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「明日にかける橋」映画館で今週末にアンコール上映。未公開スチール紹介! [2019]

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ついに今週末にアンコール上映だ。と言うことで映画を思い出してもらうために未公開スチールを探してみた。この写真は公開前、公開中は絶対にアップできない超丸秘写真。

映画をご覧になった方には説明の必要はないが、あの場面だ。このスチールだけ見るとコメディのようにも見えるが、超感動シーン? 今週末、ららぽーと磐田で、もう一度ご覧頂ける。12日、午後2時から。1回限り。



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「明日にかける橋」高校生みゆき役の越後はる香 出演CM 熱烈応援 [キャスト]




「明日にかける橋」高校生みゆき役の越後はる香
出演CMです 熱烈応援

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「明日にかける橋」映画館でアンコール上映。ロケ地で!今週土曜日! [2019]

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「明日にかける橋」映画館でアンコール上映。ロケ地で!今週土曜日!

ついに今週末にアンコール上映だ。と言うことで映画を思い出してもらうために未公開スチールを探してみた。かなり未公開も公開したので、一度はアップした写真かもしれないが、ご容赦。

これは藤田朋子さんの撮影日のもの。まだ衣装の白衣を着ていないので撮影前だ。隣で怪しい男が生徒役の皆さんに何やら説明をしている。昨年、静岡朝日テレビで放送された「明日にかける橋」のメイキングで紹介されていたが、藤田さんは撮影前。緊張する生徒たちをリラックスさせるために延々と話をしてくれた。

それで皆、元気になり、あの場面が撮影できた。もう、藤田朋子ワンマンショーと言うべき、いい話で、そのまま撮影して放送したかったくらい。そんな藤田さんの役柄は化学の先生。あの映画でいうと、あの役だね? 今週の土曜日。12日。ららぽーと磐田で14時から1回限りの上映。昨年買った前売り券も使えるのでぜひ!


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「明日にかける橋」鋭い人はちゃんと見ている!音楽家さんから頂いたコメントにニコニコ。 [再掲載]

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「明日にかける橋」鋭い人はちゃんと見ている!音楽家さんから頂いたコメントにニコニコ。

映画を作ると、あれこれ当て外れな批判をしてくる人がいる。
知りも知らないのに思い込みだけでコメントしてくる。それに対して、おーーここまで見てくれているか!というコメントは少ないが、ときどきあり、感激する。

今回紹介するコメントは音楽家の愛森さんのもの。いつも鋭い意見をくれる方だが、今回は特に嬉しい。映画の映像や俳優の演技については鋭く見ている方がいるが、「音」「音楽」に関しては一般の人ではなかなか分からない。その点、愛森さんはやはりプロの音楽家。ぜひ、読んで頂きたい。

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BY 愛森さん

愛森も映画に音楽は必要だと思います。「スターウォーズ」の音楽、使いすぎだとは思いません。うまく表現できないのですが、音楽によって心も映画の世界にスムーズに入りこめます。

以前から思っていたのですが、太田監督の映画、他の日本映画に比べて音楽、しかも生楽器が多いと思う。それが良いのだと思います。BGMというよりも、その場面の感情を音楽でも表現しているように感じます。うまくコメントできないのですが。。。。

あと、太田監督以外の日本映画の多くが役者さんの台詞などが平面に対して、太田監督の映画はハリウッド映画のように役者さんの台詞が立体的なのです。しかもその場の空間に合わせたリバーブを使っている。だからこそ、その場面に入りこんでしまいます。

他の日本映画はノイズ(雑音)を排除している作品が多いのに、太田監督の映画にはノイズ(雑音)がちゃんとある。窓際だと、外の車の音などのノイズ(雑音)などがあるので、その場にいる感覚になれる。その為の作業、本当に大変だと思う。

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ここから再び、監督太田が書きます。今回の「明日にかける橋」でいうと、職員室のシーン。山田先生と三者面談のところ。(大人みゆきが登場したシーンも)運動場からサッカー部の声がかすかに聞こえて来る。これは撮影中にサッカー部が練習していた訳ではなく、あとから入れたもの。

板尾創路さんが身代金を持ってお寺に行くときも、多くの風鈴の音が入っている。実際にお寺で風鈴祭りというイベントがあったのだが、それをたまたま録音したのではなく、録音部さんが別に録っておいてくれたのを、MA時に思い出して入れたのだ。

犯人登場の活劇場面だが、心安らぐ風鈴の音が入ることで、不思議な感じが出るからだ。そんなふうにただ見ていると気付かない音の工夫もあれこれしている。そこに気付いてくれる人がいるときは、とても嬉しい。

あと、音楽。遠藤浩二さんという日本で一番忙しい映画音楽家が毎回、担当してくれている。音楽の話はあまり記事にいていないので、近い時期にまた書かせてもらう。


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「明日にかける橋」を久々に見ると新鮮。結構、客観的に見れて面白い? [再掲載]

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「明日にかける橋」を久々に見ると新鮮。結構、客観的に見れて面白い?

訳あって「明日にかける橋」を見直している。最後に観たのは東京。有楽町スバル座の最終日。それから4ヶ月くらい。次のプロジェクトが始まり、頭が切り替わったこともあり、かなり新鮮。黒澤明監督も7年くらい経つと、素直に自作が観れると言っていたが、同感。

撮影から時間が経たないと、観ていて「ああすればよかった...」「ここは撮り直したい...」と反省ばかりが先に立ち、作品を素直に見れない。本当にこのシーンで泣けるのか? 笑えるのか?と疑心暗鬼にもなる。それが数ヶ月で結構、素直に観れるようになった。

自分で自作の印象を書くのも変な話だが、「明日にかける橋」は基本、SFかフアンタジーである。「バック・トウ・ザ・フューチャー」の日本版と一応言っている。だが、観ているととオープニングからして、SFではない。そしてヤングみゆき(越後はる香)編はまるで文芸映画のよう。

宇宙人もUFOも出てこない。超常現象も幽霊も出ない。普通に家族ドラマ。それも超真面目な物語に思える。タイムスリップものの多くは、「BTTF」を始めコミカルな描写がある。日本だとアイドルが主人公を演じて、「えーーーここは1990年なの〜」という演技をしがち。

それが越後を始め、皆、シリアスで重厚な演技。ま、自分でそういう演出に決めたんだけど。その辺が印象的。また、タイムスリップものの多くは、現代から物語がスタートして、過去へ行く。それがお決まりのパターン。だが、「明日」は過去からスタートして、現代になり、再び過去に行く。これはめずらしいスタイル。

だからこそ、後半で観客が大人みゆきを応援したくなる。観客も過去を体験することで、よりみゆきの気持ちがわかるようになるからだ。そんな仕掛けもありつつ、物語は弟・健太の死が描かれる。「弟を死なすか?」という感じ。通常、この手のドラマはコミカルだったり、ファンタジーらしい演出をする。

タイムスリップ前に時空の歪みを感じる現象があったり、不思議な出来事があり、予感させる。が、「明日」はそれが一切ない。文芸作品を見ているような気になるので、弟の死はかなりショッキング。誰かもツイッターで「上映スタート10数分で驚愕の展開」と書いていたが、あらすじを知らないとそう思うだろう。

そのあとの葬儀。これもめっちゃシリアスにリアルに描いている。そこで「泣ける場面①」の里美先生(藤田朋子)とみゆき(越後はる香)のシーンとなる。この辺も全然SF色がない。観ていて胸が苦しくなる。里美先生と一緒に「みゆきのせいじゃないよ!」と伝えたくなる。

さあ、このあとが酷い。アルビノーニのアダージョ♬に乗せて平成不況が描かれていく。その時代の中で翻弄されるみゆき一家。もう、全然SFでも、ファンタジーでもない。長尺の文芸作品のよう......なんて、思いながら見ている。さあ、このあとは大人みゆき(鈴木杏)編となる。



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地方のおばちゃんたちが作った映画。故郷アピール効果は1億円以上!凄い。 [地方映画の力!]

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地方のおばちゃんたちが作った映画。故郷アピール効果は1億円以上!凄い。

 今週末、ロケ地の一つである磐田市にあるららぽーと TOHOシネマズで「明日にかける橋」がアンコール上映される。1日限りだが、これは異例中の異例だ。映画館は上映待ちの映画でいっぱい。だから、完成してから1年待ちというのが通常。

それなのに、年が明けてからもう1度上映しようと映画館側から提案があった。それも昨年の公開で9週間も上映している。理由は多くの人が「もう一度観たい!」という声を映画館に届けたからではないか?と想像する。僕のFacebookをお読みの方はすでにご存知だと思うが、この映画は静岡県袋井市に住む3人のおばちゃんが

「何か故郷をアピールできること。ないかな?」

という思いからスタートしている。そこにお坊さんが参加。次々に街を思う人たちが集まり、隣町の磐田市、森町からも手をあげる人が出て来て、遠州の一大プロジェクトとなった。

それも市や県が製作費を出したというのではなく、市民の寄付を集めて映画を作った。その熱い思いに応えて、多くの有名俳優の出演が決定。鈴木杏、板尾創路、田中美里、藤田朋子、宝田明。全員主役を演じることのできる人たち。企業映画でもなかなか実現できない豪華オールスター映画となった。

一昨年の夏に撮影。おばちゃんたちはボランティアで映画撮影をサポート。ロケ弁も全ておばちゃんたちの手作り(その模様はメイキング「越後はる香 16歳の挑戦」でも紹介。昨年、静岡朝日テレビで放送された)無事撮影を終え、年末に完成披露試写会。昨年夏に東京&大阪公開。秋からは全国公開(通常、地方映画は地元だけで上映。終わることが多い)

そして地元遠州ではTOHOシネマズで公開。9週間のロングランとなった。ロサンゼルスの映画祭にも招待され、特別賞を受賞。大いに盛り上がった。特に地元の方々は映画を見て

「私たちの住む街がこんな素敵なところだと思わなかった」

と思ったそうだ。映画に登場する明日橋も有名になり、他県から見に来る人たちも増えた。おばちゃんたちの願い。故郷のアピールがまさに実現されたのである。映画というのは映画を見た人だけにアピールするわけではない。

公開時には多くのマスコミが取り上げる。その際に袋井、磐田、森というロケ地も紹介される。街の映像がネットやテレビを通して全国に拡散される。俳優たちがブログやインスタグラムで紹介。メディアを通して思い出を語る。広告代理店の友人に聞くと、それらを宣伝費として計算すれば1億円以上の対費用効果となるらしい。

有名な観光地はバンバン宣伝するが、地方都市は予算がなく、そうはいかない。そんな中で遠州のおばちゃんたちは市民の力だけで、1億円分以上の故郷アピールをしたということ。本当に凄い。そして映画は映画館で上映して終わりではなく、様々なメディアで配信され、100年近く残るメディア。まだまだ故郷アピールは続くという訳だ。

「やればできる!」

それをおばちゃんたちは身を持って証明したのである。そんなオールスターキャストの感動映画。いよいよ今週末にららぽーと磐田でアンコール上映だ。1月12日(土)14:00〜。お近くの方はぜひ、ご覧いただきたい!


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映画監督は現場で何をするの=俳優に演技指導ってどうやるの? [映画業界物語]

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映画監督は現場で何をするの=俳優に演技指導ってどうやるの?

DVDの特典映像やテレビの特番。撮影現場を見ることができる。昔、見た「影武者」の現場では巨匠・黒澤明が怒鳴っていた。「怖かった!」あの名優・大滝秀治さんまで怒られていた。そんな風に監督というのは現場で怒鳴っている人!と言う印象を持つ人が多いだろう。

昔は監督だけでなく、スタッフでも怒鳴る人が多くいて、現場は戦場のようだったと聞く。怒鳴るどころか殴られたりもする。いい意味ではそれだけ真剣。悪くとれば野蛮?だったが、現代の撮影現場ではかなり少なくなった。それでも監督と言うと、あれこれ俳優に厳しいことをいう仕事ではある。僕の後輩も現場ではあれこれ俳優に指示を出す。

「もっと激しく」「もっと強く」「そこは静かに」

「違う! もう一度!」

とメイキングで見るようなことを言っている。では、太田組はどうか? 僕はほとんど何も言わない。

「太田組は自由行動!」

と自分でもよく言うが俳優にあれこれ指示は出さない。よく言われる「監督の仕事は演技指導」なのだが、それがそもそもおかしい。監督は演技経験がない。伊丹十三監督なら元俳優なので経験があるが、普通はない。経験したことがないものが何で指導できるのか? 現場での演出は指導ではなく、希望を伝えているのだ。もっと明るく演じてほしい。もっと抑えた演技をしてほしい。

ただ、カメラのフレームから出て芝居をすると意味がないので、この範囲で動いてほしいとか注文はつける。カメラのピントを送る時間がいるので、ゆっくりと動いてほしいと言うのもある。それも希望であり、お願いだ。だから演技指導なんてない!と言うのが僕の考えだ。

そんな風に言うと皆、混乱するので説明しよう。そもそも、現場であれこれ指示しなくても、シナリオに全てが書かれている。暗い気持ちなのか? 明るい気持ちなのか? そして全編を通して読めば、その人物がいかなる性格なのか?分かる。あとは、それぞれの場面で、その人物がどんな反応をするか?考えれば芝居は決まってくる。なのに現場に来て監督に

「違う!」

と言われたとしたら脚本が読めていないと言うことなのだ。それは演技以前の問題。同時に、そんな俳優を選んだ者=つまり監督の責任なのだ。その流れで俳優側から考えてみよう。シナリオを読む。自分が演じるキャラの目線で物語を知る。性格を把握する。この場面ではどんな気持ちか? このシーンの怒りはどのレベルか? 個々の感情を想像する。

そんな風にして準備したのを披露するのが撮影現場。そして監督=僕からすると、その役が演じられる俳優を選んでいる。時には、その俳優に合わせて役を書いている。演じられない訳がない。あとは、どんな風に演じるか?だけ。

例えば、その役の性格が方角で言うと「西」だとする。なのに「東」を演じるとアウト。でも、「東西」や「北西」ならOKだ。そこは俳優の判断。西方面であれば問題はない。そのために僕のシナリオは当て書きでなくても、役の幅を取ってあって、北西でも東西でも演じられるように書いてある。そこが通常のシナリオと違うところ。もし、ベテランの脚本家が読めば

「キャラの造形が甘い。個性的でない!」

と指摘されるだろう。が、その通りなのだ。ギチギチにキャラを作り上げると、個性的にはなるが、それを本当の意味で演じられる人が極端に少なくなる。そのタイプの俳優が演じられないと成立しない。近い俳優が演じても実力がないと60点しか取れない。個性が合っていて実力あり。探すのは大変だ。そんな役を書いてもいろいろ大変なことばかり。

けど、幅を取って書いておけば、多くの俳優が演じられる。さらにキャストが決まればその俳優に合わせて書き直す。そうすれば、その人しか演じられない役になる。「逆当て書き」?と言える手法だ。だから、太田組作品に出ている俳優さんは皆、個性的なのだ。役に合わせて演じるのではなく、俳優の魅力に合わせて役を近づける。

あと、できる俳優さんを選ぶ。演技力だけでなく、その俳優なら、この役が演じられる。その役を理解できる。その役と同じ思いを持っている人を選ぶ。人気があるから、事務所が大手だから、仲がいいから、と言うことでは絶対に選ばない。

以上のような方法論でシナリオを書き、役を創造し、キャストを選べば、もう現場であれこれ言う必要はない。それで間違った演技をするなら僕が悪い。キャスティングを間違ったと言うこと。だから、現場では

「どんなな演技で来るのかな?」

と楽しみに待つだけ。俳優はカメラの前で考え抜いた演技をしてくれる。

「なるほど、そうきたか!」

大抵の場合。僕の想像の上を行く芝居をしてくれる。方向性が合っていても想像を下回る芝居だとつまらない。あと監督がするべきは、俳優がやりやすい環境作りをすること。演技に集中できる状態を守ること。時にはリラックスさせたり、冗談も言う。が、ここぞと言うときはマジに対応する。あと、その場面の前後関係などは説明する。夜でも昼のシーンを撮ることもある。

あと監督の中には怒ったり、追い詰めたりして、演技させる人もいるが、僕はしない。そんなことしなくても多くの俳優は自身を極限まで追い詰めて芝居をしてくれる。そんな俳優を選んでいる。ただ、俳優ではなくタレントだと、俳優業をアルバイトと考えて、手抜きしたり、半分の力で演じる人もいる。でも、その手の人は最初から選ばない。もちろん、元歌手、元お笑い芸人でも、素晴らしい俳優はいる。が、

「このあとテレビの収録なので、早めに終わってほしい」

とマネージャーが言ってくる俳優は起用しない。命がけで演じてこそ俳優。いくら名前があってもバラエティを優先するのなら俳優とは言えない。つまり、全てはキャスティングなのだ。伊丹万作監督(十三監督の父)が言ったことが正しい。

「100の演出より、適役のキャスティング。それで映画の70%は決まる」

だから、僕は現場であれこれ俳優に指示しない。確実にできる人を選んでいるからだ。あとは信頼して自由にやってもらう。そうすれば素敵な作品になる。僕の映画は多くの人に

「感動しました!」

と言ってもらえるのは、僕の力というより、素晴らしい俳優さんたちの力なのだ。つまりキャスティングは大事ということ。ただ、太田組式のこの方法論が可能なのは、僕自身がシナリオを書き、キャスティングをし、演出をするからだ。分業だとできない。あと編集もするので、可能。

日本映画界では昔からキャスティングは監督がするが、最近はプロデュサーがあれこれ口を出したり、大手プロダクションに心惹かれて選ぶ監督もいる。大手から裏金をもらって俳優を決めるPもいる。そんな奴があれこれ言って来たら、僕の方法論は破綻する。大事なのはシナリオ。そして俳優だ。信頼できる個性と力を持った俳優を選ぶこと。そうすれば自ずと素敵な作品が出来上がる。


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俳優業は過酷。だからこそ、信頼できる監督と仕事がしたい? [映画業界物語]

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俳優業は過酷。だからこそ、信頼できる監督と仕事がしたい?

アンコール上映が近いので、「明日にかける橋」の話を書いてみる。ある取材で、今回出演のある女優さん。太田組初出演の方がこんなことを話していた。

「俳優陣の監督への信頼感が凄かった....」

これは嬉しい話。褒められることが少ないので素直に喜ぶ。が、それだけではいけない。分析してみよう。信頼感って何だろう? 俳優の立場に立って考えてみる。基本、俳優は監督を信頼しようとする。初めての監督でも信頼しようとする。なぜか? 俳優は孤独な仕事だ。そして物凄い気遣いをしなければならない。

まず、スタッフに気を使う。メイクさん。衣裳さんがいるから、メイクをしてもらえれ、衣装を用意してもらえる。だから、感謝の気持ちを持って接する(もちろん、一部には横暴な俳優がいて、仕事なんだから当然だろ?と言う態度の人もいるが、多くは感謝の気持ちを持つ)そして撮影部、照明部には美しく、あるいはカッコ良く撮ってもらわねばならない。

小道具さん。美術さん。その他のパートも、俳優を盛り上げ、いい芝居ができるようにするために頑張る。俳優側からすると必要不可欠な存在。だから、後輩には厳しい俳優でもスタッフには丁寧に接する人が多い。

感謝の気持ちが大きいが、もし嫌われて、意地悪されたら、照明をしっかり当ててもらえない。素敵に撮ってもらえない。合ってない衣装を渡されとも限らない。だから、好感を持ち、応援してもらえるように、いつも明るく丁寧に接するようにする。

スタッフだけではない。俳優は共演者にも気を使う。まず、先輩。撮影前には必ず挨拶に行く。俳優部は体育系だ。挨拶は絶対だ。そして共演者。気持ちよく芝居をするためには仲良くせねばならない。芝居は1人では出来ない。連携プレイだ。相手が真剣に演じてくれるように、愛想よく対応する。

中には意地悪な俳優もいて、わざと本番直前に嫌味を言ったりする人もいる。根に持たれたら撮影期間の1ヶ月。ドラマなら3ヶ月以上も一緒に仕事せねばならない。休憩時間も一緒だ。だから、互いに気持ちよく仕事ができるように、気を配る。撮影待ちの俳優達を見ていると、俳優同士、本当に気を使い合っていることが伝わってくる。

神経ピリピリ。

大先輩が一緒だともう大変。先輩を怒らせるようなことがあれば....とんでもないことになる。さらに主役を演じた時は、共演者に妬まれたりする。それだけで攻撃対象にされる。ブレイク中の俳優も同じ。撮影中、先に帰る。次の仕事がある。先輩達はよく思わない。「もう、お帰りですか? 我々はこれからだと言うのにねえ?」嫌味の一つも言われる。

本当に俳優業は大変だ。だから、多くの俳優さんは非常に気配りができて、いい人が多い。接すると好きになる。と言うのは、そういう人でないと俳優業を続けられないと言うことがある。人気があれば多少ワガママでも仕事はある。が、人気が落ちたら終わり。誰も助けてくれない。長く俳優を続けられるのは本当に気がつく、素敵な人が多い。

でも、それだけに無理をしたり、物凄いストレスになったりする。そのために体を壊したり、心が病んだりすることも多い。酒に走ったり、薬に依存したり。だから、有名俳優やタレントが時々、おかしな行動を取って芸能ニュースになることがある。一般人からすると意味不明の行動。想像を超えたストレスやプレッシャーに晒されることが原因なのだ。

そのためにドラッグに走ったり、新興宗教にはまったりもする。一般から考えると、なんで?クスリなんか?何であんな怪しい宗教に?と思うが、心が擦り切れ、如何しようも無いところまで追い詰められているのである。特に俳優は繊細でナイーブ。そこに先の気遣い。いじめ。ストレス。本当に大変な仕事なのだ。

作品は監督の思いを形にするもの。その監督が何をどうやって、どんな風に作りたいのか? それを理解しないと芝居は出来ない。中には

「俺は俺のやり方でやるんだよ。監督なんて関係ねえよ」

という俳優もいるが、それではうまくいかない。出来た作品を見ると1人だけ勘違いな芝居をしていることになる。だから、多くの俳優達は監督を信頼することで、その世界観や方向性を理解して演じようとする。

ただ、信頼しようとしても、難しいこともある。何がしたいのか? 分からない人。あまり深く考えていない人。これまでの作品がロクでもないものばかりの人。やる気がない人。信念のない人。Pの言いなり。自分のスタイルがない。信頼したくても出来ない監督というのも多い。

「本当にこの監督の言うことを聞いて演じて、いい芝居ができるのかな?」

そう不安になることも俳優には多い。が、信頼するしかない。なのに出来上がった作品を見ると??????と言うものだった。俳優はそんな経験を何度もしている。だから、信頼はせねばならないが、なかなか信頼できないと言うのが本当のところ。なのに、太田組初出演のベテラン俳優さんはいう。

「俳優陣の監督への信頼感が凄かった....」

これは本当に嬉しいことなのだ。詳しく言うと、俳優は俳優で撮影前にシナリオを読み、演技プランを考える。それを現場で実践する。それに監督は「そうじゃない」とか「もう少しこう言う風に」とか注文をつける。その時に「ああ、そう言うことか!」と納得できる指示をされるのならいいが、「何でやねん?」と思うこともある。それが続けば不信感になる。「何を求めているの?」と思える。

方向性の基本は監督の思いであり、趣味だ。でも、それだけではダメ。人の行動には一貫性や心理展開がある。俳優はそれを踏まえて演じる。特にベテラン俳優は物凄い演技プランを考えている。あれこれ考え尽くして決めたプランで撮影に臨む。いい加減に考えている監督では太刀打ちできない。

だから、監督は俳優以上に考えねばならない。そして俳優は自分の役だけ考えればいいが(凄い人は他の役まで把握する)、監督は出演者全ての役を考えねばならない。それでいて俳優以上に考えていないと演出はできない。それでこそ、俳優は

「ああ、この監督は考えている。信頼できる!」

と現場で感じる。そして出来た作品を見た時に自分の演技を見て、同時に作品全体を見て完成度が高ければ、本当の信頼に繋がる。そんな監督と仕事をするのは俳優としては嬉しい。疑うことなく、信頼して演じれば、いい芝居ができり。素敵な作品ができる。仕事が楽しくなる。つまり先の俳優さんの言葉は、多くの俳優さんからの評価でもあるのだ。

それも「信頼していた」ではなく「信頼感が凄かった」なのだ!とても嬉しい。考えてみると、今回のメンバー。多くが2本目3本目の俳優さんばかり。以前の作品で「いい仕事が出来た!」と言う評価でもある。そして俳優に信頼されてこそ、いい作品になる。俳優が迷ったり、疑っていたりしては、いい芝居ができない。それは作品クオリティの低下に繋がる。

と言うわけで、今回も素敵な作品が出来た。12日にはロケ地でアンコール上映。近隣の方はぜひ、観て頂きたい。最後の映画館チャンスだ。



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Bridge Over Traubled Water The memory of 1989 -Trailer [予告編]



Bridge Over Traubled Water The memory of 1989 -Trailer
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高倉健を評価するハリウッドの映画人たち。ドキュメンタリー「健さん」を見た。 [映画業界物語]

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高倉健を評価するハリウッドの映画人たち。ドキュメンタリー「健さん」を見た。

夜中まで作業したので、そのあとはNetflixで「ストレンジャーシングス」のシーズン2を見ようと思ったが、画面に表示される「お勧め映画」の中に、高倉健のドキュメンタリーがあった。公開時に気になっていたが、知らぬ間に終了。Netflixは全ての作品がタダで観れるので(月額では払っているけど)今夜はこれにした。

著名人を中心に健さんの想い出を語る構成。「単騎、千里を走る」の共演者である中国人俳優が日本で健さん所縁の地を訪ねるのを柱としている。マーティン・スコッセッシとも交流があったことにまず驚く。考えると、「ザ・ヤクザ」の脚本はポール・シュレイダーだ。彼は「タクシードライバー」の脚本も書いている。

スコッセッシは健さんと仕事することを願っていて、「沈黙」にも出演依頼をしたそうだ。実現していれば〜と残念に思う。というのも、健さんが出ている「ブラックレイン」をL Aのチャイニーズシアターで見ている。同映画の日本ロケ時のスタッフルームも訪ねている。映画館では上映終了時に拍手が起きた。健さんを含む日本人俳優陣への賞賛にも思えた。

当時、アメリカではトシロー・ミフネしか知られておらず、日本人として少し寂しい思いをしていた。高倉健だって、アメリカに通用するんじゃないかな?と思えていただけに「ブラックレイン」はうれしい映画だった。そのあとに日本ロケの「ミスターベースボール」が作られ、健さんは再び出演。

だが、それから20年以上、彼はアメリカ映画に出ていない。日本人が出演する企画がないのか?と思ったが、いろいろとオファーはあったこと。そのドキュメンタリーを見て知る。「ベストキッド」のミヤギ役も健さんに依頼があったそうだ。が、これも断った。「MISHIMA」の三島由紀夫役も依頼されていた(これもLAの映画館で見た)

結局、同じケンだが、緒形拳が三島を演じた。きっと、他にもあれこれオファーがあったに違いない。が、皆、断ってしまい「ミスターベースボール」が最後のアメリカ映画出演。とても惜しい気がする。

僕もアメリカ生活が長かっただけに、日本人がハリウッドで戦うことの大変さは感じる。それでも高倉健なら十分に通用するのでは?と思えていただけに、そのドキュメンタリーを見て多くのハリウッド監督や俳優たちが彼を評価していたこと。嬉しく思った。が、やはり作品が少ないので一般のアメリカ人は彼の存在を知らない。

現在では同じケンだが、渡辺謙がアメリカで有名。真田広之も活躍している。真田の師匠である千葉真一もハリウッド進出をし、もう10年以上になるが「キルビル」以降出演作がない。対する弟子の真田は「ラストサムライ」「ウルヴァリン」「ラッシュアワー3」「スピードレーサー」「ジョン・ウィック3」と大活躍。

個性や実力だけで成功する世界ではないこと。あらためて感じる。ハリウッドだけでなく、日本でも同じ。実力があった上に運があり、チャンスが必要。それが映画界なのだろう。



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