明日にかける橋ー編集日記 編集作業は孤独な戦い? [「明日」編集]
本日も編集作業が続く。先日の静岡市での講演会以来、もう1週間。人とまともに話していない。ランチどきに近所のモスバーガーに行き「テリヤキバーガーとコーヒー...」というのが1日に発する唯一の言葉。あとは黙々とモニターに向かい編集。休憩時はFacebookに記事書いたり、音楽聴いたりするくらい。テレビも見ない。見るとニュース番組で「あの首相,
相変わらず酷いなあ!」とか腹が立ち編集に戻れなくなる。編集中は神経過敏で小さなことでも大きく受け止めてしまう。
粗編を始めて1ヶ月。その後の本編集で6日くらいか? 本来、その2つで2ヶ月はかかるので、あと3週間ほど時間は必要なのだが、12月上旬に音楽入れをせねばならないので、なるべく早く上げたいと、焦りながら作業。しかし、編集しながら「おーーーこれは名作になるーー!」と盛り上がったか?と思うと、「ダメだ。このシーンはカットが足りない。これでは盛り下がる......」と気持ちがダウンしたり。その連続だ。
多くのスタッフとキャスト。地元の方々の思いが籠った作品。あーーがんばってよかった〜と思ってもらう作品にするのが僕の責任。「この程度の作品のために、あの猛暑にがんばったのかあ〜」と落胆させる訳にはいかない。期待に応えねばならないという重圧とプレッシャーがのしかかる。胃がキリキリ。胸が苦しい。作業は1人の戦い。誰も助けてはくれない。
編集というのはある意味で外科手術に似ている。体を切り、細い血管を繋ぐように、1秒、0.5秒という短いコマを繋いで行く。また、不必要なカット。物語の進行を妨げる映像を見つけたらがん細胞のように削除せねばならない。取り除いた映像の代わりに別のシーンから別のカットを移植することもある。まるで外科手術。ドクターXのようだ。が、「私、失敗しないので」とは言い切れない。
僕の過去作品。幸いなことにどれも評判はいい。映画館公開のときは多くの観客が涙を流し感動してくれた。もちろん、100人いれば100通りの人がいて、全く泣けなかったという人もいるが、多くは賞賛してくれた。が、これまで4本。普通、4本続けて泣ける映画なんてできない。4本目の「向日葵の丘」のときも、もの凄いプレッシャーだった。「次こそ泣けないかも?」という不安がのしかかった。が、多くの観客が涙してくれた。
今回は5本目。なので多くの人が「太田監督の映画は今回も泣けるはず!」と言ってくれるが、果たしてどうか? 4本も評判がいいと、皆「泣けて当然! 泣けるシーンが1回だけではなく、何度もある!」とハードルも上がっている。しかし、世の映画監督で5本も続けて泣ける映画を作った人っているかあ? 僕のような無名監督が5本連続泣ける映画なんて、出来るの? という不安でいっぱいになる。
実は毎回、そんなふうに葛藤しながら編集をするのだが、そろそろ休憩を終わりにして作業を再開する。編集は孤独との戦い。自分との戦い。神経を尖らせて、物語の世界に飛び込む。編集の神様がいるとしたら祈ってほしい。たどり着く先にあるものが素晴らしき作品であることを。
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