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今夜、(9月12日)配信のネットテレビ番組に出演します! [8月ー2018]

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今夜、配信のネットテレビ番組に出演します!

9/12(水)19:30~19:50
森友理沙「エンタのKakera!」

20分くらい「明日にかける橋」横浜公開の告知させてもらるとのこと。感謝。

横浜にある、元横浜銀蝿のリーダー嵐さんの御店からの中継です!

http://kurofunetv.main.jp



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「明日にかける橋ー1989年の想い出」ららぽーと磐田、上映延長決定! [9月ー2018]

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「明日にかける橋ー1989年の想い出」ららぽーと磐田、上映延長決定!

大ヒットで延長上映。週末の三連休はぜひ!

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舞台は静岡県の袋井市、磐田市、森町。

「朝日のあたる家」「向日葵の丘」「青い青い空」の太田隆文監督作品。

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鈴木杏、板尾創路、田中美里、越後はる香、藤田朋子、宝田明。

http://asunikakeruhashi.com



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表現の仕事は憧れだけではできない。「命がけでやる!」という思いがある者だけが成功する世界④ [映画業界物語]

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表現の仕事は憧れだけではできない。「命がけでやる!」という思いがある者だけが成功する世界④

日本人は10年間、与えられるだけの勉強をする。バイト先ではマニュアルを守って仕事。そんな生活を続けて来た多くの若者は、その種の価値観に縛られてしまい、自分がやりたいことがあっても、店や会社やまわりの人々に気遣い、我慢し、耐えて、同じ日常を繰り返そうとする。また、そんな価値観を刷り込まれていることに気付かない若者が多い。

もし、彼らがサラリーマンになるというのならいい。が、俳優になりたい。映画監督になりたい。歌手だ。小説家だ!というのなら、それではダメ。身近にもこんな若者がいた。本気で役者になろうとしている俳優の卵。応援していたが、「バイトがあるのでオーディションに行けない」いう。

また、店や同僚のためにオーディションに行くのを我慢できるということは、それほどの情熱がある訳でもないということ。もし、それで店長に叱られて「クビだ!」と言われてもいいじゃないか ? でも、彼はオーディションに行かない選択をした。つまり「俳優業」より「生活の安定」「まわりに迷惑をかけないこと」が大事ということ。

では、彼はバイト以外に何をしているのか?というと、演劇学校でレッスンを受ける。ワークショップに参加する。これも10年間の価値観に沿ったもの。何かをするにはまず学校。演劇や映画作りが学校で学べないことに気付いていない。こんな若者もいた。仕事依頼が来る。

「すみません...前々から決まっていた友達の結婚式があるので行けないんです...」

俳優業より、友達の方が大事ということ。どれだけ真剣だといっても、彼の中の価値観は「演じる」ではなく、「友達」が上なのだ。そのことで彼に声をかけた業界人は「彼は真剣に俳優をしたい訳ではないな...」と判断する。二度と声をかけない。その話は関係者に伝わり、彼はさらにチャンスを失う...。

つまり、本気なら「今日は同窓会だから」「友達と飲み会あるし」「本日はゆっくりしたいから」「バイトがあるから」なんて考えない。チャンスがどれだけ貴重なものか?知っている。

大手テレビ局の仕事なら、誰でも大きなチャンスと思うだろう。しかし、そんな展開はいきなり起きない。小さなチャンスを大切にして、それを繋げて行く。それが大きなチャンスに繋がる。タダ働きもある。それでも顔を覚えてもらえれば...とがんばる。

でも、アルバイト生活をしてきた彼らは1時間いくらの価値観。技術も実力もないのにせっかくのチャンスを逃してしまう。10年間の学校時代に刷り込まれた価値観が邪魔をして、映画界や芸能界で前に進めない典型的なパターンとなる。

大切なのは、死んでも撮りたい映画があるのか? どんな小説を書きたいのか? 芝居がどこまで好きなのか? 他の何よりも、その表現をしたい。そんな強い思いがあるかどうかだ。世間の価値観に縛られてはいけない。心を解き放ち。本当に自分がしたいことは何なのか?それが何よりも大切なものなのか?それをまず確認することだ。

だから、死の物狂いで走り続ける映画バカや俳優バカが生き残る。ブランドやまわりの視線が大事な人、マニュアルに捉われる奴は消える。憧れだけではできない。人が何というか?なんて気にしてはいけない。死んでもやるか?と自分に問うところからがスタート。そこまで出来ない...というなら表現の仕事をやるべきではない...。

(つづく)


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表現の仕事は憧れだけではできない。「命がけでやる!」という思いがある者だけが成功する世界③ [映画業界物語]

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表現の仕事は憧れだけではできない。「命がけでやる!」という思いがある者だけが成功する世界③ 

「人気女優が彼女...。テレビCMに出て有名になる....そんな生活 ってカッコいいよなあ〜」

と憧れる若者たち。芸能界の一部分だけを見て勘違いしているだけなのだが、俳優、歌手、映画監督、小説家....そんな職業に就くことを「夢を追うこと」だと思い込む。が、結局は夢破れて終わる..という話を前回書いた。

何が問題か?というと、彼ら彼女らは映画監督や俳優、ミュージシャンや作家という仕事がどんなものか?分かっていないのだ。見た目はカッコよく見えても、芸能人やアーティストたちの生活は本当に凄まじい。それを知らないから憧れる。

「1本のCMでギャラ3000万?凄いとか」

「あの人気女優と仕事してるんだ。カッコいい〜」

とかいう目線でしか見ていない。映画監督なら「死んでもいいからこの映画を撮りたい」歌手なら「飯食えなくてもいいからステージで歌いたい」俳優なら「ギャラなくてもいいからこの舞台に出たい」というもの凄い思いを持っている。でも、それを知らないから、憧れだけで見てしまう。つまり、観客の視点。舞台裏がどれだけ凄惨か?を知らないで、表だけ見て「よし、私も!」と思うのである。

ただ、その種の人たちは一般的といえる。小さな悩みはあるが、普通に学校に行き、ノーマルな生活を送ることができ、一般的な価値観を持っている。10年間の教育を受けて良識ある日本人的な考え方をする。大学時代にはバイトをして1時間いくらで働く。卒業が近づけば就職活動。安定した大企業を探す。そんな人生を送って来た人が、芸能界に憧れて、映画界に惹かれて、映画監督になりたい。俳優になりたい。小説家になりたい!と思う。

そこで軋轢が生まれる。彼ら彼女らは、その10年で培った日本人的な価値観で何事も考えてしまう。それでは映画界や芸能界には通用しない。「大手**商社に入社するには、**大学以上の学歴。**学部が有効」とか、あるいは「自分の大学なら**社なら何とか受かるかな?」とか考える。だから、先に書いたようにマニュアルを探す。どうすれば映画界で仕事ができるか?芸能人になれるか?

アルバイトをしてもマニュアル。それに従い仕事をする。決められたルールに従い働く。学校時代も同じ。与えられたことを記憶する再現するという作業を10年も続ける。考えるという訓練はあまりしない。そうやって刷り込まれた価値観や方法論で芸能界で仕事しようとするから、うまく行かない。入り口さえ見えずに夢破れて行く。映画や芸能の世界は彼らが生きて来た社会とは違う価値観、違うルールで成り立っているからだ。

こんなことがあった。アルバイトで生活を支えながら、俳優を目指す若い男の子。ちょっとしたことで知り合った。やる気がある。友人監督のオーディションがあるので、声をかけた。彼はこう答える。

「すいません。その日、バイトあるんで行けないんです...」

「はあ??お前、バイトと役者どっちが大事なの?」

「嬉しい話しですけど、シフト入れちゃったんで...」

彼の中ではオーディションより仕事が大事なようだ。だったら役者やめろ!と思えるが、彼は自分の夢は俳優と思い込んでいる。ただ、シフトに入っているのに、急に抜ければ店にも、同僚にも迷惑がかかる。その意味では彼は真面目なのだが、大きなチャンスを失っていることに気付かない。この業界。何度もチャンスは来ない。そのオーディションに行っていれば、重要な役に合格し、そこからプロの俳優としてスタートできたかもしれない。

が、それを想像することができない。彼が考えたのはシフトを抜けると同僚や店に迷惑がかかるということ。「きっと監督はまたチャンスをくれる。そのときにがんばろう」と考える。が、映画人から見ればこう見える。

「彼はアルバイトが大事なんだ。店や同僚に迷惑をかけてまで俳優業に進みたい訳ではないということ。その程度の情熱なのだ....」

そして二度と声をかけることはない。そのズレは何なのか?それは10年間の教育。日本の社会システムにどっぷりと浸かった価値観。学校を休んではいけない。会社を休むと会社に迷惑がかかる。という発想。与えられたことをやらなければならない。勝手に考えて行動してはいけない。そんなマニュアルやルールに縛られ、その種の教育を受けて来た人たちは自分の夢である「俳優になること」を追い掛けているのに、アルバイトを優先する。

終身雇用でもなく、僅かなバイト料で働く。目標は俳優業。そこまでの生活費稼ぎなのに、そちらを夢より優先してしまうのは、10年間の教育が刷り込まれている。学校=会社=バイトが同じように絶対的なものになってしまい自分の中で一番大切なものを2番目にしてしまう。

そもそも俳優というのは親の死に目に会えないという仕事。親が死にかけても舞台や撮影があれば病院に駆け付けることもできない。それが店に迷惑をかけるから...というのであれば、その段階で俳優業は無理..。教育による呪縛。価値観から逃れられない限り。彼は俳優になることはないだろう。そしてチャンスというものが、どれだけ貴重なものか?も分かっていない..。

(つづく)ー次回完結



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表現の仕事は憧れだけではできない。「命がけでやる!」という思いがある者だけが成功する世界② [映画業界物語]

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「映画界、芸能界にマニュアルなんてない。こうすれば成功する。仕事をもらえるという方法」なんて存在しない!ということを前回書いた。「では、どうすればいいのか?」そんな風に考えがちだが、それ以前にもっと大切なことがある。そこから考えよう。

例えば、大学を出て就職する。そのときに「SONYに入りたい。NHKに入社したい。電通で働きたい」というのと同じ。その発想は映画や芸能の世界は通用しない。説明する。なぜ、電通なのか? どうしてNHKなのか? 面接で聞かれれば「広告業務に昔から関心があり...」或は「報道というものを考えるとき、やはり最大手であり、公正中立の報道をする御社が…」とかいうだろう。だが、多くの人は「大手だから!有名だから!給料がいいから!」という理由で選んでいないだろうか? 

「広告代理店に就職したの〜」

といえば「すごいー」と言ってもらえる。「テレビ局で働いている」といえば「かっこいいー」と思われる。そんなことで「就職したい!」という人がとても多い。もちろん、広告や報道に多少の興味はあるだろう。でも多くはミーハー気持ちでその種の会社を選んでいる。つまり、報道や広告の仕事がしたいというより、企業名やブランドに憧れ、まわりから「凄い」と言われる。自慢になるということが第一の理由なのだ。

芸能界や映画界を夢見る人たちも同じ構図だ。映画学校で講師をすると、こんなことを聞かれる。「監督になると女優さんと付き合ったりできますか?」或は、監督になりたい理由を聞くと、「将来、有名女優と結婚できるかもしれないから」あるいは「映画監督とか脚本家というとカッコいいから」という若い人も多い。最初はあれこれ「映画が好きだ」「岩井俊二さんのような映画が撮りたい」とかいうが、突き詰めるとカッコいい。女優にモテるてなことが目的である人が多い。

ミュージシャン。小説家。俳優になりたい人たちも同じようなタイプが多い。歌手になってテレビに出たい。人気者になりチヤホヤされたい。CMに出て「わー**さん。凄い〜」と言われたい。とか、全てまとめて、先の大手企業に就職したい大学生と同じなのだ。ブランドに憧れている。映画監督と呼ばれたい。俳優になり人気者になりたい。テレビに出たい。カッコいい。儲かる。そんなことが本当の理由であることが多い。

しかし、その手の連中はことごとく潰れて行く。なぜか?「映画監督になりたい」というのは自分が作りたい映画を作りたいからなるのに、その映画を撮る努力をしない。ミュージシャンなら楽器を弾きたい。歌いたいという思いがあるのに、練習しない。歌わない。作家なら書きたいものが溢れているはずなのに、書こうとしない。俳優なら演じたいはずなのに、毎日アルバイトしている。

つまり、皆、職種に憧れているだけであり、「映画を作りたい。演技をしたい。演奏したい!」ということではないのだ。だから「仕事もらえればやりますよ」という。でも仕事でなくても、それをしてしまうのが本来のアーティスト。脚本家志望の後輩がいる。

「依頼してくれればいつでも書きますよ」

というが、自分からは絶対に書かない。そもそも、何の実績もない無名のライターに依頼が来る訳ない。自分でシナリオを書き、営業する。それでもなかなか採用されないのに、書こうとしない。俳優でも、ミュージシャンでも同じ。「依頼があれば、そこそこ実力見せますよ」というが、自分からは何もしない。芸能人予備軍に自分はいるというところで満足してしまう。

つまり、就職の第一志望は「映画監督」二番目が「マスコミ」みたいなもの。それは単なる夢。憧れでしかない。映画監督志望なら、こんなことを妄想しているだろう。「監督。女優の**が出たいと言っています」「えー、あいつ我がままだからな~」とか言う光景。女優になりたい輩なら「次回作の**監督の映画です。その前に大手飲料メーカーのCM」「えーちょっと休みたいんだけどなあ〜」とかいう物語を空想する。

そんな日常ってカッコいいよなあ〜。そんな憧れを、「夢」とか「***を目指している」といってしまう。決して心の底から真剣ではない。死んでもいいから映画を撮りたい。飯食えなくてもいいからステージで歌いたい。ギャラなくてもいいから舞台で演じたい。という思いではない。ほとんどが憧れ。

その種の人たちは芸を磨く、技術を身につけるということに時間は使わず、アルバイトをしながら、きっとチャンスは巡って来ると信じて、日常を過ごしているだけ。シナリオも書かない。演技力を磨かない。楽器を弾かない。小説を書かない。舞台に立たない。それでいられるのは、その仕事がしたいのではなく、有名になりたい。チヤホヤされたい。というのが本音だからだ。監督になりたい。俳優になりたいという人の多くのはこのタイプであり、当然仕事を得られる訳もなく、それなりの年齢になると諦める。そしてこういう。

「世の中、甘くない。才能がないとダメなんだ...」

そうではない。自分が何の努力もせず、夢を見ていただけなのだ。それを世の中のせいにして、反省もない。それが多くの夢追う人々の結末だ。

もちろん、本当に映画界で仕事をしたい。芸能の仕事をしたいという人たちもいる。が、その種の人々と同じ生活、同じ行動をしていることが多い。なぜか?  一般の価値観に縛られて、本当にすべきことをせず、目の前のチャンスに気付かないからである、、、、(つづく)


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表現の仕事は憧れだけではできない。「命賭けてもやる!」という思いがある者だけが成功する世界① [映画業界物語]

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10代から映画監督を目指し、長い長い年月をかけて現在の場所までたどり着いた。ただ、険しい崖を何年も登って、やっと頂上についたら、さらに険しい山の入り口だった...。というオチなのだけど。どうにか映画監督という仕事を続けている。

デビューして12年。5本の映画とその他、もろもろの仕事をしてきた。最近聞かれるのは「どうすれば太田監督のように続けて映画を撮れるようになれるんですか?」「どうすれば俳優になれますか?」ということ。

僕が「映画の仕事をする!」と決めたのは高校時代。17歳だった。本格的にプロを目指し脚本を書き出したのは、アメリカ留学から帰ってから。バイトをしながら、シナリオを書き続け。営業を続けた。初めて仕事を得たのが、つまり僕が書いたシナリオが映像化されたのは5年後だった。

脚本家の友人に訊くと、彼も東京に出て来てシナリオ学校に通い、初めて仕事を得たのが5年後という。SMAPだってブレイクするまでに4−5年かかったはず。最初はスケボーに乗る5人組というイメージで売っていた。大きな芸能事務所の力を使っても、ブレイクするのに4−5年かかったのだから、個人はさらに困難だ。5年ー10年は当たり前なのだ!

そんなふうに仕事をもらうまで、あるいはチャンスを掴むまでに何年もかかる。田舎の映画少年やギター少年が東京に出て行き「1年がんばる!それで夢を掴めないようならスパっと諦めます」てな話を昔はよく聞いたが、1年や2年でチャンスを掴めるものではない。

というと、若い連中には「そんなにかかるのなら、諦めようかなあ〜」という奴が時々いるが、それなら止めた方がいい。その段階で失格。また、多くの若い人は映画学校で学び、卒業すれば監督や脚本家になれる!と思っている人が多いが、大学だろうと専門学校だろうと、学校というところを卒業しても、業界で仕事を得られるかどうか?は分からない。まして卒業してすぐに監督や脚本家の仕事をもらえることはない。

これは俳優やミュージシャンも同じ。学校を出ても関係ない。多くの専門学校は商売でやっている。特に映画学校なんて、プラスになることは何も教えてくれないので要注意。支払う授業料で自主映画を撮った方がいい。では、どうすればいいのか?「これ!」という確実なパターンはない。僕も高校時代に日本の映画監督がいかにして監督になったか?を調べたことがある。

昔は大学を出て、入所試験を受け、映画会社に入る。その後もしばらく、そのパターンが続いたが、黄金時代が終わり、映画界が斜陽になると社員を取らなくなった。その後はいろんなパターンで監督が出て来る。が、いろんなスタイルがあり、これをやったらOKというものはない。

自主映画をやっていた人。CMをやっていた人。他業種で成功した人。テレビデレクターをやっていた人。いろんなバックグラウンドから監督は登場している。ついでに、アメリカも調べてみたら、これまた千差万別。これ!という決まったルートで監督になって人はいない。では、どうすればいいのか?

最近の、特に若い人はマニュアルでものごとを考える。店でもマニュアルがあり、店員はその通りに仕事をする。つまり、考えて動くのではなく、与えられたことを確実にすることが仕事であることが多い。バイトをしていてもそうだ。言われたことをする。言われていないことはしない。自分で勝手な判断をしない。

だから、本屋に行けば@@@@になる方法とか、@@@@になれる方法みたいなマニュアル本が売られている。だが、そんなマニュアルで、映画や芸能の世界はやっていけない。この世界はこうすれば成功するなんて方法はないのである。では、どう考えればいいのか。

大事なのは価値観。夢を追いかける若い人たちの多くに言えることは、一般の価値観で業界を渡ろうとするから通用しない。そのために大きなチャンスを逃す。俗世間の価値観に縛られていると目の前のチャンスに気付かない。趣味の世界やサークル活動気分。それで潰れて行った人たちを山ほど見て来た。

そんな話を書こうと思ったが、すでに長文になってしまったので次回にする。今回は「1年2年では夢は掴めない」「この世界にマニュアルなんてない」「価値観を切換えろ」ということろまで。また続きを書かせてもらう。(つづく)


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