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「スターウォーズ =スカイウォーカーの夜明け」初日1回目に観た! [映画感想]

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「スターウォーズ =スカイウォーカーの夜明け」初日1回目に観た!

詳しくは書けない。「えー!」と驚かせられる真実もある。泣けるシーンもある。

でも、期待してはいけない。期待しないで観ても、それなりでしかない。

その理由はまたいずれ。


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ハリウッド映画はなぜ面白いのか?!スケールだけでなく編集が凄い?下(終) [映画業界物語]

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ハリウッド映画はなぜ面白いのか?!スケールだけでなく編集が凄い?下(終)

それがデジタルの普及で映画撮影からフィルムというものが必要なくなる。まず現像費がいらない。過去のデータを消して使うこともできる。フィルムではできないこと。これで過去の日本式撮影から解放。

フィルム代を気にせずに、同じシーンをいろんな方向から通しで撮影。ハリウッド映画のような動きのある編集ができるようになる!と思ったのだが、僕が監督デビューした頃の老スタッフたちはこういった。

「お前は計算できないのか? なぜ、不必要な使わないカットまで撮影する!」

驚愕。本末転倒。そもそも日本映画は貧しいから必要なところしか撮らなかったのだ。それがデジタル全盛になり予算をかけずに、いろんな方向から撮影できる時代が来た。

なのに、貧しかった時代の強がり理論を今も振り回す。彼らは演出パートではないにも関わらず「お前の撮影の仕方は間違っている」「映画はそんな撮り方をしてはいけない!」と現場で説教された。

簡単にいうと鎌で稲刈りをしていた農家に電動稲刈り機が導入された。それを年寄りが「それは稲刈りではない。鎌でやるのが正当だ」というような感じ。古いしきたりに縛られ、新しい方法論を否定する。どこの業界でも同じだが、映画界にもそんなベテランが多かった。

が、10年が過ぎ。その手のベテラン・スタッフは現場から姿を消した。もう僕が一番年上でその上の世代はもういない。僕と同じハリウッド式撮影をする監督も今は多い。行貞勲、岩井俊二ら同世代の監督は早くからそんなスタイルで撮影している。まだまだ製作費の額ではハリウッドに敵わないが、昔の日本映画のような舞台中継のような平板な編集ではなく、動きのある自由な編集が日本映画でも多く用いられるようになった。

ただ、過去の撮影法なら撮ったフィルムを繋ぐだけで基本的に編集が終わるのに対して、ハリウッド式なら何ヶ月もかかる。また、過去の日本式なら誰が編集してもほぼ同じような編集になるが、今は編集する人によっていろんな編集ができる。

そこに個性がでる。センスがない人が作業すると、映画が死んでしまう。テンポやスピードも大事。その意味で編集作業は以前以上に大変な仕事となってしまった。毎回、それを痛感する。でも、編集の可能性が広がるのはいいことなのだ。

(了)



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ハリウッド映画はなぜ面白いのか?!スケールだけでなく編集が凄い?(中) [映画業界物語]

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ハリウッド映画はなぜ面白いのか?!スケールだけでなく編集が凄い?(中)

編集段階で「ここでアップがほしかったなあ〜」と思うことがある。或は「相手役の表情を見せたいけど、主人公しか撮ってない〜」ということもある。日本映画は最初にシナリオを読んで考えた必要なカットしか撮らないからだ。

ベテランたちは「それはお前の計算が甘かったからだ!」と批判するが、シナリオの上で考えたことと、編集室で冷静に素材を見つめ時では、別の面が見えて来るのだ。

そのためにも、いろんな角度で撮影しておくべき。ハリウッド映画はそんな撮影をしている。豊富な素材から編集するので、後で後悔することもなく、編集でテンポも生まれ、スピード感を出すことができて、おもしろく映画を見せることができる。

そのことは映画の世界で働き出す前から知っていた。が、日本映画界の実情も分かるので仕方ないことでもある。が、監督業を始めておかしな現実に出会う。日本映画は貧しいので、必要なカットしか撮らないのに、あるベテランはこういうのだ。

「ハリウッドはバカだから計算できない。だから不必要な使わないカットまで撮影して、編集のときに選ぶんだよ。非効率的だな」

そんなことをいう映画人が何人もいた。計算できるかどうか?ではなく、貧しくてフィルムをたくさん買えないから、無駄のない撮影法が定着しただけ。それでは貧しい人がその日の食事にもこと欠くのに「金持ちはバカだから、栄養を考えずに食べてデブになる。俺たちは考えて食べるから太らない」というようなもの。単なる強がりであり、論理のすり替えでしかない...。

(つづく)



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ハリウッド映画はなぜ面白いのか?!スケールだけでなく編集が凄い?(上) [映画業界物語]

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ハリウッド映画はなぜ面白いのか?!スケールだけでなく編集が凄い?(上)

僕の高校時代。映画ファンだった頃。アメリカ映画が断然おもしろい。日本映画は金を出して見たいというものがなかった。「何が違うのだろう?」もちろん製作費。ハリウッド映画は膨大な予算でスケールの大きな作品。日本映画はとても敵わない。

が、そればかりではない。あれこれ考えていて分かったこと。編集だ。編集が明らかに違う。日本映画はまるで舞台中継のようだ。スピード感がなく、テンポも悪い。では、なぜ、そうなるのか?勉強した。

その昔、日本映画の撮影は必要なカットだけを撮影した。というのもフィルムは高価だし、撮影したあとは現像せねばならない。フィルム代と現像代の両方の料金がかかる。ハリウッドではリハーサルのときからフィルムをまわすが、日本では本番だけ。

そして必要なカットだけを撮影する。対してハリウッド映画は同じシーンを通しで何度も撮影する。日本映画は裕福ではないので、フィルムを有効に使わねばならない背景があった。そんな訳で当時の日本では映画を撮影するとき、監督は最初に編集を考える。

引き絵=>主人公の寄り=>相手役の顔に切り返し=>2人が話すところを横から撮影

プランを立てて撮影する。無駄な撮影をしない。事前に決めたカットだけを撮影。フィルム代節約ーそれだけが理由。唯一このスタイルのメリットは撮影した素材を順番に繋げば基本的な編集ができてしまうこと。そのためにハリウッドのような動きのあるリズ感がある編集ができなかった。ここにハリウッド映画との大きな違いがある。そのことがさらなる自由をなくしてしまうのだ...。

(つづく)



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映画の宣伝は宣伝部だけの仕事ではない。監督が中心になってこそ情報が広がる。 [映画業界物語]

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映画の宣伝は宣伝部だけの仕事ではない。監督が中心になってこそ情報が広がる。

沖縄戦ー上映準備宣伝ツアーから帰京した翌日にマスコミ試写会。翌日には上映用のBD作成のために、工場へ。昨日はネット関係の作業。でも、休憩で横になると寝てしまう。流石に体力限界。集中力が続かない。

まだ、お礼メールが届いていない方。申し訳ない。応援いただいていることは感謝なのだが、今はまず宣伝の方を優先したい。お礼メールと連絡に1日を費やすのなら、3分の1にして、残りを宣伝や準備にかけたい。

チラシ、ポスターも持てる限り沖縄に持って行ったが、それでは足りない。郵送でも送らなければならない。どこにどのくらい送ればいいのか? 現地で体感できたので、急ぎ準備。ただ、ポスターは巻いて、傷つかないように梱包せねばならない。郵便料も高い。その辺を考えて送り先と枚数を決める。

チラシも同様だ。宣伝費は限られている。増刷はできない。時には宣材を送っても開けもしないで、棚に置いておく人もいた。僕が現地に行ってそれを開いて配ったこともある。地元の方は「忙しい」としか言わず、ほとんど宣伝をしてくれず「公開が楽しみです!」とお客状態の時もあった。

沖縄の皆さんは「多くの人に見てもらおう!」と頑張ってくれるのでありがたい。宣伝は大切だ。が、監督業。宣伝はするがギャラは出ない。とりあえず、沖縄上映会が終わったら、生活費を稼がなければ。1ヶ月働いたから給料1ヶ月分という仕事ではない。それが監督業だ。多くの監督たちは「宣伝は宣伝会社の仕事」というが、監督が中心になり動くことが一番宣伝になる。効果も大きい。本日も作業だ。


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映画監督という仕事は「X men」のプロフェッサーXと同じ? [映画業界物語]

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映画監督という仕事は「X men」のプロフェッサーXと同じ?

「Xmen」の話でいうと、ミュータントが俳優なら、映画監督というのはプロフェッサーXだろう。「スターレック」シリーズのピカード艦長が演じたあの役。ミュータントの能力を探し、伸ばし、守り、それを生かす立場にいる、あの人だ。

そんなプロフェッサーの能力は、目からレーザー光線も出ず、爪が伸びて大木を切り裂いたり、空を飛んだりする者ではない。人の心を見抜き把握するもの。まさに監督業だ。映画監督というと撮影現場で怒鳴っている怖い人というイメージがまだまだ強く(それは黒澤明監督の印象です)演技指導をする仕事を思われがちだが、そうではない。

芝居をしたことのない監督が演技指導できる訳がない。指導ではなく、自分のイメージを伝える仕事。もちろん、それだけではない。他の監督はよく知らないが、僕の場合は演技以前に、その俳優は何を思い、何を考え、何を求めているか? を考え把握することが大事と考える。有名になりたい人なのか? 大金を稼ぎたいのか? 何のために俳優を続けているのか?

できる俳優の多くはそれらが目的ではない。パーソナルな目的があり、本当の自分探しを無意識にしていることが多い。自分とは違う役をすることで自分の存在を確認する。そのことで自分を知る。そんな俳優さんがどんな役を演じることで、その助けになるか? そこがキャスティングで大切な点だ。そこにハマれば素晴らしい芝居を見せてくれる。

それを把握し、見抜くことがプロフェッサーXである監督の仕事。演技の指導ではなく、心を見抜く仕事だと思っている。


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