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「スターウォーズ」最終章。もう一つの弱点?=俳優陣の弱さ? [映画感想]

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「スターウォーズ」最終章。もう一つの弱点?=俳優陣の弱さ?

(ネタバレはないけど、観てから読んで欲しい)

ファンが机の上で作った物語。だから、感動しないと前回書いたが、もう一つ問題がある。俳優だ。新三部作のレギュラーメンバーが皆、個性が弱く、魅力的でない。とても一生懸命に芝居はしており、下手ではないが、伝わって来ない。レイも、フィンも、どういう人か?よく分からないし、「レイ、頑張れ!」と心から応援したくならない。

比べて旧三部作。ルークを演じるマークハミルはその後の経歴を見ても決して演技派ではなく、普通の兄ちゃん。でも、ルーク・スカイウォーカーなのだ。レイアのキャリフィッシャーも、普通の姉ちゃん。でも、愛すべきお転婆プリンセスだ。ハンソロこと、ハリソンフォードはこの頃から名優。さらに新人3人を包み込むのが大御所アレックギネス。さらに敵のモフターキン総督=ピーターカッシング。俳優が皆、個性的だった。

前三部作だって、ナタリーポートマン、ユアンアクレガー、クリストファーリー、サミュエルLジャクソンと多くが存在感があった(アナキンの青年パートの彼だけミスキャストと思えるが)。その2つの三部作に比べて、今回は本当に弱い。好きになれない。応援したくならない。これは何なのか? 芝居が下手というのではなく、俳優自身に魅力がないのだ。その背景にあるものは?

俳優はプライベートが幸せだとダメになる。特に女優はそうだが、彼氏ができる。結婚する。子供ができる。そちらに思いが行ってしまい芝居に力が入らない。そんな女優は多い。逆に離婚したばかりはいい。「元夫に思い知らせてやる!」と芝居を頑張るからだ。つまり、何かを抱えている俳優の苦しみや悲しみが芝居に出るので、観客の心を打つ。代表的なのはジェームズディーン。彼の演技は涙を誘うが、演技ではなく、本当に孤独で寂しかったのだ。

悲しみでなくても個人の人生が出る。先のハミルやフィッシャーだ。フォードは大工仕事で生活費を稼ぎ、オーディションを受けていた時代。その意味で新三部作のレギュラーは皆、真面目に勉強する若き俳優たちでしかなかったのではないか? でも、悪いのは彼らではない。彼らを選んだ監督だ。JJはVFXにはこだわるが人間を描くのはうまくない。人より映画に愛がある人。それでアニメキャラのような人間味のない俳優陣を選んだのかも?

だから、最終章でも、あの俳優が出てきた場面(秘密!)は急激にクオリティが高くなり、涙がこぼれた。あれが大物俳優の力なのだ。そんなことも感じる。やはり俳優の力は大きい。



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「スターウォーズ」最終章は、心が震えなかった。その理由を考える? [映画感想]

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「スターウォーズ」最終章は、心が震えなかった。その理由を考える?

(ネタバレはないけど、観てから読んで欲しい)

まだ、昨日が封切り日なので観ていない人たちが多。詳しい感想を書くことでネタバレになるのは避け、違った角度での感想を書かせてもらう。今回の新三部作にルーカスは関わっていない。会社ごと権利を買い取ったディズニーが制作する新作。作るのは「スターウォーズ」を観て育ったJJエイブラムら次世代スタッフである。

これはnetflixのオリジナルドラマ「ストレンジャーシングス」等と同じ構図。あちらはスピルバーグ、リドリースコット、ジョージAロメロらの作品を観て育ったクリエーターのドラマ。日本でもその手のものが最近は多い。どれも共通するものがある。愛する作品をファンであるスタッフが続きを作る。そのために過去の焼き直しが多くなり、オリジナリティが失われて行く。

悪い言い方をすれば「スターウォーズ」ゴッコ。子供達がライトセーバーのおもちゃを持ち、オリジナルの物語を作り遊ぶ。それに近いものになることが多い。また、ファン出身の監督たちはよく映画の勉強はよくしているが、オタクであることが多く、映画以外の体験が少ない。これは漫画家の本宮ひろ志さんも昔、指摘していた。

「俺たちは河原で木刀持って喧嘩するような子供時代を送っていて、それを漫画にした。が、今の世代はその俺たちが書いた漫画を見て、自分は何も体験せずに漫画を書いてしまう。それでは読者に伝わらない」

が、今の次世代は本当によく勉強をしており、技術も知っていて、結構、面白いドラマを見せてくれる。が、「ストレンジャー」も第3シーズンから息切れ。同様に「スターウォーズ」も次第にパワーが落ちてきた。映画、映画で過ごした青春時代。その知識を駆使して愛する作品の続編を作っても、オリジナルには遥かに敵わないこと。痛感する。

どんなにオリジナルを愛していても「風と共に去りぬ」のファンが続編を書いてもダメ。白土三平の「カムイ伝」の続編をファンが書いても無理なのだ。同じことが「スターウォーズ」に言える。別角度からいうと、今回の物語は机の上で書かれたもの。「驚きの真実」=(旧三部作でのベイダーとルークの関係を踏襲)「感動の結末」「新しいアクションシーン」「伏線の回収」ということをあれこれ机の上で考え、あるいはスタッフとディスカッション。

そんな形で作られたストーリーなのだ。非常にうまく出来ている。が、その種の物語は心に刺さらない。頭で作ったものは頭では理解するが、心に伝わらない。そこには「スターウォーズ」愛はあっても、社会経験の中で感じた痛みや喜びが込められていないように思える。

旧作にはルーカスの思いが込められていたが、新三部作にはそれがない。だから大きな感動が得られない。それをクリアしているのが、同じ次世代の若いスタッフが作る「ゲゲゲの鬼太郎」だ。また詳しく解説する。



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2019年は「ドキュメンタリー沖縄戦」で暮れていく?=だが、全国公開の許可、未だ来ない! [My Movies]

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2019年は「ドキュメンタリー沖縄戦」で暮れていく?=全国公開の許可、未だ来ない!

今年は年始から「ドキュメンタリー沖縄戦」の仕上げ。3月に完成。そして過労でダウン。数ヶ月寝込み。秋から宣伝。そして沖縄上映会。1本の映画を作るとはこういうこと。もちろん、3年がかりであり今年だけのことではない。

あとは3年ぶりにワークショップをした。それだけで1年が終わろうとしている。「スターウォーズ」の最終章も見てしまったし、あとは「寅さん」を見たら今年は終わりだ。が、来年の戦いはすでに始まっている。「ドキュメンタリー沖縄戦」を全国公開に持って行かねば。沖縄で上映しただけで終わりにしては意味がない。

全国へ。いや世界に発信してこそ、この映画の意味がある。配給会社も、映画館もぜひ、やりたい!とすでに手を挙げているところがある。なのにスポンサーがその許可を未だに出さない。沖縄県のデニー知事からも「ぜひ、全国で公開を!」との要請を頂いている。その連絡はすでに伝わっていると思えるが、スポンサーから「では!」という返事は来ていない。

前々から「映画館で全国公開する必要なし」との意向を聞いていたが、沖縄戦を伝える映画を作りながら、沖縄で2日間だけ上映して終わり=それに何の意味があるのか? 何のために作ったのか? 全国で、見られては困る理由でもあるのか? 全国公開がとても意味あること。何度も伝えている。

もう少し返事を待ってみるが、長くは待てない。何ヶ月も経ってしまうと映画館が上映してくれなくなる。映画は鮮度。できたらすぐに上映するのが業界のルール。今なら間に合う。交渉を続けたい。



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