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「明日にかける橋」東京ー舞台挨拶② 有楽町スバル座 [動画]




2018年7月 映画「明日にかける橋 1989年の想い出」

舞台挨拶パート2。

登壇。冨田佳輔(青い青い空)、長澤凛、田崎怜弥、
太田隆文監督(「青い青い空」「朝日のあたる家」「向日葵の丘」)





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業界で生き残るタイプ。やがて消えるタイプ? [映画業界物語]

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前回の続きを書く。無名女優のA子。事務所が小さいので自ら営業。監督やプロデュサーの飲み会があると聞けば参加。売り込みをかける。おとなしく待っていても仕事は来ないし、その積極性は評価したいが、これでは何ら展開はない。多くの監督やプロデュサーは飲み会で役者を選んだりしない。もし、そこで

「君いいねえ〜。次回作に出てよ」

と言われても真に受けてはいけない。仲良くなり、彼女にしたいとか、下心があるだけ。そもそも、演技も見ずにルックスだけでキャスティングはできない。

僕の話をするなら、まず飲み会に俳優は呼ばない。以前にも書いたが、プライベートで仲良くなると、いろいろ問題が起こるからだ。その俳優に仕事がなく「監督〜何か仕事くださいよ〜」と言われるのも、その俳優がブレイクしてから「今度、俺の映画に出てよ〜」というもの嫌だ。

本当に役に相応しい実力ある俳優を選ぶべきで、飲んで仲良くなり、馴れ合いで仕事していては、現場でも甘えが出る。俳優が「体調が悪い。100%の力が出せない。でも、監督とは仲良しだし、許してくれるだろう」と考えるかもしれない。それは作品クオリティを下げることに繋がる。

まして飲み会で酔っぱらっているときに「監督。私、映画に出たい〜」とか言ってくる奴はダメ。そんなところで営業する女優もダメ。それで「何か考えるよ〜」という男もいるが、下心見え見え。業界にはそんなタイプが多い。

「芸能人に会わせてあげる」「ドラマとか出てみない?」

と誘う奴にロクな者はいない。話を戻す。監督やプロデュサーは結局、大手プロダクションからキャスティングする。その方が安全だし、レベルが高いからだ。

A子は悪い子ではない。女の色香で仕事を取ろうとは思っていないだろう。しかし、彼女がやるべきはそんな営業ではなく、実力を、演技力をつけることなのだ。彼女の問題は何よりも演技力が弱いこと。小さな仕事はしている。そこで実力を発揮すれば、関係者で必ず認める人が出てくる。続けていれば必ず認められる。でも、演技力がないから依頼が来ない。やるべきは営業ではなく、実力をつけることなのだ。

では、どうすれば演技力がつくのか? ここでまた勘違いをする若者が多い。前回も紹介したがテレビドラマを見ていて「この俳優。本当にダイコンだね。俺が演じた方がまだマシだ」とか、「この程度の演技で女優ができるのなら、私はすぐブレイクできる!」と勘違いすることが多い。

僕は映画を撮る前にロケ地で市民俳優オーディションというのをする。地元の方々からもエキストラだけでなく、セリフのある役を選ぶためだ。全員にカメラの前でセリフを読んでもらう。多くの人が同じことをいう。

「あんなに難しいとは思わなかった。カメラの前に立つだけで緊張する。とてもセリフなんていえない」

そして、その夜からテレビを見ると、どんな下手な俳優が出ていても「この俳優さん。がんばってるわね…」と思えるという。前回も紹介したが、プロ野球を見ていて「なぜ、その球が打てないんだよ!」と怒鳴るおじさんと同じ。実際にやってみると、できないことが分かるのだが、見ているだけだと、自分の方が出来ると勘違いしてしまう。

人のことはいえない。僕も高校時代まで日本映画をバカにしていた。が、卒業後、18歳のときに、ある映画の撮影に同行。朝から晩まで見学させてもらった。バカにしていた日本映画がこんなに苦労して、撮影しているとは思わなかった。その後、8ミリフィルムで学生映画を作ったときも、駄作であっても1本の映画を作り上げることは本当に大変なことだと思い知った。これはシナリオでも小説でも同じ。

作家志望の若者がベストセラー小説を読んで「たいしたことないよなあ。俺がもっと面白い小説を書いてやるよ」とか言っている友人がいたが、書いてないから言えるセリフであること。数年後に知ったという。歌手でも、ミュージシャンでも、脚本家でも、同じ。演じたことない。書いたことない。演奏したことない人たちが勘違いする。自分はできると思い込む。だが、実際にやってみれば、自分がどれだけダメか?痛感する。勝負はそこからなのだ。そこで

「俺は才能ないから辞めた」

となりがちだが、いつも言う通りに「才能」なんて存在しない。何の努力もなしに表現はできない。そこからがスタート。ただ、稀に、優れた素質があり、いきなり演技できる人がいる。いきなり歌える。良い文章が書ける。だが、それは才能ではない。素質がある。向いているということ。センスがある。あるいは趣味でやっていた。でも、そんな人もそこからスタート。いくら素質があっても、いきなりプロの世界では勝負できない。

20歳前後の男の子がいた。小さな町のスナックで歌っている。なかなか上手い。作詞作曲も本人。ルックスもいい。ある業界の人が目をつけてレコードデビューを考えた。その人はレコード会社の友人を訪ね。デモテープを聴かせ、本人のライブを生で聴かせた。「なかなか、いいね。会議にかけてみる」トントン拍子に進んだ。が、レコード会社の人はいう。

「一発屋で終わらせたくない。今からドンドン新曲を書いてほしい。できたら聴かせてね」

それを本人に伝える。こう答えたという。

「デビューさせてくれれば、いくらでも曲くらい書いてやるよ。いいから早くデビューさせてくれよ!」

その相談を僕が受けた。彼のことを知っていたからだ。確かにいい歌を歌う。抜群にうまくはないが、素人ではない。ただ、レコード会社の担当者のいうこともは正解だ。ヒット曲を出すことも大変だが、ヒットを続けることはもっと大変だ。そのためにはヒットしてから、新曲を書いていたのはダメ。なのに、その男の子は「デビューしたら、いくらでも書いてやる」という。わかっていない。自分は才能あると思い込んでいる。

これは一番始末に悪いタイプ。勘違い君は先に書いたようにテレビで見ていて「俺の方ができる」と思い込む。でも、やってみるとダメですぐに気づくが、中には素質があり、そこそこ出来る子もいる。これはもっとやっかい。「俺はすげーんだよ。プロで通用するんだ」という根拠のない自信がある。

だから、上から目線。態度がデカくなる。でも、少しばかり素質があるだけ。それを鍛え伸ばそうとはしてない。その程度ではプロの世界ですぐに木っ端微塵。だから、担当者は今から曲作りをさせて、プロの世界で戦えるようにさせたかったのである。が、彼は理解せず。

結局、デビューは見送られた。当然だと思う。僕のまわりにもそんなタイプはたくさんいた。小説家志望。映画監督志望。ミュージシャン志望。俳優志望。みな、そこそこセンスがあり、素質も感じられた。が、

「俺はすげーんだよ」

という優越感と勘違いで身を滅ぼした。何より、本格的な作品を作らない。それよりも自分の生活を優先している。「俺が真剣になれば、すごい芝居するんだ」「黒澤を超える映画が作れる」という妄想ばかり。だのに

「俺に製作費出せば撮ってやるよ」「月9の依頼がくれば出てもいい」「大手出版社でないと本は出さない」

そんなことを言って、創作活動を怠けていた。そんな友人たちを見て来て。同時に成功し、第1線で仕事をするアーティストを見ていて答えが見えて来る。素質ある人が、見栄やステイタスのためでなく、本当にそれが好きで。お金や名誉のためでなく、打ち込み、努力する。素質を磨く。どうすればよりよい表現ができるのか?考え続ける。

そんな人が生き残り、成功する。逆に消えていくのは「2流出版社からは本を出さない」「アイドルの***を主演にした映画を作る」「&&&社のCMにでられるような俳優になる」そんなことを言っていた連中だ。

表現をしたいのではない。有名になりたい。大手出版社から本を出したい。金儲けがしたい。有名人と仕事がしたい。それが目的なのだ。演劇が、音楽が、映画が、小説が好きなのではないということ。だから、努力しない。努力せずに有名になり、金持ちになり、チヤホヤされたい。それが本音。

本当に演劇が好きなら、どんなチャンスでも生かして演じる。本当に映画を作りたければ「10億ないとやらない」何て言わない。本当にミュージシャンになりたければ、場所を見つけて演奏する。

いかにして実力を上げるか?自分の考える演技をするか? 観客を感動させるにはどうすればいいか? ギャラの額や大手か弱小か?を考える暇があれば、それを考える。要は「どうすれば業界で仕事をできるか?」というより、真剣に表現をしたい人たち。素質を持った、努力する人が生き残り。憧れと勘違いで進もうとする人たちが結局、消えていくということなのだ。

それプラス。前回書いたチャンスというものが必要なのだ。チャンスばかり追いかけてもダメ。まず、実力をつけ、経験を重ね、そこからがチャンスを見逃すな、、、、という話になるのだ。




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チャンスを掴むだけではダメ。夢を掴むために大切なこととは? [映画業界物語]

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チャンスを掴むだけではダメ。夢を掴むために大切なこととは?

チャンスに気づかない俳優の卵たち。という話を前回書いたが、俳優だけでなく、歌手、作家、ミュージシャン、映画監督と、この業界の仕事に就くにはチャンスだけではダメ。今回はもうひとつの大切なことを書く。むしろ、こちらの方が大事なのに、気づいていない人が多い。

例えば、俳優になるにはイケメンで背が高いだけではダメ。美人で巨乳というだけでもダメ。その種の美人美女は芸能界には山ほどいる。つまり、それは競争が激しいということ。大切なのは演技力だ。例え大手事務所に所属できて、コネでドラマにねじ込んでもらえても、演技力がなければ次の作品依頼は来ない。事務所も何度もコネで自社俳優を押し込むこともできない。

むしろ、ブサイクとかブ男の需要がある。デブ、ハゲ、メガネ、チビという俳優は少ない。もちろん演技力も必要だが、ずば抜けたものがなくても認められやすい。なのに往々にして俳優になりたいのは、そこそこ可愛い子とかイケメンの男の子。

「私ってそこそこ可愛いし、女優でいけるかも?」

とか考えるのだが、そこそこではダメ。抜群に可愛い子が山ほどいる世界。そこで勝ち抜くには容姿だけではなく、演技力がなければダメなのだ。以前、主演女優を探していて、ある大手芸能事務所の社長からこう言われた。

「主演? 美女? 30代? ネームバリューがある。演技力もいる。ああ、うちに500人くらいいるから、誰でも使って!」

後日、20人のプロフィールが送られて来た。皆、どこかで見たことのある女優。これが芸能界。そこに食い込んで行くには可愛いだけでは、イケメンなだけではダメなのだ。が、そんなことは想像できるだろうに、なぜ、多くの若い人は俳優になろう。歌手になろうと思うのか?多くが陥りがちなことがある。例えばドラマを見る。

「この女優本当に大根ね〜。私の方がいい芝居できるわあ」

「この映画つまらないなあ。俺が撮った方がまだいいよ~」

と思ったことはないだろうか? 自分が芝居をしたこともないのに、自分が監督をしたこともないのに、自分がやればもっと上手くできる!そんな勘違いをすることがある。一般の人でもよくある。プロ野球を見ていて

「何でその球が打てない!ど真ん中だろう?」

と中継を見ていて怒鳴るおじさんがよくいる。ボクシングの試合をテレビで見ていて

「右右、右だよ。回り込んで左、あーーダメだなあ」

という人もよくいる。映像で見ているのと、バッターボックスやリングに上がるのでは全然違う。テレビモニターをお茶の間で見ているようにはいかない。なのに「ダメだなあ」とか思ってしまう。これと同じ心理。テレビや映画で見ていると、粗を見つけやすい。それは問題点を見つけただけなのに、なぜか人は、それに気づいた自分は同じ失敗をしない。もっとうまくできると勘違いすることが多いのだ。

東京ドームのバッターボックスに立っただけで、文句を言っていたおじさんは足が震えるだろうし、映画の撮影現場に立てば、どれだけ大変か?を「俺の方がマシ」という映画ファンは痛感する。が、それが想像できない。私の方ができる。俺の方がうまい。と勘違いする人が多い。ただ、多くの人はそういいながら俳優や監督を目指さないので問題は起こらないが、勘違いしたまま芸能界、映画界に飛び込んでから、その厳しい世界に気づくのである。

何よりも問題なのは「才能があればやっていける。私は自分に才能があると信じたい」という人が多いことだ。僕は以前から言っているが「才能」なんて存在しない。素質がある人がそれを磨き、実力を伸ばし、表現の場で戦ったときに素晴らしいものができる。才能があるから、何の経験がなくても、素晴らしい演技をしたり、感動的な映画が作れたり、泣かせる歌を歌えるわけではない。「才能」なんていう言葉があるから多くの人が勘違いしてしまう。

別の言い方をすれば、素質がある人が努力に努力を重ねて素晴らしい演技をしとき、それを見た観客が「自分には真似のできない演技だ。努力だけでできない!」と思う。それを「素質」と絶え間ない「努力」とは解釈せずに、「才能」ということにすれば自分を納得させるのに便利。そんなな言葉というだけだ。

つまり、素質のない人はもともと演技をしてもダメ。音楽や映画もダメ。ただ、素質は数字では表現できないが、20%の素質がある人でも、もの凄い努力をすれば、80%の資質ある人を超えることはできる。「才能」があるから成功する訳ではない。自分の素質を磨き続ける努力が成功に結びつく。

それが分からずに「私はそこそこ可愛いから」「俺はキムタクに似ているから」という理由で俳優を目指す若い人はとても多い。そして先に上げた素質を磨く努力をするのではなく、前回書いた「チャンスをつかむ」ことに夢中になってしまう。具体的に書こう。

無名女優のA子さん。無名といっても、もう30代。結構、可愛い。小さな役で何本かの映画に出ているが、誰も知らない。小さな事務所に入っているが力がなく、ドラマや映画のオーディションにも行けない。けれど、彼女は諦めない。

「いつかブレイクしたい!」

とがんばっている。知人の監督が飲み会をすると聞けば、参加。アピールする。その種のパーティがあれば飛んでいく。その営業力はなかなか。出版社にグラビアの売り込み。監督や原作者に直談判もする。なのに、小さな仕事ばかり、それなりの依頼も来ない。なぜか?

実力がないからだ。演技力がない。可愛いだけ。可愛いだけなら、この世界。いくらでもいる。それに30代。10代、20代の可愛い子がいくらでもいる世界。その上、演技力がない。下手ではないが、セリフを普通に読む程度。なのに彼女は演技力を磨くことをせず、営業活動に勤しんでいる。だから、飲み会で出会った下心地ある監督からしか依頼がない。まじめな子なので、それが分かれば拒絶するのだが、結局別の場所でも同じような男にしか興味を持たれない。

チャンスをつかむために監督やプロデュサーに近づく。が、興味を示すのはその種の男性だけ。親身に応援してくれる人に出会っても実力がないので、次に繋がらない。彼女はそれに気づかず、今も営業を続けている。間もなく40代。実力よりチャンスばかりを追っていると、結局そんなことになってしまう。では、どうすればいいのか? 実力をつけるとはどういうことなのか? 今回は長くなったので、また別の機会に書かせてもらう。(つづく)



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