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「明日にかける橋」は市民が寄付を集め作る映画。御支援の御願い! [6月ー2017]

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[新月]「明日にかける橋」は市民が寄付を集め作る映画。御支援の御願い![新月]

通常の映画は大手企業や映画会社、テレビ局が出資して作られる。でも、僕の映画の多くは市民の寄付で製作される。市民のみなさんが町の魅力をアピールするための映画ーでも、PRではない。物語ありきの感動作であり、有名俳優が何人も出演。完成後は全国の映画館で公開。多くの人に感動を届ける。僕の映画「ストロベリーフィールズ」「青い青い空」「朝日のあたる家」はそのスタイルで作られている。

なぜ、映画会社で作らないか?というと、いろいろ制約があり、本当に素敵な映画を作るのがむずかしいから。最初から主演俳優が決まっていたり、人気コミックの原作とか、制約されたところからスタートせねばならない。シナリオに対しても頭の古い偉い人たちがあれこれ口を出し、つまらないものにしがち。

プロデュサーが癒着する大手プロダクションから何人も俳優を使わねばならなかったり。「感動作を作る!」というより、「なれ合い」や「しがらみ」の中での「お仕事」となりがち。もしスポンサーにレコード会社がいれば「うちのアーティストの歌を主題歌に」となり、物語に不釣り合いな歌でも使わなければならない。俳優事務所が出資していれば「うちの***を主役で!」となってしまい、明らかにイメージの違う俳優でも主演にしなくてはならない。それで素敵な映画ができる訳がない。

それが市民の寄付なら、その手のしがらみはない。市民の願いは「わが町を舞台にした感動映画」「本当に素晴らしい作品を作りたい!」そんな熱い思いにあと押しされてスタッフ、キャストもがんばる。あれこれ理不尽な制約や指示はない。結果、僕の映画は毎回「泣けた」「感動した」と言ってもらえる作品ができる。

そして、地方映画は「大人の文化祭」だ。みんなで寄付をし、映画に出演、有名俳優と共演、スタッフのお手伝いをして、映画を作り上げ、上映会。そう、まさに文化祭。素敵な思い出作りなのだ。そんな「明日にかける橋」寄付を御願いしている。遠方の方でも振込で参加してもらえる。

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上写真がHP。「協賛ファームはこちら」をクリックすると書類のページになる。そこに名前、寄付の額等を書き込んで送信。後日、銀行や郵便局から振込という形だ。1万円以上支援してくれた方は映画のエンドロールに名前が出る。映画は100年残るメディア。あなたの名前も100年残る。協賛額が多くなれば名前のサイズも大きくなる。

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まずは写真上のMENUから「製作費は市民の力で」をクリック。説明を読んでほしい。みんなで作る映画「明日にかける橋」応援、支援を御願いしたい。

こちら=>http://ffc2017.main.jp




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僕の映画「向日葵の丘」「青い青い空」「朝日のあたる家」ー渋谷のTSUTAYAでレンタル中! [My Movies]

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 僕の監督作品ー3本ともレンタル中。

 もちろん、「向日葵の丘」も!

 渋谷TSUTAYA。

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僕の新作映画のHPはこちら=>http://ffc2017.main.jp

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映画作りは難しい。素人発想で作品をねじ曲げてはいけない?! [映画業界物語]

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僕が地方で映画を撮る方法を真似て、後輩監督のA君も地方で支援を集めて映画を撮っている。というのも、彼は以前、企業映画を撮っていたのだが、会社からあれこれ押し付けられて映画が歪められて、うんざりしていたからだ。

そんな後輩は「映画の内容は任せてください。必ず素晴らしい作品にします。町の魅力を発信する映画にします!」と宣言。キャスティングも役に相応しい俳優を優先する。若いのになかなかがんばっている。
ある町の市民グループから頼まれた映画。主演俳優は決定。以前に後輩と仕事をした若い人に人気のBさん。準備が進む。その後、ロケ地の役場が後援を表明、参加。その役場からこう言われた。

「うちの町出身のCさんを主演にしてください。その方が寄付を集めやすいので!」

後輩は驚愕する。すでに俳優のBさんを主演に依頼。承諾をもらい、彼に合わせてシナリオを書いた。多忙なスケジュールを割き出演してくれる。今さら断る訳にはいかない。それ以前になぜ、あとから参加した役場が主演を指示するのか? Cさんはその町の出身なので地元で人気がある。でも、物語の主人公とはイメージが違う。だが、役場の職員はいう。

「cさんでもこの役は出来ますよ!」

後輩は苛立つ。「映画製作をしたこともない職員に何が分かる? シナリオを読んだこともない。撮影に参加したこともない? 分かる訳ないだろう」と思ったが押さえて後輩は聞いた。

「cさんの映画で何が一番お好きですか?」

「は?彼の映画は見たことはありません。でも、本人はよく知っています」

後輩はあきれ果てた。彼らはCさんの芝居を見たこともないのに「この役は出来ますよ」「主演で!」という。単に支援を集めやすいというだけのことなのだ。シナリオを読むとき、この役は誰がいいか?想像するとき、100人が読めば100通りの俳優がイメージできる。でも、その中で誰が一番相応しいか?決めるのは本当に大変な作業。


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間違えば撮影現場でどんなに努力しても、ダメ映画しか作れない。的確なイメージを持つことは難しい。それにはまず、多くの役者を知っていること。その人たちの芝居を見ていること。演技力、キャラ、存在感等を把握し、その役を演じたらこうなる!という鋭い想像力が必要。それと長年の経験だ。

僕もよく映画が完成したあとにスタッフに言われる「あの俳優がこんな演技するなんて、想像しませんでした」まして、プロでない人たちが最終形をイメージすることは至難の業。映画ファンならまだしも、映画以外の分野で仕事をする方々がシナリオを読んでキャスティングするのは困難。そもそも、素人であり映画製作に関わったこともない彼らが、キャスティングに口を出し、俳優を指定すること自体がおかしいのだが...。

Cさんの芝居を見たこともない。リアリティを持って「出来る」と言っているのではなく「できんじゃないのー」という安易な想像をしているに過ぎない。料理をしたことない人がシェフに対して素材を指摘するようなものだ。と役場は「支援集めがやりやすくなる」ということしか考えていないようだ。

さらに考えてみる。もし、Cさんが出演ー完成した映画を市民が見たときにどう思うだろう? 地元出身の俳優が出てくれることで喜ぶ人もいるだろう。でも「何か違うな?」と感じる人は多いはず。物語にフィットしていなければ感動できない。作品クオリティが落ちてしまう。その街以外での反応は厳しいこと、覚悟せねばならない。素人発想で映画を作るとそうなってしまう。


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つまり、後輩が嫌う企業映画と同じ価値観に陥っていたのだ。「有名俳優が出れば出資が集るー客が来る」という安易な論理で、キャスティング。シナリオを無視して、俳優最優先で映画作りをしようとしたのだ。後輩は怒った。

「観客が感動する素敵な作品を作りたい。この町の人たちが感動。町の魅力が全国に広がる映画にしたい!」

なのに役場が邪魔する。ちなみに役場は一切出資はしていない。後援(要はがんばれーという姿勢のみ)するだけ。なのに、あれこれ口出し。主演俳優まで入れ替えようとしていた。そんな役場スタッフはこういう

「結局、監督は自分がよく知る俳優を使いたいだけだよ。Cさんで行くようにプロデュサーにも圧力かけておこう」

その話をあとで聞き、後輩は落胆した。彼はその町が大好きだった。なのに行政がそんなふうに汚い手を使って邪魔をする。だが、東京から連れて来たプロデュサーは役場側に付く。

「監督。Cさんで行った方がいいです。彼らの意向を受け入れた方が得。この町で映画作りがしやすくなります」

作品を無難に上げたいようだ。 映画界でもよくある話、何も知らないスポンサーがあれこれ言い出すのを製作会社はもみ手で応じてしまう。何でもいい。金を出してくれればいいという発想。多くの映画会社は素晴らしい作品を作ろうという思いは少ない。


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だが、餅屋は餅屋。他業種が口を出してよくなる訳がない。何より役場側が指摘する「監督がよく知っている俳優だから使いたい」は批判にならない。知っている俳優を使うことは、いい映画を作る上でとても大事なのだ。後輩は役場に対してこう宣言した。

「Cさんは役に合っていない。すでに決めた役者を降ろせというもおかしい。どうしても役者を変えというなら、監督を降りる。Cさんでは素晴らし作品はできない。ダメになるのが分かっていて続けることはできない。それは市民に対する裏切りだから」

そして、なぜ俳優のBさんがなぜいいのか?を延々と説明した。それを聞いた市民の多くが賛同。「監督の思う俳優で行くべきだ!」と声を上げてくれた。役場は何も言えなくなり、当初のBさんで撮影はスタート。映画は大ヒットした。多くの人が「感動した。泣けた!」と感想をくれた。何年かが経ち、当時を知る市民の1人はこういう。

「そういえば主演をCさんで!という話もあったけど、絶対にダメだったよね〜。今ではBさん以外考えられない〜」

役場のスタッフも悪い人たちではない。でも、キャスティング=シナリオを読んで俳優をイメージすることがどれだけ大変なことか?が分からず、安易に「**さんでも行けるよ」と判断。ゴリ押ししたのだ。映画作りの方法論は本当に分かり辛いが、一般の人はそれが分からなくても、あれこれ言い、映画を歪めることがある。

後輩監督のA君はそんな中でよくがんばった。僕なら大暴れしているだろう。だが、それを説明し、作品を守るのは監督の仕事。映画製作はなかなか理解されない。誤解。先入観で見る人も多い。後輩の話でそれを再確認した。

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プロの俳優のためのワークショップ第3回、無事終了!今回も白熱の5時間 [WS]

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[新月]プロの俳優のためのワークショップ第3回、無事終了![新月]

今回もブルース・スプリングスティーンに迫る(?)白熱の5時間。皆、超真剣に挑んだ。多くがそれなりの実力があるが、それぞれがいろんな問題を抱えている。それとどう取り組んで行くか?俳優自身には見えないことが多く。皆、七転八倒する。

ここ3回のワークショップで、それを探すことができていれば7年振りの開催に意味があったと思える。そして、この中から何とか新作に出られる人材がでれば嬉しい。ただ、いくら熱意があり、実力があっても、他にそれ以上の存在がいたり、相手役との相性もあるので、その本人の熱い思いを受け止められないことも多い。

そこが辛いところだが、多くの実力派に出会えたことは本当に大きなことだった。夏には撮影。そのあとは数ヶ月の編集があるので4回目は当分できないが、また機会は作りたい。

僕の新作映画のHPはこちら=>http://ffc2017.main.jp


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監督業だけやっていては、映画を乗っ取られる? ん、どういうこと? [映画業界物語]

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プロデュサーの仕事というのは大きく分けて3つある。

1、企画を立てる。

2、原作者や監督を口説き、人気俳優と交渉。実質的に映画を進める。

3、製作費を集める(これが一番大事)。

そう考えると、これまで作った映画は僕自身が企画し、製作費を調達。スタッフを集め、ときには直接キャストも口説いてきた。誰かプロデュサーがいて、全製作費を集めてくれて「さ、監督しろ!」というラッキーな展開は一度もない。その意味では映画監督のスタート時点から僕はプロデュサーでもあった。

が、初期の頃はこう考えた。企画し、製作費のほとんどを集め、脚本、監督、編集まで全部1人でやっているので、さらにプロデュサーという肩書きまで着けるのはどうか? スピルバーグがプロデュサーを兼ねているのは皆知っているが、新人監督がPというのは気が引けて、その肩書きはクレジットしなかった。

それが失敗。あるとき、仕事を頼んだPがこっそりと関係者にこんなことをアピールしていた。「監督は若くて経験もないので、私が何とかしますよ。任せてください。私がプロデュサーですから!」さらに自分が製作費を集めて、太田を監督として起用したかのような言動を繰り返し。シナリオや編集にあれこれ口を出し、自分の趣味を押しつけ、僕の意図とは違う方向に進めようとしたのだ(それが多くのPの手法であることをのちに知った......)

僕は雇われ監督と思われ、関係者の一部は「Pのいうことを聞くのが、監督の仕事だ!」と言い出す始末、(例え雇われ監督であっても、映画の中身の責任者は監督である。Pがあれこれ決めるのは本来間違ったことなのだ)Pは暴走。作品を徹底的にねじ曲げられそうになった。おまけに経緯を知らない友人は「太田は映画を撮らせてもらってラッキー。Pに感謝しろ!」と言い出すし。ま、通常はPが企画し、製作費を集めて、監督を雇う。僕のように監督が製作費を集めてPを雇うなんてことはないので、勘違いするのも当然なのだが....

「肩書き」とか「ブランド」とか、昔から嫌いで、こだわらないようにしていたのだが、多くの人はそれにこだわり「社長」だから偉い「部長」だから凄い!という捉え方をすることを痛感。「P」だから「製作費を集めた人」「監督を雇った人」と思い込む。つまり、何もしなくても肩書きを持てば、多くの人が信用し、言うことを聞くのである。

いや、Pだけではない。映画というと、いろんな人が集まって来て、自分に決定権があるかのように振る舞い。利益に繋げようとする。そんなことで映画を歪められては困る。だからこそ、スピルバーグは「監督」だけでなく「プロデュサー」としてもクレジットするのだ。以降、僕も「プロデュサー」という肩書きを必ずクレジットするようにした。

今では「P」とクレジットされるのは僕だけにしている。Pという肩書きを着けるとなぜか?勘違いして「自分は偉い」「決定権がある」と暴走する人が多いからだ。だから、作品における最高責任者が誰であるか? 知ってもらうため僕1人にしたのだ。作品が不出来でも、赤字になっても、全て責任は僕にあるということなのだ。その責任を負わない者を「P」と呼ぶことはできない。

にも関わらず、今回の現場でも「太田は監督。Pは***さん」と思っていた人たちがいて、苦情をその人にぶつけていたらしい。確かに「プロデュサー」は1人だが「アソシエイト・プロデュサー」や「アシスタント・プロデュサー」という人はいる。が、業界を知っていれば「アソシエイト」というのは、会社間で使う「友達」という意味で、協力プロデュサーという意味。実質的な決定権はない。という立場。「アシスタント」はその意味の通りプロデュサーをアシスタントする役目だ。

シナリオにもしっかりと役職はクレジットされている。なのに、それを理解出来なかった人たちがいた。そのことを映画界に詳しい友人に話すと「え、太田さんはプロデュサーなんですか?」と言われた。彼が間違うのなら、カタギの人が勘違いするのは当然だろう。今回は大きな事件にはならなかったが、アソシエイト・プロデュサーには申し訳なかったし、その辺のことをしっかりと周知させることは大切だと感じた。

過去には「太田は監督」と思われ、僕の知らないところで宣伝会議が行われていて、そんな方向にしたら宣伝戦略はぶち壊し!みたいなこともあった。関係者は「監督は編集で忙しいから、こちらで進めよう」みたいな気遣いだったらしい。

が、監督として、Pとして宣伝戦略会議に参加するのは当然のことなのだ。映画作りは宣伝も含めて映画作りだ。そこに監督の思いが入ってなければ伝わらない。以前は立場を利用する人がいて困惑したが、今は別の意味でむずかしい問題も出て来ている。あまり肩書きをたくさん並べるのは好きではないが、それは大事なことなのかもしれないと最近は思えている。



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「明日にかける橋」市民俳優オーディション追加募集も定員超えで締め切り。感謝です! [6月ー2017]

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「明日にかける橋」市民俳優オーディション追加募集も定員超え! 

締め切らせてもらいました。

感謝です!

応募下さった皆様。お会いするのを楽しみにしています。

僕の新作映画のHPはこちら=>http://ffc2017.main.jp


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映画監督はどんな仕事をするのか?僕はなぜ毎回過労で倒れるのか? [映画業界物語]

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映画監督はどんな仕事をするのか?僕はなぜ毎回過労で倒れるのか?

映画監督というと一般的には撮影現場で怒っている人。偉そうにしている人という印象が強いだろう。それ以外の仕事というと何をしているのか?想像できる人は少ないかもしれない。そこで今回は実録・監督の仕事。そして太田組作品がなぜ低予算で商業映画並みの作品ができるか?を紹介。厳しい部分もあるが紹介する。

監督の多くはシナリオを自分では書かない。脚本家が書いたものに、あれこれ注文をつけて直してもらう。そしてキャスティング。シナリオを読み、どの役を誰に頼むか?決めて行く。連絡するのは演技事務かプロデュサー。自身で依頼はしない。次に演出プラン。それぞれのシーンをどう撮影するか?考える。これがもっとも大事。撮影まで何ヶ月も考え続ける。

それからロケハン。製作費部が探して来たロケ地候補を観に行き「ここはOK」「ここはダメ」と判断する。あとは撮影。ここまで監督がロケ地に行くのは挨拶、ロケハン、撮影の3回くらいだ。

そして編集だが、多くの場合は編集者が編集。繋がったところで監督が見て「このシーンはいらない」「ここは別テイク」とか言って直しを要求。そのあとが音入れ、音楽入れ。これも監督が指示する。こうして映画は完成する。


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さて、太田組の場合ーつまり僕の場合は少し違う。まず、シナリオ。脚本家が書くのではなく、僕自身が書く。もともと脚本家だからOKだ。次にキャスティング。実は書いているときから、ある程度実際の俳優をイメージして書く。「向日葵の丘」でいえば、常盤貴子さんや藤田朋子さんは本人をイメージして書いた。今回の「明日にかける橋」でも何人かは当て書きで本人の魅力が出るように書いてある。

といって、その俳優が出てくれるとは限らない。その場合。そしてイメージする俳優がない場合はキャスティング。希望する俳優を上げて、担当者が事務所に連絡。交渉してもらう。そしてロケハン。通常は制作部が探して来たものを監督は見るだけだが、僕は自分で探す。ロケ地を何ヶ月も歩きまわり、選ぶ。

製作部が探してくれると本当に楽なのに、なぜ監督自身で探すのか?理由のひとつは、そのことで製作部を雇う時期を遅くできる。早く雇うとそれだけ多くのギャラを払わなければならない。僕は制作部としてのギャラはもららわないので、人権費を削減できる。

それと、製作部は優秀なのでシナリオにピッタリのロケ地を見つける。が、ピッタリでなくてもいいのだ。より絵的な或はそこを舞台にすれば別の展開ができるロケ地があれば、それに決めてシナリオを直す。それは制作部にはできない作業。僕が脚本と監督とロケハンを兼ねているからできることなのだ。

そして演出プラン。これもロケ地を自分で探すからいち早く現場での演出を考えることができる。通常だとロケ地を監督が見られるのは撮影1ヶ月前。そこから俳優の動き等を考える。僕の場合は何ヶ月も前から考えることができる。これも大きなメリット。そんなことでロケ地には1年近く数十回通う。そのことで地元を知り、好きになる。だから、映画で地元の魅力を伝えることできる。

あと、通常の監督がしないこと。まず、シナリオ。初期段階では自分でプリントアウトして、製本屋に持ち込む。印刷屋に出せば1000円。自分で作れば500円ほど。500円安い。といっても僕が自宅のプリンターで印刷するので、かなり時間がかかる。50冊とか作るには3日ほどかかる。その後は印刷屋に出すが、毎回、100冊ほど手製のシナリオを作る。時間も労力も取られ大変だが、製作費削減になる。


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そしてスタッフへの連絡。通常はプロデュサーがやるが、毎回、僕はプロデュサーも兼ねる。だから自分で連絡。ロケハンをするたびに写真をスタッフに送る。撮影部、照明部、美術部、演出部と何人にも送る。そして途中経過報告をメール。1日がかりになることもある。本来ならプロデュサーかアシスタントの仕事。だが、僕自身がやることで、その種のスタッフを早い段階から雇わずに済み、人件費を払わずに済む。これも製作費削減に繋がる。

あと、地元との打ち合わせ。これも僕自身。本来はプロデュサーがやり、監督は東京で演出プランに専念するのだが、そうも行かない。通常、初期段階では地元にプロデュサー、脚本家、制作部、監督が行く。4人で行けば、4人分の交通費、宿泊費、食費が必要となる。が、全部僕がやっているので、経費は全て1人分しかかからない。ここでまた製作費削減。あと、市民俳優オーディション。これも通常の映画ではやらない。が、地元で映画への関心が高まるので毎回行なう。



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こんなふうに監督が4人分、5人分の仕事をすることで経費削減ができる。その上、ロケハンでいい場所が見つかればシナリオを書き直すこともできる。キャストをイメージして書くこともできる。仕事量は増えても便利なことも多い。ただ、4人分5人分働いてもギャラは1人分プラスaしかもらわない。

そんなふうに撮影直前まで僕が1人5役やることで、スタッフを雇うのは撮影1ヶ月前からで済む。その分、人件費が下がる。まともな形で映画を作ると最低でも1億円。それをより安く、それでいてクオリティを下げない作品を作るには、こんなやり方をするしかない。だから、映画が完成すると過労で倒れる。それ以前から医者には「休まないと過労死するよ!」と忠告される。でも毎回、遺作のつもり。でないと素敵な作品にはならない。


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そして映画にはトラブルがつきもの。雨が続いたり台風が来れば製作費は超過する。赤字を埋めるのは監督料。そのために完成したとき残るのは借金だけであることが多い。にも関わらず、毎回こう言う人がいる。

「監督は好きで映画を作っているんでしょう? だったら、ギャラはいらないよね?」

趣味で映画作りをしている訳ではない。だが、ロケした町の、地元の人にそう言われることがある。監督の仕事がどんなものなのか?理解してもらえないからだろう。

けど、地元の人が懸命に集めた寄付で作られる映画。その製作費を最大限に有効に使い、最高の作品を作るために、経費を徹底して節約することが大事。だから、僕は撮影までに5人分。撮影後は4人分(監督、編集、プロデュサー、宣伝)の仕事をする。監督が身を切って映画を作るからこそ、スタッフも通常以下のギャラでもがんばってくれる。さらに町の人たちの力を得て映画作りをすることで、低予算でも素晴らしい作品ができる。それが太田組のやり方なのだ。


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太田隆文監督による「俳優のためのワークショップ」 第3回も定員達成! [WS]


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太田隆文監督のワークショップ第3回。

今回も定員達成で締め切らせてもらいます。

応募ありがとうございました!






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「明日にかける橋」市民オーディションー中日新聞で記事に! [6月ー2017]

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[新月]「明日にかける橋」市民オーディション追加募集が発表![新月]
ーーー50人限定で追加受付!!

こちらのHPで詳しく分かります=>http://ffc2017.main.jp

遠州(静岡県袋市、磐田市、森町)を中心に市民が作る市民映画。寄付で作る映画です。ギャラや交通費はでませんが、大人の文化祭。有名俳優と共演。映画のスクリーンにあなたが登場します。一生の思い出になるイベント。昨日の第一回オーディションは100人を超える応募。大盛況でした。何んとか参加したいの声に応え、追加募集中。

現在、プロの俳優をキャスティング中。そちらも決まり次第に発表していきます。製作費の寄付もぜひ、よろしく御願いします。

僕の新作映画のHPはこちら=>http://ffc2017.main.jp



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[新月]「明日にかける橋」市民俳優オーディション①無事終了しました![新月]


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遠州を舞台にした映画「明日にかける橋」=市民オーディション。100人を超える参加者。熱気に帯びた会場。プロの有名俳優も複数参加。マジ!?

さらに「向日葵の丘」「朝日のあたる家」「青い青い空」に出演してくれた懐かしの市民俳優さんたちまでが多数参加!!地元・袋井市、磐田市、森町以外の静岡県全域から、そして東京、愛知からも参加者が! 大盛り上がりのオーディションとなる。追加募集も実施中。

詳しくは公式HPを!=>http://ffc2017.main.jp



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