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明日にかける橋ー編集日記 何を考えながら編集するのか? [「明日」編集]

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明日にかける橋ー編集日記 何を考えながら編集するのか?

昨夜、編集した場面はまさにそれだった。撮影素材を観ると俳優たちがミスせずに、台詞を次々に発する。テニスのラリーを観ているようなリズムとスピード。台詞の間違いはなく、シナリオ通り。キャストは皆、しっかりと演じている。が、これをそのまま繋ぐと盛り上がらない。

現場にいて芝居を観ていると、何らおかしいところはないのだけど、映像にするとせわしなく、単なる日常になってしまう。ドラマティックがない。これを編集で変えて行く。話が少し逸れるが、今回、編集している自分の気持ちを確認、記録するようにしている。書いていて気付いたことがある。のは、撮影時に監督というのは主人公の視点で、あるいは監督の分身となるキャラの視点で物語を観る。つまり、その俳優の目線で撮影を見る。

ヒッチコックなら例えば主人公ーケーリー・グラント。彼の視点からグレースケリーを見つめる。多くの監督は主人公を通してヒロインに恋をする。だから、気持ちが伝わるのだ。だから、ヒッチコックはラブシーンでグラントに嫉妬したとも伝えられる。その意味でジョンフォードはジョンウェイン。黒澤明は三船敏郎に思いを託している。

ところが僕の映画では主人公は女性。彼女に恋する男性キャラがまわりにいないことが多い。僕の視点はどこにあるのか?自分で自分の気持ちを察するのもヘンだが、実は現場では三人称。特定の誰かのキャラの視点ではないようだ。何でそうなったか?というとたぶん、メイキングものを撮っていたからだ。

つまりドキュメンタリーは三人称。例えばライオンの家族を撮る。それは人間がライオンを見つめる視点。メイキングも現場で働くキャスト、スタッフを記録する。そんなスタイルが身についてしまったようだ。なので、僕は現場で役者にあれこれ言わない。ドキュメンタリーだから。好きにやってほしい。野生のライオンに演技指導してはいけない。ライオンはそもままでライオンなのだ。その手法に今回気付いたのが杏ちゃん。さすがです。インタビューでそのことに触れていて、あーやっぱり、俺はそうなんだあ。と再確認した(自分で気付いてなかった!)

しかし、編集になると、主人公の思いを考えて作業しようとするようだ。通常、監督は現場でその場面を一度観ているので、あーここがうまく行っていない。このカットはイメージと違うと感じるのだが、もちろん僕も感じるのだが、それ以上に主人公を通して物語を観るとこうなるのか!という新鮮なものを感じる。だから、自分でシナリオを書いているくせに「えーーどうなるんだろう?」とか思いながら編集する。

そうなると、「ここで主人公みゆきは・・・・****と感じているはずだ」と考える。杏ちゃんはしっかりとそんな演技をしてくれている。それをどうすれば観客に伝えられるか? もちろん表情や台詞では*****という思いが出ている。が、それだけでは弱い場合がある。だから編集で強調する。その際に有効なのが「間」なのだ。例えば小説ならこうだ。

「みゆきは思った。この家、この風景、全て見慣れたものだ。あの頃と何も変わっていない。いや、これはあの頃なのだ。高校時代を過ごしたあの実家なのだ。様々な思いがみゆきの脳裏を駆け巡る。入学式、夏休み、毎朝、親友の寛子が迎えに来てくれたこと。その全てが懐かしい。しかし、あの事件から、あの事件から全てが一変したのだ。それが......」

てな描写がある。だが、映画にはそれがない。また、現実ではそんな思いは一瞬。そして、それは第三者にも伝わらない。

それを映画は伝えなければならない。といってナレーションで説明してはダメ。昔のホームドラマはそれをしていたが、今はダサいと感じる古い手法だ。それを表現するのが間なのである。そうやって現実の時間を引き延ばして表現する。

ヘンな例だが、アニメの「巨人の星」主人公の飛雄馬が1球投げるのに、どれだけ時間をかけるか? ボールがバッターボックスの花形満に打たれるまでに、いろんな人がしゃべるし、飛雄馬のモノローグも入る。花形も「星君。勝負だ!」とか心の声で話す。テレビを見ているオヤジも「飛雄馬、いかん!」と叫ぶ。これも現実の時間を引き延ばして、主人公たちの気持ちを表現しているのだ。それによって物語が盛り上がる。これが現実のプロ野球中継だと、あっという間に球を投げて、バッターは打ち「ホームラン!」という展開となる。

ドラマはその当事者の気持ちを描かなければならない。といって「星君。勝負だ」とか心の声は使えないが、間でそれを伝えることができる。そうしないと観客には単なる日常風景としか伝わらない。てなことを、今までは考えずに編集していたのだが、実はそんなことを思いながら作業していたようだ。例えれば、まさに物語の世界に入り込み、現実に自分がいないような状態。ある意味でやはり霊が降りて来た状態。記憶がないのはそのせいなのだ。今更ながらそんなことに気付く。さあ、本日も編集をスタートする。


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