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「明日にかける橋」脚本はどのようにして書かれたのか?② =登場人物に街を賞賛させてはいけない? [映画業界物語]

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「明日にかける橋」脚本はどのようにして書かれたのか?②
=登場人物に街を賞賛させてはいけない?

さて、前回は物語の大筋ができるまでを紹介した。が、まだシナリオは出来上がりではない。タイムスリップして過去に行き、若き日の父母に出会い、弟を救う=それはまだ第一段階だ。そこからロケ地の魅力を取り入れていく。地方映画で一番多い失敗は物語内で地元を賞賛すること。例えば大根作りに努力する家族の物語。

「こんなに苦労して私たちは大根を作り、全国に出荷しているのです!」

それではPR映画。そのこと何度も記事にした。自画自賛では他県の人が映画を見てくれない。あと、地元の名士。地元企業の創設者、政治家の生涯を描くドラマ。その種のものは市民の支持を得られるが、他県の人はどう見るだろう?

「***会長のお陰で街は発展し、雇用が増えました!」

そう、よかったね? それで終わってしまう。多くの地方映画は自分たちの自慢や苦労を伝えようとしがち。それを多くの人に知ってほしいと思う気持ちは分かるが、他県の人たちは見たいとは思わない。あなたの出身地ではない街の名士の立身出世物語を18000円を払って見たいと思うだろうか? 見るのは地元だけだ。

それが田中角栄とか、笹川良一ならば同郷でなくても興味を引くが、地元で有名なだけの政治家や社長では全国には通用しない。もちろん、地元だけで見ると言うのならいい。が、映画は全国に、世界に発信できるメディア。もし、その人をアピールするなら別の切り口が必要だ。


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前置きが長くなった。太田組の場合。基本物語は全国どこで通用するストーリーにする。そのことで全国区になり、世界標準になる。ハリウッド映画がまさにそうだ。舞台はアメリカだが、世界のどこで見ても分かる物語になっている。次に「バック」ではデロリアンでタイムスリップする。こちらはどうしようか?考えて、シリアスなドラマなので乗り物はやめて橋を渡ると言う行為にした。

と言うのはロケ地・袋井市(当初はこの街のみで撮影予定だった)には橋が多い。それぞれにユニーク。豪華版あり、貧しいものあり。だから、この街が舞台なら橋を渡ると言うのがいいなと思った。大林宣彦監督の「転校生」ではお寺の階段を転げ落ちると男女が入れ替わると言う設定だったが、ロケ地・尾道はお寺が多い。その意味で町感ある設定が大事。

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最終的にロケ地になったのは袋井市、磐田市、森町だ。いずれも美しい自然、田園、茶畑、お寺、川、海がある。それらがロケ地になるように物語を設定する。せっかく田園風景があるのに都会的な場所でばかりロケするのはもったいない。

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そこで身代金の受け渡し。健太が監禁される場所はお寺。

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通学路は古い蔵がある場所。家出するバス停は昔懐かしい商店街。

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と言う風にその街にある素敵な場所を当てはめて書く。ただ、登場人物がそのお寺の歴史を紹介したり、観光案内的な説明はしない。

「これは観光PR映画なのか...」

と思われる。それだけで観客は落胆。「騙された」となる。それを多くの地元は勘違い、「それこそが宣伝になる!」と思いがち。それならPRビデオかCMを作って欲しい。映画は観客が入場料を払って見に来るもの。金を払って宣伝を見たい人はいない。

物語に感動すれば、その背景となった街は「感動の街」として記憶される。LAのグリフィスパークに行けば

「ここでJ・ディーンが!」

と映画「理由なき反抗」を思い出す。フェラデルフィアに行けば

「ここはロッキーが駆け上った階段!」

と感動できる。でも、どちらの映画でもグリフィスパークやフィラデルフィアの歴史紹介はない。同じように「明日」でも、明日橋に行けば

「あーーここがみゆきが走った橋だ!」

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と多くが感動してもらえるようにしたい。それには観光を持ち込んではいけない。でも、地元感が出るように、ロケ地はしっかり選ぶ。そのロケ地がはまるように場面を作る。ここが一番難しいところ。ある映画では市役所の職人が

「街の名前が5回台詞で登場するのでまあいいだろう」

とか言っていたが、正反対。街の名前を連呼するほどに、映画への評価が下がる。映画はPRではないが、感動物語はPR以上に街をアピールするのだ。

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「明日にかける橋」脚本はどのようにして書かれたのか? =物語を机の上で作ってはいけない? [映画業界物語]

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「明日にかける橋」脚本はどのようにして書かれたのか?①
=物語を机の上で作ってはいけない?

稚内の映画祭で「明日にかける橋」を見てくれた方から訊かれた。

「監督はあの感動的な物語をどうやって考えたんですか?」

なので「バック・トウ・ザ。フューチャー」を観た時に近未来に行く話というのに衝撃を受けていつか自分でも作りたい!と思っていたんですよ。と答えた。が、実はこれ。答えになっていない。僕が答えたのは「物語を考える」きっかけに過ぎない。具体的にどうやって「明日」の物語を考えたかが説明されていない。

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というのは、非常に難しい部分がある。まず、監督というのは撮影現場のことはよく覚えているが、シナリオを書いていた時のことはあまり思い出せない。ある種、霊が降りてきている状態で、イタコの霊が書いているような感じだからだ。編集も似たようなところがある。それでも少し思い出してみる。山田先生の場面は実際の経験だ。僕の高校時代に本当に「山田先生」と言う嫌な教師がいて、映画と同じセリフを言った。

「勉強は自分を鍛えるためにするんだ!」

当時17歳の僕は「違う!」と思ったが、明快な反論ができなかった。が、それから長い人生を生き、山田先生の指摘が間違っていることを痛感した。実際に大手銀行や証券会社は倒産した。不況でリストラ。正社員になれない人も増えた。何より高校時代の勉強が役に立った試しがない。

「今なら山田に反論できる!」

と思ったが、当時の彼は30前後。それから39年。彼は70歳くらい。生きているかどうか?分からない。生きていても、当時のことなど覚えていないだろう。僕のこともまず記憶にないはずだ。もう、ボケているかもしれない。教師も辞めているだろう。そんな人に抗議しても無意味。だったら、いつか映画にしようと考えた。

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それと前作の「向日葵の丘」主人公・多香子(常盤貴子)も「明日」の主人公・みゆき(鈴木杏)と同じように両親と対立している。前作で多香子は最後に母(烏丸せつこ)と和解する。

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が、父(並樹史朗)とは対立したまま終わる。そこで今回は娘と父との和解をテーマにした。そこでタイムスリップが活きてくる。父(板尾創路)はみゆきを実の娘とは気づかずに本音を話す。

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みゆきも父の謎の行動を突き止めようとして、父の愛を知る。タイムスリップしなければ父がストレートに娘への愛を語る展開を見せるのは難しい。それが今回は可能になった。また、寺山修司の「田園に死す」等の昔の自分に出会うという物語も以前から興味があった。大林宣彦監督の「はるかノスタルジー」も実はその種の映画である。

夢多き子供時代の自分。現実にぶつかり、希望をなくし心傷ついた大人の自分。それが若き日の自分に励まされることはないだろうか? 昔の日記や小学生時代の作文を読んで、小学生時代に書いた絵を見て、昔の友人の話を聞いて

「そうだ。俺はそんなことを夢見ていたんだよな....」

と思い出したことないだろうか? 悩んだ時、苦しい時、自分を励ましてくれるのは昔の思いや夢であったことはないか? それを物語にした。未来が見えなくて葛藤している高校時代のみゆきが現実に押し潰されている現代のみゆきを励ます。

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「里美先生からの伝言。自分の手で未来を変えて!」

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そう、あの頃はそう思っていた。いつしか諦めてばかりいる。あの頃の輝くような思い、今もどこかにあるはずだ。みゆきは若き日の自分に励まされて走り出す。あの場面もそんな思いから生まれたものだ。だから、物語を作るというのではない。学生がシナリオを書くとよく

「主人公がいる」=>「可愛い子に出会う」=>「恋を邪魔する奴が現れる」

とか机の上で物語を作ろうとする。だが、それでは観客が共感する話にはなりにくい。僕の場合はそんな思いをいくつも寄せ集めて、それを物語で縫っていく方法を使う。だから、本当のことを言うとタイムスリップをやりたかったのではなく、「家族の絆」物語を描くのに、タイムスリップを持ち込めば、単なる家族物語でないハラハラドキドキの映画になると考えたのだ。そしていつものテーマ

「幸せって何だろう?」

その答えを物語を通じて探す。父(板尾創路)は子供達を一流大学に合格させ一流企業に就職させることだと信じた。教師たちもそう思っていた。が、バブル崩壊で砂上の楼閣であること痛感する。そんな中でお金や名誉やブランドではなく、家族がみんな健康で、みんなで花火を見上げることができること。それもまた一つの幸せではないか? それを伝える物語を組み立ててみた。まだまだ、いろいろあるが、そんな風にして「明日にかける橋」はできている。


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「流星の絆」厚い文庫本だが、面白くて数日で読んた。しかし? [読書]

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「流星の絆」厚い文庫本だが、面白くて数日で読んた。しかし?

ものすごく複雑なトリックがあるとか、「犯人は誰だ!」という謎がある訳でもないのに読み出したら止まらない。犯人は途中で分かる。が、いかにして、その人物が犯人であるか?を証明するところに物語は集約されていく。あー〜ー早く連絡しないとマズイ!と、ハラハラしたり、えー〜ーそういうことかーー!と驚く展開もあり、厚い文庫本を数日で読んでしまった。

が、最後の最後に真相が明らかになるところが期待外れ。え? それで終わり? というものだった。その人が犯人というのはある意味でミステリーの禁じ手だし、殺された両親の話がテーマに結びついてこない。先に読んだ「祈りの幕が下りるとき」のような感動的な親子の絆になっていない。何なんだこれは! 最後の最後までは物凄く面白いのに〜。

一つには東野圭吾は多作。かなりの小説を出版している。となると、全てが名作という訳にはいかない。どうしてもレベルが下がるものも出てくる。ただ、人気作家だし、技術はある。着想もいい。それがこの作品だったのかもしれない。家族の隠された背景ドラマがあれば名作になったが、限られた時間で描かねばならない。

人ごとではない。僕も感動ドラマを考えるのに何年もかける。毎日考える。暇さえあれば考える。それでも観客が涙するシーンは何年に1つくらいしか思いつかない。人気作家の場合は年に数冊本を出す。当然、レベルが低くても出版せねばならない。そう考えると「流星の絆」はいいところまで行ったが、感動の結末を考える時間が足りなかったのだと思える。

が、まあ、あの厚い本を数日で読ませる筆力には恐れ入る。もう少し彼の作品を読んでみたいので、次は「天空の蜂」に挑む。これは原発が絡む物語だ。



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もし、稚内で映画を撮るとしたら、どんな物語が相応しいか? [地方映画の力!]

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もし、稚内で映画を撮るとしたら、どんな物語が相応しいか?

稚内までは飛行機で2時間ほど。新幹線で大阪に行くより早い。おまけに現地移動はスタッフの方の車。疲れることはしていないのだが、帰京して疲労困憊。まあ、3年間で2本映画を作り、過労でダウンしていた時だから、体力がないのだろう。

でも、稚内は美味しいものをたくさん食べさせてもらったし、北方領土の見える海、日本最北端の岬、全てが感動的だった。街並みもどこで撮影しても絵になるし、これまでにロケした街とは全く違う世界だ。

もし、この街で映画を撮るとしたらどんな物語が相応しいか? 帰京してからも考えている。北海道というと思い出すのは倉本聰脚本のドラマ「北の国から」「昨日、悲別で」高倉健主演の「駅」「鉄道員(ぽっぽ屋)」吉永小百合の「北の零年」「北の桜守」。どれも北国ならでは美しい映像が魅力的。そして名作が多い。

もし、そんな場所で僕が撮るなら、青春ものか? 家族ものか? タイムスリップはありか? あれこれ考えている。心に残るのは樺太記念館。戦争以前はそこに製紙工場があり、多くの日本人が住んでいた。そして今もその町には日本の建物が残っているという。稚内から40キロほど。橋をかければ車で行ける距離だ。そこに物語を感じる。




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映画祭は楽しい。でも、最悪の思いをする映画祭もある=そこに愛はあるのかい?< [映画業界物語]

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映画祭は楽しい。でも、最悪の思いをする映画祭もある
=そこに愛はあるのかい?

先日のわっかない映画祭は本当に素敵なスタッフの方々の熱いもてなしを受け、楽しい時間を過ごさせてもらった。が、そんな楽しい映画祭はむしろ少数派で、2度と行きたくない!というものも多い。

数年前。ある映画祭に招待された。主催者はなかなか映画愛がある人で、僕の映画を映画館に観に行った上で

「ぜひ、うちの映画祭で上映したい!」

と映画と共にゲストとしても招待してくれた。が、そこでいろんな思いをすることになる。映画祭ではそんなゲストと地元映画ファンが交流を持てることが、いずれにとっても楽しみである。監督やスタッフ。俳優は、なかなか一般の映画ファンの感想を直接聞くことがない。ファンはプロの人たちにいろんな質問をすることができる。

でも、その映画祭。いろんな映画が上映されるが、とにかく客が少ない。150人のホールに10数人。そして映画祭のレセプションとかオープニングパーティとかはなく、上映が終わったら関係者数人で近所の居酒屋に飲みに行くだけだった。主催者が中心となり、映画祭の常連客7人くらいのグループになり

「太田監督もご一緒にいかがですか?」

と呼ばれた。だが、飲み会が始まっても、それぞれが何者であるか?の紹介がない。皆顔見知りだから? さらに映画祭で上映される作品の話は出ず。

「最近のヨーロッパ映画はどうだ?」「***は面白かった」

というような話題が続く。主催者は黙って飲むばかり。ゲスト監督は2人いたが紹介もしてくれない。何だか、地方の映画サークルに間違って参加してしまったような違和感。その内にようやく質問を受けた。

「太田監督はどんな映画を撮っているのですか?」

ま、僕は誰もが知る有名監督ではない。でも、映画祭のゲストで呼んで置いて、その常連客が「あんた誰?」と聞くようなものだ。その日、会場で配られたパンフレットには僕のプロフィールが載っていた。それを読めばいいのに、と思ったが説明した。「朝日のあたる家」というのが最新作だと詳しく話すと

「その手の社会派映画ばかりを撮っているんですか?」

と質問が続く。そんなことから話さねばならない? そもそも映画祭に毎回参加する常連なら、事前にHPでゲストを調べ、プロフィールや作品くらいチェックするのではないか?その方が本人に会ったときに、いろんな話が聞ける。

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僕のように無名の監督でも、その作品に出た有名俳優等の話を聞くこともできる。撮影現場の話。現代の映画界の様子。相手がどんな監督だろうと、映画ファンなら聞きたい話がたくさんあるだろう。なのに、何も下調べはなく。監督自身にプロフィールを訊く。僕だけではない。もう一人の監督も同じ扱い。結局、それ以上の質問は出ず、僕らの他の作品についても何も聞いては来ない。また最近見た映画に話題が戻った。

「あなたたちには興味ありませんから!」

と言いたいかのようであり、映画祭のゲストではなく、映画サークルに参加した新人のような気分になる。翌日も上映後には飲み会があった。別のメンバーだが、同じ展開だった。その日は「どんな映画を撮っているんですか?」ではなく

「お生まれはどちらですか?」

と訊かれた。大学の合コン?のような質問が続き。「ご兄弟は何人?」そんなこと映画祭と関係あるのか!とため息。その後も一切映画の話は出ずに終わった。全て地元の話。

「地元の***さんが最近、***して.....」

という内輪の話題に終始。僕は2時間黙ったまま、ひたすら酒を飲んでいた。これなら1人で飲んだ方よかった。そして2日共、割り勘。大きな映画祭ではない。飲み食いは自腹なのは理解する。が、その会に監督たちを誘う意味があったかのか? 「遠くから来てもらったんだから、監督たちの分は俺たちで払おう」とは誰も言わない。それどころか、誘っておいて飲み会中、無視し続ける。ホスピタリティはゼロ。

「映画祭のオープニングから参加、3日間滞在してほしい」

と言われて来ている。もちろんギャラもなし。それでも映画ファンたちとの交流を連日、望んでいるのだと考えていたのだ。が、主催者も常連客も自分たちで盛り上がるだけだった。

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ようやく3日目。僕の映画が上映される。客席はほぼ満員。各地でヒットしていたので噂を聞いた人が集まったのだ。飲み会に参加していた映画祭の常連客も来ていた。上映が終わってロビーにいると、その内の2人が近づいて来てこう言う。

「太田さん。あなたの映画は好きになれませんでした」

そして、延々と映画の問題点を語り出した。ただ、その指摘。ほとんどが外れている。勘違いや理解不足が理由。そこを説明しても

「ああ、そうですか〜それは見落としたなあ」

ということもなく

「でも、***のシーンはおかしいですよね」

と切り返してくる。とにかく否定したいようだ。結果、指摘は全て誤解によるものだった。が、彼は難しい顔をしたまま

「まあ、次の映画には期待していますよ」

と去って行った。「2〜3本映画撮った位でいい気になるな!」という感じだ。僕もいろんな映画祭に呼ばれたが、関係者の多くからこんな扱いをされたは初めてだった。ゲストが来ているのに内輪の話しかしない。招待客に興味を持たない。常連客がゲストを批判。それも全くの当て外れ。

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また、飲み会メンバーも1日目は映画オタクのような人たちばかり。2日目は映画に興味ない人だらけ。いずれもホスピタリティが感じられない。主催者は真面目でやる気のある映画青年だが、消極的でホストの役割が果たせていない。

だが、次第に見えて来た。映画祭に一般の客はあまり来ていない。オタク・タイプが多い。その人たちが常連となり、主催者と親しくなる。ズケズケとものをいう。だから、ゲストが嫌な思いをする。打ち上げにも参加せずに帰る監督もいた。

また知人から、その町では他県から来た人をあえて無視するという市民性もあると聞いた。特に都会もんには舐められたくない。だから、飲み会でも皆、あんな態度を取ったのだ。それらがミックス。年々、観客が減る。一度来たゲストは二度と来ない。ということのようだ。映画祭は全国各地で開かれている。しかし、本当の意味でうまく行っている映画祭は少ない。それは主催者が

「映画祭とは何か?」

を理解せず、勉強せず。単にホールを借りて映画を上映するのが映画祭だと勘違いしている人たちが多いからだ。その映画祭でもそうだが、ゲストに対するホスピタリティがない。歓迎もしない。あえて無視したりする。

先日の熱海国際映画祭も、新聞記事になるような事件を起こしている。参加した人に聞くと、まともに映画上映もされず、散々だったという。会場はホールや映画館ではなく会議室、カーテンの間から外光が入り、スクリーンが見辛い。それを上映途中にスタッフが慌てて目張りしていたという。

明らかな準備不足。映画祭ではなく上映会だ。映画愛が感じられないと嘆いていた。挙句の果てに観客動員数を水増しで報告。儲かったかのように見せる。そもそも映画愛がなかったのでは?映画祭で大切なのは、映画ファンが喜ぶイベント。映画関係者が参加してよかったと思う対応。旅館やホテルと同じ。

「また、泊まりに来よう。来年も来たい!」

ゲストも観客も、そう思ってもらえること。まず、主催者自身が海外の映画祭等にも参加。学ぶことから始めるべきなのだ。単なる町おこしイベントでやってはいけない、まずそこに映画愛があるのか? ホスピタリティがあるのか? 考えてほしい。


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「明日にかける橋」関係者&地元の皆様へ [2019]

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「明日にかける橋」関係者&地元の皆様へ

皆様の参加、協力、応援で完成した映画「明日にかける橋 1989年の想い出」は昨年に全国公開を終えましたが、残念ながら北海道地区だけ上映できずにいました。それが稚内市で毎年開催される「わっかない白夜映画祭」よりご招待上映を頂き、先日ゲストとして、出演者の栩野 幸知と共に参加させて頂きました。

とてもとても素敵な映画祭で、スタッフの方々のホスピタリティ。上映の前日には市内観光。街はどこで撮影しても絵になる素晴らしい風景。広大な自然が広がっています。夜はオホーツクの海で捕れたばかりの海鮮料理。至れるつくせりの対応。映画上映はシネコン。画面も大きく、サウンドもクリア。「明日」上映時はほぼ満席。多くの観客は板尾さんと杏ちゃんの場面。ユキヒコと父のシーン等で涙していました。日本最北端の街でも「明日」は感動を伝えました。

これも太田組、スタッフ、キャスト。そして地元実行委員会、袋井市、磐田市、森町の皆さんが、2年前の夏、あの暑い暑い夏の撮影に参加してくれたから。宿舎や車を貸してくれた団体。本物の石を掘って記念碑を作ってくれた社長、市民俳優として参加してくれた高校生たち、ロケを受け入れてくれたお寺、大学、飲食店、民家。

多くの人たちの支援と協力なくしては完成し得ないかった作品。また、静岡県外からも多くの方から寄付をいただきました。今回は大企業がスポンサーではない映画。市民1人1人の寄付が製作費。その多くの人の思いが集まった「明日にかける橋」は北海道、日本の最北端の街で上映。国や県、自治体や企業の力がなくても、市民の力でここまで出来ること。改めて痛感しています。まさに

POWER TO THE PEPOLE !

改めて、関係者に感謝の気持ち伝えたいです。

稚内より愛を込めて    監督 太田隆文







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