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静岡県の袋井市、磐田市、森町が舞台の感動物語。 「明日にかける橋 1989年の想い出」 北海道のわっかない映画祭で招待上映されます! [2019]



静岡県の袋井市、磐田市、森町が舞台の感動物語。
「明日にかける橋 1989年の想い出」
北海道のわっかない映画祭で招待上映されます!





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原発事故の悲しみを描いて大ヒットした映画「朝日のあたる家」予告編(完全版) [予告編]



原発事故の悲しみを描いて2013年に全国の映画館で大ヒットした映画。

現在は議員の山本太郎さんが出演したことも話題になった。

全国の映画館23館で公開。その後世界7カ国で上映。

DVDも発売されている。(amazon、楽天)。

宅配ゲオではレンタルもできる。

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日本の教育に欠けるもの=年寄りが「最近の若い奴は文句が多い!」と言うようになれば向上している? [my opinion]

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日本の教育に欠けるもの
=年寄りが「最近の若い奴は文句が多い!」と言うようになれば向上している?

日本は三流後進国になった今でも「優秀なサラリーマン育成教育」を続けている。そんな人材で日本再生は不可能なのだが、育てる側も「考える教育」を受けてこなかった人たちなので無理と言えば無理。ロボットがロボットを作っている状態。

幕末に上級武士が役に立たなことが分かり、下級武士からも人材を募ったことで勝海舟が登場。軍艦奉行になり、最終的には薩摩の西郷隆盛と対決。無血開城に導いたように、今は一流大学を出た人材より、はみ出しもの、オタク、芸術家、とメインストリートから外れた人たちの知恵を借りて再生するしかないと思うのだが、そんな動きもまだない。

あるいはアメリカの教育に学ぶ。ディベート、ペーパー(小論文)という自分の考えを告げる(書く)授業がある。ディベートは議論。2手に分かれて1つのテーマを論じ合う。自分なりの意見を持つことが苦手な日本人。それを人前で言うことがさらに苦手。でも、ディベートではそれを論理的に、説得力も持って相手に伝える。

その能力は実社会でとても大事。だが、それを日本では教育の場で教えない。だから、ネット右翼みたいにイチャモンをつけるだけ、揚げ足を取るだけと言う程度の低い反論しかできない大人が多くなってしまった。

さらにペーパー。小論文。これは自分の意見を文章で主張する。形式があり、まず結論。それを3つの角度から訴えて弁証し、最後に結論つける。僕も留学中に何度も書かされたが、面白かった。いわゆる推理小説のクライマックスで

「なぜ、彼が犯人であるか?」

を探偵が説明するのと同じ構図。論理性が大事。思い込みや感情的、飛躍があってはいけない。アメリカでは日本と同じ詰め込み教育も存在するが、自分の意見を持ち、主張する教育も行われている。ただ、それを導入するだけでも10年後に日本は大きく変わるだろう。ただ、年寄りからは

「最近の若い奴は文句が多い。黙って目上の言うことを聞くべきだ。非常に失礼だ!」

と言う不満は出るだろう。が、それは日本がよくなったと言うこと。何でも黙って受け入れるのではなく、意見を持ち、伝えることはたいせつなことだ。



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ミステリー小説を読むと「考える力」が育つ?!=教育に取り入れることはできないか? [my opinion]

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ミステリー小説を読むと「考える力」が育つ?!
=教育に取り入れることはできないか?

僕の映画のテーマは毎回「子供たちに伝える大切なこと」だ。教育で必要なもの何か考えてみたい。何よりも自分で考えること。鍛える場が必要だ。僕自身がプラスになったことを思い出してみる。尾崎豊の歌ではないが

♫「いろんな意味が分かりかけてるけど、決して学校の授業で教わったことなんかじゃない」

というのがある。B・スプリングスティーンの歌にも同じように

「クラスではなく、1枚のレコードからいろんなことを学んだ」

というのがある。実際、僕もその通りで学校帰りに隠れて行った名画座で観た映画とか、友達から借りて聞いたレコードからいろんなことを学んだ。アメリカの歴史、差別問題、戦争、原発事故、結婚離婚、親子、教育、子育て、いろんな映画がそんなテーマを扱っていた。そこからそれら社会問題を知った。

授業で習った日本史や現代国語はあとあと思い出すこともなかったのも思い出す?知識以外も大事だ。ある鋭い人に言われたことがある。

「監督はいつもユニークな考え方をしますよね。それはどこから来ているのかしら?」

考えたこともなかったが、あれこれ思い起こすと小学生時代から読んでいた推理小説ではないか?と思える。江戸川乱歩、コナン・ドイル、モーリス・ルブラン、アガサ・クリスティ。小説ではないが、「刑事コロンボ」も大好きだった。

その後は、島田荘司、綾辻行人、我孫子武丸らも読み漁った。ミステリーのいいところは論理性である。最後、犯人は悪霊だった!なんてオチはない。偶然もない。ちゃんと論理的に犯人であることが証明される。本来、そんな論理性を鍛えるのが数学の「証明」ではないか?

「これが二等辺三角形であることの証明」

とかいうアレだ。あの授業は意外に好きだったのだが、詰まらないのは公式があること。つまり、連立方程式や因数分解と同じで、決められたものに当てはめて作業するというもの。対してミステリーは提示された状況や証拠を駆使して、誰が犯人であるか?を考える。どちらが面白いか?ということ。

多分、僕があれこれ現実を疑い、追求してしまうのは、ミステリーの影響だと思える。論理の飛躍、思い込みの強さ、個人的な感情、ずさんな計算、そんなことを交えてしまうと真相を突き止めることはできない。

現実も同じで、政府が強行採決したがる法案。素晴らしい理由があるなら、強行採決する必要はない。そうするのは何かバレるとマズイことがあるからだ。これはミステリーの基本。では、どんなマズイことがあるのか? つまり、国民にとっての不利益であり、犯人(政府)にとっての利益があることのはず。それを考えれば裏側が見えてくる。

なんか、そんな風にミステリーを教育に取り入れると「考える力」が育ちはしないか? 国語の授業で森村誠一や松本清張を取り上げるとか? 社会科の勉強にもなるし! そんなことを考えたりしている。

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