により住民が自決する事件も相次いた。死に切れない子供を親が自ら手を下し殺す。そんな地獄絵が展開。

その沖縄戦。当時を知る体験者、そして専門家の証言を中心に、米軍が撮影した記録フィルムを交え紹介。上陸作戦から、戦闘終了までを描く。

監督は原発事故の悲劇を描いた劇映画「朝日のあたる家」(山本太郎出演)で話題となった太田隆文監督。原発事故に続き、沖縄戦をドキュメンタリーで描く。

「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」「沖縄スパイ戦史」「主戦場」に続く、戦争ドキュメンタリー作品の傑作。

12月に沖縄にて完成披露上映会が行われるが、それに先駆けて東京でマスコミ試写会を開催。ぜひ、ご覧いただきたい。

予告編=>https://youtu.be/sGFjWg0fo00

予告編2b=>https://youtu.be/2F87JddxIYc




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俳優業はXmenであることが大事=映画「Xmen」見ないとと分らない話? [映画業界物語]


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俳優業はXmenであることが大事=映画「Xmen」見ないとと分らない話?

先日のワークショップは本当に素敵な面々が集まり、彼ら彼女らの芝居を見ているだけで楽しかった。これは言い換えると映画「Xmen」のミュータント学校で生徒たちの活動を見つめるプロフェッサーの気持ちではないか?と考えてたりする(映画見てない人はゴメン)。皆、自身の持つ能力を駆使して、その役を演じるのは、Xmenで超能力を自由に使えるように努力する生徒たちの姿とダブる。

これまでの映画やドラマでは超能力を持つ者は優れていて、一般人よりも上の存在というような描かれ方をしていた。「スーパーマン」しかり、「スパイダーマン」しかり。だが、「Xmen」の超能力者たちはその能力を制御できず、一般社会にいると周りに迷惑をかける。本人がいたたまれないという苦悩を抱えている。この構図も俳優のみならず、表現の仕事をする者たちも抱えるものである。

例えば、作家の友人は夕方に起きて朝まで原稿を書く。彼は学生時代からそんな生活パターン。だから、朝起きて会社に行くなんてできない。学校も休みがちだった。が、夜に実力を発揮する。それを理解しない親や周りの人たちが昔から「不健康だ」「おかしい」と批判していたという。なぜ、人々は平均的な日本人。サラリーマン的な生活を他人に強要するのか?夜作業して誰かが迷惑するのか?

夜になると強くなる超能力者のドラマは思いつかないが、彼はそういうタイプ。おまけに彼は人と話すが苦手。自分の気持ちを伝えられない。面と向かうと緊張して言葉が出なくなる。だが、それを文章にすると素晴らしい表現になる。そこが彼の秀でた能力。だから、小説家になった。が、そこまでに世間は彼に手酷い扱いをしている。うまく喋れないことで誤解され、病気だと中傷。障害者のセミナーに行けと言われたり、就職しても失敗の連続。

一般社会で生きるための能力には極めて欠けるが、文章で何かを表現するという能力は秀でている。まさにXmenの一員だと思える。分かりやすくいうと画家の山下清もそんな存在だろう。表現者の多くはそんな存在であることが多い。俳優でも台詞を渡せば、流暢に感動的な物語を語るが、自分の言葉では伝えることができない。人前に出るのが苦手。誤解されやすい。そんなタイプの人は多い。また、そんな人ほど名優と呼ばれる。

そう考えると、一般社会で、学校で、会社で大きな問題を起こすことなく、成績はそこそこでも、そのルールの中で支障なく生きていける人は表現者になれない。なる必要がないということなのだろう。それが間違って「女優になって、有名になりたい」と勘違いして、芸能界を夢見る若者もいるが、俳優は努力してなる者ではなく、その種の不適合者であることが、素質であり、条件となるような気がする。やはり、表現者=俳優の仕事はXmenの世界なのだろう。


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「ドキュメンタリー沖縄戦」12月9日〜10日 沖縄 那覇で完成披露上映会! [映画業界物語]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」12月9日〜10日 
沖縄 那覇で完成披露上映会!

予告編=>https://youtu.be/sGFjWg0fo00


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今、振り返る「やる奴」と「やらない奴」の意味?(下)表現をしなくては生きて行けない人と、しなくても生きて行ける人。 [映画業界物語]

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今、振り返る「やる奴」と「やらない奴」の意味?(下)表現をしなくては生きて行けない人と、しなくても生きて行ける人。

振り返ってみる。学生映画の仲間も、俳優の卵たちも、皆、愛すべき連中だった。だが、敢えて厳しく言えば努力が足りない。金や時間の余裕があるときに映画を作ろうという発想。

卵たちもバイトがあるからオーディションに行けないと言う者もいた。でも、それが普通の若者。管理教育で縛られ去勢されてしまった日本人の典型なのだ。受験戦争から落ちこぼれ、あるいは拒否して夢を追うことを決めたのだが、家の中で飼われていた小鳥は野生では生きていけない。

僕はというとその管理教育を拒否し、はじき出された捻くれ者であり、「大学生になると学生運動ができる!」と楽しみにしていた変な小学生。与えられことはしないが、放って置かれるとあれこれ始める子供だった。そのことが幸いして、映画学校を登校拒否してからは、好きに走り続けることができたのかもしれない。だから逆に一般社会では生きていけなかったはず。

高校時代に夢を追う同級生はいなかった。だから、映画学校で出会った彼らには強い共感があり、初めて仲間と言える存在だった。が、教育に毒された彼らは足掻くこともなく、ただ現実に失望して堕ちて行った。俳優の卵たちも同じ。仲間の面影をダブらせて、今度こそは彼らを連れてプロの世界に行こう!そう思ったが、誰も連れて行くことなく。皆、消えて行った。

ただ、1人だけ映画の世界に辿り着いた。後ろめたさを感じながらも、そこで出会ったのは、天才としか言えない年若き女優たち。国宝級のベテラン俳優。天才たちが全力で努力する世界。スタッフも同じだ。その道のエキスパートが全力で映画を作る。そんな素晴らしい面々がいるので、毎回、僕は素敵な映画を作ることができる。どう考えればいいのか? 

多分、これが表現の世界だということ。才能があるないではない。あの当時の仲間は教育のせいだけではなく、映画作りや俳優をしなくても生きていける世界にいたこともあると思える。表現をしなくては生きて行けない人と、しなくても生きて行ける人。

どちらが上とか下ではない。どちらが偉いではない。夢を追うとか破れるではない。どちらの世界が生きやすいか? どちらの世界の住人なのか? それが問われるように思える。また、あれこれ考えてみる...。(了)



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今、振り返る「やる奴」と「やらない奴」の意味(上)表現をしなくては生きて行けない人と、しなくても生きて行ける人? [映画業界物語]

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今、振り返る「やる奴」と「やらない奴」の意味(上)表現をしなくては生きて行けない人と、しなくても生きて行ける人?

学生時代。映画学校。クラスの誰もが我こそは第二の黒澤明だ!と信じる個性の強い面々ばかりだった。が、授業は無意味なものばかり。実習をするにも機材は足りず、極々一部の生徒しか演出パートを体験できない。そんな学校に愛想を尽かし、2学期になると授業に出る生徒が急激に減る。

僕もそんな1人。近所のアパートに住む友人たちも同様。学校に失望。毎日、ダラダラと過ごしていた。そんな連中を集めて8ミリ映画を作ることを考えた。当時、人気の新進監督たちは助監督を経験せず大学時代に学生映画を作り、そのままプロになった人たちがいた。僕らもあとに続こう。見よう見まねで映画撮影。まずは僕が監督。かなり厳しい高校の文化祭映画のようなものができた。

次は友人たちの番。でも、皆、動こうとしない。1人が撮影まで漕ぎ着けたが、途中で挫折。中止したまま再開されずに終わった。やがて、皆、現実の壁にぶつかり失望し、バイトを始めたり、就職したり、古里に戻ったり。

これは学生映画だけではなく、ロックバンドや劇団でも同じだろう。夢見て上京。仲間を集め活動を始めるが、うまく行かず挫折。矢沢永吉の自伝を読んでも、横浜に出てきた矢沢が「ヤマト」というバンドを作り、アルバイトをしながら音楽活動を始める。それがいくつかのバンドを経て、キャロルに繋がっていく。

同じように僕も別のグループと知り合い、彼らと映画を撮り始める。先の同級生とは違い、こちらでは映画を作るのは当然。質の向上を求める。一つステージを上がった。が、学生映画出身監督では大した作品が撮れないという風潮になり、8ミリカメラの生産が終わったこともありブームは終焉を迎える。僕はアメリカ留学を考えた。

その頃の学生映画仲間と、僕が監督デビューしてから出会う俳優の卵たちと似ている。先に書いたあれこれ応援した若い連中のことだ。どちらも夢見て上京。頑張るが大きな壁にぶつかる。学生映画の友人たちは失望し潰れ、無言で去って行った。

そんな中で僕だけが生き残り、年月はかかったがプロの監督になった。なぜ、彼らを励まし、連れてこれなかったのか?そんな思いが長年拭えず、その贖罪が俳優の卵たちへの応援に繋がったのではないか?

その後、映画監督デビューして、第一線の俳優たちとお仕事させてもらうようになり、その凄さに驚愕した。今までは何だったんだ? 高校の体操クラブ? それがオリンピックレベル。大人と子供どころでない大きな差を痛感。

スタッフも同じだ。今、太田組で一緒に仕事するメンバーは皆、テレビ映画の第一線で活躍する人たち。ギャラが安いからと手を抜いたり、目を話すとサボったりはしない。誰もが全力で「素晴らしい作品にしよう!」と頑張る。どういうことなのか? 何が違うのか?次回、解説。(つづく)



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矢沢永吉の言葉を理解したのは10年もあと=かつて熱血教師のような若手監督だった僕? [映画業界物語]

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矢沢永吉の言葉を理解したのは10年もあと=かつて熱血教師のような若手監督だった僕?

監督デビューした頃。30代の僕はテレビの熱血教師ドラマを彷彿とさせるキャラだった。俳優卵たちを応援。無料のワークショップを開催。太田組俳優部を作ろうと、若い連中の面倒をよく見ていた。道を踏み外しそうになると、飛んで行って説教。自分がまだ監督業だけでは食えないのに、彼らに飯を食わせたり...「役者には成れないだろう」と思っても応援した。頑張れば、その経験が別の機会に生きるからだ。

当時の僕は卵たちに自分を重ねていたのだろう。でも、夢がある。それを掴みたい。でも、チャンスがない。誰にも認められない。高い高い壁ばかり。20代の頃に自分を思い出し、彼らを応援したくなった。が、次第に卵たちとの距離は次第に近づき、緊張感がなくなる。甘えが出て、宿題や特訓をやらなくても「監督は優しいから叱られない」というムードが強まってしまう。それでいて「次の作品には俺も出してもらえるかな?」という期待するばかり。

ある若い女優の卵に至っては「出演させてくれたら練習頑張る!」とか本末転倒なことを言いだす子もいた。中には「監督は何もしてくれなかった」と逆恨みする者。僕の名前を使ってイベントをしたり、「監督の推薦する芝居です」と自分が出演する舞台のチケットを売る者まで出て来た。若手を応援することに疲れた。そんなとき思い出したのが、矢沢永吉の言葉だ。

「矢沢さん。若者へのメッセージをくださいと、よく言われるんですよ。でもですね。やる奴はやる。やらない奴はやらない。幾ら言ってもやらない奴はやらないんですよ」

そちらを実感したのは、40代になり映画監督デビューした時のこと。「ストロベリーフィールズ」で出会った4人の若き女優たちは皆、天才と言える物凄い演技力を見せてくれた。僕が応援していた卵たちが逆立ちしても適わない。100年訓練しても追いつかないだろう。そんな子たちが存在するのが芸能界。

その後は第一線で活躍する有名俳優、ベテラン俳優と毎回、映画作りをするようになった。やはり凄い。僕があれこれ言わなくても、誰もが全力でかかる。実力ある人たちが全力! 卵たちは実力ないのに全力は出さなかった。彼らだけに罪がある訳ではない。与えられた教育の中で育った彼らに、自分で考えて全力で何かをやるという経験がないのだ。

それ以降。若者を応援するということはしない。それより素晴らしい映画を作ることに時間を使う。もう、追いかけてまで説教はしない。よく知る若手でも自分から手を上げなければ「やる気」はないと考えるようにしている。やる奴は言わなくてもやる。やらない奴は幾ら言ってもやらない。その指摘は正しいと思える...。寂しいけどね。



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太田監督のワークショプ。無事終了。多くの参加者に感謝。また、やりますね! [WS]

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太田監督のワークショプ。無事終了。

多くの俳優が来てくれて、大盛況。

あっという間の4時間でした。

多くの参加者に感謝。

また、やりますね!


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夢が見つからない若者たち。そんな時代なのか? [映画業界物語]

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夢が見つからない若者たち。そんな時代なのか?

「夢を諦めてはいけない。例え夢を掴めなくても、その経験は必ず生きる」

というようなことを僕は良く言う。ところが、高校時代に「夢を追いかけたい」というと、同級生たちによく笑われた。

「何、子供みたいなこと。言ってんだ? 夢は所詮、夢なんだよ」

つまり、将来、小説家になりたい、漫画家になりたい、歌手になりたい、俳優になりたい、映画監督になりたい、なんていうと、「なれる訳がない。お前、才能あるのか?」と思われたのだ。同級生たちは16〜17歳にしてすでに、こんな風に思っていたのだ。

「夢を追うのは世間知らずの子供。現実は大学に行き、就職をして、サラリーマンになること」

それが現実を見るということ。まあ、今考えると完全に国による洗脳教育が行き届いていたことを感じる。戦前に子供たちが「大人になったら兵隊さんになり、お国のために戦う」と思っていたのと同じ構図なのだ。しかし、不況が続き、会社員になることさえもが夢を追いかけることになってきた。契約社員が「私の夢は正社員になること!」というCMが流れる時代になった。

その意味で「どうせ、厳しい世の中なら、本当に好きなことをしよう」という風潮が出てきた。先に紹介した言葉「夢を諦めてはいけない。例え夢を掴めなくても、その経験は必ず生きる」を若い人にいうと、真面目に頷かれることが多い。僕の高校時代とはもう違う。ただ、別の問題が出てきた。そんなことをブログ等に書くと、こんなコメントが来るようになった。

「その夢が見つからないんだよ! 何が諦めるなだ」

これは考えもしなかった。子供の頃ならパイロット、おまわりさん、科学者、と皆、将来の職業を夢見た。その後も、皆、口には出さなくても作家、新聞記者、高校代理店、コピーライター、ロックバンドと憧れがあった。が、今時の若者はそれもないということか? 長くなったので別の機会に考える。


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