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眠れない夜と、雨の日には...雨じゃないけど、懐かしの深夜番組を思う。 [my opinion]

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眠れない夜と、雨の日には...雨じゃないけど、懐かしの深夜番組を思う。

最近はほとんどテレビを観ないのだけど、今夜は眠れなくてAmazonプライムをつける。切り替えができてなくて、地上波の番組「タモリ倶楽部」が映し出された。あー懐かしい。この番組は僕が横浜にいた頃。アメリカ留学する前から放送していた番組だ。当時、タモリさんは「笑っていいとも!」「今夜は最高」「タモリ倶楽部」とレギュラーがあり、その後に「ミュージック・ステーション」が加わる。

その「タモリ倶楽部」あの頃と全然変わらない内容。でも、それが嬉しく感じる。テレビを中心に生活していた高校時代。卒業後、映画学校に通うようになってからは、夜はテレビより飲み会だったが、それでも朝起きると、テレビを付け、夜は寝るまでテレビがついていた。部屋にいるときはずっとテレビがついている状態。

深夜番組は個性的で、興味惹かれるものが多かった。「タモリ倶楽部」もそんな1つ。「空耳アワー」のコーナーは今も健在。昔は「愛のさざ波」というミニドラマのコーナーもあって、タモリがドラマを演じていた。

留学から帰ってからは深夜までアルバイト。帰宅するとテレビを付けて寝るまでの時間を過ごした。まだ、バブルの余韻がある時代で、深夜番組もなかなか豪華。フジテレビの「カノッサの屈辱」「アメリカの夜」(宝田明さんが司会の映画製作を学べる番組)はとても面白かった。「マネーの虎」も最初は深夜番組だったし。

トーク番組では今やスタンダードになった「夏の日の1993」がテーマソングだった、トーク番組「君といつまでも」東ちずる、石黒賢、山田雅人が司会。松本人志と島田紳介の「松紳」、上岡龍太郎と鶴瓶の「パペポTV」「たかじんNOばー」「トミーズのきばらなアカン」とか、好きで毎週観ていた。

ついこの間と思いきや、もう28年も前だ。1990年代前半。それがもう懐かしい時代になってしまった。それが1995年に脚本家デビュー、その後、監督デビュー。劇場映画を撮るために5年かけて、テレビを見る機会がどんどん減って来た。もう、「ニュースステーション」と「NEWS23」を録画して見るくらいだった。

大河ドラマはとっくに見てない(「武田信玄」が真剣に見た最後か?)でも、「金八先生」シリーズだけはしっかり見ていた。2007年が最終シーズン。生徒役で草刈麻有が出ていた。のちに僕の映画にも出てもらうことになるのだが、あの頃から彼女は輝いていたなあ。ああ、そう言えば、そのドラマで校長先生をやっていた赤木春恵さんが昨日、亡くなった。そう考えると、また時代を感じる。

来るべき、新しい時代の主役はもはやテレビではない。が、深夜放送を見ていたあの空気。あの感じ。懐かしく思う。そんな時代から今も「タモリ倶楽部」が放送されていること。少し嬉しく思った。


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平成時代が間も無く終わり、全く新しい時代が始まる。それは戦後以来の価値観が大転換する激動の時代だろう。 [my opinion]

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【平成時代が間も無く終わり、全く新しい時代が始まる】
               =それは戦後以来の価値観が大転換する激動の時代だろう。

今日で11月が終わる。と言うことは、あと1ヶ月で2018年が、平成時代が終わる。いやはや時代のスピードは本当に早い。

今年1年は「明日にかける橋」の再編集に始まり、東京公開の準備。宣伝。大阪、名古屋。そして地元・静岡県公開のための宣伝活動。地元・磐田市の映画館では9週間と言う大ロングロンとなった。

そのあとは沖縄戦ドキュメンタリーを再開。現在は次の取材準備に追われている。「明日」のタイトルでもある「1989年の想い出」にもあるように、その年は平成元年。その映画が全国公開されたのが、平成最後の年。元年を調べていても、時代が変わる大きな出来事がたくさんあったが、今年も一つの時代が終わることを感じること多かった。

レイモンド・チョウ、江波杏子、樹木希林、バート・レイノルズ、さくらももこ、菅井きん、アレサ・フランクリン、津川雅彦、橋本忍、浅利慶太、加藤剛、桂歌丸、森田童子、朝丘雪路、西城秀樹、木下忠司、井上堯之、ミロス・フォアマン、高畑勲、内田康夫、古賀新一、大杉漣、夏木陽介、星野仙一、真屋順子

昭和、平成を駆け抜けて来た人たちが数多く去っていった。これも一つの時代の終わりを感じさせる。先日から始めたAmazonプライムビデオもそうだが、確実にTSUTAYAだけでなく、レンタルDVDという店舗を消滅させてしまうメディア。それだけでなく、CD、DVDという存在をも無意味にしてしまう。カセットテープと同じように消えて行くことになるだろう。

そしてトランプ旋風は世界を変えている。まだまだ、日本のマスコミは批判しかしておらず、多くの人が安倍と同類だと誤解しているが、彼の登場で世界が変わリつつある。それに対して日本政府は未来に進むのでなく、戦前に戻そうとする時代錯誤。政権は完全に時代に逆行。こちらもTSUTAYA同様に消滅するしかないだろう。新しい時代の波。未来の風。それは全てが素晴らしいものではない。

ただ、言えるのは、それに賛同しようが反対しようが、どうあがいても時代は変わるということだ。次の時代はもはや昭和、平成の延長ではなく、戦後以来の大変革の時代になると思える。その中で日本人は何を考え、どう生きて行くべきなのか? 年老いて錆びてしまった感性のアンテナを磨き、時代の行方を見つめたい。


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50代になっていいこと。何かあるのかな?いや、あるみたいだ? [my opinion]

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50代になっていいこと。何かあるのかな?いや、あるみたいだ?

ついこの間まで20代だったのに、気付くともう50代。それも後半戦だ。昔、50歳はジジイだと思っていた。が、意外に30代と変わらないことに気付いた。40代も20代とあまり変わりに無くて、徹夜で仕事をしたし、ガンガン飯を食っていた。

が、さすがに最近は徹夜はできないし、やたら朝早く目が覚める。飯ももう昔ほどは食えない。体力も墜ちて来ただろう。重い荷物が堪える。目も悪くなった。疲れやすい。これが老化というものだろう。何より新しいものが苦手。仕事がら努力はしているが、覚えるのに時間がかかる。

昔は年寄りがあれこれ若い人に教えることが多かったが、今は若い人から機械の使い方や操作を教われないと分からないことが多い。映画の編集も今はコンピューターを使ったソフトで行なう。年配の監督はお手上げだ。まあ、監督が自身で編集することはもともと少ないが、僕は自分でやるので、覚える。覚えた頃に、ソフトが新しくなり、またゼロからスタートになるのだが......。

でも、いいこともある。何に書いてあったのだか思い出せないが、50代になると脳はそれまでに蓄積したことを活用する働きが増すという。それは少し実感。僕は10代から8ミリカメラをまわし、学生映画を作っていた。20代でアメリカ留学。30代で帰国。週刊誌のライターを少し経験。その後、脚本家になる。そしてメイキングスタッフをして、やがて監督デビュー。さらに映画監督業をスタート。

監督街道まっしぐらのエリートコースではない。だから、ビデオカメラがまわせる。編集も自分でできる。脚本も書く。雑誌等に文章も書ける。製作費を預かりPもできる。自主映画時代からトークショーをやっていたし、演劇学校でも教えていたので、講演会を頼まれても困らない。2時間くらい平気でしゃべる。

アメリカでの生活も役に立つている。映画だけでなく、出版業界で仕事が出来たこともプラス。いろんな業界を比較することで、いろんなことが分かる。日本とアメリカも同じ。これって50代ならではことなのかも?と思える。単に長年の経験があるだけではないだろう。

留学から帰った30代。その経験はすぐに生きなかった。むしろ日本の映画界を把握し、仕事をどうするか?が問題だった。ライター業も役に立ったのは監督デビューしてから。ブログに監督日記を毎回書く。これまでの5本。全て数年間の記録がある。そんな監督はなかなかいない。が、ライター経験があり、文章を書くのは早いし苦にならない。そんな文章をFacebookにブログに書くことで新作の宣伝になる。

学生映画時代から編集していたし、メイキング時代も編集込みの仕事が多かった(編集スタッフがいるとギャラも倍になるので、1人分で済む奴に仕事が来やすい)だから、今でもちょっとした編集ならすぐに出来る。そのために人を雇いギャラを払わなくてもいい。Pも要らない。だから、太田組作品は低予算でもそれなりのものができる。ま、器用貧乏ともいうのだろうが・・・・。

単にいろんな経験が役立っているというより、その経験や知識を使いこなせているように思える。それが50代の特性ではないか? 新しいものは受け入れ辛いけど、手持ちのカードを有効活用できる。それは脳がそんな働きを上手にできる年齢のように思える。40代のときはあまり実感なかった。30代20代はその日、その日を戦うのに精一杯。今は少し余裕を感じる。

60代になるとどうなるのか? さらに記憶力が墜ちるのか?体力が減退するのだろう。70代になると、ガクッと全てがダメになると聞く。あと15年ほど。つまり、全力で仕事が出来るのは、あと15年弱。そんな歳であること。感じている。



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【報道は金を払って見る時代。「オプエド」は次世代のニュース番組。今のテレビ報道は広報=それが無料の意味】 [my opinion]

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ネットの報道番組「ニュース・オプエド」忙しくても出来る限り見るようにしている。この番組、地上波では絶対に報じないことも伝えてくれる。伊藤志織さんの事件、オリンピック問題の裏側、安倍火炎瓶事件、他にもテレビや新聞が絶対に触れようとしないことが、今の日本ではいっぱいある。が、「オプエド」は伝える。

「オプエド」はネット番組。毎日、月曜から金曜まで、生放送。頭から1時間ほどは無料で見れる。以前は、生放送に限り、最後まで無料で見れたが、今は1時間を超えると、その部分は有料会員のみしか見られない。そのことを「せこい」「ケチ」と批判する人がいる。また、

「以前は最後まで無料だったのに、残念だなあ」

と思うもいるようだが、ズレているとしか言いようがない。新聞や週刊誌は金を出して買う。それは紙を買うのではなく、情報を買うのだ。そもそも情報は買うもの。ただ、テレビはタダ。二ュースも、バラエティも、映画も、ドラマもタダ。これが全ての弊害を生み、日本人をダメにした。中学時代。同級生が言った。

「映画館で映画を見ると1200円(当時の学生料金)もする。けど、2年くらい待てばテレビで見れるから映画館には行かない」

「映画館で映画を見ているときはいいけど、見終わると1200円も払って何も残らないので損した気がする」

大バカ野郎だ。でも、当時の日本人。いや、今に至るまでテレビによって、「ニュースも娯楽も無料」と日本人は思い込んでしまったのだ。だから、テレビや新聞で知ることのできない情報を発信する「オプエド」を「最後まで無料で見れないのが残念」などと勘違いなことを言い出す。

新聞や週刊誌は金を出して買う。それは紙を買うのではなく、情報を買うのだ。では、なぜ、テレビは無料で見れるのか? コマーシャルがあるから。宣伝された商品を視聴者が買う。その値段にはCMのための料金が含まれている。つまり、テレビも無料ではない。気付かない内に金を取られているのだ。

にも関わらず、僕らは「テレビはタダ」「中立公正」と思い込んでしまった。が、311で気付いた。それまでテレビ報道は原発問題を積極的に取りあげなかった。小さな事故は報じなかった。なぜか? 電力会社はテレビの最大スポンサーだからだ。都合の悪いことは報道しない。

テレビニュースは中立公正ではなく、

スポンサーに都合のいい情報しか流さないメディアだと分かって来た。政府が「放射能は漏れていません」というと、そのまま報じてしまう。それに意義や疑問を持たない。これは報道ではなく、広報だ。郵便ポストによく入っているチラシ。安売りセール。それと同じ。だから、無料。

真実、現実は無料では手に入らない。それだけのリスクを覚悟、取材している訳で、それには膨大な金がかかっている。無料では報道できない。テレビが無料なのはスポンサーの広報メディアだからだ。「テレビが無料なのに、なぜ『オプエド』は有料か?」と批判すること自体がおかしいこと分かってもらえただろう。

テレビの映画劇場だって同じ。

枠に合わせてカットされるシーンがいくつもあり、間にコマーシャルが入り、エンドロールはほとんど流されない。だから、テレビの映画劇場は無料で見れる。映画館は暗闇で集中して、大音響、大画面で見られる。映画自体がお金も時間もかけている。だから有料なのだ。今、テレビ映画劇場の視聴率が悪いのは、いい加減な形で映画を見たくないという人が増えたからだ。

「それならWOWOWでノーカットで見る」

「Amazonプライムで見る!」となってきた。ニュース番組も同じだ。政府とスポンサーのための広報ニュースを無料で見ても意味はない。フェイクニュースは見たくない。だから、有料でも「オプエド」を見ることに意味がある。が、映画にこだわる人は多くなったが、報道に関して有料に抵抗がある人がまだまだ多い。

そもそも政府公報である国営放送(?)が有料というのが間違っている。見たい人からだけ料金を取ればいいのだ。ま、フェイクニュースの権化なので見る価値はないが、未だに地方に行くとありがたがる人は多い。報道だけに関わらず、映画、娯楽、音楽と、料金を払うことでより価値あるものが手に入るのが、これからの時代だ。

水だって、昔はタダ

(本当は水道料金を払っているが)と思っていたが、今は金を出して買う時代。水道水は不純物が入っているし、地域によっては放射性物質が入っている。今も事故った原発からは放射能が出ている。それが風に乗り、各地に運ばれている。当然、水源にも降り注ぐ。だから、飲料水を買う人も増えた。

情報も同じだ。そろそろ気付こう。実はテレビが無料ではないこと。そしスポンサーや政府の広報であるということ。報道も中立公正ではない(それらしい振りはするけど)。映画も、音楽も、報道も、ある程度の金を払うことで本物が得られること。それが分からないと、平成で頭がストップ。次の時代を生きることができない気がしている。


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平成が終わると日本人の生活スタイルが大きく変わる予感? [my opinion]

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平成が終わると日本人の生活スタイルが大きく変わる予感?

Amazonプライムの「Amazon Music」というを試してみた。あまりよく分かってないが、あれこれ触ってスタート。とにかく、一定料金でいろいろ音楽が聴ける。

先日観た「ボヘミア・ラプソディ」のクイーンの歌もいっぱい聴ける。J-Popからジャズまで。映画音楽もある。サントラ版ほしくて探していた「タワーリングインフェルノ」もある。

ああ、もう、これは革命だな。こんなサイトがあったら、ラジカセも、ウォークマンも、iPodも、CDも、いらない。スマホを使えば、好きなだけ音楽が聴ける。それも新しいのから古いのまで、

TSUTAYAに行ってCD借りたり、タワーレコードに行ってアルバム買ったりする必要がない! 何じゃこれはー。有線放送も、FM放送もいらない。

単なる新製品とかではない。先にAmazonプライム・ビデオと共に人の生活スタイルを根本から変えてしまう。第4次産業革命だ。あーそれを実感せず、僕は何年も生きて来たのか? 時代暮れのオジさんになるはずだ。

テレビの登場、ビデオの登場、それ以来でそれ以上の、日本の生活スタイルを変える存在となるだろう。また、詳しく書く。


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ものごとを見る目。騙されないということ。=時代を生き延びるための眼力? [my opinion]

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ものごとを見る目。騙されないということ。=時代を生き延びるための眼力?

テレビ離れが進んでいるとは言え、「テレビがいうことは正しい」と今も思い込んでいる人がいる。福島の原発事故で枝野は

「ただちに危険はない」「放射能はでていません」

と繰り返したが、実際は東京にも降り注いでいた。枝野が嘘つきというだけでなく、どの番組もそれを否定しなかった、いや疑問も呈さなかった。それを素直に信じた1人が僕だ...。

「日本の原発はやはり優秀なんだろうなあ~」

呑気なものだ。今、日本のマスコミはトランプ批判一色。自国の総理も批判できないのに、なぜアメリカの大統領を批判するのか? 調べるといろいろ情報が抑えられ、伝えるべきことが伝わっていない。あれ?と思って調べたり、聞いたりすると、背景が見えてきた。トランプが善人か?悪人か?ではない。彼が何をしようとしているか?を知ることが大事。そうすればいろんな裏が見えてきた。

逆にオバマは平和主義者だと思えていた。が、マイケル・ムーアも暴露したように、記録的な空爆を他国に行っている。空爆というのは宣戦布告なしの攻撃だ。国際法を無視した行為。それを知らずに僕は広島のスピーチを聞き感動していた。事情通によると、

「彼は確かに平和主義者だが、軍需産業からの圧力で空爆しなければならなかった」

だから、次は進んで戦争をするヒラリーを彼らは押したという。

先に出たマイケル・ムーア監督。彼の作品は毎回、素晴らしい。よく調べている。ちょっと映画手法で強引なところもあるが、間違ったことを伝えてはいない。が、今回の「華氏199」は疑問が多い。トランプ批判と謳っているが、ほとんどが水道問題。銃問題。むしろオバマ、ヒラリー批判である。トランプに関してはヒットラーと重ねて危険かも?というレベルだった。

前大統領や落選した候補を批判しても、盛り上がらないからトランプ批判の看板をあげただけのようにも思える。あるいは反トランプ勢力から頼まれて作ったのか? トランプの印象がよくないというだけの作品だ。なのに、多くの人たち。Facebookで鋭い意見を書いている人たち。安倍政権に騙されていない人たちまでが、

「さすが、ムーア監督。日本のマスコミも見習うべき」

とコメントしている。ムーア・マジックに陥っている。が、これも偉そうなことは言えない。オバマ大統領も見た目がよく、スピーチもうまい。ノーベル平和賞ももらった。そんなことで僕も彼は平和主義者と思っていた。が、こと映画手法では騙されない。今のムーア監督はヘンだ。

「私の記憶に間違えがなけれ...」

彼は選挙前、実はトランプを支持していた! オリバーストーン、C・イーストウッドも同様だ。社会派のその3人が支持することで

「なんでやねん?」

と思い、トランプに興味を持った。そのムーア監督がトランプ批判の映画を製作?と聞いた段階でへんだと思った。支持は僕の勘違い?と調べてみたら動画が出来てきた。

動画=>https://youtu.be/I41iLDiSIYE

ムーア監督が多くの聴衆の前でトランプを評価するスピーチが存在した。とても感動的。それで多くが投票したという。だが今は批判する側。スピーチで褒めていたトランプの行為を映画では触れていない。180度の変換。

でも、そのことを彼は映画では描いていない。そこがまずへん? 信頼感が下がる。彼に何があったのか? でも、多くの観客は映画を見て思う。

「トランプは酷い。許せない」

湾岸戦争のきっかけとなった女性の国連でのスピーチやオイルだらけの鳥の写真。それらで多くの人が

「イラク、許せない!」

と憤った。が、あれはフェイクだった。アメリカが戦争をするためのプロパガンダ。それに比べるとムーア監督の作品には嘘はない。が、印象操作は多い。ヒットラーとダブらせるのは、その手の基本だ。

そして明快な悪行が描かれていない。不法移民の話は肝心なことを描いていない。ヒラリーやオバマは動かせないエビデンスを提示しているのに、トランプはない。だが、彼の見事な演出にはまり、観客は

「トランプ。許せない!」

となってしまう。同じことは日常でも行われている。「福島で海開き」というニュースが昨年あたりから復活した。え? 放射能はどうなの? 安全なの? と思うが、ニュースではそれに一切触れず、海で元気にはしゃぐ子供達を映し出すだけ。これを見れば「ああ、福島ももう安全なんだな。よかったよかった」と思ってしまう。そうやって原発事故を忘れさせる。安心させるのが目的で流されている。

もし、本当に安全なら、それに触れる。どのくらいの値なのか? それが安全値なのか? 子供たちに影響はないのか? それがクリアーされたので海開きと報じるだろう。が、一切、放射能には触れない。

だから、フェイクではない。でも、印象操作が行われている。その種の報道、情報は常にテレビで流されている。いかに正しい情報を得て、正しい判断をするか? 今の日本人はそれを問われている。

思い込みでものごとを見てはいけない。

「この作家は信頼できる」と思っても疑ってかかる。もちろん、僕の記事も疑う。ただ、疑うだけではダメだ。裏付けを取る。別の人の意見も聞く。思い込みを排除する。何よりも整合性を考える。そうすればマスコミ人でなくても、ある程度の真実は見えてくるはずだ。

政府や企業は騙す。あとで気づきてもバカを見るのは市民だ。この時代を乗り越えるには、ものごとを見る目が問われると思えている。



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新人俳優&俳優の卵たちへの伝言=自分で考え自分の足で歩むことが大切だ。 [my opinion]

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新人俳優&俳優の卵たちへの伝言=自分で考え自分の足で歩むことが大切だ。

もう10年以上前になるが、無料のワークショップを毎月やっていた。そのことは何度か書いたが、結局、飛び立ったものはおらず、皆消えて行った。当時は、僕自身が貧しかったのに(今もそうだけど)俳優たちに飯を食わせたり、あれこれ指導したりしていた。女優の卵だけでなく、野郎どももたくさんいた。

というのも、そこから彼女を見つけようとかではなく、いずれ映画監督デビューしたときに、僕のやり方を理解する俳優になってくれれば...という思い。要は太田組俳優部のレギュラー陣を育てること。

そして、僕自身が監督を目指すと宣言したときに、多くの大人や先輩たちに大反対されたこと。それでも何だ噛んだで監督デビューしたので、同じく夢を追うものとして応援しないではいられなかったことがある。しかし、結局、皆、夢破れてしまった。

今も映画を撮るたびに新人や卵たちと出会う。皆、夢を追いかけている。がんばってほしい。メールくれる子。「いいね」をくれる人。いろいろいる。が、今は会って飯を食わせたり、無料のワークショップをやったりはしない。会ってアドバイスをしたり、電話したりもしない。

いろいろあって分かったこと。例え僕の助言が役に立っても、活用できない奴はできない。その意味が分からない奴も多かった。何より、僕に言われたことをするだけではなく、自分で考えて行動することが大事ということに気付いた。傷つかないように、或は近道を教えることはマイナスだと分かった。

自分で選んだやり方なら、失敗しても納得できる。文句は言えない。そして失敗からいろいろ学べる。でも、僕はお節介だ。あれこれ言ってしまう。「その方法論はも通用しない」「あの事務所はやめた方がいい」業界の新しい情報や方法論を指導してしまう。だが、傷つかずに進むだけではダメ、失敗して反省して学ぶことに意味がある。

もし、失敗して諦めるのならOK。そこまでがんばったことは、次の人生で生きるはず。俳優になることが全てではない。でも、そうやって傷つきながら、葛藤し、模索して、カメラの前に立てるようになったら、また一緒に仕事したい。それまでは僕があれこれ言うべきではないと思える。

或は、別の監督の作品に出演する。それもまた嬉しいことだ。大切なのは自分の頭で考え、自分の足で歩むこと。それを僕は口出しせず、遠くで見つめるべきだ。声をかけ、応援すれば、やがて甘えが生まれる。以前の新人たちがダメになった原因のひとつはそこ。「監督と仲良くしていれば、映画に出してもらえる」それが甘えになる。だから、距離を置くこと大事。

でも、ひとつだけ。詰まらないプライドは捨てろ。そして俳優であるということのプライドを大切にしろ。有名になりたいとか、CMに出たいとか、CD出したいとか、連ドラで有名俳優と共演したいとか、そんな詰まらないことに憧れず、本物の芝居ができるようになること。それに気づけば必ず、見る目のある人は君たちを評価する。

それまで僕は何も言わない。言いたいことはFacebookやブログに書いている。もし、助言が必要なら読んでほしい。納得することは実践し、違うと思うことは捨てて、前に進んでほしい。見捨てるのはではない、見守っているのだ。心から応援している。俳優業とは華やかな仕事をすることではない。自分と対峙すること。本当の自分を知ること。自分の価値を探すこと。それが俳優という仕事なのだ。


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【今の時代。無料の情報は信頼できない。金を出してこそ娯楽も情報も手に入る?=「オプエド」的番組を時代が求めている?】 [my opinion]

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【今の時代。無料の情報は信頼できない。金を出してこそ娯楽も情報も手に入る?=「オプエド」的番組を時代が求めている?】

よく見るAmazonプライム、「オプエド」は地上波ではなく、ネット番組。そして有料。「オプエド」は基本無料だが、アーカイブを見たり、番組を最後まで見るには会員になり料金を払わねばならない。僕は今年から有料会員になった。月900円で番組が最後まで見ることが出来て、月3本までアーカイブを見ることができる。だから今は好きなときに、何処ででも「オプエド」を見ることができる。

例えば小沢一郎が出演する。

今、何を考えているか? 知りたい。野党共闘はどうなっているのか? でも、地上波にはあまり出演しない。出ていても忙しくても見れないことが多い。そんなとき「オプエド」はありがたい。出先でも、風呂でも、iPadで見れる。

Amazonプライムも同じだ。その両者の共通点。有料であること。対して多くの地上波。時間が限定される。テレビがないと見れない。あとで見るには録画しなければならない。その上、見たい番組が本当に少ない。つまり、今の時代。必要な情報を便利に得るには、ある程度の料金を払わなければならないということ。

テレビは無料なのだから、

文句いうなら見なければい。録画してまで見る価値がないなら録画しなければいい。古くからのメディアである新聞だって料金を支払うのに、テレビがタダで見れるということが長年続いた。そのため日本人は娯楽やニュースは無料と思い込んでしまったのだろう。

先日、久々にテレビをつけたらワイドショーをやっていて、お笑い芸人のコメンテーターが野党批判をしていた。首を捻るものなのでチャンネルを変えると、別の局ではキャスターが野党批判をしていた。

なるほど、テレビは広報になっているのだ。

ポストにいっぱい入ってるチラシと同じ。料金は取られないが、特定の企業や店の広告。それと同じ存在。ま、新聞は金を取るが、スポンサーの広報紙になりがち。産経新聞がついに全国紙の看板を降ろしたのも、その辺を読者に見破られたから。政党の機関誌を購読する人は党の支持者だけ。

今は自分たちが信頼できるメディアを金を出して見る時代になって来たようだ。それも忙しい人々が見たいときに見れる。時間や場所を指定されない。そして事実を伝える。それが報道メディアに求められているように思える。


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混迷の時代を生き残るために。情報と考える力の関係=もうダマされないぞ!と言える時代が来た? [my opinion]

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【混迷の時代を生き残るために。情報と考える力の関係=もうダマされないぞ!と言える時代が来た?】
先にも記事にしたが、「正しい情報」と「考える力」がこれからの時代のキーワードだと思えている。俳優になるにも、映画を作るにも、子供の教育も、政治も、テレビも、みんなこの2つが決定打となる。

まず、情報。少し前の日本。どの新聞を見ても、どの報道番組を見てもほとんど同じだった。そこに80年代後半「ニュースステーション」という画期的な番組がスタート。テレビ報道を変えた。分かりやすいニュースがモットー。いち時代を築いた。

が、2010年代に入り、特に第二次安倍政権から報道はフェイクニュースの時代なった。政府に都合のいい情報を流し、都合の悪いものは流れない。脚色。誇張。言い換え。真実が伝わって来ない。これで正しい情報が得られない。

原発問題がまさにそれだった。電力会社があれほどの力を持ち、原価総括方式というとんでもないやり方で電気代を徴収して大儲け、いち地区に1つの電力会社しかないのに、巨額の宣伝費を使っていたこと。全然知らなかった。その間に日本には危険な原発が52機も作られてしまったのだ。

もうひとつ問題がある。日本の教育だ。これは何度も書いたのでストレートにいうが、「考える力」を育てる教育が行なわれて来なかった。覚える。記憶する。論理的に考えるという与えられたことを正確にするための力を育てるものだった。だから、考える力が育たない。自分の意見を持たない日本人と言われる所以だ。

正しい情報がなく、考える力がない国民。これではアリと同じ。支配者には都合いいが、国民はどんなに酷い目に遭っても、無駄なことをさせられても気付かない。それでもバブル崩壊まではそれでよかった。戦後の焼け野原から経済大国になった。が、時代が変わった。世界に誇る電化製品を作っていたメーカーは韓国に抜かれ、失業者が増え、給料は上がらず、仕事がない。

しかし、地方のオヤジは昔ながらの公共事業をしてほしい。政府から補助金がほしい。と、自分で考えずに古い発想を振り回すばかり。まあ、考える力がない上に、正しい情報がないのだから、それしか思いつかないのだ。

そこで思い出すのはネット。その普及により、これまでに知り得なかった情報まで知ることができるようになった。昨日も読売新聞社主の渡辺恒男が死去の情報が流れた。が、テレビ、新聞では未だに報じていない。政局にも影響を持つ大物なので、事実を隠し、何かが行なわれているのだろう。どの組織でも巨大な権力を持つカリスマが死ねば大変なことになるので、隠すことが多い。(あの団体もね!)

でも、この情報も本当か?どうか?分からない。ネットではデマ、作り話、ウソ、勘違いの情報もゴマンと流れている。といってネットは信用できないか?というと、マスコミが躊躇して報じることのできない情報が流れたりする。

その状況、決して悪いものではない。昔はNHKが報じれば事実と思った。でも、今は政権の大本営発表。野次られる首相のスピーチ、ヤジを消して放送したりする局だ。集団的自衛権が論議されているときは、強行採決されるまで解説番組はなかった。そんな局の報道を信じることはできない。

なのに、これまでは多くがNHKは信頼できる。と思っていた。考える力がなくても、報じられることは事実と思えばよかった。それがネットによって、あれこれ情報が増えると、誰だって「どれが本当だろう?」と考える。そこから考える力が育ってくるのではないか? ただ残念ながら、

「ネットなんて信じられない。やっぱりNHKだ!」

という人もいるだろう。それはもう過去に生きてもらうとして、今ネットを使える人は嫌が上でも考えることを強要される。ただ、心配なのは、同じ発想の人ばかりが集ってしまうこと。TwitterでもFacebookも趣味志向が同じ人が集る。

原発反対なら反対。推進なら推進。安倍内閣批判なら批判。僕のまわりはそのタイプばかりだが、あるときネットで調べていると、安倍支持という人も結構いて、そんな人の「友達」や「フォロワー」は皆、安倍支持。そのグループにいると、

「安倍総理。頑張れ。安倍総理、がんばれ!」

というのが当然という空気なのだ。だとしても、支持しない人。推進しない人がいることも、ネットではいずれ分かる。そうなれば考えることができる。安倍支持の人のツイートを見ると、地方の人で、お年寄り、NHKしか見ない人とか。あーなるほど、と分かってくる。

いろんな背景はあるが、考える機会が増える。その内に、いろんなことが見えて来て、正しい情報が見えて来る。もちろん、本当に正しいのがどれか?は分からない。先日書いた「トランプの背景」に関しても、

「でも、本当かどうか?分からないね」

とコメントする人もいた。けど、それで終わってはいけない。「分からないね」で考えるのを止める人が多いが、どの仮定がいちばん真実に近いか?を考えることはできる。なのに、

「いち市民には真相究明はできないから」

とそれで終わるからダメなのだ。いろんな情報と照らし合わせ。その情報はどこから来た情報で、誰が発信したもので、その人に事実を知りうる背景があるのか?精査する。

「その人の情報はこれまでも正しかったか? デマを振りまく人ではないか?」

それを自身の目で確かめること。みんながデマ野郎と呼んでいるといっても、自分の目で発言を確かめる。顔が怖いから、うさん臭いから、そんなことで決めてはいけない。うやって名探偵のように考えていけば、ネット情報だけでも、かなり真相に近づけるはずだ。

僕の場合はさらに専門家に聞く。情報通に聞く。関係者に聞くということをするが、それは仕事がら、いろんな人との付き合いがあるからできることで、普通はできないかもしれない。が、ネットだけでも、正しい情報に近づける。僕がいつも気をつけるのは、ミステリー小説の推理と同じで、

「そのことで、誰が得をするか?」

を考えること。一番得をする人が、会社が、国が、企んだことである場合が多い。その情報がフェイクなら、そのことで誰が得をするか? 誰が隠そうとするか? 隠す理由は何か? そうやって答えが見えて来る。それが出来る時代になったと思える。情報があれば「考える力」が育つ。考える力があれば、情報を読み解ける。時代はいい方向に向かっていると思える


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【Amazonプライム。ステックを購入! これでテレビで見られる=そこから感じたまさかの劇的な未来。時代が変わる?】 [my opinion]

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【Amazonプライム。ステックを購入! これでテレビで見られる=そこから感じたまさかの劇的な未来。時代が変わる?】

これまでAmazonプライムはパソコンで見ていた。が、やはり音がよくないし、画面も小さい。そこでファイヤースティックというのを買ってテレビに付けるーという話は以前にもう書いたが、今はそれで見ている。

要はWi-Fi電波をテレビで受けて映像を見るシステム。凄い。画質も音質もいいし、もの凄い数の映画やドラマを見たいときに見れる。TSUTAYAと違って返却なし。それもほとんどが無料(年間費は払うが)新しい作品は500円とか別途払うが、無料作品もどんどん増える。

前々から知ってはいたが、体験すると痛感する。もう、TSUTAYAは要らない、全国でどんどん潰れるのは当然。店員の態度が悪くなるのも分かる。でも、恐怖のどん底はTSUTAYAだけではない。テレビも危ないだろう。

今の日本テレビ。未だに局の都合で8時からバラエティ、9時からドラマ、10時からニュースと、その流れに視聴者が合わせる形。子供の頃は見たい番組があると、時間までに帰宅。テレビの前に座っていた。が、ビデオデッキの登場で、録画すればいつでも見れるようになった。

この話も以前書いたが、いちいち録画しなければならない。これもテレビ局の都合だ。なぜ、もっと努力して、見たいときに見たい番組を見れるようにしないのか? 韓国ではかなり前から番組の再放送をネットで当日に見られるようになっている。日本でも有料では見られるが、なぜ、スポンサーがつき、ペイしているのにさらに視聴者から金を取るのか?だから、そのシステムはまだまだ普及していない。

ネットの報道番組「オプエド」は放送されたあと、1日は無料で再放送が好きな時間に見られる。そして会員になれば、いつでも見ることができる。それもテレビでは伝えないリアルな情報がいっぱい。そう考えると、テレビというメディアがもう時代に着いて来ていないと言えそうだ。

魅力のない番組。フェイクニュースの報道。未だに1クール12話のドラマ放送。全てが時代遅れ。それがネットを使えばテレビでできないことがあれこれできる。Amazonプライムも同じ。今はドラマと映画。音楽。その他だが、テレビで放送中のドラマが放送されたところまで全部見れるとかなると、もう誰も放送時にオンタイムでは見なくなるだろう。

ニュース番組だって仕事から帰り、風呂に入って0時からAmazonで見ることができたら、テレビニュースの視聴率はさらに下がるだろう。そんふうにAmazonが独自の連ドラマやニュース番組を手がける。或は提携したら、テレビ局もTSUTAYA同然に存在意味がなくなる。これはたぶん、ホリエモンがかつて、フジテレビを買収してネットとテレビの融合を目指した形なのかもしれない。当時、フジの社長は

「ネットとテレビが1つになんてならないよ!」

とインタビューで憤慨していたが、それが現実になる1歩手前まで来ている。そして、DVDソフトもなくなっていくだろう。個人がソフトを所有しなくても、見たいときに見たい映画が見れる。よほどマニアックな作品のみがソフトで発売されるという形に進んで行くはずだ。

今、SoftBankがトヨタと目指している(もう、技術は完成している)レンタカーシステムは、同じ発想。車を個人が所有するのではなく、全て無人の自動運転の車。それを呼んで移動。つまり「ガンダム」のスペースコロニーの自動車と同じ。そのメリットは個人が駐車場を持たず済む。路上駐車がなくなる。そのために町の敷地を有効活用できる。孫正義凄い。

AmazonプライムもSoftBankも、それら展開は新しい技術の上に成り立つ。今、第4次技術革命と言われているが、これらの革新は人の生活スタイルそのものを変えてしまう。価値観も変わる。人の考え方も変わる。今までとは違う新しい時代になる。そうなると旧体制にどっぷりと漬かって、新しいものを受け入れにくい大人たちは、大変なことになるに違いない。

そんな時代を目前に控え、映画作家はどんな作品を作り、伝えて行くべきか? 考えねば成らなくなるだろう。



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ネットの映画配信。凄い。やはりTSUTAYAはもう消えるしかない? [my opinion]


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ネットの映画配信。凄い。やはりTSUTAYAはもう消えるしかない?

TSUTAYA事件があったのをきっかけに前々から気になっていたAmazonプライムを試してみた。別にAmazonから何かもらっているわけではないが、時代の流れを感じるので続報を書く。

見たかったあの作品もあって、190円。真剣に見たいので、後日余裕ができてから。そんなことをしながらまた深夜まで。
しかし、Amazonプライム見るたびに、TSUTAYAはもはや存続する理由がなくなったことを痛感する。便利さでも、値段でも、何より店員の態度が悪ければ、二度と行かないと思ってしまう。

僕のような仕事をしている者。そんな時代の変化を敏感に捉えることが大事なのだが、やはり50代になると時代に乗り遅れてしまう。というと「流行を追っている訳?」という人がいるが、流行ではなく時代だ。歳を取ると、その辺が麻痺してきて「いいものはいつの時代も変わらない」などといって、新しいものを拒否することが多くなる。

でも、実際は時代に着いていけず、よくわからなくなるので、そんな言い訳をしていることが多い。時代から置き去りにされてもいい仕事なんてないのだが、映画作りは特にそれが大切。だって、この時代を生きている人たちが映画を見るのに、過去の価値観や感性で作られた作品では感銘を与えることはできない。

80年代の日本映画の多く。当時10代ー20代だった僕らの世代が「日本映画はツマラナイ」と感じたのは、それが理由だと思える。お年寄りの監督たちが古い感性で「俺はこれを言いたいんだ」と古めかしい価値観を掲げる映画。若い世代はただ、古臭い思いを押し付けられているだけと感じ。共感や感動がなかったのだ。

そのお年寄り監督たちの年齢にかなり近づいた僕としては、そんなふうになってはマズイので、日頃から注意しているが、気づくと時代からかなり遅れていたりする。映画は映画館で観るべき!という思いは変わらないが、2次使用。つまり、テレビ放送やDVD等に関しては今、激変が起こっている。

そんな状況も知らず、ただ「感動ドラマを作ろう!」では通用しないと思える。ま、この歳になると同世代はもちろん。少し下の世代さえ頭が古いので、いろいろ難しい。今夜もAmazonプライムで何かみよう!


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【良かれと思って口出しする親。でも、大切なのは子供自身が傷つき経験すること?=俳優業も同じ?】 [my opinion]

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【良かれと思って口出しする親。でも、大切なのは子供自身が傷つき経験すること?】俳優業も同じ?

俳優の卵たち。或は売れない役者たちは、アルバイトをしながら劇団を続けたり、小さな事務所に所属。オーディションを受け続けている。が、1年経っても2年経っても、まともの仕事ができない。いや、1年2年なんて当然、10年やっても劇団でメインの役ができずにいる。テレビ、映画でもエキストラの様な役しかできない。

「それでも、いつか俳優として花開きたい」

厳しい芸能界でがんばる若手の役者たち。或は卵たち。考えると僕の息子、娘と言ってもいい年齢だ。30歳のときに結婚して、子供ができていれば、もう20歳を超えている。ま、30歳当時は毎日が戦いで、とてもそんな余裕はなかったが、同世代を見ていると、子供たちが大学を卒業している。そうか、感覚としては後輩というより、息子、娘という世代なのだ。

僕は散々、親から映画監督を目指すことを反対されて来たので、若い人たちが夢を追うときは応援する。10代から映画監督を目指していた。今、どーにかこうにか?その仕事をしている。監督だろうと、脚本家だろうと、俳優だろうと、やればできると思っている。が、もし、娘がい「女優になりたい!」と言い出したら、どうしただろう?

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男なら、自由にやればいい。けど、娘なら心配になる。酷い目に遭ってほしくない。悪い男にダマされないか? 事務所に枕営業をさせられないか? と、僕自身が業界にいて、魑魅魍魎のような人々と出会って来たので、リアルに心配するだろう。といって、自分も若い頃に親からあれこれ反対されたから、娘に反対するのは違う。逆に映画業界で仕事をしているので、あれこれアドバイスできるはずだ。

例えば事務所が主催するレッスン。演劇学校でもそうだが、そこで演技力が劇的に磨かれたりしない。実際にカメラの前に立つ、舞台に立つことで実力が延びる。或は、監督やプロデュサーの飲みと聞くと、飛んで行く新人女優がいる。営業し、仕事をもらおうとする。が、そんなところで

「君、いいね。次の作品で探している役ができるかも? 今度2人で飲みに行こう」

と誘われるのが関の山。真剣に役者を探そうなんて思う者はいない。でも、「役がもらえれば!」と、必死に飲み会に通う子もいる。が、そんな時間があれば演技力を磨け。自主映画でも、マイナーな舞台でも、芝居をするチャンスを探すべきなのだ。そして、自分の個性を探すこと。どんな役が得意か考えること。以前から、若い人たちにはことあるごとに、そんな話をして来た。が、以前、教えていた演劇学校で、こんな男の子がいた。

「僕は間もなくブレイクします。でも、主役しかやりません。ゴールデンのドラマしか出ません。深夜ドラマなんて依頼が来てもでないつもりです」

こんなバカ。本当にいるんだ!と思った。自己陶酔型で「俺は他と違うんだよ」と思い込んでいる。が、大なり小なり、俳優になりたいという人は近いところがある。若い内は特にそうだが「飛行機が墜ちても自分は死なない!」と思うようなところがある。同じように「俺は芸能界で成功する!」と何の経験もないのに思い込んでしまう子が多い。


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要は芸能界を知らない。経験がない。想像力がない。だから、安易に成功すると思い込む。自分より不細工な男がJ系で売れている。「俺の方がかっこいい。だから売れる!」という安易な想像をする。ただ、そんな思い込み、ある種の妄想(?)は大切だ。思い込む力があるから、他人を演じられる。別人に成りきれる。ただ、その力があるから勘違いして「俺は売れる!」と思い込んで努力しない。

おもしろいことに、僕が教えていた勘違い君。そこそこ芝居ができた。抜群に上手くない。でも、まずまずできた。それもマイナスだった。そのために、努力を怠り、更なる勘違いを起こる。

「学校の舞台発表程度では全力は出しません。僕が真剣に芝居するのはドラマで主役をやるときです」

だったら、どうやって自分の実力をドラマのプロデュサーに伝えるのか? 彼はいう。

「見る人が見れば、分かりますよ」

んーー。さらなる勘違い。多くのプロデュサーって本当にバカなんだよ。見る目なんてないんだよ? それ知らないの? と思ったが、何を言ってもこうだ。

「まあ、見てて下さいよ。映画で主役やったら、試写会に呼んで上げますから!」

その試写会を楽しみにしていたが、あれから30年以上経つが連絡もなく、彼がドラマに出たという話も聞かない。無知というのがまず問題だが、あれほどの思い込みが強いのなら、それを芝居に生かせたのでは?とさえ思う。なのに、全力で芝居をしない。業界を嘗めてかかる。結局、消えて行った。

その後もいろんな新人に出会ったが、何を言っても消えて行く役者たちが多かった。理由は、言われたからと、それを実践できないこと。楽器の弾き方を教えても、うまくなるものと、結局は弾けずに諦めるものが出るのと同じ。もちろん、僕の助言が間違っていたのかもしれない。が、一番大きな理由は、言葉でいくら言われても、本当の意味で実感できないこと。

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納得はする。けど、活用できない。人は経験して、その意味を知る。風邪を引いたことのない人に、熱が出て、咳が止まらない苦しさをいくら言葉で説明しても実感できない。自分が風邪を引いて始めて「こんなに大変なのだ...」と気付く。俳優業も同じだ。

そして、厳しいことを言う人より、甘い言葉を囁く人を信じたりする。「君は才能あるよ」「すぐにテレビに出られるようになるよ」そんなときは必ず裏に別の理由があるのだが、俳優を目指す人は自惚れているタイプが多いので、ウソだと思わず「この人。よく分かってるな!」と感じたりする。ダマされてみて、分かること。踏みつけられて分かること。いっぱいある。

結局、僕の説教も、親たちの小言と同じではないか?と思うようになった。一見、プラスのようだが、言葉でいくら伝えても彼ら彼女らは実感しない。いや、人というのは言葉だけでは分からないのだ。自分が痛い目に遭うこと。酷い思いをすること。そこで始めて気付く。若手がそんな思いをしないように、あれこれ注意するが、それでは理解できない。むしろ、こう考えたりする。

「監督はあんなこというけど、結局、仕事をもらわないと始まらない。来週、**プロデュサーの飲み会がある。そこに行って親しくなろう」

酷い目遭って初めて実感。男なら、その手は使えないが、女性なら飛びついて来る輩は多い。俳優としては要らないけど、女としては興味がある。「君、いいね。次回作に出てほしいなあ」そんなありふれた口説き文句を連発する。でも、若手俳優は真に受ける子がいる。

あれこれ僕がいうより、酷い目に遭う方が勉強になる?と思うようになった。自信過剰な子でも、1年経ち、2年経ち、5年経ち、それでも売れなければ「何がいけないんだろう?」と考えるはずだ。「俺は売れる!」という根拠のない自信だけで、仕事ができないことに気付くだろう。そう思え、若手たちには何も言わないようにした。


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もちろん、仕事で会ったとき等に、何か訊かれれば、僕なりの意見はいう。が、プライベートで会ったり、飯を食わせたりまでして応援しても、本人のためにならないことが分かって来た。中には親しくなると

「監督に気に入られれば次回作に出られるかも?」

「こんなに監督を応援して、支持しているのに、なんで私を出演させてくれないんですか!」

「俺のこと。監督は分かってくれる」

と思い、遠慮がなくなる。結果、厳しくいうと落ち込み。褒めると「次回作に出られる!」と勘違いされてしまう。応援することで彼ら彼女らをダメにしている。それでなくても、思い込みの強いタイプばかり。

そんなことがあり、今は思う。実の息子でも、娘でも、もし、俳優になりたければがんばればいい。ただ、僕は何もしない。子供たちが自分で考えて、自分で歩き、自分で苦しんで、答えを見つける。それが大切だと思える。僕から見て明らかに間違った方向に歩んでいても、うるさく言わずに見守る。失敗してもそれが経験となるはず。

もしかしたら、俳優業だけでなく、子供たちとの接し方はそういうことが大切なのではないか? 親の経験や知識を押し付けるのではなく、傷ついたら可哀想と、先まわりして注意し知恵を付けるのではなく、子供たちが考え、動き、傷つき、道を探すこと。何だかそんな気がする。

二世俳優の親はどうしているのだろう? と思い起こしてみた。先日、石原良純さんもある番組で、伯父・石原裕次郎に言われたのは3つだけだと話していた。

「遅刻するな」「挨拶はしっかりしろ」

あと何か1つ。大物俳優なのだから、いろんな知恵や経験があるはず。なのに、ほとんど語っていないのだ。たぶん、多くの新人たちを見て来たのだろう。先輩や親からあれこれ言われて潰れて行った若手を知っているのだ。

親は子供たちに幸せになってほしいと願う。だから、どうしても口出しする。でも、それはマイナスになりこそ、プラスにならないことが多い。

愛があるが故にあれこれ言うが、そのことで子供たちと溝ができる。大切なのは、親は口出しせず、子供たちが自身で考えて走り出すこと。親がすべきは、それを黙って見つめ、遠くで応援することだと思えている。


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時代を生き抜くキーワード。多くの情報を得ること=最近書いた記事のほとんどが同じ結論で驚く?(読みやすい短縮版) [my opinion]


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【時代を生き抜くキーワード。多くの情報を得ること=最近書いた記事のほとんどが同じ結論で驚く?】(読みやすい短縮版)

このところ書いて来たいくつかの記事。共通点があることに気付く。「俳優になりたい人たち」「トランプを批判する人」「戦場ジャーナリストを批判する」「地方映画が成功しない背景」「映画人、芸能人への批判」その問題点。背景は皆同じと気付いた。

別の例で説明する。アメリカ人が我が家を訪ねて来る。靴のまま部屋に入ろうとする。アメリカではそれが普通だ。が、もちろん日本では玄関で靴を脱ぐ。それを

「アメリカ人ってバカね。靴を脱ぐのは常識でしょう?」

そんな批判するのは当て外れ。アメリカ人は部屋で靴を脱がないとからだ。だが、小説家を見て、こう思う。

「あの先生、いつもブラブラしているだけ。気の向いたときに原稿書いて、作家って気楽な商売ね」

でも、それが作家。朝9時から夕方5時まで原稿を書くというものではない。ブラブラしているように見えても、あれこれ考えている。その意味では寝ているとき以外は全て仕事をしていることになる。でも、作家の生活を知らない。情報がない。なので一般の会社員の生活を重ねてしまい、間違った批判をする。


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そんな間違った批判。特に日本人がしがち。背景がある。アメリカは様々な民族がいる。宗教も価値観もいろいろ。超金持ちから超貧乏まで。だから、人はそれぞれ違うというところからスタートする。対して日本はほとんどが日本人だ。少し前まで1億総中流と言われた。多くが大学まで行き、同じ教育を受ける。最近の若者は個性がないと言われるが、まさにその通り。大差のない大人に育ってしまうのだ。

当然、考え方も似たようなもの。文化でも、言語でも違うものがほとんどないので、いつしか、皆、同じであると思い込んでしまう。習慣も、常識も、法律も、価値観も、同じだ。同じはずだ。いや、次第に疑うことさえしなくなる。が、実際は違う。東京と大阪。都会と地方。価値観や志向が違う。サラリーマン社会と芸能界はかなり違う。映画界とテレビ界でも違う。マスコミ、広告業界、ジャーナリズム。それぞれに別の価値観や使命があり、一般からは理解し辛いものが多い。

なのに、人は自分のまわりの情報をもとにして、自分がいる業界の、自分が持つ価値観を他者に押しつけ、受け入れないと非常識だ。無礼だ。失礼だと批判する。そして、自分の持つ情報と価値観だけで「私は女優になれる」「タレントになれる」と判断。間違った努力に時間を注ぐ。町興しのための映画作りも同じ。他県の人が見たいと思わない映画を努力して作ってしまう。

僕がこの数年感じることも同じところから来ている。その町のために必死で映画を作っても「ギャラを取るのか? 金のためにやっているのか?」と批判する地元人が出てくる。最初は応援してくれたのに、最後は批判され毛嫌いされることもある。映画製作や映画人のことを知らず、ご近所付き合いで大事なことと、自分たちの価値観、習慣を押し付けてしまうからだ。

でも、同じ日本人。日本語で話し、基本的な常識は同じ。玄関で靴は脱ぐ。朝会えば「おはようございます」という。そんな交流の中で「同じ人間」と思い込み。相手をより深く知ろうとはせず次第に細かな習慣等を、無意識に押し付けてしまう。揉めると

「裏切られた!」「失望した!」

になってしまう。映画人が正しいというのではない。映画を作るときは映画界の方法論で進めるべきということ。そこにご近所付き合いの常識を持ち込むのは違うというだけだ。


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戦場ジャーナリストに対して、海外旅行と同じ視点で考えるから批判する。旅行で危険なところに行く必要はないが、ジャーナリストは危険なところに行くのが仕事だ。小説家に「いつもブラブラしている」と批判するのと同じ。本質を知らないから、当て外れな批判となる。映画学校の生徒から「映画監督になると、月にいくら収入がありますか?」とよく質問されるが、それも同じ。会社員の常識で聞かれても答えにくい。

ボランティアで撮影現場に来た人が「タダ働きさせられた」と怒るのも同じ。ボランティアの意味が分かっていない。そして地方映画が完成したあと、ボランティアでエキストラ出演した人が、

「映画館の招待券くらいくれてもいいのに!」

とよくいうが、それも同じ。「お金はもらえないが、がんばったのだからせめて、招待券くらいは!」という発想だが、それは友達付き合いの理屈。

「引っ越しを手伝った。バイト料はなしで了解している。でも、せめて飯くらい奢れよ」

それを映画製作に持ち込んでいるのだ。ボランティアは友達付き合いではない。最初に記念品がもらえるという約束があれば別だが、それをあとで求めるのは違う。そもそも友達関係の習慣を映画作りに持ち込むのが間違い。

全てに対していえること。人はまず自分の持つ情報お価値観で判断しようとする。それが別の国でも、別の業界でも、別の町でも、そうする。受け入れられないと怒り、失望し、自分は被害者だと思い込み、相手を憎み批判する。

では、国や業界だけではなく、時代はどうだろう? バブル期に青春を過ごした人と、平成不況に生まれ現在、青春を送っている人は? 価値観が違うはずだ。昭和生まれと、平成生まれと、来年以降の新しい年号で生まれる人。20代と30代と、50代と、70代。習慣も価値観もそれぞれに違うはずだ。

最近、先輩や友人で、ズレているなあと思えることが増えて来た。それらの人たちは、時代に取り残されているのだろう。過去の時代の価値観で判断する。だから、正確な判断ができない。間違った答えを出してしまう。なぜ、そうなるか? 新しい時代を感じる情報が得られていないからだ。田舎に引きこもる。同じ仲間としか会わない。ネットをやらない。間違ったテレビ情報しか得ていない。それが原因だ。


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僕が気になり記事にする問題。すべて同じ背景。これたぶん時代のキーワード。変化していく価値観や常識。それを掴めないと時代にとり残されるということ。つまり、大切なのは情報だ。情報がないから、手持ちの情報をもとにしてしまう。古い情報で判断うる。

映画業界や芸能界を誤解するのも、その世界の情報がないからだ。まず、情報を仕入れること。俳優を目指すにも、地方映画を作るにも、戦場ジャーナリストを語るのでも同じ。自分の持つ、自分の世界の情報だけで判断してはいけない。

そして情報には正しいものと、不正確なもの、そしてデマがある。それを見ぬくこと。その上で考えること。その辺が時代のキーワードではないか? 

え? トランプの話? それも同じ。いずれその辺も記事にさせてもらうが、日本のマスコミ情報だけではトランプの正体は見えて来ない。安倍とトランプを同列で語るマスコミもいるが、大間違い。その件も含めて、情報の大切さ。改めて痛感する。


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混迷の時代を走り抜ける方法=フェイクニュースを見破れ!新しい情報をゲットしろ! [my opinion]

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【混迷の時代を走り抜ける方法=フェイクニュースを見破れ!新しい情報をゲットしろ!】

先にも書いたが、ここしばらく僕があれこれ論じていた問題。全ての背景が同じだと分かり、結構ショックだった。そんなことで人は誤解し、批判し、傷つき、仲違いし、失望している。悲しいとしか言いようがない。

先の記事を読んでいない人のために少し書くと、「戦場ジャーナリストを批判する人」も「町おこしのために地方映画を作り大失敗する人」も「俳優になりたい!と努力しながら夢を掴めない人」も、最近僕が疑問に思えて取り上げたほとんどが、同じ原因。背景。

つまり、相手の職業、その業界、その世界、の情報をほとんど持たないのに、聞きかじった情報や自分の価値観、自分が携わる仕事の常識で判断。批判する。が、それで正しい結論が出るわけもないのに、その論法で斬り込むので大失敗するということなのだ。

戦場ジャーナリストとはどんな仕事か知らないのに、それ以前にジャーナリストとは? 記者とは? それも知らないのに、会社員と同列に考えて批判したり。映画製作を知らないのに、思いつきや聞きかじった情報で映画を作ったり。それがここしばらく、僕が疑問に思った人たちの背景であり、思考パターンなのだ。

その多くは僕が直接接しているわけではないので、哀れな人たちと思うだけだが、身近にいて、同じことをしている人たちもいるので、辛い。特に若い頃からあれこれ助けられ、応援してくれてた人が最近、おかしな言動、役に立たない助言が多い。それらも同じ原因だった。もし、同様のズレた発言を初めて会った人に言われたなら

「この人の言葉に耳を傾ける価値なし」

と思うだろうが、その人たちには本当にお世話になっているので、そんな無礼なことは言えない。今後も付き合いが続くであろう恩人である。それなのに話を聞くと、明らかにズレた指摘。それどころか全く当て外れの説教やお叱り。ムカつくというより、悲しくなる。以前も書いたがまさに父と再会したアムロの気持ち。

あるいは、若い頃は応援し励ましてくれた恋人が、結婚して日常を共に送る内にズレてきて、自分のやり方をあれこれ当て外れな意見をぶつけてくる。という感じなのだろう。もともと敵意を持った人が相変わらず、攻撃してくるのなら平気だ。

が、他の誰よりも応援してくれた先輩や友人が、当て外れの批判をしてくるのは悲しすぎる。さらに辛いのは、その先輩たちは「良かれ」と思って、僕のためのことを考えて言っているということ。でも、明らかに間違っており、

「その通りですね」「それで行ってみます」

と以前のように心から納得し、笑顔で返事できないところだ。好意を感じる。応援もしてくれている。でも、その人たちの意見や助言はまるで役に立たない。いや、それを受け入れては大変なことになるレベルのものばかり。

その背景。先に書いたものが当てはまる。そのお一人は数年前に東京を引き上げて、今は田舎暮らし。そのために得られる情報が急激に減った。年齢もありネットはやっていない。たぶん、情報源はテレビと新聞のみ。仕事で関わるのも地元のお年寄りだけ。当然、新しい情報は得られない。となると、僕の行動をみていて、その人は

「あー監督。そんなことをしてちゃダメだ。ちょっと注意してやろう」

と愛を込めて説教する。が、その人の意見は古い情報や価値観に基づいたもの。残念ながら役には立たない。もちろん、時代を超えた正論というのもあるだろうが、多くは時代と共に変化していく。それに気づかずにいるのだ。そんな人が数人いる。そして多くは年配であり、田舎に住んでいる。ネットをやらない。同じ人たちとしか接していない。つまり、新しい情報を得る窓口を持たない。

それでなくても人は年を取り、感性のアンテナが錆び、新しい情報を得られなくなる。当然、古い情報や役に立たなくなった価値観でものごとを判断してしまう。変な例えだが、子どもの頃に僕は恐竜に詳しかった。が、少し前の恐竜ブームで恐竜図鑑を見たときに知らないものがいっぱいあった。「子ども向けの本だと思って、実在しない恐竜まで載せてるな?」と思ったら実在した。

僕が恐竜に興味をなくしてからの数十年に化石が発見され、認定されたものがいっぱいいるのだ。さらに「恐竜は鳥になった」説。今では一番支持されている説だが、僕は昔ながらに「トカゲが恐竜の子孫」と信じていた。子どもに

「お兄ちゃん。恐竜の子孫は鳥だよ」

と言われたら、「この子は何も分かっていないな!」と説教しただろう。まさに、それが先輩たち、友人たちが僕にしていることなのだ。自分は正しい。と思っているが、世間はその先に行っている。古い古い考え方を信じて、愛すべき後輩に押し付けてしまうのだ。そのことで、ここ数年、かなり辛い思いをしていた。が、その背景が分かったことはプラスだ。あれだけ鋭かった先輩や友人でも、あんなにズレたことを言い出す。

それが人であり、時代から遅れないためには常に新しい情報を得ることが大事ということ。それもテレビや新聞の情報だけではない。いろんなところからの情報。都会にいると街を歩くだけでも情報は満ちている。

が、地方ではそうはいかない。また、テレビ新聞は嘘が多いのも事実。トランプがいう「フェイクニュース」はまさに正解なのだ。特に日本人はフェイクニュースに振り回されている。今でも地方に行けば

「NHKは公正な報道をしている」

と思っている人がとても多い。そしてネットの情報も真偽を見抜く力がないと振り回されるばかりだ。

「中国が攻めてくる」「トランプは不法選挙で勝った」「アメリカのマスコミは日本と違ってがんばっている」「電気が足りないから原発は必要だ」「原発がないと日本は経済発展ができない」「日本が見直されているから、多くの観光客がやってくる」

これらは全てフェイクニュース。踊らせれてはいけない。デマに乗せられて味方を攻撃してはいけない。真実を見抜くこと。そして行動することこそが、この混迷の時代を走り抜ける方法なのだ。


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時代を生き抜くキーワード。価値観を押し付けない。多くの情報を得ること=最近書いた記事のほとんどが同じ結論で驚く? [my opinion]

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時代を生き抜くキーワード。価値観を押し付けない。多くの情報を得ること=最近書いた記事のほとんどが同じ結論で驚く?

このところ書いて来たいくつかの記事。共通点があることに気付く。

「俳優になりたい若い人たちの問題点」
「トランプ大統領の真意を見抜けていない人」
「戦場ジャーナリストを批判する人たち」
「地方映画で失敗する人たち」

=芸能、政治、ジャーナリズム、地域活動と、全てジャンルは違うのに、構図が全部同じ?と気付いた。まず、俳優になれない若い人たち。間違うのは、以下の点。

①「私はそこそこ可愛い。テレビに出ているアイドルの**ちゃんよりは可愛い。だから、私はタレントになれるはず」そして「この俳優は下手だ。**の演技が酷い。私の方ができる。だから私は女優になれる」

以上の2つの論法は間違っている。だから、その人は俳優になれないのだが、他のジャンルも確認しよう。

②「あの戦場ジャーナリストは政府が止めたのに危ないところに行って捕まった。自業自得だ。政府に身代金を払わせて迷惑をかけた。会見ではまず謝罪すべきだ」

これも上記と同じ論理。正しくない。間違った批評をしている。トランプ問題は説明が長くなるので、あと回し。

③「町をアピールする映画を作ろう! この町の観光スポットで撮影して、名産品を出して、俳優さんに食べてもらい『これはおいしい!!』という台詞を言ってもらおう。全国で公開すれば凄い宣伝になる」

この論法も大いに間違っていることは、僕の記事を以前から読んでくれている人は分かってもらえるはず。さて、それぞれに何が間違っているか? すでに長い長い解説を書いているので、簡単に説明する。

①の俳優志望の若い人は、「私の方が可愛い、私の方が演技できる」とテレビで見た俳優やタレントと比較して「私も俳優ができる」と主張しているが、その人の尺度が間違っている。

「可愛い」=「俳優やタレントになれる」ではない。演技力、イメージ、事務所の力、運、いろんなものがあり、皆その中で足掻き努力して、デビューを目指す。なのに、その1点だけで「私も俳優になれる」というのは大間違い。そして2番目の「この俳優は演技が下手。私の方がうまい」というは、理屈になっていない。

その俳優の問題点を見抜いただけであり、だから自分がもっと上手いにはならない。その理論が可能なら、映画をあれこれ批判する映画評論家は優秀な監督になれるということだ。問題点を見つけるは「見る目」の能力であり、演技力ではない。

②の戦場ジャーナリストは「政府も止めたのに危ない国に行った」と批判するが、戦争下の危ない国に行くのが戦場ジャーナリストの仕事なのだ。そして「政府に身代金を払ってもらい、迷惑をかけた」というが、日本政府は払っていないことを公言している。

カタール政府が肩代わりしたとの情報もあるが、それが本当かどうか?分からない。つまり、そのジャーナリストは政府に迷惑をかけた訳ではない。自分の仕事を危険の中でまっとーした。なのに、ありもしないことで多くの人が批判している。

③の地方映画で町興しの人たち。「観光地で撮影。名産品を出して、俳優さんに食べてもらい『これはおいしい』といってもらう」この考え方はコマーシャルだ。映画は入場料を払って映画館で見るもの。そこで観光地を紹介したり、名産品がおいしいという物語を見せられては溜まらない。その手の地方映画が惨敗するのは、そのため。町の人たちは映画をCMとして作ろうとしている。それでうまく行く訳がない。

もう、気付いただろう? 以上の当事者たち。みんな同じ間違いをおかしている。芸能界を、ジャーナリズムを、映画製作を理解していない。情報を持っていない。なのに、自分の価値観で、勝手な憶測で、別の業界の論理で解釈している。それで正しい答えが出る訳がない。なのに間違った答えからスタート。いくら努力しても、時間をかけても、成果が出る訳がないのだ。

○可愛いだけでは芸能界に通用しない。

○演技の問題点を見抜くのは「見る目」の能力。演技力ではない。

○戦場ジャーナリストはもともと危険なところに行く仕事。それを批判しても始まらない。

○政府は身代金を払っていない。迷惑をかけたは当て外れな批判

○映画は物語を楽しむもの。CMは商品をアピールするもの。

○町の観光地や名産のアピールをする作品を観客は金を払って見ない

全て同じ論点で間違っていることが分かる。「俳優とはどんな仕事か?」「どんな人が俳優として通用するのか?」「戦場ジャーナリストとはどんな仕事か?」「映画とはどんなものか?」それらを知らない人たちが、思い込みだけで批判。或は「それなら自分もできる」という結論を導きだしているだけなのだ。

それらの人の多くは若くても経験がない人から、さまざまな経験をした大人まで、どこにでもいる人たちだ。なのに、多くが「自分の知らないこと」を調べることもなく、別の価値観や思い込みを使って批判。思わず「バカだね〜」と言いたくなるが、これが極々一般の発想なのだろう。

別の例で言えば、アメリカ人が我が家を訪ねて来る。靴のまま部屋に入ろうとする。アメリカではそれが普通だ。が、もちろん日本では玄関で靴を脱ぐ。それを「アメリカ人って酷いわね。靴を脱ぐのは常識でしょう?」と批判するようなものだ。常識や価値観が違う。でも、こんな批判をする人は少ない。アメリカ人は部屋で靴を脱がないという情報を多くの人が持っているからだ。小説家を見て、こう思う。

「あの先生、いつもブラブラしているだけ。気の向いたときに原稿書いて、作家って気楽な商売ね」

でも、それが作家。朝9時から夕方5時まで原稿を書くというものではない。ブラブラしているように見えても、あれこれ考えている。その意味では寝ているとき以外は全て仕事をしていることになる。でも、作家の生活を知らない。情報がない。なので会社員の生活を重ねてしまい、間違った批判をする。

その仕事、業界、世界、それらの情報を持っていないのに、自分の常識、価値観、仕事をダブらせて批判している。間違った判断でその世界に突き進んで行くから失敗する。

ここしばらく書いた記事のほとんどが、同じ構図であることに気づき、僕自身ビックリというところがある。なぜ、人は「自分が知らないことだ」「自分が間違っている」とは考えないのか?

今回の結論は特に日本人に言える。そうなってしまう背景がある。アメリカは様々な民族がいる。宗教も価値観もいろいろ。超金持ちから超貧乏まで。だから、人はそれぞれ違うというところからスタートする。対して日本はほとんどが日本人だ。少し前まで1億総中流と言われた。多くが大学まで行き、同じ教育を受ける。最近の若者は個性がないと言われるが、まさにその通り。大差のない大人に育ってしまうのだ。

当然、考え方も似たようなもの。文化でも、言語でも違うものがほとんどないので、いつしか、皆、同じであると思い込んでしまう。習慣も、常識も、法律も、価値観も、同じだ。同じはずだ。いや、次第に疑うことさえしなくなる。が、実際は違う。東京と大阪。都会と地方。価値観や志向が違う。サラリーマン社会と芸能界はかなり違う。映画界とテレビ界でも違う。マスコミ、広告業界、ジャーナリズム。それぞれに別の価値観や使命があり、一般からは理解し辛いものが多い。

なのに、人は自分のまわりの情報をもとにして、自分がいる業界の、自分が持つ価値観を他者に押しつけ、受け入れないと非常識だ。無礼だ。失礼だと批判する。そして、自分の持つ情報と価値観だけで

「私は女優になれる!」「タレントになれる!」

と判断。間違った努力に時間を注ぐ。町興しのための映画作りも同じ。他県の人が見たいと思わない映画を努力して作ってしまう。

僕がこの数年感じることも同じところから来ている。その町のために必死で映画を作っても「ギャラを取るのか? 金のためにやっているのか?」と批判する地元人が出てくる。最初は応援してくれたのに、最後は批判され毛嫌いされることもある。映画製作や映画人のことを知らず、ご近所付き合いで大事なことと、自分たちの価値観、習慣を押し付けてしまうからだ。

でも、同じ日本人。日本語で話し、基本的な常識は同じ。玄関で靴は脱ぐ。朝会えば「おはようございます」という。そんな交流の中で「同じ人間」と思い込み。相手をより深く知ろうとはせず次第に細かな習慣等を、無意識に押し付けてしまう。揉めると「裏切られた」「失望した」になってしまう。映画人が正しいというのではない。映画を作るときは映画界の方法論で進めるべきということ。そこにご近所付き合いの常識を持ち込むのは違うというだけだ。

戦場ジャーナリストに対して、海外旅行と同じ視点で考えるから批判する。旅行で危険なところに行く必要はないが、ジャーナリストは危険なところに行くのが仕事だ。小説家に「いつもブラブラしている」と批判するのと同じ。本質を知らないから、当て外れな批判となる。映画学校の生徒から「映画監督になると、月にいくら収入がありますか?」とよく質問されるが、それも同じ。会社員の常識で聞かれても答えにくい。

ボランティアで撮影現場に来た人が「タダ働きさせられた」と怒るのも同じ。ボランティアの意味が分かっていない。地方映画が完成したあと、ボランティアでエキストラ出演した人が、

「映画館の招待券くらいくれてもいいのに!」

とよくいうが、それも同じ。「お金はもらえないが、がんばったのだからせめて、招待券くらいは!」という発想だが、それは友達付き合いの理屈。

「引っ越しを手伝った。バイト料はなしで了解している。でも、せめて飯くらい奢れよ」

それを映画製作に持ち込んでいるのだ。ボランティアは友達付き合いではない。最初に記念品がもらえるという約束があれば別だが、それをあとで求めるのは違う。そもそも友達関係の習慣を映画作りに持ち込むのが間違い。

全てに対していえること。人はまず自分の持つ情報お価値観で判断しようとする。それが別の国でも、別の業界でも、別の町でも、そうする。受け入れられないと怒り、失望し、


「私は被害者だ。傷付けられた!あいつだけは許せない」

と思い込み、相手を憎み批判してしまう。では、国や業界だけではなく、時代はどうだろう? バブル期に青春を過ごした人と、平成不況に生まれ現在、青春を送っている人は? 価値観が違うはずだ。昭和生まれと、平成生まれと、来年以降の新しい年号で生まれる人。20代と30代と、50代と、70代。習慣も価値観もそれぞれに違うはずだ。

最近、先輩や友人で、ズレているなあと思えることが増えて来た。それらの人たちは、時代に取り残されているのだろう。過去の時代の価値観で判断する。だから、正確な判断ができない。間違った答えを出してしまう。なぜ、そうなるか? 新しい時代を感じる情報が得られていないからだ。田舎に引きこもる。同じ仲間としか会わない。ネットをやらない。間違ったテレビ情報しか得ていない。それが原因だ。

僕が気になり記事にする問題。すべて同じ背景。これたぶん時代のキーワード。変化していく価値観や常識。それを掴めないと時代にとり残されるということ。つまり、大切なのは情報だ。情報がないから、手持ちの情報をもとにしてしまう。古い情報で判断うる。

映画業界や芸能界を誤解するのも、その世界の情報がないからだ。まず、情報を仕入れること。俳優を目指すにも、地方映画を作るにも、戦場ジャーナリストを語るのでも同じ。自分の持つ、自分の世界の情報だけで判断してはいけない。

そして情報には正しいものと、不正確なもの、そしてデマがある。それを見ぬくこと。その上で考えること。その辺が時代のキーワードではないか? 

え? トランプの話? それも同じ。いずれもその辺も記事にさせてもらうが、日本のマスコミ情報だけではトランプの正体は見えて来ない。安倍とトランプを同列で語るマスコミもいるが、大間違い。その件も含めて、情報の大切さ。改めて痛感する。



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