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情報求む! 法多山の紅葉。2017年秋ー今、どんな感じですか? [「明日」編集]

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地元・袋井市の方。写メ送ってもらえると助かります。今年は12月3日頃がピークと聞いていますが、満開は早めという情報もあり、現状を知りたいです。ピークに合わせて「明日にかける橋」秋風景撮影を行いたいと思っています。



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明日にかける橋ー編集日記  実力ある若手俳優を探せ! [「明日」編集]

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昨夜、編集したのは鈴木杏さん演じるみゆきが、山田先生と対峙する場面。この山田先生というのはとても重要な役。高校教師なので30代ー40代。演技が達者な役者でないと出来ない。有名俳優でいうと平田満、平泉成、ベンガル、等のような個性あるベテランのイメージ。ただ、彼らの年齢はかなり上なので新人で探すしかなかった。

あと、有名どころでなく実力派が必要な役がいくつかあった。通常はオーディションをするのだが、何度も書いたが15分、20分で3人4人5人を同時に審査せねばならない。そんな短い時間で実力を見抜くのは大変。とはいえ、毎回それで、のちにブレイクする俳優を見つけるのだが、演技派の俳優ほど緊張しやすく、短い時間で実力を発揮できない人が多い。

そこで今年4回ほどワークショップを開いた。4−5時間の長丁場。それを繰り返せば、役者たちも慣れて来て、実力を発揮できるはずだ。しかし、僕なんかのワークショップに人が集るか?と思っていたら、毎回、定員超え。これ以上来ると、じっくりと演技を見せてもらう時間がなくなるという反響だった。

皆、実力派で、それなりにドラマや映画に出演している人が多かった。まずはレッスンだが、その中で今回の「明日にかける橋」で探している役ができる俳優を探した。山田先生役は特にむずかしいロールだが、実力ある俳優5人が候補となる(もちろん、本人たちには言わない。言えば張り切るに決まっている。日頃のやる気も知りたかったし)いよいよ、決める!と言う日に「今回は仕事があるので、出席できません」と連絡してくる候補もいた。

また、その日に限って早退。また、来れないと言っていたのに遅れて参加する人。「運が強い」というのは俳優にとって本当に大事だと改めて痛感したものだ。そんな中から選んだ実力派の1人にお願いした。しかし、撮影現場では大変だったに違いない。なんせ相手役は主役の鈴木杏だ。最近は数々の舞台に出演。新感線、蜷川幸雄演出作、新国立劇場にも出ているし、子役時代から芸歴も長く、実力あるベテランといえる。

芝居というのは1人がうまければいいというものではない。ボクシングと同じで、両者が互角の実力があってこそ試合が盛り上がる。あまりに実力差がある試合はあっけなく、面白くない。芝居も同じだ。先の記事で書いたが杏ちゃんは演劇界のホセ・メンドーサだ(「あしたのジョー」です)。山田先生はチャンピオンと試合をすることになる。

が、そんな鈴木杏に引けを取ることなく、山田先生はその場面を演じ切った。期待に応えてくれた。出演依頼をした僕も嬉しい。だが、その場面を見て観客は山田先生、うまいなーとは思わない。なぜなら、2人の対決場面が盛り上がり、そちらに引き込まれて、俳優がどうこうという思いが消し飛んでしまうからだ。それこそが本当に素晴らしい芝居。「演技がうまい」と言われるのは実はダメ。物語の本質を伝えてこそ、素晴らしい芝居なのだ。

そんな山田先生と杏ちゃんの対決シーン。(殴り合う訳ではありません)もうひとつ、いいエピソードがあるのだが、それはまたいずれ。そのシーンを数日前から何度も編集していたが、昨夜、ほぼ完成状態となった。(といいながら、また直します)現場でもいいシーンだと思っていたが、映像になってもいい。完成披露上映会での観客の反応が楽しみだ。12月下旬にロケ地で上映。チケット発売中。


詳しくは公式HPで!=>http://ffc2017.main.jp



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明日にかける橋ー編集日記 第2章を書き出してみた! [「明日」編集]

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シークエンス12「大人のみゆき」からシークエンス22「張込み」まで約30分のパートを書き出し。通しで見てみた。

この辺は粗編集をしていても、かなり反省が多く、果たしてうまくつながるのか?という心配があった。そして盛り上がるのか?が不安。素材を見た段階から反省が多く。「あーーあのショットを撮っておけばよかった」「より絵を何で撮らなかったのか?」ということが何箇所もあり、胃に穴が開きそうな日々が続いていた。

覚悟して編集したものを書き出し、大きめの画面で見てみると、意外や意外。かなりいい! 面白い!「えーーどうなるのぉ?」と思えて、涙ぐむシーンもあり。中身が濃い! 結構行けることが分かる。ほっとするのと「俺、凄いなあー」という思いが交差する。毎回、こんなふうに奇跡の(?)編集で失敗を補っているような気がするが、うまく行けばそれでいいという面もある。へへへ

杏ちゃん。朋子ちゃんは安心株だが、いろんな俳優さんたちが奮闘してくれている。学校シーンの山田先生。とてもいい! このあと出てくるユキヒコも期待だ。シナリオでいうと60Pくらいのところまで来た。ちょうど半分。本編集も残り半分である。ここから物語は急展開。おもしろくなる。板尾さんが登場。編集が楽しみだ。


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明日にかける橋ー編集日記  編集作業は孤独な戦い? [「明日」編集]

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本日も編集作業が続く。先日の静岡市での講演会以来、もう1週間。人とまともに話していない。ランチどきに近所のモスバーガーに行き「テリヤキバーガーとコーヒー...」というのが1日に発する唯一の言葉。あとは黙々とモニターに向かい編集。休憩時はFacebookに記事書いたり、音楽聴いたりするくらい。テレビも見ない。見るとニュース番組で「あの首相,
相変わらず酷いなあ!」とか腹が立ち編集に戻れなくなる。編集中は神経過敏で小さなことでも大きく受け止めてしまう。

粗編を始めて1ヶ月。その後の本編集で6日くらいか? 本来、その2つで2ヶ月はかかるので、あと3週間ほど時間は必要なのだが、12月上旬に音楽入れをせねばならないので、なるべく早く上げたいと、焦りながら作業。しかし、編集しながら「おーーーこれは名作になるーー!」と盛り上がったか?と思うと、「ダメだ。このシーンはカットが足りない。これでは盛り下がる......」と気持ちがダウンしたり。その連続だ。

多くのスタッフとキャスト。地元の方々の思いが籠った作品。あーーがんばってよかった〜と思ってもらう作品にするのが僕の責任。「この程度の作品のために、あの猛暑にがんばったのかあ〜」と落胆させる訳にはいかない。期待に応えねばならないという重圧とプレッシャーがのしかかる。胃がキリキリ。胸が苦しい。作業は1人の戦い。誰も助けてはくれない。

編集というのはある意味で外科手術に似ている。体を切り、細い血管を繋ぐように、1秒、0.5秒という短いコマを繋いで行く。また、不必要なカット。物語の進行を妨げる映像を見つけたらがん細胞のように削除せねばならない。取り除いた映像の代わりに別のシーンから別のカットを移植することもある。まるで外科手術。ドクターXのようだ。が、「私、失敗しないので」とは言い切れない。

僕の過去作品。幸いなことにどれも評判はいい。映画館公開のときは多くの観客が涙を流し感動してくれた。もちろん、100人いれば100通りの人がいて、全く泣けなかったという人もいるが、多くは賞賛してくれた。が、これまで4本。普通、4本続けて泣ける映画なんてできない。4本目の「向日葵の丘」のときも、もの凄いプレッシャーだった。「次こそ泣けないかも?」という不安がのしかかった。が、多くの観客が涙してくれた。

今回は5本目。なので多くの人が「太田監督の映画は今回も泣けるはず!」と言ってくれるが、果たしてどうか? 4本も評判がいいと、皆「泣けて当然! 泣けるシーンが1回だけではなく、何度もある!」とハードルも上がっている。しかし、世の映画監督で5本も続けて泣ける映画を作った人っているかあ? 僕のような無名監督が5本連続泣ける映画なんて、出来るの? という不安でいっぱいになる。

実は毎回、そんなふうに葛藤しながら編集をするのだが、そろそろ休憩を終わりにして作業を再開する。編集は孤独との戦い。自分との戦い。神経を尖らせて、物語の世界に飛び込む。編集の神様がいるとしたら祈ってほしい。たどり着く先にあるものが素晴らしき作品であることを。


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明日にかける橋ー編集日記 本日は苦しい戦い [「明日」編集]

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なぜか?調子が出ない....。考えられるのは天気。外は晴天。そんな日は集中力が落ちる。陽が暮れて夜になり、集中力が増す。若い頃なら夜型になって仕事したのに、50過ぎてからはなかなか夜型になれない。朝になると目が覚める....やっかいなものだ。

本日はどこからスタートしたのか?もう、このところ1日が繋がっていて今日がどこからで、昨日はどこまでか?よく分からない。たぶん、里美先生(藤田朋子)の実験室から始めたと思う。そこから、実験室②、授業、山田先生の授業、三者面談、みゆきVSみゆき、みゆきVS母。そして現在作業中がトンカツ屋である。(写真は壁に貼ったリスト。終わったシークエンスは赤で消す)

これでようやく5ブロック中の2ブロックが終了。また気持ちが焦り始める。1日で1ブロック進む日もあれば、1日2−3シーンということもある。それぞれに分量が違うのと、集中力の度合いにもよる。体調が悪い、風邪気味、睡眠不足というのも影響する。そしてまた胃がキリキリ痛む。

さて、今の関心事は大人みゆきの精神的展開。演じる鈴木杏さんは実に細かく演じてくれているのだが、そのまま繋いだだけでは面白くない。心の動きをより観客が分かりやすくなるための編集を行なっている。どこでアップを入れるか?どのくらい寄りを見せるか?それだけでかなり違って来る。

高校時代の自分と対峙、昔のクラスメートを見つめ、母と話し、先生と対決し、みゆきは少しずついろんな意味を見つけて行く。まさに、みゆきの成長物語でもある。同時に同行するアヤカの成長物語。バブルを知らない彼女。不況の中で育った。日本は貧しい。そう思っているアヤカが見るバブル時代。

さて、このあとはいよいよ父の登場だ。演じるは板尾創路。また、泣ける芝居を見せてくれる。いよいよ、みゆきは父と対峙。まあ、ここからは全国のお父さんに絶対に見てほしいシーンだ。父の存在とは? 父の役割とは? そして父の愛とは何か?を問いかける。そして3ブロックの終わりからは刑事ドラマがスタート(?)

さあ、風雲急を告げる大展開。謎はますます深まって、波瀾万丈、荒唐無稽。物語はいよいよ後半戦へと突入。涙と感動の連続とあいなりまするか? 乞う、御期待!


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明日にかける橋ー編集日記 何を考えながら編集するのか? [「明日」編集]

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明日にかける橋ー編集日記 何を考えながら編集するのか?

昨夜、編集した場面はまさにそれだった。撮影素材を観ると俳優たちがミスせずに、台詞を次々に発する。テニスのラリーを観ているようなリズムとスピード。台詞の間違いはなく、シナリオ通り。キャストは皆、しっかりと演じている。が、これをそのまま繋ぐと盛り上がらない。

現場にいて芝居を観ていると、何らおかしいところはないのだけど、映像にするとせわしなく、単なる日常になってしまう。ドラマティックがない。これを編集で変えて行く。話が少し逸れるが、今回、編集している自分の気持ちを確認、記録するようにしている。書いていて気付いたことがある。のは、撮影時に監督というのは主人公の視点で、あるいは監督の分身となるキャラの視点で物語を観る。つまり、その俳優の目線で撮影を見る。

ヒッチコックなら例えば主人公ーケーリー・グラント。彼の視点からグレースケリーを見つめる。多くの監督は主人公を通してヒロインに恋をする。だから、気持ちが伝わるのだ。だから、ヒッチコックはラブシーンでグラントに嫉妬したとも伝えられる。その意味でジョンフォードはジョンウェイン。黒澤明は三船敏郎に思いを託している。

ところが僕の映画では主人公は女性。彼女に恋する男性キャラがまわりにいないことが多い。僕の視点はどこにあるのか?自分で自分の気持ちを察するのもヘンだが、実は現場では三人称。特定の誰かのキャラの視点ではないようだ。何でそうなったか?というとたぶん、メイキングものを撮っていたからだ。

つまりドキュメンタリーは三人称。例えばライオンの家族を撮る。それは人間がライオンを見つめる視点。メイキングも現場で働くキャスト、スタッフを記録する。そんなスタイルが身についてしまったようだ。なので、僕は現場で役者にあれこれ言わない。ドキュメンタリーだから。好きにやってほしい。野生のライオンに演技指導してはいけない。ライオンはそもままでライオンなのだ。その手法に今回気付いたのが杏ちゃん。さすがです。インタビューでそのことに触れていて、あーやっぱり、俺はそうなんだあ。と再確認した(自分で気付いてなかった!)

しかし、編集になると、主人公の思いを考えて作業しようとするようだ。通常、監督は現場でその場面を一度観ているので、あーここがうまく行っていない。このカットはイメージと違うと感じるのだが、もちろん僕も感じるのだが、それ以上に主人公を通して物語を観るとこうなるのか!という新鮮なものを感じる。だから、自分でシナリオを書いているくせに「えーーどうなるんだろう?」とか思いながら編集する。

そうなると、「ここで主人公みゆきは・・・・****と感じているはずだ」と考える。杏ちゃんはしっかりとそんな演技をしてくれている。それをどうすれば観客に伝えられるか? もちろん表情や台詞では*****という思いが出ている。が、それだけでは弱い場合がある。だから編集で強調する。その際に有効なのが「間」なのだ。例えば小説ならこうだ。

「みゆきは思った。この家、この風景、全て見慣れたものだ。あの頃と何も変わっていない。いや、これはあの頃なのだ。高校時代を過ごしたあの実家なのだ。様々な思いがみゆきの脳裏を駆け巡る。入学式、夏休み、毎朝、親友の寛子が迎えに来てくれたこと。その全てが懐かしい。しかし、あの事件から、あの事件から全てが一変したのだ。それが......」

てな描写がある。だが、映画にはそれがない。また、現実ではそんな思いは一瞬。そして、それは第三者にも伝わらない。

それを映画は伝えなければならない。といってナレーションで説明してはダメ。昔のホームドラマはそれをしていたが、今はダサいと感じる古い手法だ。それを表現するのが間なのである。そうやって現実の時間を引き延ばして表現する。

ヘンな例だが、アニメの「巨人の星」主人公の飛雄馬が1球投げるのに、どれだけ時間をかけるか? ボールがバッターボックスの花形満に打たれるまでに、いろんな人がしゃべるし、飛雄馬のモノローグも入る。花形も「星君。勝負だ!」とか心の声で話す。テレビを見ているオヤジも「飛雄馬、いかん!」と叫ぶ。これも現実の時間を引き延ばして、主人公たちの気持ちを表現しているのだ。それによって物語が盛り上がる。これが現実のプロ野球中継だと、あっという間に球を投げて、バッターは打ち「ホームラン!」という展開となる。

ドラマはその当事者の気持ちを描かなければならない。といって「星君。勝負だ」とか心の声は使えないが、間でそれを伝えることができる。そうしないと観客には単なる日常風景としか伝わらない。てなことを、今までは考えずに編集していたのだが、実はそんなことを思いながら作業していたようだ。例えれば、まさに物語の世界に入り込み、現実に自分がいないような状態。ある意味でやはり霊が降りて来た状態。記憶がないのはそのせいなのだ。今更ながらそんなことに気付く。さあ、本日も編集をスタートする。


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明日にかける橋ー編集日記 編集中の記憶がないので記録しておく [「明日」編集]

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毎回、超真剣に入れ込んで編集すると、作業中に何を考えていたか?覚えていないことが多い。俳優が撮影中のことを覚えていないということがあるが、同じ感覚なのだろう。ただ、監督というのは撮影中のことはよく覚えている。以前、大先輩にあたる故・松林宗恵監督からお話を伺ったときに、何十年も前に監督された映画の撮影での出来事を昨日のように語っているのを聞き驚いた。

そういえば僕もデビュー作はもう12年間だが、撮影現場のことはかなり覚えている。監督というのはそういうところがあるのだ。対して俳優は現場のことをよく覚えていないことが多い。たくさんの仕事をするから?と思っていたが、役に入り込み演じると記憶が残らないのかも?と思えていた。それで気付いたのが僕も編集時に何を考えていたか?よく覚えていないということ。

毎回、映画制作時には監督日記をブログで連載する(あー5本とも書いたあ。今でも全部ネットで公開中)その中の「編集」の章を読み直したことがある。何をしたか?は書かれているが、何を考えていたか?が書かれていない。そして、何を考えていたか?が思い出せない。編集機に向かい、モニターを見つめ作業をしながら、何を考えていたか? 記憶にない。

一方で僕の映画の編集を評価してくれる人がいる。「編集がいい!」と指摘するのはかなりなツーだ。通常は「編集」とは気付かず「いい映画だ」と思う。ストーリーがいい。俳優がいい。ちょっとマニアだと演出がいい!と思う。しかし、編集がどれだけ大きな効果を上げているか?に気付く人は少ない。

そんな一人の発言を以前に紹介した。「間の取り方」を褒めてくれた。ーあだち充の「タッチ」のような間。と評してくれた。これは自身でも驚いたが、あの漫画は確かに間が魅力だ。あの間があるから感動したり、泣けたり、心に染みたりする。好きな漫画という訳ではないが、うまいなーと思え、当時は読んでいた。

それと同じ「間」があるというのは嬉しい評価。そして確かに間はいつも編集時に気にする。が、どんなふうに考え作業したか? 毎回、思い出せないので、今回はそれを日記に綴るように心がけている。



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明日にかける橋ー編集日記 編集作業の次も準備開始! [「明日」編集]

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本編集とはいえ、最初から最後まで作業して完成!ではない。何度も前に戻り、直しをする。全体を見直して、流れを見てさらに直す。その場面だけ見てよかっても前後の流れからするとヘンなこともあるので、それも直す。

とはいえ、まだ最後まで行っていない。現在は全体5ブロックの中で4ブロック目だ。かなり来たように思うが、5ブロック目はクライマックスの連続。カット割りも凄い。たぶん、他のブロックの倍以上の労力が必要だ。

とはいえ、折り返し地点を超えたので精神的にも少しだけ余裕ができる。昨日はカラコレ等の連絡。映画は編集が終われば完成ではない。そのあとに合成、映像処理、音処理、カラコレという作業がある。

今回の物語は1989年。当時の感じを出すために映像に映ってはいけないものもある。また、今はもう映せないので合成せねばならないところもある。僕は合成というのがあまり好きではないので、なるべくならしたくないが、実際に作るより安くできる場合は合成でも仕方ないと考える。

また、いろいろ問題のあるカットもある。エキストラの人が完全に見物人!という顔で映っているところ。必要なものが映っていないところ。経済的余裕があればCGで書き込んだり、消したりも出来るのだが、今回は無理なので、あれこれ工夫する。

そしてカラコレ。画面の色合いを揃えたりする。同じ日に同じカメラ2台で撮影しても、それぞれの映像は微妙に色が違う。まして、別のカメラで撮影した素材。別の場所で、別の日に撮影したものを1つにまとめると色合いが違う。そのまま編集するとカットごとに色や明るさが違い、見ていて落ち着かない。それも揃える。

また、意図的に色合いを変えることもある。画面は明るくて観やすいだけではダメ。その部屋の電球が裸電球ならオレンジ。蛍光灯なら白。月の光は青。夕方なら赤とか、いろんな色の光がある。それを意図的に使うこともある。

この台詞。夕陽の中で言えばぐっと来るけど、真昼にいうと恥ずかしいとかいうのもある。もちろん、シナリオ段階でもその辺を考えるが、撮影してみて、さらに違う展開ができることもあるのだ。

演技とカメラワーク。音楽と編集で物語の印象が変わるのは何度も書いたが、色合い、明るさでも、かなりイメージが変わる。「この役者。本当に台詞がダメだな」と思えても、カラコレで場面の色合いを変えると「意外に行けるなあ」となることもある。

そんなふうに編集後の作業も非常に重要。その連絡も始めた。これまで編集した映像を担当者に送り確認してもらう。どこで何を加えるか? 合成。修正。するか? 考え、準備してもらうためだ。その間に僕は4ブロック目の編集を進める!


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明日にかける橋ー編集日記 哀しみが溢れ、作業しながら涙 [「明日」編集]

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昨日作業したお寺のシーン。前回の日記に簡単に書いたが、仮音楽をつけて観てみるとやはり凄い。お通夜(下写真はそのときの撮影風景)。藤田朋子さん登場。そのあたりは涙なしでは見れない。コミカルな演技が印象的な藤田さんだが、この心に染みるシーンの芝居も素晴らしい。

そして物語は「愛と哀しみの山河」の章へ。といってもシナリオにそんなチャプターはない。僕が編集時につけた。だが、まさにそういうに相応しい哀しみの連続の展開。主人公の家族に襲いかかる不幸の連続。そして厳しい時代の波。なぜ、人は幸せになれないのか? なぜ、人は不幸に見舞われるのか? 父は、母は、子供たちにそんな中で何を教えて行くべきなのか?

お父さん役の板尾創路さんが素晴らしい。お母さん役の田中美里さんの哀しみ溢れる。時代はこの家族を救うことなく、ゆっくりと歩み続け、過去に戻ることはない。子供たちは哀しみを背負ったまま成長し、新しい時代と対峙する。その中で本当に大切なことは何か? この物語の中で探している。

本日はいよいよ大人みゆきの物語が本格スタートする。楽しみだ。日曜日も休みなく作業が続く。


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明日にかける橋ー未公開写真を紹介③ 実験室の撮影! [「明日」編集]

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今週もこれまでに公開していないスチール写真を紹介。袋井商業高校ロケ時の写真。実験室のシーン。左から草刈麻有さん(浜松ロケの「青い青い空」にも出演してくれた)。鈴木杏さん。向こうにスタッフ。右側が藤田朋子さん。さて、どんな場面なのか? 

全国の映画館公開は来年夏以降だが、12月下旬にロケ地である静岡県西部で完成披露上映会が行われる。早く見たい〜という方はぜひ。前売り券の発売場所。日時。会場は以下の公式HPで!


            HP=>http://ffc2017.main.jp


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明日にかける橋ー編集日記 なぜ、監督が編集するのか? [「明日」編集]

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「そんなに大変なら編集スタッフを雇えばいいじゃないですか?」

と言われたこともある。監督は編集以外にもやるべき仕事がたくさんある。そしてまだ撮影時の決算、総括、まとめの書類等も作らなくては。パンフレットの制作も進めねばならないし、先日のように講演、スタッフ会議もある。

「経費節減のために監督が編集するの?」

それもある。外部に頼むとまたそこで人件費が派生する。だから、7人分の仕事をしているのはあるが、編集に関してはそれだけではない。

例えば、編集スタッフを雇い、シナリオと素材を渡して「よろしくね」というのが通常の映画。途中で出来たところまで見て監督が「あーここは短く。あ、ここはもっとテンポよく」とか言って進めるのがほとんどの映画。

だが、それでは太田組作品らしい映画にはならない。一度、仮編集をスタジオがやってくれたことがある。こちらは最終的な直しだけすればいい。楽チン!と思ったが、仮編したものを見て驚いた。確かにシナリオ通りに繋いではいるが、退屈でしかないドラマになっていた。なぜ、こんなふうになるのか?で、イチから全部僕がやり直すと、それなりのものが出来た。ある映画関係の人がこんなことを言ってくれた。

「太田監督の映画は間が素晴らしい。センスなんだろうなあ。主人公が台詞を話しだすのに1秒早くても、1秒遅くてもダメ。その微妙なタイミングでいつも泣かされるだよね〜」

嬉しいコメントだが、僕自身に自覚がない。どんな手法でそれをしているのか? 自分でも完全には分かってなかった。えだが、今も仮編集すら頼むことはせず、自分の作品は全て自分で編集する。2ヶ月、3ヶ月編集室に籠もり、精神状態が少々おかしくなっても自分でやる。何が違うのか? それを明確に把握するために、今回は編集日記を詳しくつけている。

多分、シナリオ通り普通に繋ぐと以前と同じように「えーーー?」というものになってしまう。では、何が違うのか? どこがシナリオと違うのか? たぶん、僕にとって編集作業というのは映像をシナリオ通りに繋ぐ仕事ではない。素材は料理でいうと大根や人参。それらをどう料理するか?に近いのだろう。

あーでもない。こーでもない。と毎回、素材と格闘すると、感動作になるのだが、その秘密を自分で探りながら、今回は作業している。詳しくはいずれ。


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明日にかける橋ー編集日記 「愛と悲しみの山河」の章を編集中。 [「明日」編集]

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ここはむずかしい場面。シナリオに書かれた通りに繋いでもダメ。センスとリズムが大事。あ、そうだ。その前のシーン。葬儀の場面も似たようなところがあり、難しいシーンだったが、かなりうまく編集できた。

通常、葬儀の場面だけ観て泣けることはないのに、このシーンは涙が溢れる。ここから「愛と悲しみの山河」の章がスタートする。本日は1日この場面の作業だ。



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明日にかける橋ー本編集の作業は快調? 胃の痛みが緩和 [「明日」編集]

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1ヶ月かけた粗編集。胃がキリキリしている。というのも、うまく繋がらないところ。タイミングが違うところ。おかしなものが映っているとこ。思った通りに撮れていない等の問題がいくつも見つかったからだ。

あと、本当に情けないが、撮り忘れカットも少しあったし「あーなんで寄りを撮っておかなかった....」と後悔するシーンもある。真夏の猛暑とハードスケジュール。優秀なスタッフが揃っていても、撮り忘れというのが出ることがある。また、用意されていたもの(人、物、風景、セット等)が意外に効果を上げていない。うまく映っていない。大画面で見るとと余計なものが映っていた。ということもある。

実はハリウッド映画でもよくあることで、そんなミスを映画館で発見してしまうことがある。でも、今は人ごとではない。編集というのは、そんなことを補修、修復、隠す、作業もせねばならない。その辺は撮り直しをするべきなのだが、予算、時間、スケジュールを考えるととてもできない。ただ、あの黒澤明はラッシュを見てそんな問題を見つけると、必ず撮り直しをしたという。予算が超過しようが、時間がどれだけかかろうが。天皇と呼ばれる人だからそれができたのだ。

「あーーーあのシーン何とかなるかなあ〜」と胃がキリキリする中、本編集をスタートした。ら、意外にどのシーンもうまく繋がって行く。これはマルチカメラ。複数のカメラで撮影してあることでのプラス。問題ある部分を他のショットで補えるのだ。若い俳優は演技を繰り返すたびにタイミングが違う。だからこそマルチカメラで一気に撮ると繋げやすいのだ。が、角度を変えて二度三度撮ると、やはりそれぞれにタイミングが違う。

また、演技が終わらない内に次の台詞を言っていたりもする。特に望遠レンズで撮っていると(スタッフは俳優からかなり離れたところにいるので)演技の細かな部分が分からず、編集時に気付くということもある。その辺、ベテランはミスがなく、安心して編集できる。

撮り忘れとなると、もう目も当てられない。あってはいけないことだ。が、今回も1−2カ所あった。暑い、忙しいは理由にならないが、そんな日のことを思い出すと何か事件があったり、誰かが問題を起こしたり、イライラする日であることが多い。そのためにも現場で怒鳴ったり、喧嘩したり、文句の多いスタッフやキャストを呼んではいけないというルールに繋がる。

だが、昨夜の本編集ではほとんどの問題をクリアーできた。うまく繋がっている。胃の痛みも少し和らいだ。なんてことを書くと「この監督、まだまだ未熟なんだなあ。編集でごまかすなんて!」と思われそうだが、こんな情けない話。他の監督はしない。撮影現場は戦場だ。計画通りにはいかない。必ず問題が起こり、あとで「あのカットを撮っておけば...」と多くの監督たちは後悔する。でも、それを公言しないだけ。

フランソワ・トリフォー監督の撮影日記を読んでも同じことが書かれていた。「今さら撮り足しは出来ない。が、明らかに必要なカットが撮れていない。他の素材から主人公のアップを探す。これなら背景が気にならないから使える。このカットは逆回転して使えば足りない部分を補える」とか綴っている。巨匠でも同じようなことをやっていると知り、少し安心したことがある。


しかし、完成した映画を見ると、そんな苦労をしていること。観客は気付かない。いや、気付かれてはいけない。繋がりとか小道具とか、タイミングなんかではなく、物語に専念して見てもらうことが何よりも大切なのだ。


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明日にかける橋ー編集日記 本編集スタート。 [「明日」編集]

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講演会も終わり、粗編集も1ヶ月かけてほぼ済んでいるので、いよいよ本編集をスタートする。これからは粗編と違い、1秒、1コマにこだわり、完成版にする作業だ。粗編では動きがおかしかったり、ダブっていてもOK。とりあえず流れが見れればいい。

が、本編集は完全に全てが繋がり、ぎこちなさがあってはならない。その辺は当然のことだが、太田式編集はここでシナリオに書かれたのとは違う展開に繋ぎ変えたり、タイミングをずらしたり、普通の監督はしないこともする。だからこそ、ここからが勝負なのだ。

まずはオープニング。いつものように富士山からスタート。そして町の風景紹介。主人公・みゆきのモノローグに乗せて美しい町並みを見せて行く。撮影中に仮のモノローグを杏ちゃんに読んでもらい録音しているので、それをタイムラインに貼付けてみる。さらにイメージに近い既成の映画音楽のデータも貼付ける。こうすればかなり完成版に近い形だ。

んーーーいい感じ。いつものオープニングだ。静岡でロケした4作は全て同じスタイルで始まる。その後はそれぞれ全然別の物語が展開するのだが、オープニングは同じ。ファンの人たちは最初に富士山が映ると「おーー太田映画が始まった〜」と嬉しくなると言ってくれる。今回も期待に応えていつものスタイルだ。すでに粗編はしてあったが、オープニングはとりあえずのスチール写真にしてあったので、今回改めて動画から風景ショットを選ぶ。

最初は富士山。そして袋井、磐田、森の風景。最後に明日橋となり、タイトルが出る。 昼頃から初めてすでに6時間。何だか、いい感じになってきた!今夜中に2−3シーンは進めたい。次は下旬に秋風景撮りに地元に行かねばならない。それまでに最後まで行きたい。タイムリミットは14日ほど。


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明日にかける橋ー編集日記 「親子に伝える大切なこと」それが太田組作品のテーマ [「明日」編集]

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このところ編集に没頭していたが、先日の静岡講演会であれこれ話していて思い出したことがある。僕は何を伝えたくて映画を作り続けるのか?

監督デビュー作「ストロベリーフィールズ」は子供たちに「友達」とは何か?を問いかけるテーマがあった。携帯やメールやプリクラ(当時はLINEはなかったけど)で繋がることが友達と思っている子供たちに、それは本当の友達なのか? ということを、そして、生いることの意味を伝えようとした。と書くと教育映画のようだが、お話は青春ファンタジー。ハラハラドキドキ。感動して何度も泣ける物語だった。

映画完成後。「だったら、その友達はどうやって作るのか?」ということを描かねばならないと思え、作ったのが「青い青い空」だ。女子高生たちが書道部で葛藤、悩み、がんばり、大会を目指すことで友達との絆を育む物語。その中で主人公・真子が母親と断絶するストーリーも描いた。それを突き詰め、家族の絆を描いたのが「朝日のあたる家」家族の話と、先の友達のテーマをさらに追及したのが「向日葵の丘」である。

こんなふうに1作が終わると、そこで描き切れなかったことを次回作で描いていることが多い。或はその作品で出した結論から出た疑問に答える物語を作っている。いずれの作品に言えるのは「親子に伝える大切なこと」それが僕のテーマである。当初は「子供たちに伝える大切なこと」だったのだが、いろんな現実を見ている内に、親がバカなので子供が苦労しているということが多く、子供だけではなく、親にも大切なことを伝えなければならないと気付いた。

そして、友達、親子、家族の問題を見つめていて分かって来たのは、その先にある問題は「幸せって何だろう?」ということだ。その幸せの形を見つけることこそが、一番大事なことだと思える。だが、多くの日本人の幸せの形は未だにこうだ。金持ちになること。大きな家に住むこと。

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戦後、貧しかった日本人は金と物こそが大事と感じ、必死で働いて来た。それがバブル崩壊。長引く不況。そしてもう日本は緩やかな没落の一途を辿るだけの国になりつつある。過去の価値観や方法論が通用しない。そんな中で、これまでとは違う価値観を探し、新しい生き方をせねばいけない時代に突入している。

にも関わらず大人たちは気付かず、古い価値観にしがみつき、子供たちに無意味なことを押し付け続けている。やはり、まず大人たちが今という時代に気付かなければ、子供たちは救われない。どうすれば大人たちは、そして親たちは、そのことに気付いてくれるのか? それを実践したのが「向日葵の丘」だ。1983年バブル前夜を見つめることで、不況の現代と比較することで、いろんなことが見えて来る。当時は気付かなかったものが分かって来る。

それをもう一度、実践したのが最新作「明日にかける橋」である。今回は1989年というバブル最盛期と不況の現代を対比させることで、さらに違ったものが見えてくるはずだ。「向日葵の丘」で主人公の多香子(常盤貴子)が訴えたこと「幸せって何だろう? どこにあるんだろう?」その答えを探して、今回は1989年に戻ってみる。そこで、今一番大切なテーマを見つけてもらえるはずだ。映画館公開は来年夏以降だが、ロケ地では完成披露上映会が12月下旬に行なわれる。


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