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歳を取っていいこと。意外にある⑤ =子供達が正しい!大人の意見を押し付けてはいけない? [my opinion]

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歳を取っていいこと。意外にある⑤
=子供達が正しい!大人の意見を押し付けてはいけない?

子供の頃はあれこれ親や大人から言われて、説教されて、意見されて、

「本当にそれが正しいんだろうか?」

と思えたが、反論するだけの知識も経験もない。大人たちは長い人生を生きており、いろんな経験があるので、きっと現実に即したことを言っているに違いない。と考えた。

それでも納得できない。理解できない。きっと違う。大人たちこそが間違っている。と思えることが多かった。60年近く生きて来て分かったこと。やはり大人たちは間違っていたと言うこと。知りもしないことを偉そうに言っている。世間で言われていることを代弁していることがほとんどだった。

自分の体験談ではない。自分が考え抜いた答えでもない。よく言われること。古い常識。古い価値観を振り回しているだけだったことが、大人になり、年をとることで確証を持てた。

当時、説教したおじさんを、よくよく考えてみると、普通に大学を出て、小さな会社に就職し、見合いで結婚し、子供ができて、家のローンに追われて、生活しているだけの中年男だった。海外に行ったこともない。夢を追いかけたこともない。会社で与えられた仕事をするだけ。

自分から何かを始めたこともない。起業したこともない。趣味に夢中になったこともない。ヒッチハイクの旅をしたわけでもない。大恋愛して駆け落ちしたこともない。本当に何もドラマティックのない人生を40年ほど送って来ただけ。

それがいけないのではない。安定した人生だ。ある意味で幸せ。そんなオジさんに言われた。

「世の中甘くないんだ! 夢なんて所詮、夢なんだよ。現実を見ろ」

でも、大人になって考えた。「夢は所詮、夢」と言いながら、それを実現するための戦いをしたことがあるのか? それで敗れたのなら経験談として分かる。

「世の中が甘くない」と言うが、実は「世の中」が問題ではなく、その人の「努力」が足りなかったのではないか?とも考えられる。それを世の中のせいにしているだけではないか? だとしたら責任転嫁するような大人に若者を説教する資格はない。

当時、似たようなことを言っていた大人のほとんどは、世の中と戦ったことがないのに、現実は厳しいといい、自分の努力は棚に上げて若者を説教していただけなのだ。彼らは今の僕から見れば若者の延長のような年齢。そんな大人たちの無責任な言葉に、若かった僕らは振り回され、

「俺はやっぱり甘いのか?」

「世間の厳しさを知らないから、映画監督になりたいなんて言っているのか?」

と自問自答していた。同世代の多くは大人たちの言葉に従い、夢を諦め、好きでもない仕事に耐えて、生きることが現実と思い、就職した。大人たちの罪は重い。何ら自分の利益にもなる訳でもない無責任な意見を、子供たちに強要していただけだ。

この歳になると、そんな愚かな人に振り回されることはもうない。何を言われても、借り物の意見だと分かれば聞く必要はない。悩んだりすることもない。これも歳をとって良かったことの一つだ。愚かな人を見抜く力が育った。

でも、逆にこんな時代になっているのに、今も受験勉強を強いる親たち。子供たちは僕らより哀れだ。もう、大学に行ったからと安泰な時代ではない。10年間の年月を無駄に過ごすだけだ。それより、もっと大切なこと。生きるための何か?をその時間に学ぶべきなのだが、大人たちは愛する我が子の首を絞めるようなことを今も教え続けている。

若い人たちに伝えたい。大人の言葉を聞いてはいけない。君たちが感じていることの方が正しい。言葉にできなくても、若い人の方が正しい。



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友達も、恋人も、夫婦も、何かプラスがあるから長続きする? [my opinion]

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友達も、恋人も、夫婦も、何かプラスがあるから長続きする?

泉谷しげるの歌に「長い友との始まりに」というのがあるが、僕にも長年の友達が何人かいる。古くは中学時代から。もう、44年の付き合い。高校時代からの友人は3人。学生映画時代の友は1人。LA留学時代は1人。それでも34年の付き合いだ。

学生時代に仲良くしていても、卒業するとそれっきりという同級生が多いことを考えると、その後も連絡があったり、会ったり、飲みに行ったりで、10年、20年、30年と、付き合いが続くのは凄いこと。そんな友人たちは、僕がどんな人生を送って来たか?を知っている訳で、あれこれ言わなくても分かってもらえるので、とてもありがたい。

では、なぜ、そんな長い付き合いになったのか? そしてなぜ、その他の同級生とは疎遠になったのか? 考えてみると長年の友人ほとんどに言えることは「映画好き」ということ。だから、会うと話題に困らない。「あの映画見たか?」「DVDで話題の作品見たよ」と、あれこれ話題がある。近年はシナリオを書いている時、撮影の前後。編集時。公開前と、その時々にいろんな面で相談している。

友人にすれば「観る側」だった僕が「作る側」になったことで、違った視点で話が聞ける。業界の話が聞ける。また、エキストラやボランティアで撮影に来てくれる奴もいる。現場にいくチャンスなんてなかなかないので、面白がってくれる。そんな映画という「絆」があることで、長い付き合いとなったのだ。

これがもし、会って世間話をするだけなら、クラスが変わったり、職場が変われば、それでお別れだ。長い付き合いには何かプラスが必要。恋人関係、夫婦関係にも言えるだろう。最初は愛だ!恋だ!と盛り上がるが、いずれのカップルもやがては冷める。

最初は「彼女は可愛い[黒ハート]」と思い、「彼氏はカッコいい[黒ハート]」と感じていても、それが当たり前になる。恋人時代は互いに努力して、彼女が好きな「恋愛映画」を一緒に見たり、彼氏が好きな「カンフー映画」に付き合ったりする。逢っているだけで楽しい。でも、次第にそれが当たり前になり、恋が覚め、愛が失われる。互いにわがままが出る。

なぜ、あの夫婦は結婚したんだろう?仲良くないし、趣味も合わない。ということがあるが、それが恋から覚めた状態。そこで子供がいれば、夫婦生活がうまくいかなくても我慢。子供が大きくなるまでは離婚しないでいよう。学費、生活、いろんな面で2人で頑張ることが必要。と考える。

あるいは妻が栄養を考えた食事を作る。炊事、洗濯をする。そのことで夫は仕事に専念できる。共働きなら、そのことで経済的に潤う。何とか生活できる。1人ならかなり大変な生活になるということ。妻がいるから育児を任せられる。夫がいるから生活費を稼いでくれ、育児に専念できる。

これは「生活」「子供」が2人の絆になっている。それがあるから恋が覚めても、離婚しないし、文句を言い合っても一緒にやっていかねばと考える。これが経済的に余裕があり、両者共に仕事があれば、小さな不満から離婚ということもある。女優がよく離婚するのは、自分で稼げるからだ。夫の経済的援助が必要ないから。

そう考えると、友達でも、夫婦でも、何かプラスとなるもの。趣味なのか? 経済なのか? 子供なのか? 何かがあることで続いて行くのだろう。友人の夫婦。結婚生活?年。今や兄妹のような関係。でも、奥さんは毎日、健康的な食事を作ってくれるという。そのことで夫はしっかり仕事ができる。ある夫婦は夫がしっかり稼いでくれる。それがあるので妻は自分の好きな趣味を続けることができる。

無償の愛とかいうと美しいが、互いにプラスがあるから長続きするのだ。友達関係でも、恋人関係でも、夫婦関係でも。それが同じ趣味でも、生活でも、経済でも、子供でも。国と国との付き合いも同じ。原料を売ってくれる。それで加工した商品を買ってくれる。何も利害がなければ交流の必要はない。

人の関係も同じなのかもしれない。可愛い。カッコいい。「だから好き」だけでは長続きしない。その人がいることで助かる。便利。ありがたい。心和む。美味しい料理を作ってくれる。健康を気遣ってくれる。生活費を稼いでくれる。理解してくれる。何かプラスがあることが長続きする上で大事なのだろう。


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最近のカルチャーショック=やはりamazon! 50代は時代について行けるのか? [my opinion]

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最近のカルチャーショック=やはりamazon! 50代は時代について行けるのか?

若い頃、ウォークマンの登場は衝撃だった。外で音楽が聴ける!凄い!と思った。そのあとはCD。なんて音がいいんだろう!と感動。LDも嬉しかった。映画が高画質で格安で買える! DVDはサイズが小さくなっただけなので、大きな感動はなかった。ビデオにダビングもできなくなったし。

携帯も今もなくていいかな?と思うので感動はない。次はパソコンか? 資料を整理しやす! いや、その前のワープロだ。字が汚い僕には画期的な商品。文章の直しも簡単。これがなければライターの仕事はできてなかっただろう。

今はamazonだ。映画と音楽が月極め価格で観たり聞いたりし放題。Netflixまで契約してしまった。が、映画に関してはまだまだソフト数が少なく、不満は多い。それでも観たい作品はまずまずある。先日もマーベル作品を徹底的に見た。TSUTAYAまで行かずに済むだけでも便利。amazonミュージックの方は前回書いたが、音楽天国だ。本当に凄い。

ラジオ=>レコード=>レンタルレコード=>CD以来の歴史的な革新だと思える。だが、そのサービスを使っている同世代がいない。友人に会うたびに、その魅力を語るのだが、誰も実践してくれない。まあ、それが50代ということかもしれない。新しいものを受け入れられない。懐疑的に思える。CDやDVDで十分だと考える。

若い人たちと話すともう何年も前から使っていると言われる。その意味で僕もかなりスタートが遅い。それでも同世代でamazonやNetflixを使っているのは、、、、あ、1人だけいた。幼い子供がいるので、一緒に観るという。なるほど。

思うのはこれがザッツ老化なのだ。新しいものが苦手になる。なくても大丈夫と思う。若い頃に大人たちの時代感覚が異常に遅れていることを感じたが、僕らの世代もその年齢に到達したということだ。しかし、AIの普及。PCのさらなる進化。時代はいつもテクノロジーで進む。

一時期、パソコンが使えないおじさんたちが会社で邪魔者扱いされたように、メールができないと仕事ができない。携帯がないと仕事にならない。それらは僕の世代も対応して来たが、amazonだけでなく、いろんな技術がどんどん出てくる中、それを使いこなせるか?それが生き残りの条件のように思える。


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嫌われることの大切さ。仲良くしないことの重要性?=日本が復活するために必要なこと。 [my opinion]

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嫌われることの大切さ。仲良くしないことの重要性?
=日本が復活するために必要なこと。

「嫌われてもいい」という記事。予想外に好評だった。やはり、多くの日本人が「嫌われたらどうしよう?」と考えてあれこれ我慢したり、自分を殺して窮屈な生き方しているので共感してくれたのだろう。日本人は子供の頃から

「みんなと仲良くしなさい」「誰もに好かれる子に育ってほしい」

と親に言われる。それは間違いではないのだけど、その背景にあるのが「ムラ社会ルール」のような気がする。狭い村だから、揉め事を起こすと村八分にされるから

「みんなと仲良くしなさい」=イジメられたりしないように

「好かれる子になる」=嫌なことを我慢せねばならない。

ワガママを言わない。自分の思いを抑えて生きることにも繋がる。つまり、みんな一緒。勝手なことはしない。反対意見を持たない。人を批判しない。ムラ社会ルールを遵守する日本人の典型になってしまう。

それは原発ムラでも実践されている。原発利権を守るためにみんなが仲良く、マスコミに圧力をかけ、利益を上げる。仲間から嫌われないように、問題が起きても守り合う。事故の責任があるのに東電を倒産せずに国が支え、当時の重役たちは膨大な退職金をもらい勇退した。その反面。国民が食い物にされ、被災者に十分な保証をせず、

「事故はすでに収束」

という嘘八百を並べる。被害は今も続いている。つまり、仲良くする。嫌われないを突き詰めると、腐敗し多くの犠牲の上に成立するしかなくなるのではないか?

これは映画の世界でも同じ。

撮影スタッフに1人バカがいると、トラブルが起こる。そのバカとは仲良くしてはいけない。そのバカに嫌われるからと迎合してはダメ。そのバカは排除して、問題を起こさない人間を補充するべき。

バカの行動を阻止する、

嫌われることを恐れてはいけない。彼らに好かれる、仲良くするということはトラブルを我慢し、作品クオリティを下げることになる。だが、その強硬な対応ができないのが、会社や役所だ。

簡単にはクビにできない。だから、ムラ社会ルールを実践してしまう。見て見ぬ振りをする。トラブルに気づかぬ振りをする。嫌われないように、誰とでも仲良くする。だが、そのことで日本の企業や政治はどんどんダメになり、アジアの三流国に落ちぶれたのだ。

嫌われることを恐れ、皆で仲良くしててダメになったのではないか? これからの時代。大事なことは嫌われることを恐れない。嫌われてもやるべきことはやる。皆と仲良くする必要はない。ということではないか?



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理解される難しさ。人は印象で判断、レッテルを貼りたがる? [my opinion]

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理解される難しさ。人は印象で判断、レッテルを貼りたがる?

「変わっている」と昔から言われた話。先日書いた。もう一つ、昔からあれこれ全く当たってないことを指摘される。例えば...

「監督はロリコンなんだよな〜」

と言ってた奴らがいる。二本続けて10代の女の子たちの映画を作ったからだろうが、それだけでスタッフの間でも噂された。が、全然外れ。友人の中には「女子高生と付き合いたい!」という奴もいるが、若い子は面倒。そんな思いはない。安易なレッテル貼り。よくある話だろう。

「太田さんは中身のないアクション映画とか好きでしょう? ブルースリーの映画とか?」

これは意味が解らない。アクション映画は見るが特に好きではない。むしろヒッチコック・タイプのサスペンス。SF映画(スターウオォーズのような特撮系より設定が面白いもの)が趣味。ブルースリーも当時、人気が出てから確認のために見たくらい。魅力あるのは分かるけど好きではない。長い付き合いのあるオバさんに言われた。

つまり、頭を使わなくてもいい、主人公が戦うだけの映画が好み。芸術や社会性に興味ないと言いたかったのだろう。逆にこんな人もいる。

「太田君は人が見ない意味不明の映画なんかばかり見ているんだろ? 頭おかしいような。ーミツバチのささやきーとか?」

これは業界の先輩に言われた。ミツバチはいつか見なければと思いながら見ていない。彼のいう意味不明の映画。多分、芸術映画のこと。これも特に好きとか趣味ではない。勉強のためには見ておかなければと思うが、これも外れ。何本も仕事をした先輩なのに、理解してくれてはいなかったようだ。こんな指摘もされた。

「太田さんって昔、アイドルの追っかけしていたでしょう? アイドルのイベントに行くとそんなタイプいるのよね」

これはある女優さんに言われた。仕事はしていない。たまたま、何かの集まりでお会いして言われた。これも違う。若い頃は松田聖子や中森明菜は聴いたが、ファンではなく、コンサートやイベントに行ったこともない。10代からRストーンズ、Bスプリングスティーンだ。それぞれのコンサートには10回近く行っている。それがなんでアイドルの追っかけになるのか?

多分、髪が長い、メガネをかけている。爽やかではない? 当時、連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤のそんな印象が強かった。そんなタイプのアイドル・ファンが80〜90年代は多かったことが理由だろう。(最近のAKBのファンはどんなか?知らないが)それだけで「追っかけ」という印象を持ったような気がする。大変失礼な話だ。

いずれにしても「何か変な人」「おかしな人」という印象。それは当たっているが、趣味嗜好がまるでハズレ。ここから分かること。相手を深く観察せずに印象で決めつけ、レッテルを貼る。そこそこ仕事をしたり、長い付き合いがあっても、本当の「思い」や「志向」が分からない。あるいは理解しようとしない。

思い出してみると、いずれの人とも、もう交流はない。その種の人たちとは、短い付き合いで終わってしまうようだ。それらの人たちから理解を求めるより、理解してくれる人を大切にすることが大事だと思えた。

ちなみに3作目の監督作「朝日のあたる家」で原発事故を描いてからは、多くの人の印象が変わったようだ。今では先のような指摘をする人はいない。でも、今度は社会派だと思う人が増えた。が、実は青春映画の監督。世の中、うまくいかない。


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ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を? [my opinion]

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ムラ社会ルールに縛られ続ける地方の人たち。なぜ、未だに江戸時代からの習慣を?

ムラ社会ルール5か条は以下の通り

①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」

②「問題を起こした責任者を追求しない」

③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルには触れず、無かったことにする」

④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」

⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」

これらは全て江戸時代あたりからの地域社会でいかに平穏に暮らして行くか?揉め事を避けられるか?という思いから生まれて来た習慣だと思える。それが明治、大正、昭和、平成。そして令和時代にも引き継がれて行こうとしている。

不思議なのは、昔々なら田舎町から出ることは難しかった。交通も通信も不便。その村の中で交流するしかない。だが、今は交通の便も良くなり、通信手段も多様化。ネット時代でもある。隣町には車やバスで簡単に行ける。関所なんてないし。都会にも電車やバスで出られる。地元との交流がないからと生きて行けない訳ではない。

ただ、仕事が地元なら同僚。得意先としがらみができる。商売なら街の人たちが顧客だ。狭い世界で生きて行かねばならない。だが、そんなしがらみがなければ、トラブルを見て見ぬ振りをしなくても済むのではないか?と思える。なのに小さな田舎町ならいざ知らず。政令指定都市でも同じようなことを経験した。

時代が変わっているのに、江戸時代から(もっと前?)習慣から逃れられないでいるのはなぜか? 一つには長年に渡り、代々引き継がれたものはなかなか止めることができないということがあるだろう。ただ、都会では、その衛星都市では、その種の習慣はないとは言わないが、あまり見聞きしない。つまり、長年に渡って顔を合わせて生活している地区でその習慣が続いているということだ。

地方が活性化されないという問題がよく言われるが、その背後にムラ社会ルールが今も根付いていることで、新しい試みができない。あれこれ否定する人が出ても、誰も説得しないということがあるのではないか? それを多くの人は「ムラ社会ルール」に縛れているのではなく、「みんなと仲良くやらないといけない」「嫌われたくない」という思いにすり替えてはいないか?

役所も会社でもそうだが、狭い世界に長くいると、そんなルールに縛られてしまい、何もできなくなる。中から腐って行く。令和時代はその結末が見られるのではないか?と思える。では、どう考えればいいか? 別の機会に書かせてもらう。


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Facebook「友達」のことで悩んでいる人。意外に多い=みんなに好かれる必要はない。そう考えると楽になる? [my opinion]

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Facebook「友達」のことで悩んでいる人。意外に多い=みんなに好かれる必要はない。そう考えると楽になる?

Facebookの友達申請についての「お願い」ときどき告知させてもらっている。「***はやめて、***な人は削除だよ」というようなことを書いているのだが、毎回たくさんの「いいね」を頂く。ただただ傲慢な告知なのに、何でだろう?と思っていると、こんな声を聞いた。

「友達がやってるのでFacebookを始めた。最初は面白かった。知らない人とも友達になれて、あれこれ喋れたり、情報をもらったり。でも、その内、コメントに返事すると、コメントが何度も来るようになって、チャット状態になっちゃう。毎日、それが続くので疲れて来て...。

無視するのも悪いなあと思え、頑張って返事をする。とまた、コメントが来る。中身は大したことじゃない。けど、何で会ったこともない人の気持ちを考えて、疲れているのに返事してんだろう?って、いっそFacebookやめようか?と悩んでいます....」

その人が僕のFacebookの告知を見て「そうだよ!何で全員に返事する必要あるんだよ。その通りだよ」と感じたという。

「ただ、監督が言うことは正しいけど、それを私がやると、あれこれ批判されたり、大切な友達にまで嫌われるかもしれない。頭おかしい人に悪口を書かれるかもしれない。だから言えない...」

そんな話、何度か聞いた。Facebookで悩んでいる人は意外に多いのだ。僕の友達でも我が道を行くと言う人はほとんどやめてしまったし、あるいは最初からやっていない。逆に友達のいない人、問題があって友達ができない人はFacebookにハマるようで、あちこちにコメントし巻くっている。「面白そうだからFacebook始めよう!」と言う人と、そんな奴が「友達」になると大変。

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片方は友達いるけど、Facebookもやってると言う人。片方は友達欲しい。いっぱい話したい。返事をくれれば、何度もコメントしてくる。相手はやがて面倒になる。友達いない人は距離感の取り方や接し方が下手なことが多い。踏み込み過ぎて嫌われる。が、傷つけなくないと気遣いをする人は我慢しててしまう。やがて疲れる。

そんな風に1人は「友達欲しい」「いっぱい話したい」もう1人は「いろんな人と話せればいいな。ときどきでいいから」という場合は結果、揉める。また、日本人は直接クレームを付ける人は少数派。相手の気持ちを気遣う人が多い。そんなタイプは無神経な人のコメントに疲れてしまう。

僕も昔はコメントくれる全員に返事をしていたが、会ったことのない「友達」からコメント来て、年齢も職業も分からない。二、三度返事すると、10年の付き合いの友達でも言わないことをコメントしてくるようになり、

「だから、お前はダメなんだよ。しっかりしろよ!」

お前誰?ってことが何度もあった。思い込みが激しく、親しい友人という認識になってしまうのだろう。悪気はないのは分かるが、付き合ってられなくなる。そんな風に悪意はないが、困ったちゃん!という人がそこそこいる。接していると疲れる。ムカつく。でも、削除したら傷つくだろうな? 恨まれるかも? と友達削除できない。

「何で仕事でもないことで悩まなければならない.....」

そんなことが何度も何度もあった。「返事はしない」なんて告知したら「友達」ゼロになるかも?と思え踏み切れない。やがて「友達」1000人単位になると、遠回しに注意しても気づかない人。逆ギレする人。明らかに悪意を持って接する人も多数出てくる。そんな人たちのために時間を使うのはもったいない。決意して「返事はしない」と告知した。

でも、友達数は激減しなかった。むしろ増えて今は4000人台。Facebook社の陰謀?もあれこれ分かって来た。それに乗せられている人も多い。僕も二度ほど休止したが、今はメリットになる部分だけを利用している。

分かり易くいうと「みんなに好かれよう」はダメ。「嫌いな人はさようなら」という発想が大事。前にも書いたが地方社会では嫌いな人とも付き合わねばならない。それが心労となる。Facebookでまでそんな苦労をする必要はない。

僕は自身が作る映画の宣伝。そして応援してくれる方々への報告。あとは映画ファン。映画関係の仕事をしたい人にプラスになる話を掲載。僕自身が感じていること。社会、政治、マスコミ、事件について書く。議論はしない。交流もしない。読んでくれる人がいれば嬉しい。反論があればご自分のFacebookで。

そんなスタンスを取っている。みんなに好かれようとは思わない。支持、応援してくれる人が記事を読んでくれることが大事と考えている。もし、悩んでいるなら、Facebookを続ける目的は何か?考えれば答えは出るはずだ。


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美しい言葉にダマされていないか? 本当の目的は別にあることに気づこう!=原爆、原発、消費税、そして沖縄戦。 [my opinion]

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美しい言葉にダマされていないか? 本当の目的は別にあることに気づこう!=原爆、原発、消費税、そして沖縄戦。

世の中、歪められた事実が本当のことと理解されてしまうことがある。嘘なのにもっともらしく別の言い方で吹聴する人や団体もある。消費税の値上げがそうだった。福祉のためと言いながら、実は金持ちの税金を安くして、その分を補填するために消費税が使われたこと。もう、多くの人が知っている。金持ち優遇のために消費税を上げたのだ。

詳しくはこちらで=> https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-02-01-1

アメリカが原爆を落としたのは「戦争を早期に止めるため」と主張していた。では、なぜ、広島と長崎。2発の原爆が必要だったのか?それはウラン型とプルトニュウム型という別のタイプの原爆のそれぞれの威力を試したかったからだと言われる。

美しい言葉を掲げて、金持ちを優遇したり、他民族を虐殺すること。国や政府がやっている。原発問題がまさにそれ。「電気の安定供給」とか「安い電力」と言って来たが、それが事実ではないこと。311で証明されてしまった。安定供給もできない。他の原料に比べて安くもない。何より超危険だ。

本当の目的は既得権益がある人たちが金儲けのために、原発を利用し、守り続けているだけ。そして、いつでも原爆を作れるようにプルトニュウムを備蓄するためであるとも言われている。そのために原発を守り続けているのだろう。

沖縄戦も同じ構図。アメリカの進撃を止めるために沖縄で戦争をし、多くの犠牲者を出したものだと思っていた。が、それだけではなかった。本土決戦準備の時間稼ぎが日本軍の目的。そのために勝たなくてもいい。出来るだけ戦いを引き延ばして、敵を消耗させること。そのために住民を数多く戦場にまで動員。多くが犠牲になった。

つまり、沖縄で多くの命が失われている間に本土決戦の準備をしようというのが本当の目的だった。沖縄は捨て石にされたのだ。日本軍10万。アメリカ軍50万。大きな戦力は本土に温存して、わずかな兵力でアメリカと戦わせたことからも、それが伺える。

だが、ある団体はこう主張する。「日本軍は沖縄を守るために戦った。捨て石論は戦後に無理やりつけた解釈だ」しかし、沖縄戦を知れば知るほど、そうは思えない。大本営の記録にも「沖縄は見捨てる」という記述がある。これも消費税、原爆、原発と同じ構図。本来の意味とは違う、美しい言葉で事実を隠そうとしているのだろう。

「復興五輪」もその一つだろう。ゼネコンが儲けるだけで、被災地置き去りのイベントに何の意味があるのか?「国民のため」「子供たちのため」「将来のため」と美しい言葉で進められる数々のこと。本当の目的はそこにないこと。見抜いて行かねばならない。

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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と得意げに書き込む人たち。評論家気取りのコメント。=その背景にある悲しいもの。 [my opinion]

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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と得意げに書き込む人たち。評論家気取りのコメント。=その背景にある悲しいもの。

先日、amazonプライムで「ほたる」を見て感動したあと。一般の感想はどうだったのか?気になってyahoo!映画レビューを見た。何と!半分近くが酷評。それも意味不明のコメントが多い。要は物語に共感できなかっただろうことを、作り方が悪い、手法が古いと批判しているように思える。

いろんなサイトに映画の感想を書くページがあるが、特にyahoo!に書き込む人たちの映画鑑賞眼は低い。別にyahoo!が悪い訳ではなく、その種の人たちが多いということ。どんなコメント? 例えばこんな風なのが多い。

「突っ込みどころ満載。あれ?おかしいな。なんで?ということの連続!」

「展開が唐突! 何なのこの映画。展開に無理ありすぎ〜」

「物語にひねりがない。これでは子供でも先が読めてしまう。レベル低すぎ!」

ある。ある。と思うだろう。どのサイトを見ても必ずある。これらに共通するのは何だろう? そう。ほとんどが上から目線。得意げ。鬼の首を取ったような感じ。

「この映画ダメだなあ」「これでは不合格」

「この監督は素人かよ」


という思いが感じられる。簡単に言えば評論家気取りなのだ。しかし、その映画を見ると、それほど酷いものでなかったり、力作だったりする。??? そこには2つの背景がある。彼らの心の闇を考えてみよう。

80年代。僕は映画ファンであり、映画学校に通い、映画好きと毎日議論していた。「ぴあ」には毎週、読者の映画批評が載る。がyahoo!的な感想はあまりなかった。同世代の映画評論家さんはいう。

「本来、映画を見ていて、あれ? 何でこうなるんだろう? と思った時に、僕らは伏線を見逃したかな? 説明があったんじゃないか? と考える。映画というのはプロが作るもの。意味が分からないのは素人である自分が、しっかりと見ていなかったからだろうと考える。

でも、今どきの子は分からないことがあると、この映画は説明不足だ。ご都合主義で展開させてんだな〜と考える。つまり、分からなくなるのは自分の不注意や無知ではなく、映画制作側の、あるいは監督がバカだから分からなくなると解釈するんだよ」


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その通りだ。しかも、おかしいのがそんな解釈をするのが20代とか30代の人たち。作っているのは50代とかの監督で、プロのスタッフ。映画というのは集団作業。例え監督がバカでも、シナリオや現場でおかしな部分が見つかれば、必ずスタッフが指摘する。誰も気づかずにオーケーなんてまずない。それを20代の映画ファンだけが気づく問題点ってあるかな?

実際にその映画を見ると、ちゃんと伏線が張られていたり、前の場面で説明されていたりする。それを見逃していたので、展開が分からなくなったのだろう。にも関わらず

「おかしい!無理あり過ぎ〜」

とコメント。考えれば自分は若く、素人。プロが作ったものが、そんなバカなミスをするはずがないと思うだろう。僕らの世代はそう考えた。が、今の子たちはそうは思わない。もちろん、映画監督にもバカな奴はいる。

でも、素人の映画ファンよりは多少、勉強し、いろんな経験をしている。そしてベテラン・スタッフも参加している。何十人もの目を通してシナリオはチェックされ、撮影される。それを素人の自分だけが見抜くなんてことがあり得ると思うのか?多分、その子たちはそこまで考えていない。自分が理解できないことに出会った時、単純にこう思う。

「私にものを見る力がないのではなく、説明不足の相手が悪い!」

なぜ、そんな解釈をするのか? 考えてみる。今時の子たちは、僕らの子供時代以上に管理教育が進んでいる。ひたすら与えられたことをするだけの教育。やるべきことは教師や親から指示される。宿題をしろ。勉強をしろ。教室では静かにしろ。寄り道をしないで帰れ。それをやらないと厳しく注意される。

言われたことさえしていれば問題はない。つまり、考える必要がない。自分で判断しない。なぜ、この学科を勉強するのか? なぜ、この宿題が出るのか? なぜ、こんな規則があるのか? 考えない。背景を想像しない。疑問を持たない。駅のホームに立てば、

「電車が来ます。白線まで下がって下さい」

とアナウンスがある。ショッピングセンターでは

「エスカレーターから乗り出して顔や手を出さないでください」

と館内放送。ますます考えない。やってはいけないことはあちこちで言ってくれる。学校や家庭でも指示が出る。考えずに言われたことだけしていればいい。そんな環境で育った子たち。考える力はなく、与えられたことしかできない。映画を見る。伏線がある。伏線というのはナレーションで

「この主人公は銃マニアである。その証拠に部屋の壁にはモデルガンが飾られている。これは大きな伏線になるので、画面で大写しにはならないが、観客の皆さんは覚えておいてほしい」

なんて説明はない。伏線というのはそれとなく描くものだ。だから、見逃しがち。若い子は気づかない。展開がある。伏線が生きる。が、伏線に気づいていないので分からない。

「なんで、こうなるの? 何の説明もなかった。この映画おかしい!」

となるのだ。考える力がない。しっかり言われないと分からない。想像力がない。問題が起こると背景を考えず、安易に相手が悪いと思ってしまう。似た例がある。


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子供が池に落ちた。親は子供を叱るべきなのに、池に柵がなかったことに激怒。自治体を訴えるという話を時々聞く。これも同じ。子供に危険を察知する力が育っていない。それを教えていない。にも関わらず、落ち度は子供ではなく、柵を作らなかった自治体という。

映画の伏線に気づかず展開が分からなくなると、自分に「見る力」がないのではなく、映画が説明不足だと解釈する。いずれも「考える力」が育っていない。

「言われないと分からない。悪いのは自分ではない。注意してくれないから分からない」

管理教育が行き届いた中で育った結果ではないか? もう一つの悲しい背景がある。今の教育では個性はほとんど認められない。学校の教科にないことができても評価されない。そんな中で若い子たちは何をアイデンティに成長するのか? 背が高い。イケメンだ。巨乳だ。家が金持ちだ。最新のゲームを持っている。いろいろあるだろう。

でも、それらは自身の努力で手に入れたものではない。そして成績が悪くて、一流大学に行けなかった人たちには、どこか劣等感が漂う。自分なんて大した存在ではない。どうでもいい人間だ。社会に必要とされていない。そんな思いがどこかにある。

成績は悪かったが、本当は何かできるはずだ。自分にもいいところがあるはず。誰にも負けないものがあるはず。でも、今の時代にそれを見つけるのは大変。そんな人たちが映画を観る。伏線に気づかず、あれ?と思う。展開が唐突だ。或いは物語がストレート過ぎる。そんな時。

「突っ込みどころ満載だなあ。何だこれは。説明不足だし、この監督はバカだよな?」

「考える力」がないので、そんな解釈をする。そして、無意識にこう感じる。

「僕は結構、鋭いんだな。プロの作った映画の欠点を見抜いた。プロってバカなんだな。俺の方が優秀だよ...」

人を批判すると、自分が偉くなった気がするものだ。優越感を感じる。次第に上から目線になる。

「隠しても俺には分かるんだよ。そんなことじゃダメだろ?」

その誇らしい気持ちを伝えたくて、感想を映画サイトに書き込む。「俺って凄いだろう?」そんな思いを込めて。日頃、誰にも褒められない。必要とされないダメ自分から逃れ、自分の優秀さを誇るために。それも楽して、いい気分になれる。

それが理由で映画レビューはその手のコメントが多い。が、そのほとんどは勘違いや見る力がない人たち。多くは厳しい管理教育で育った人たちだろう。それが映画レビューに

「突っ込みどころ満載!」

「唐突な展開!」「捻りがない!」

などと、ワンパターンの表現で勘違いなコメントを書き込む人たちの背景だと思える。



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人はなぜ、知らないことを調べないで、勝手な想像で分かった気になるのか?=そんな人たちが今の政権を支えている? [my opinion]

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人はなぜ、知らないことを調べないで、勝手な想像で分かった気になるのか?=そんな人たちが今の政権を支えている?

毎回、映像産業以外の会社や団体と仕事すると、思いもかけぬ誤解があり驚く。もちろん、彼らは映像製作を知らないのだから、知らない、分からないは仕方がない。ただ、知らないのに「これはこういうものだな!」とか「あれはこれに違いない!」と独自の想像で、決めつけることが多い。

例えばラーメン屋でラーメンを注文すれば10分15分でテーブルに届く。だが、あれは前の日からスープを仕込んであるから、その時間でできるのであり、1からスープを作る場合は十数時間から数日必要。それを

「遅い! 何でラーメン一つに、こんなに時間がかかる!」

と怒るようなものだ。料理でも、映画でも、小説でも、何かを作るのは時間がかかる。が、その制作現場を知らないと、まさか?何日も、何ヶ月も、何年もかかるとは想像すらできないのだろう。

かなり前だが、ドキュメンタリー製作依頼を受けた時、9割の取材が終わり、残り1割。その段階で一度、粗編集を見せるということになった。そうするとスポンサーはその粗編上映に社長、会長、来賓、専門家、評論家を招くと言い出した!?これは何か勘違いしているのではないか?と聞いてみると、

「一度、関係者に見せてお披露目したいんです」

何でそーなるの? 9割の取材が終わったと言っても編集はしてない。話をして3重に誤解があることが分かった。1つ目は

「9割を取材した。粗編集をする。あと1割を取る。編集をする。それを嵌め込めば完成」

と思ったのだ。まず間違っているのは「粗編集」というのは、文字通り「粗い」「編集」。正規の編集とは違い、素材を順番につないだだけのもの。撮影は作品で見せて行く順番通りには撮らない。だから、順番通りに映像を繋ぐことで、全体像を感じることができる。粗編はそのための初期的な編集。ただ繋いだだけ6時間ほどあった。それを通常の編集、あるいは本編集と思い込んだ。

前回の取材は1ヶ月ほど前。

その段階から撮影した9割のものを全て編集する時間などあるわけがない。編集は数ヶ月かかる。それを1ヶ月しか経っていないのに、9割の編集が終わると思ったららしい。もし、「編集には時間がかかる」ということを知っていれば、「1ヶ月に編集ができている」とは思わないし、「粗編集」の意味を知っていれば「本編集」ではないことが分かる。

でも、スポンサーを両方を知らず。さらに、「粗編集って通常の編集とが違うの?「という疑問も持たず。9割完成だ!と思い込んだのだ。聞いてみると誤解はさらに凄くて、

「9割分の映像には音楽やテロップ。ナレーションも入っていて、残り1割を嵌め込めば完成」

と思ったらしい。ということは残り1割を撮ったら、もう一度、音楽やテロップ。ナレーションを入れる作業をするために、再びスタジオを借りて、作業をすると思ったのか? 一度にやればそれなりの値段だが、あえて2回に分ければ値段は2倍になる。それは無駄というのも。さらに9割しかできていないものに、ナレーションや音楽を入れてどんな意味があるというのか?

聞いてみると、そこまで考えなかったという。

9割撮影して、粗編集すれば、9割完成!と単純に思ったらしい。それで会長、社長、来賓を集めて..試写会。それもおかしい。9割しかできてないものを皆に見せてどうするのか? 映画で言えば、クライマックスの撮影が終わっていないものを社のトップや外部に見せるようなもの。料理なら、まだ食べられない。煮込んでいる途中のものを社長に試食させるのと同じ。

9割で会社の重役、外部の関係者に見せるという発想自体が理解できない。それ以前に大きな勘違いがある。ドキュメンタリーの場合。9割撮影が終わったから、編集という訳にはいかない。

あとの1割で何が撮れるか? 

どんな証言が得られるのか?分からない段階で、編集はできない。9割の段階で「この人の証言をクライマックスにしよう」と思っていても、残り1割でそれを超える感動的な証言が得られれば、それをクライマックスにする。

証言内容が重なれば、当初クライマックスに予定していた証言は全面カットということもあり得る。新しい素材が手に入ることで、全体の構成を変えなければならない事態もあり得る。だから、ドキュメンタリーの場合は全ての素材が揃ってから編集をする。

その前にとりあえず撮れた映像を企画時に考えた順番通りに並べてみようというのが「粗編集」なのだが、そこから先に説明した誤解が始まり、重鎮を集めた大々的な試写会まで計画してしまったのだ。

そもそも、ドキュメンタリー制作を理解していないことが問題。プラモデルで、9割を組み立てた。あと1割のパーツが手に入れば、それを組み込んで完成というのはあり得る。劇映画で9割撮影した。そこまでを編集し、残りを撮影してそこに入れ込む。これもまだ分かる。が、ドキュメンタリーとはそういうものではない。先に書いた通り。全ての素材を揃え、吟味して、まず、当初の予定のような構成でいけるか?考える。

当然、撮れなかったものもある。

この時は特に一番メインとなる方のインタビューが撮れなかった。だから、クライマックスを何にするか?どの証言を中心に編集するか?を考え直さなければならなかった。それを9割の段階で考えて編集しても、残り1割の映像次第で編集を1からやり直すこともあり得る。

取材が終わらない段階で9割分を編集するのは危険であり、無駄な時間を費やす可能性が高い。まして、その時は1ヶ月しか時間がなく、9割分の編集をし、音楽をつけて、ナレーションを入れているはずという想像は、制作サイドからして常識を超えたものだ。

なぜ、9割しかできていないものを、スタジオを借りて、音楽家に作曲。ナレーターにナレーションを入れてもらって、MAをする必要があるのか? 9割のお披露目をするのか? その発想が理解できない。何の意味があるのだろう? 業界の友人に話すと

「バカ過ぎて話にならない! 

 それは映像製作を知らないだけでなく、あまりにも常識がなさすぎる!」

と激怒していた。僕もいろんな業界の人と仕事をするが、そのスポンサーはずば抜けた勘違いがあった。担当者は間に立ち、頑張ってくれたから最後まで行けた。会社が映像製作を知らないのは分かる。が、常識的なことから説明せねばならないことも多く、腹わたが煮え返ることが何度もあった。

でも、そこから感じたこともある。人は自分のいる周りのことしか知らないし、知ろうとしない。勝手な想像で分かって気になる。聞きかじった情報を精査せずに信じてしまうのだ。

沖縄戦を勉強する前、僕自身もある意味で同じだった。全く知らないくせに「沖縄の人々は米軍に酷い目に遭わされた」と思い込んでいた。が、事実を調べると間違いではないが、その背景には日本政府の酷い方針があったこと。そして米軍だけではなく、日本軍にも人々は酷い目にあったことを知った。

基地問題も同じ。アメリカの傲慢さのために未だに基地がなくならず、新基地建設まで行われていると思っていた。が、そこに日本側の大きな思惑があり、実はアメリカより日本の一部の人たちのために基地が存続していることを知った。(これはいずれ詳しく書きます)それも知らず。

「アメリカ酷い」

と思っていた。人は知らないことを調べようともせずに、聞きかじった情報で思い込み。勝手な想像で理解した気になり怒ったり同情したり。そして問題が起こると「知らなかった。分からなかった。なぜ、教えてくれなかった!」というが、自分から調べ勉強しなかったことが原因とは思わない。

それが全ての原因なのだ。スポンサーも映像作品を作るのであれば、それなりの勉強は必要だし、勝手な想像をせず、ことあるごとに確認すべきなのだ。でも、それをしない。だからトラブル。

それは同時に日本人全体に言えること。

選挙前に「自民圧勝、確実」とニュースが流れれば「どうせ俺の1票なんて」と選挙に行かない。あの党に投票するのは毎回、全有権者の2割。たった2割だ。多くの人が勝手な思い込みで棄権することが、今の政府を間接的に支えているのだ。知ることの大切さ。知ろうとしないことの愚かさ。強く感じる。



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新しい時代で一番、苦労するのは今の40代男性か? 思い出すあの言葉? [my opinion]

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新しい時代で一番、苦労するのは今の40代男性か? 思い出すあの言葉?

10代の頃。「大人は信用できない!」と思っていた。トリフォーの映画は「大人は判ってくれない」だったが、それに近い思いがあった。そんなこともあり監督作「向日葵の丘」では主人公の常盤貴子さんの部屋に、その映画のポスターを貼った。

当時、大人はこう言っていた。「最近の若者はダメだ!」ダメな大人に限ってそう言う。僕は大人になっても、その台詞だけは言わないでおこうと密かに誓った。それが僕らの世代が20代後半に差し掛かると、友人がこんなことを言うようになった。

「最近の若い奴はダメだ...」

同じだろーーー。彼の言葉を分析すると、「今の奴は軟弱、主張がない、日和見主義、長いものに巻かれる、やる気がない」等々。しかし、それらは僕らの時代にも言われたし、友人自身がそれそのものだった。

「俺たちは違ったよ!あんなじゃなかった!」

でも、彼との付き合いは長い。同じだ。ただ、僕らの頃に比べてより、今の若者はその体質がより強くはなっている。それでもダメな大人より若い奴の方が可能性がある。新しいものを受け入れる。大人は過去にこだわり、古い価値観を振り回し、プライドばかり高い。

そう。僕が大人を信用できなかった理由はそこにあったこと。大人になって気づいた。それから何年か経ち。若い人たちと仕事して、思った。

「最近の若い奴はダメだ!」

ヤバイ。友人と同じだ。この台詞は言わないことにしていたのに!いや待て。考えた。仕事をしたメンバー。バカが多い。なぜ、バカなのか? 頭が悪いと言うことではない。なのになぜ、バカになったのか? 考えた。答えは簡単だった。

僕ももう50代。僕から見て若い奴でも40代だったりする。結婚もして子供もいる。脳が老化。過去にこだわり、古い価値観を振り回し、詰まらないプライドを大切にしている。そう。僕が10代の時に「信用できない」と思った大人そのもの。僕よりは若いが当時、大嫌いだった大人たちと同じ。

つまり、当時10代の僕が嫌った大人も多分40代くらいだったのだ。それを下の世代である僕が見て「大人」と思った。今は50代。40代を見て「若い奴」と思った。でも、どちらも40代なのだ。そして40代の男性に多いのが先の状態。

「過去にこだわり、古い価値観を振り回し、詰まらないプライドを大切にしている」

なるほど、これは歳を取り、脳が老化することで起こる現象なのだ。違うのは、僕らが子供の頃はまだ「好きなことをしたい! 夢を追いたい!」と言う子供が結構いた。僕は今もそれを続けているので、若い人たちにも「夢を追え」という。が、最近はこう言われる。

「その夢が見つからないんだよ!」

本人のせいではない。より管理教育が進み。考える力を奪われているので、夢を探すことさえできないのだ。自分がやりたいことも分からない。中には

「正社員になることが夢です...」

と言う寂しい奴もいる。戦うこともしない。仕事の手抜きしか考えない。そんな若者が40代になり、老化が始まる。僕らの世代(結構、老化が酷い)以上に酷い状態になるような気がする。特に男性が顕著だ。

と言うのは今、時代は激変しようとしている。過去の価値観は覆り、以前の経験は何の役にも立たなくなる。そんな時代に「過去にこだわり、古い価値観を振り回し、詰まらないプライドを大切にしている」そして夢見ることすらできない。

そんな大人は本物の粗大ゴミになるしかないだろう。女性は40代でもしたたかに生きているが、大人の男性の運命はそちらに向いている。いや、人の心配をする前に自身の心配をしよう。amazonプライムとFINAL CUT Xで、新しい時代を学ぶことから始めてはいる?


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脳の老化は新しいものを拒否してしまう。だから、新しいドラマを見て、脳の活性化? [my opinion]

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脳の老化は新しいものを拒否してしまう。だから、新しいドラマを見て、脳の活性化?

深夜に仕事を終了すると、毎晩amazonプライムか、Netflix。「24」を再見した後は新しいドラマを見るべく、あれこれ見ている。どうしても歳を取ると、新しいものが受け入れられなくなり、若い頃見たものが懐かしく惹かれる。僕も懐かしいドラマを見がち。それはそれで悪いことではないが、脳が老化している証しでもあり、過去の概念やパターンが受け入れやすいので....という側面もある。

おじさん達がプロ野球を見るのもそれだろう。子供の頃に覚えたルール。好きだったチーム。その二つがあれば楽しめる。過去になかった概念を壊すルールができたりしない。言い方はよくないが脳が老化したおじさん達でも、努力なしに楽しめるのが野球である。それはそれで必要であり、僕も子供の頃に見たアニメやドラマをamazonプライムで見つけると、つい見てしまう。

ただ、映画製作というのは時代の反映が大事。過去のルールや方法論で作っていると、受け入れられない。僕が20歳前後。1980年代前半。日本映画は本当に詰まらなかった。タダでも見たくないものばかり。今考えるとそれは、当時50代を超えた監督たちが、彼らが若い頃の価値観や感覚で新作映画を作っていたからだろう。

代表的なのは「嵐を呼ぶ男」1960年代に石原裕次郎で大ヒットした映画。それを1980年代にマッチ主演でリメイクした。過去の成功をもう一度、それを若い人気のアイドルを使って繰り返す。そこまでは理解はするが、監督が裕次郎版と同じ人。若い新鋭の監督が撮るなら分かるが、何じゃそれ!と思ったものだ。

今も政府は不況というと公共工事というが、それも昭和40年代の発想。なぜ、映画会社も政府も上の人たちって時代を読めないのだろう? 過去の方法論を繰り返すだけなのか?それは先に書いた通り、歳を取ると脳が老化して、新しいものを受け入れられない。過去の習慣やルールに縛られて、新しい時代に対応できない。

でも、これまでは時代の変化はそんなに大きくなかった。古い方法論でもそこそも通用したと思う。その古い方法論にプラスαすれば通用したりもした。価値観も過去の延長上にあった。それが来るべき新時代。これからの時代はもうそれではダメだと思えている。TOYOTAとソフトバンクの提携は車社会は一変させてしまうだろう。

世界の動きを見ていても、戦後以来の大激変が間も無く訪れることを感じる。そんな中で映画屋は何を作り、何を掲げて、何を主張していくべきなのか? 娯楽映画だってそれが必要。過去のスタイルを踏襲しても、何も伝わらない。と、長々書いてしまったが、そんな訳で新しいドラマも見るようにしている。

この数日は「ストレンジャー・シングス」スピルバーグSFドラマ。最初は全く共感できず、ギブアップか?と思えたが、3話を超えてようやく面白くなってきた。現在5話。まだウイルは見つかっていない。超能力少女が興味深い。今夜も深夜に続きを見る。

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「幸せって何だろう?どこにあるんだろう?」そんな思いで映画作りを続けている [my opinion]

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「幸せって何だろう?どこにあるんだろう?」そんな思いで映画作りを続けている。

「子供たちに伝える大切なこと」が当初、僕の映画のテーマだった。が、その内、「子供たちが幸せになれないのは、親がバカだから」と気づき、テーマは「親子に伝える大切なこと」になった。

それからも何本か映画を撮り、「大切なこと」=「幸せ」と思えて「幸せって何だろう?」ということにも展開した。「向日葵の丘」で常盤貴子さん演じる主人公・貴子はいう。

「幸せって何だろう? どこにあるんだろう?」

それはお金持ちになることでも、有名になることでもなく、自分を応援してくれる友達がいる。想い出を語り合うことができる。そんな仲間がいることも幸せの一つではないか?というテーマだった。そのテーマを引き継いだのが「明日にかける橋」だ。

幸せを守るため、取り戻すためにはどうすればいいのか? そんなテーマで物語を作った。詰まらぬ噂に振り回される人がいる。金持ちに騙される人たちがいる。無神経に誹謗中傷する人がいる。世間に振り回され、人目を気にして大切なことを見失う人たちがいる。そんな中で人はどう生きるべきか? 何を信じるべきか? どう行動するべきなのか?を物語の中で伝えた。

そんな映画を作りながら思うことがある。僕だけでなく多くの映画監督は厳しい状況の中で仕事をしている。監督料は安い。映画だけで食って行けるのは日本で一桁しかいない。1本の映画が完成するまでに最低1年はかかる。

例えばギャラは100万円というと「へーー凄い!」と思う人もいるが、1年は拘束されるので1ヶ月で10万円以下になる。仕事量も多い。ブラック企業もビックリ。土日、祝日はもちろん。Xマスも、盆暮れも働く。今年は大晦日、三賀日も仕事だ。それでも大卒の初任給を稼ぐことはできない。映画の専門学校に行くと、よく聞かれる。

「監督で食って行けますか? 年収はどのくらいですか?」

正直にいうと、映画監督志望の生徒たちが皆、学校を辞めるのではないか?と思うので正直に言えない。それと、もし、金儲けをしたいなら映画監督ではなく、別の仕事をした方がいい。安定した生活をしたければ公務員になった方がいい。そういうと、生徒たちはいう。

「生活が安定しないのは嫌だなあ。でも、監督業もしたいし〜」

映画作りは戦いだ。特に監督業は世の中との戦い。時代との格闘。安定を求めること自体が理解できないが、そんな若い人は多い。ついでに言うなら、大手企業に就職しても今の時代は安定するとは限らない。倒産、リストラ。正社員になれない人も多い。現内閣のお陰で労働力は使い捨て。公務員だって近い将来、大リストラが実施されるだろう。

そんな時代の中で、安定を求める方がおかしなもの。日本はバブル崩壊で経済成長が終わり、あとは没落だけ。それが国の宿命。高く飛び上がるが、やがて落ちて行く。イギリスも、アメリカも同じ。そして2度と飛び上がることはない。生き物と同じ。大人になり、バリバリ働くが、やがて年老いて死に向かう。

もはや安定は保障されない。なら、好きでもない仕事をするよりは好きな仕事をする方がいいだろう。好きなことなら長時間働いても苦にならない。嫌な仕事をするから、長時間働くと苦になる。以前はよく言われた。

「映画なんて不安定な仕事せずに、就職したら?」

でも、今はほとんどの会社が不安定。会社員の友人たちには万が一に倒産したらどうする?と考えて、腕に技術を付けるべく会社帰りに専門スクールに通う奴もいる。そんな時代になったので、あれこれ言われなくなった。それと確かに映画業界の人件費は安い。だが、意味ある仕事がある。

原発事故の悲しみを伝えるために「朝日のあたる家」を作った。そして今回は「沖縄戦とは何だったか?」を伝えるドキュメンタリー。多くの人が共感し、賛同してくれる作品を作ることは意味を感じる。気がつくと多くの人が応援してくれている。もちろん批判し、誹謗中傷を続ける人もいるが、極少数だ。

本当に多くの人が声援をくれる。映画を作ることで喜ばれる。そんな仕事ができること。これもひとつの幸せではないだろうか? 例えブラック企業を超える労働時間で、収入が低くても、1人で7人分の仕事をしても、映画を観て感動したり、涙したり、考えたり、希望を持てたり、故郷の美しさを再発見してもらえること。大切なことだ。

映画だけではない。人に喜んでもらう仕事。正しい情報を伝えること。リラックスしてもらうこと。笑ってもらうこと。健康になってもらうこと。新しい知識を学んでもらうこと。誰かがハッピーになる仕事。それは収入を超えて、その仕事ができる人は、ひとつの幸せなのではないか?と思えている。

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【携帯は持っているが、あまり使わない。メールがいい。「いや、電話してくれ」と言う友人もいる?】 [my opinion]

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【携帯は持っているが、あまり使わない。メールがいい。「いや、電話してくれ」と言う友人もいる?】

最近こんな記事を見た。

「携帯に電話する前にメールを出す若い人たち」

つまり、いきなり電話しては失礼なので、都合を訊くと言うのだ。それはある世代以下の人たちで、それ以上の人はいきなり電話するのは、当たり前と言う感覚なのだと言う。

なるほど、そう言う時代なのだと感じる。昔は固定電話。ベルの音も止められず(その後、調節はできるようになったが)夜中でも鳴り響く。誰からかかってきたか?は分からない。でも、受話器を取るのが常識だった。携帯時代になると、誰からの連絡か?は分かるようになったが、どこにいても連絡が来る。

人と会っている時に「ちょっとすみません」と言って携帯に出る人がいるが、なぜ、交通費を使い、街まで出てきて、時間を使い会っている相手に待たせて携帯に出るのか?違うんじゃない?と思っていた。でも、固定電話時代の慣習があるのか?電話があるとすぐに出る人が多かった。

僕は人と会っている時には携帯に出ない。よほど急ぎの連絡を待っていなければ出ない。1人でいても集中して仕事をするときは出ない。いつも書くように、そこで気持ちが切れてしまうからだ。よく会社で仕事をしながら、電話が鳴るとすぐに出る社員がいるが、真似できない。まあ、仕事内容も違うのだけど、「書く」「話す」は簡単に切り替えできない。

その辺でももう社会人失格なのだろうが、そんな中で携帯をかける前にメールする若者と言うのはよく分かる。自分が集中する方なので、相手に電話するときも気遣う。邪魔にならないか? 仕事中でないか? デートの途中でないか? でも、メールを出して予告はしないが、よほど急ぎとか、親しい人でなければ電話ではく、メールする。

受け取っても仕事の邪魔をしないし、余裕あるときに見てもらえる。僕も電話よりメールが助かる。でも、メールをなかなか見ない人もいる。

「え?いつ連絡くれました?」

と言われる。その人曰く

「メールでなく電話してください。メールはあまり見ないので」

別の人は言う

「LINEでお願いします!」

またまた別の人は

「Facebookで繋がってますよね?メッセンジャーが早いです」

年配の方からはお手紙を頂く。メールもやらない。携帯も持たない。だから、返事はこちらもお手紙。便利な時代になったが、いろんなツールで連絡せねばならなくなった。


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誰かその暴走社長を止めろ!映画製作が破綻する?=双極性障害とはどんな症状なのか? [my opinion]

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【誰かその暴走社長を止めろ!映画製作が破綻する?=双極性障害とはどんな症状なのか?】

後輩のA君。30代の若き映画監督。僕と同じように地方を舞台に町興し映画を撮っている。3年がかりの努力が実り、ある地方で町興し映画を撮ることになり、製作会社を探した。

お願いしたのは、前々から彼がお世話になっていた会社。映画の製作会社ではないが、映像の仕事をしているし、何よりも社長がいい人、日頃からいろんな相談に乗ってくれていた。信頼できる人だ。

「いつか映画を作りたいんですよ!」

社長は常々そう言っいた。見るからに出来ると言う50代。いつも「不眠症で..」と言うくらいに仕事を頑張っている。頭もいいし、映像の知識もある。製作経験はないが何よりも信頼できそうだ。話をするとこう言われて決めた。

「ぜひ、うちでやりましょう。私は監督を守るタイプのプロデュサーです。自由に映画を作ってください」

そうも言われたが、それが悲劇の始まりだった。製作がスタートすると社長は次々に事件を起こすことになる。最初はA君も信頼を寄せていた。それが次第に社長の態度が変わって行く。撮影に必要な物資を大量に何度も提供してくれた地元の会社。値段にして数百万円分。そこの担当者からA君にクレームが来た。
「あれだけの応援をしたんだから、せめて製作会社お礼の電話かメールがあってもいいんじゃないですか?」

その担当者はとても真面目で熱い人。上司を説き伏せて映画の応援を決めてくれた。なのに製作会社からお礼すらない!A君は社長に聞いたらこう言われた。

「何かの勘違いではないですか? 物資をもらうたびにお礼の連絡はしています」

A君は確認したが、製作会社の連絡係の社員も指示を受けていないし、自分から連絡はしていない。担当者も会社の全員に聞いたが知らないという。社長は自身で電話したというが、その会社との連絡は一度もしてない。なのに社長は

「お礼の連絡は毎回しています!」

と言い張る。1度連絡し忘れたなら分かるが、1度も礼がなく、担当者は社内で面目が立たないと辛そうだ。何よりその人が嘘を言うようなタイプではないし「お礼の電話がない」とクレームをつけることで何ら徳することはない。結局、製作会社の社員がわび状と送った。

しかし、その後も社長はおかしな事件を起こす。社長が勝手なことを始める。監督のA君にも知らせていない。指摘すると

「私は前々からそう言っていました!」

と言い出す。だが、何度も繰り返し言っていたことを「私はそんなことを言っていません!」と言い張ることもある。現場も会社も混乱した。

ほとんどをA君と社長の2人で決める。2人の合意で作業を進める。その決めた通りに進めているのに、社長が見事に引っ繰り返し、何も言わずに別のことをしてしまう。それを言っても

「私は前からそう言っていた!」「そんなことを言った覚えはない!あなたの勘違いだ!」

また、スタッフに対しても、急ぐ必要のない作業をあれこれ嘘の期限を伝えてプレッシャーをかけたりした。A君に当人から苦情。

「最初から急ぎではできないからと引き受けたのに、何でこんなに急がされるんです...何度も何度も、僕が悪いみたいに...いい加減にしてください....」

A君は社長を問い詰めると、

「私はそんな連絡はしていません。もし、そんなことをする人がいたら注意しておきます」

スタッフの間では不信感が募ったが、地元は年配で「社長」という肩書きを持つ彼を信用していた。それをいいことに社長は暴走。次第に監督の合意なしにプロジェクトを進めていく。すでに決まっているキャスティングを変更したり、監督であれば激怒することを続ける。監督であるA君の思いを踏みにじりられて行った。

「私は監督を守るタイプのプロデュサーです」

そう言っていた社長がまるで反対。A君は思った。

結局、嘘をついてでも自分が実権を握り、全てをコントロールして、自分の趣味の映画にしたいんだ...」

そんなPは業界に多い。あるいは製作費を抜いて自社の利益にする。なるべく経費のかからない撮影をして、儲けを増やそうとしているのか?と考えた。

ところが、社長は無駄なことに多くの制作費を注ぎ込んでいた。制作費は決して十分ではない。地方映画だし、節約に節約を重ねないとならない。交通費も大事。有名俳優は現地まで新幹線の指定席にせねばならないが、若手俳優ならロケバスに乗せる。レンタカーを借りて複数で移動すれば経済的だ。なのに、社長は若手にまで新幹線の指定席券を配りまくっていた。現地でもタクシー移動を奮発。A君は不安になる。

「社長は映画製作は初めてだから暴走しているが、社長業は何年もしている。限られた製作費の管理は流石にちゃんとやっているだろう...」

撮影がスタート。やはり社長は次々にトラブルを起こす。また、撮影に揉め事は付きものだが、社長が対処すると、さらに問題は大きくなった。

A君は社長の行動を先読み、それを先回りして止めるようにした。撮影中は本来、演出に専念せねばならないのに、社長の監視もせねばならなかった。イライラで何度も爆発しそうになった。撮影が終わると、また問題。A君のギャラが半額にされていた。それを伝えても社長は言う。

「最初からその額でしたよ」

撮影前から立て替えていた経費清算を頼んでも、

「もう締めが終わったので無理です」

と言い出す。建て替えの経費は数百万。その費用を撮影前から何度も請求していたのに、社長は

「待ってください。時期が来たらこちらから伝えます」

と繰り返した。そして撮影終了。今度は

「もう払えません!締めが終わりました」

とあっさり言うのだ。流石のA君も我慢の限界を超える。彼はこの数年間。映画を作るために、地元に通い、地元の人たちと共に、企業や個人を訪ね、寄付金集めまでやっていた。現地までの交通費、宿泊費、そして取材費。月の半分が現地のこともあった。生活費は友人、親戚からの借金。さらにはサラ金から借りた。そんな努力があって映画がスタート。そのあとに社長を訪ねた。

その最初の費用を一切払わないというのだ。これは映画製作では当然、認められる費用。本来は製作会社が担当する。社長が参加した段階からそれを肩代わり、支払うのは当然のことだ。それを散々延ばしておいて...A君は激怒。地元の人たちにそれを伝える。が、こう言われた。


「あんたは金のために映画を作っているのか? 町の人間は皆、ボランティアで働いた。誰もギャラも交通費ももらっていないんだぞ! ところで芸術家って遊んでばかりいて、働かないって聞いたけど、そうなの?」

A君は怒り心頭。2度とこの街に来ることはないと思った。が、実は地元の人たちに社長からこんな連絡が行っていた。

「監督から約束以上のギャラを要求されて、困っているんです...」

こうして映画は何とか完成したが、A君は3年も走り回ったのに1ヶ月暮らせる程度のギャラしかもらえず。数百万の借金を負った。さらに最後のトドメ。映画は完成。東京公開になった時、社長の会社が当初の予定通り配給も兼ねることになった。が、彼はこう言った。

「もう制作費はありません。ですので宣伝活動は一切できません!」

はあ。バカか?製作費というのは宣伝費も含まれており、それが残るように予算を立てて使うものだ。配給をやるということは宣伝をするということ。それも彼の口調から「現場費が予想以上にかかって...」ということではない。

「ないんだから、宣伝はできないんだよ」

という二アンス。考えれば撮影前から新幹線チケットやタクシーを奮発。節約しようという意識がほとんど見られず、製作費をバンバン使っていた。いくら映画素人でも社長だしとA君は考えていたが、その不安が的中した。50歳を過ぎた大人で、会社を経営する者が

「お金はもうありません!」

で済むと思うのか! とA君は社長を殴りそうになり、社員に止められた。結局、社長は宣伝活動は一切せず、A君1人で宣伝を始めた。が、社員の一部がこう言ってくれた。

「せっかくここまで来たのだから宣伝を手伝いたいです」

いい話だが、本来、会社が配給をしているのだから宣伝する義務がある。それを製作費の管理ができなかった社長のために予算がない。投げ出した。それが真実ではある。でも、A君は嬉しかった。その社長から連絡。

「彼らは会社の仕事があります。宣伝活動はさせないでください!」

結局、東京公開はボロボロだった。A君は数百万の借金を背負う。最初は熱く応援してくれた地元の人たちとの関係も、ギャラの件で不信感を持つ人が増えた。そして何より信頼していた社長があんな人だと分かったこと。自分の見る目の無さを嘆いた。この3年は何だったのか?そんな彼に製作会社で宣伝を手伝ってくれた男性がこう話してくれた。

「監督もやられましたね? 社長は最初、できる人に見えて、頑張り屋だし、皆、好感を持ちます。でも、親しくなると本性を発揮して、人の気持ちを踏みにじることを始めます。理不尽なことを平気でします。でも、外部の人は気付かず。いい社長じゃないですか?という。

外から見ていると気付かない。監督も親しくなったので社長は本性を現した。社員は皆、悪魔と呼んでいます。飲み会でも、社長は専務のことを無能だ。バカだ。といつも詰りますが、専務がいるから会社が回っているんです。その専務をいつもこき下ろす。飲み会はいつも苦痛ですよ。

やがて我慢は限界に来て2年ほどで皆、辞めていきます。何年からで社員が全員入れ替わります。僕も来月で辞めるつもりです。あんな社長の下では働けない。人の気持ちを全く考えない。逆なですることばかり。監督ももう関わらない方がいいですよ」

その話を後輩のA君から聞いた。僕も似たような酷い経験があるので考えた。悪徳社長は業界にはよくいる。が、その社長は何も得していない。昔から映画製作に乗り出したかったという。せっかくのチャンスを自分で潰している。

儲けに走ったにしては、無駄使いが多く、結局、損している。よくいる悪徳社長ではない。では、単なるアホか? 素人か? いや、それなりに会社を経営している。映像技術には詳しい。なのにあまりにも愚かな行動と言動。

精神病ではないか? 僕は当時、統合失調症の勉強をしていた。共通する症状がある。そこでA君にできる限り思い出してもらい、社長の発言を文章化した。A4で30ページ。それを知り合いの精神科の先生に見てもらった。結論はこうだった。

「本人を診断してみないと確実なことは言えませんが、双極性障害という可能性が非常に高いです。統合失調症と似た症状ですが、こちらだと思えます」

双極性障害? 調べてみた。昔でいう「躁鬱病」でも、その言葉では理解しづらい。「そう状態」の時は以下のような状態が代表的だ。

●自尊心の肥大: 自分は何でもできるなどと気が大きくなる。

●睡眠欲求の減少: 眠らなくてもいつも元気なまま過ごせる。

●多弁: 一日中しゃべりまくったり、手当たり次第に色々な人に電話をかけまくる

●観念奔逸: 次から次へ、アイデア(思考)が浮かんでくる。具体的には、途中で次々と話が飛ぶことなども含まれる

●注意散漫: 気が散って一つのことに集中できず、落ち着きがなくなる。

●活動の増加: 仕事などの活動が増加し、よく動く。これは破壊的な逸脱行動にも発展しうる。

●快楽的活動に熱中: クレジットカードやお金を使いまくって旅行や買物をする、逸脱行動に出る

他にもこんな症状があるという。

「皆で決めた約束をあっさりと覆し、約束を破るのではない。新しい判断だ。と言い出す」

「言ったことを言わない。言わないことを言ったと言い張る。どんなに説明しても理解しない」

「質問したことに答えず、あれこれ別のことを延々と喋る。質問に答えてください。というと、答えているじゃないですか? あなたこそ同じ質問を何度もして失礼だと言い出す」

「人の悲しみや苦労が分からず、平気で踏みつける言動や行動をする」

「周りにいる人が振り回されるが、本人は自分が問題とは思っておらず。皆のために頑張っていると思い込んでいる」

まさに社長だ。気分がハイになることで気が大きくなり、自分は何でもできると勘違いしてしまう。誰が聞いても「それは無理だ」と思うことでも「大儲けできる!」と思い込み、誰が言っても聞く耳を持たず大金を投じたりする。躁状態が終わり、うつ状態になった時に

「あーなんてことしたんだ」

と後悔する。が、うつ状態が短い人もいる。つまり、そんな症状が出て、社長は製作費を無駄使い。宣伝費まで使い果たし。監督の思いを無視して、決めていないことをガンガンして。やらなければならないことをせず。暴走した。

が、社員の証言にもあるように、周りで見ていると病気と気付かないだけでなく、ガンバっているなあと思われる。地元の人たちも社長を信頼。監督を「金に汚いやつ」と批判した。何度も書いたが、精神病の場合。本人に自覚がなく、正しいと思って間違ったことを突き進める。悪意はないが、周りが振り回され大変なことになる。

A君がまさに、その被害に遭った訳である。その後、彼はそのことを地元の何人かに説明したが

「いくら何でも精神病なんて言い方は失礼だし、すべきじゃないよ」

「社長より監督の方が精神病っぽいですよね?」

と言われ、誰も信じなかったという。A君は本来なら製作会社が持つはずの経費ー数百万。それを製作会社の代わりに今も返済し続けている。

社長はもう映画製作をすることはなく、以前の業務を続け、社員は相変わらず2年ほどで辞めていくという。でも、社員も、関係者も、当時のスタッフも、誰も社長が精神病だったとは思っていない。当時の映画スタッフの一部は「嫌な野郎」と思っているが、「何も問題はなかった」と思い、別の仕事を一緒にしている者もいるという。

精神病とは何か? どんな症状か? が分からないために、誰も報われない、皆が傷つくという結末を迎える。特に組織のトップに立つ人が患者である場合は大変なことになる。今回紹介した例だけでなく、患者は政治家にも、芸能人にもいる。精神科の先生は言う。

「誰もが知るあの人も双極性障害です。日本中の精神科医はそれを知っている。でも、誰も言えないので、多くの国民が振り回されて大変な思いをしているんですよ...」

精神病のこと。多くの人が知ること大切。でないと悲しい事件は続き。多くの人が傷つくことになる。まずは伝えること。知ることだと考える。患者のためにも、周りの人たちのためにも。


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