常盤貴子、田中美里、藤田朋子、芳根京子。 豪華キャストで描く感動の映画「向日葵の丘 1983年 夏」 宅配GEOでレンタルできます。 [告知]
常盤貴子、田中美里、藤田朋子、芳根京子。
豪華キャストで描く感動の映画「向日葵の丘 1983年 夏」
宅配GEOでレンタルできます。
監督ブログ=>https://aozoraeiga.blog.so-net.ne.jp
俳優業は苦しみ悶える孤独な仕事=人はそれを理解せず。精神障害を起こす女優も少なくない。 [映画業界物語]
俳優業は苦しみ悶える孤独な仕事=人はそれを理解せず。精神障害を起こす女優も少なくない。
俳優業というのは見た目ほど派手で楽しいものではない。むしろ、精神的にギリギリまでの戦い。神経を摩り下ろすような仕事だ。もちろん、俳優志望の若い子たちのように「憧れ」だけで、俳優ごっこ的な仕事をしているのは別だ。そして、そんな子たちはやがて消えて行く。俳優ブランドに憧れているだけだからだ。
演技というのはセリフを覚えて、喋るだけの作業ではない。神経が切れるくらいに考え抜き、セリフ、表情、動き、全てを駆使して、感情を伝えるものなのだ。常人ではできない。まず、鋭い感受性が必要。他人の悲しいを自分のことのように受け止める感性が大事。だからこそ、自分の体験でないことで悲しみ、怒り、喜ぶことができる。
その感受性があった上に、それを表現するためのスキルを磨かなければならない。ある意味でミュージシャンとも似ている。バイオリンで素晴らしい曲を弾くには感受性と共に熟練された技術も必要なのと同じだ。が、俳優の場合。その熟練が理解されないことが多く、「才能があれば」と勘違いして、営業ばかりしている子がいるが、技術も感性も磨かないと俳優業はできない。
感受性が鋭いということは、日常生活が送りにくいということもある。鈍感だと気づかないで済むことが、鋭いと察してしまう。それについて考える。悩む。苦しい。仕事以外でもそんなことを毎日、経験することになるのだ。そのために神経が参ってしまい、精神病になる。ノイローゼになる。ドラッグに走る。新興宗教に入る。
僕がよく知る女優さん。数人。有名ではないが、頑張っていた子たちも、おかしくなったことがある(今もおかしいまま)。病名までは突き止められないが、精神障害を発症している。詳しく書くと誰だか分かるの避けるが、暴れたり、叫んだりということではない。精神障害の症状はマスコミが避けて通るので、正確な知識を持つ人が少ないので誤解することが多いが、簡単にいうと人との意思疎通ができなくなること。でも、分かりづらく、周りの人たちも気づかない。小さなズレから始まり、次第に問題が大きくなる。
周りは「最近、少し変」とか思い、問題が起こると、次第に距離を置く。本人も気づかない。「周りが冷たい。嫉妬している」という解釈をしがち。以前に紹介した統合失調症や双極性障害もそうだが、情報処理能力の低下。そのことで世間や人と不協和音が起きる。症状が酷くならないとまず気づかない。
気づいても本人に「精神病だよ」「精神障害かも」というのも難しい。周りは「酷い事言うな!」と言いだす。できることは距離を置いて被害を避けるしかない。そんなことは芸能界でよくある。特に女優に多い。でも、それくらいに神経をすり減らし、自分を追い詰める仕事なのだ。ハリウッドでもドラッグに走ったり、人嫌いになる。過食症。あるいは拒食症になる俳優がいるのは、同じ背景である。
俳優業は「本当の自分探し」=弱点と強みを知ることで伸びる?ワークショップ第二回を開催 [WS]
俳優業は「本当の自分探し」=弱点と強みを知ることで伸びる?
昨年のワークショップに参加した俳優たちから、その後、礼状や感想文が届いた。「太田監督はもっと怖い人だと思っていました」とというのもあり笑ってしまう。俳優経験が長い方からはこんな感想も頂いた。
「往往にして指導する側は、演技を技術や完成度で判断してしまいますが、太田監督のコメントは、“のびしろ“ に重点をおいた視点で評価されていることでした。これは特に未完成の方に対しては励まし、プラスの効果を及ぼし得る重要な視点だと感じました。また、作品において、まったく未経験の若い子に素晴らしい演技をさせているのもこの視点あってのものと理解しました」
鋭く見てくれていて嬉しかった。通常ワークショップというのは、現場のリハーサルに近く、脚本のある役を演じて、監督が問題点を指摘するという形。要はその監督のイメージにどう近くか?という現場に近いレッスンとなる。
その場合。その監督側の思いを理解し、表現するということがメインとなる。それは他の監督と仕事をした時には「思いを理解する」という方法論が大事ということしか役に立たない。そこで、その俳優の良い点は何で、問題点は何か? つまり、その監督とは関係なしに、どんな力を持ち、何ができていないか?を中心に進める。
これは通常のワークショップとは違い「自己発見」が目的。つまり、演技レッスンというより、啓発セミナー(怪しくないやつね)や心理カウンセリングのようなもの。そのことで俳優は無意識にある「思い」を自覚できる。弱点は本人も気付きやすいが、優れた点は本人は分からないことが多い。当たり前だと思っていたことが人にはできない表現であったりする。
いろんな年齢の役を演じる。いろんな職業を演じてみる。そのことでどんな役が得意で、何が苦手かが分かる。演技というのは基本、心理学と同じであり、俳優という仕事は「本当の自分探し」。他人を演じていくことで自分を発見する職業だと思える。そんな発想でレッスンすることで、いろんなことを俳優は知ることができる。先の感想はその一端を言い当ててくれて、嬉しく思った。
難しく書いたが、現場ではそのテーマに気づく人はほとんどいない。が、弱点や強みを意識することで俳優は大きく伸びる。僕のワークショップがそんなきっかけになってくれれば嬉しい。ということで来月に第2回を開催。参加を募集中だ。
詳しくは=>https://cinematic-arts.blog.ss-blog.jp/2020-01-09
太田組は有名俳優だけでなく、新人でも当て書き=オーディションで決めた子に合わせて役を直すことも? [映画業界物語]
太田組は有名俳優だけでなく、新人でも当て書き
=オーディションで決めた子に合わせて役を直すことも?
シナリオ執筆時に、俳優を想定し当て書きをすると書いた。が、それのみではない。シナリオが完成。オーディションを行う。その中に実力派や個性派がいたとする。ただ、シナリオ上の役とは少し違う。そんな時は、その子に合わして役の方を直すこともある。本来は許されないこと。脚本家の先生が大激怒する。
「撮影中に訳あって、物語を少し変更するのなら仕方ないが、キャラを直すなんてとんでもない!」
でも、太田組作品の脚本は全て僕自身が書いている。怒られることはない。通常はキャラが変われば物語が成立しなくなるのだが、僕が脚本を書いた張本人でもあるので、どこまでならキャラを変えても物語が破綻しないか?を承知している。物語を崩さずにキャラを変えることができる。もちろん限界はあるが、できる。
そのことで魅力的な新人を出演させられることが作品にプラス。役に近くても、魅力ない俳優が出ては作品にマイナス。新人だけではない。ベテラン俳優であっても、出演OKが出てから、役を直す。その俳優がより魅力的で、立つようにする。主演だけではなく、脇でも何でも直す。
オーディションでその役に相応しいと決めた新人の場合でも、その俳優と話をして感じるものがあれば、セリフを直す。そのことでより演じやすく、魅力的にするためだ。新人でもそれなので、すでによく知る俳優の場合も同様。有名ではないが、頑張っている。彼、あるいは彼女が出れる役はないか?と考える。
全くの新人よりよく知る人たちの方が安心だ。以前に小さな役で出てもらったとか、ある仕事でご一緒したとか。その意味でワークショップに来てくれた俳優なら、よりよく実力が分かる。毎回、4時間ほど演技してもらうし、話もできる。
だが、運命とは残酷なもので「前回、来てくれたあの俳優さん。今回、ぴったりな役があるのになあ」という時には来ない。流石に「役あるので、もう一度芝居を見せて欲しい」とは言えないので、メールで「ワークショップまたやるので」と連絡しても「今回はバイトの日と重なり残念です」と返事が来たり。
でも、それは縁がなかったということ。1年前のワークショップでは良くても、今は分からない。それが確認できなくては依頼できない。とにかく大事なのは、その俳優が今、抱える人生を役に反映させること。その時に輝く演技ができる。それを引き出すのが太田組流の演出なのである。
太田組は新人も当て書き=ワークショップで見つけた俳優に合わせて役を直すことも?参加者募集中! [映画業界物語]
太田組は有名俳優だけでなく、新人でも当て書き=オーディションで決めた子に合わせて役を直すことも?
シナリオ執筆時に、俳優を想定し当て書きをすると書いた。が、それのみではない。シナリオが完成。オーディションを行う。その中に実力派や個性派がいたとする。ただ、シナリオ上の役とは少し違う。そんな時は、その子に合わして役の方を直すこともある。本来は許されないこと。脚本家の先生が大激怒する。
「撮影中に訳あって、物語を少し変更するのなら仕方ないが、キャラを直すなんてとんでもない!」
でも、太田組作品の脚本は全て僕自身が書いている。怒られることはない。通常はキャラが変われば物語が成立しなくなるのだが、僕が脚本を書いた張本人でもあるので、どこまでならキャラを変えても物語が破綻しないか?を承知している。物語を崩さずにキャラを変えることができる。もちろん限界はあるが、できる。
そのことで魅力的な新人を出演させられることが作品にプラス。役に近くても、魅力ない俳優が出ては作品にマイナス。新人だけではない。ベテラン俳優であっても、出演OKが出てから、役を直す。その俳優がより魅力的で、立つようにする。主演だけではなく、脇でも何でも直す。
オーディションでその役に相応しいと決めた新人の場合でも、その俳優と話をして感じるものがあれば、セリフを直す。そのことでより演じやすく、魅力的にするためだ。新人でもそれなので、すでによく知る俳優の場合も同様。有名ではないが、頑張っている。彼、あるいは彼女が出れる役はないか?と考える。
全くの新人よりよく知る人たちの方が安心だ。以前に小さな役で出てもらったとか、ある仕事でご一緒したとか。その意味でワークショップに来てくれた俳優なら、よりよく実力が分かる。毎回、4時間ほど演技してもらうし、話もできる。
だが、運命とは残酷なもので「前回、来てくれたあの俳優さん。今回、ぴったりな役があるのになあ」という時には来ない。流石に「役あるので、もう一度芝居を見せて欲しい」とは言えないので、メールで「ワークショップまたやるので」と連絡しても「今回はバイトの日と重なり残念です」と返事が来たり。
でも、それは縁がなかったということ。1年前のワークショップでは良くても、今は分からない。それが確認できなくては依頼できない。とにかく大事なのは、その俳優が今、抱える人生を役に反映させること。その時に輝く演技ができる。それを引き出すのが太田組流の演出なのである。
監督はキャスティングをしてこそ監督。なのに、それが出来ない映画が多い?=太田組ではキャスティング前からマル秘演出? [映画業界物語]
監督はキャスティングをしてこそ監督。なのに、それが出来ない映画が多い
=太田組ではキャスティング前からするマル秘演出?
企業映画では監督が決まる前に、多くの俳優がすでに決まっていることが多い。シナリオも出来ていて、最後に監督が決まる。Pから本を渡され「よろしくね〜」と言われる。複数の企業が出資した委員会方式でよくあることだが、それでいい映画が出来る訳が無い。キャスティングからが演出。それを監督にさせないというだけで本来はアウトだ。
伊丹十三監督の父、伊丹万作さんもいうように「100の演出より1の適役。キャスティングが大事」本当にその通り。往往にしてPは「主演は人気のあるあの子がいいな。相手役は大手事務所が売り出し中の**を使おう」とかいう打算だけで決める。適役かどうか?考えない。「その役、その俳優じゃないだろう?」という日本映画が多いのはその背景がある。
さて、そんな日本映画界なのに、と聞かれることがある。「太田組は低予算ながら、毎回、素晴らしい俳優さんが出演、感動的な作品ができるのはなぜですか?」実は先に挙げた状況を打破するある秘策を使っている。それを書いてしまうとマズイのだが、絶対にマネできないので紹介する。
キャスティングを監督がするのは当然だ。しない段階でアウト。だが、こんな場合はどうか? シナリオは面白いが、その主人公を演じられる俳優がいない。ハリウッドにならいるが、日本人の役だ。これは漫画原作の映画化でも同じ問題が起こるのだが、描かれたキャラクターを現実で探すのは難しい。
結局、顔が似ている人気俳優に依頼。それっぽい芝居をしてもらう。それではそっくりショーではないか? 「おー似てる似てる」「そんなイメージだなあ」ではダメなのだ。漫画原作でなくても、破天荒なキャラクターが演じられる俳優がおらず、昔なら横山やすしのような役を、破天荒でない真面目な俳優がそれなりに演じても伝わらない。
それなのに無理して作るから「なんか、違うよな〜」と観客は感じる。さて、太田組の対応法。どうすれば解決できるのか? 僕はシナリオを書く段階からキャスティングして書く。つまり当て書きをする。この役は俳優の**さん。これは女優の**さん。だから「この役ができる人がいない」にはならない。
ただ、その本人のために書かれた役だから、本人が演じれば他の誰が演じるより映える。おまけにシナリオを書くときに、その人がよく演じる役には絶対にしない。これまで見せたことない部分を引き出す、あるいは演じたことがない役にする。この人がそんな役やるのか?というキャラにする。そのことで俳優さんは燃えてくれる。俳優は挑戦者だ。難しい役に挑む。経験のない役を演じるとき燃える。真剣になる。
なのに、人気が出ると同じような役ばかり依頼される。挑戦できない。そんなときに「え? これ私がやるの?」という役が来れば「よし!」と思ってもらえる。そんな風に、当て書きであり、他の俳優には出来ない役でもあること。経験のない役なので挑戦したくなること。この2つのメリットがある。が、本人が出れないと大変。その辺の事情はまた別のときにか書かせてもらう。
太田監督のよる俳優のためのワークショップ。第2回 2月9日 参加者募集中!〜オーディションが苦手なあなたはぜひ! [WS]
太田監督のよる俳優のためのワークショップ。第2回 参加者募集中!
オーディションというのは、本当に短い時間しか与えられない。それでも監督はその時間内で実力派を見つけなければならないのだが、1時間ないと本領を発揮できないという俳優もいる。そんなタイプの俳優の力を短時間で見いだすのはむずかしい。
そこで時間をかけたワークショップを考えた。昨年、3年ぶりに開催。大好評。多くの俳優たちが参加してくれた。皆、プロで活躍する人たちであり、実力派ばかり。4時間ほどやった。最初は緊張気味だった俳優たちも、後半になるとかなり持ち味を出し始めた。だが、それでも力を発揮できなかった人もいるはずだ。
だから、2回目を開催する。1回勝負のオーディションではなく、何回かのワークショップをする中で実力派を探すことができるはずだ。次回作にも抜擢できる逸材と出会えること。楽しみにしている。
詳しくは=>https://cinematic-arts.blog.ss-blog.jp/2020-01-09
映画監督 太田隆文プロフィール [My Movies]
太田隆文監督プロフィール
1961年生まれ。「スターウォーズ」のジョージ・ルーカス監督らハリウッド監督の多くが学んだ南カルフォルニア大学(USC)映画科に学ぶ。
「ストロベリーフィールズ」(2005年 佐津川愛美、谷村美月)
「青い青い空」(2010年 波岡一喜、鈴木砂羽、松坂慶子、長門裕之)
「朝日のあたる家」(2013年 並樹史朗、斉藤とも子、いしだ壱成、山本太郎)
「向日葵の丘 1983年夏」(常盤貴子 田中美里、藤田朋子、津川雅彦、芳根京子)
「明日にかける橋 1989年の想い出」(鈴木杏、板尾創路、田中美里、藤田朋子、宝田明)
帰国後、大林宣彦監督に師事。地方を舞台にした感動作を作り続け、全ての作品は海外の映画祭で上映。大物俳優や国民的俳優が数多く出演。また、太田作品に出演したのち大ブレイクしたのが谷村美月、芳根京子ら。出演はしていないが、最終候補に残った若手俳優も、その後、NHKの朝ドラ等に出演。新人発見の監督と言われる。
2013年には原発事故を題材にした「朝日のあたる家」を監督。山本太郎が出演したことも話題になった。全国23館で公開。世界6カ国で上映された。最新作は沖縄戦を題材とした初の長編ドキュメンタリー作品。
シナリオ、演出、俳優。映画でそれぞれで大切なこと? [映画業界物語]
シナリオ、演出、俳優。
「映画はシナリオが一番大事。監督がバカでもシナリオが良ければそこそこの映画になる」と良く言う。実祭、シナリオがダメだと、どんな巨匠が演出しても駄作にしかならない。本当にその通り。と言ってシナリオが良くても監督がダメだと、やはりそれなりの作品にしかならないし、俳優の重要性を忘れてはいけない。
この10年。僕は幸運にも本当に凄い俳優さんたちと仕事ができた。長門裕之、津川雅彦、松坂慶子、宝田明、と映画黄金期から活躍する名優たちから、いしだ壱成、鈴木杏、常盤貴子、田中美里、藤田朋子、山本太郎、谷村美月と、テレビ時代にトップランナーとして走り続けた若手まで。俳優の力とはどれだけ凄いものか?痛感した。
「一流監督は三流の俳優でも見事な演技をさせる」てなことを言うが、シナリオの話と同じで、多少は良くなるが...と言うことでしかないのが現実。三流が演出だけで良くなることなんてない。本物のすごさを知れば、そんなことは言えない。もし、三流の俳優が見事な演技をしたのなら、その人がもともと素晴らしい資質を持っており、それを監督が開花させたと言うのが本当だろう。
そこからいえば、監督がダメでも一流の俳優を使えば、そこそこの作品が出来る。名優たちは何も言わなくても見事な芝居をしてくれるからだ。では、監督に必要なことは何かと言うと、無名俳優でも、その人の長所を見抜き演じさせること。一流の俳優でも、これまでに発揮していない個性を引き出すことなのだ。これは僕のテーマでもあり、太田組のモットーでもある。
70年代に2枚目で人気があったある俳優。人気はあるが、芝居はそこそこ。出演作もヒットしない。その俳優が80年代に入って時代劇に出演して、俄然いい役者になった。現代劇では昔ながらの2枚目の兄ちゃんなのに、時代劇だととても存在感が出ていた。時代劇に抜擢したディレクターなのか、Pなのか?何れにしても鋭い。
そんな風に俳優の長所、魅力、新しい面を引き出すのが監督の仕事。つまり、撮影現場以前、キャスティングから演出は始まっているのだ。この話。また続きを書く。
来月2月上旬に「太田隆文監督のワークショップ」第2回を計画中! [WS]
来月2月上旬にワークショップ。計画中!
昨年、3年ぶりにワークショップを開いた。多くの参加者があり大盛況。怒涛の4時間だった。参加したのは全員プロの俳優。個性派が集結した。多くから「ぜひ、2回目も!」との声。さらに「今回は仕事で参加できなかったけど、2回目があるのなら」との連絡もいくつか頂いた。
そこで第2回を開催したいと考えている。まだ、決まってはいないが次回作に出てもらえる逸材と出会えるかもしれない。3年前のワークショップ参加者からは3人に太田組出演してもらった。オーディションだと15ー20分で判断せねばならないが、ワークショップは4時間以上やる。何度もやる。
そのことで参加俳優の個性や力量が分かり「それならあの役、頼めそうだ!」ということになる。大手事務所かどうか? 売れているかどうか?ではない。その俳優の個性と力から判断したい。その意味でワークショップは名もなき実力派たちとの出会いの場でもある。
早々に告知するので、スキルを伸ばしたい俳優諸氏は待っていてほしい。
太田隆文監督によるプロの俳優のためのワークショップ 第2回 ー2月9日(日) 参加者募集中! [WS]
太田隆文監督によるプロの俳優のためのワークショップ!第2回
(昨年、第1回が大好評で第2回を開催)
2月9日(日) 13:30〜17:30
場所、東京、大塚(詳しい場所は参加者に通知)
主催、青空映画舎
資格 演劇経験ありの方。初心者育成の講座ではありません。
通常のオーディションに出すタイプのプロフィールをPDFファイルで添付
(顔写真。名前、住所ー事務所で可ー 所属事務所、身長、体重、3サイズ、学歴、出演作品等)
参加希望理由を書いて、以下のアドレス(青空映画舎)宛にメールしてください。
aozoraeigasya@yahoo.co.jp
参加費5000円(当日払い) 領収書あります。
どうすれば心に刺さる感動的な物語を作れるのか? [映画業界物語]
どうすれば心に刺さる感動的な物語を作れるのか?
この業界で物語を作るとき。よくあるパターン。
「主人公は何歳にしよう? 映画を観にくる年代は10〜20代だから、若い男性にしよう。この世代は恋愛に興味があるからラブストーリー。スマホが絡む事件にして...昔のすれ違いドラマみたいなのはどう?」
と脚本家と監督が話をして商品開発のように物語を作っていく。が、机の上で作られたものはロクなものがない。
不思議なもので、理屈で作られた物語。感動する設定で、感動的なドラマにしても感動できないことが多い。対してアメリカ映画が好きなパターンで「This is a Ture story」とテロップが出るものがある。現実にあったことをドラマ化している。
「まじ? そんなことあったの!」
と言う内容でも、本当にあった話は重く、心に刺さる。これは本当に不思議なんだけど、それが事実だと知らなくても説得力が違う。山崎豊子の小説が重く、心に残るのは、物語のほとんどが現実にあった話だからだろう。「不毛地帯」「二つの祖国」「沈まぬ太陽」どれも忘れられない名作だ。
人は誰でも本物を見抜く力があるのだろう。机の上で作られた物語だと感動的でも、泣けない。けど、現実にあったことはリアリティがあり、心にのしかかる。だから、シナリオ講座や漫画セミナーでは「まず、自分の経験を物語にしろ」と言う。まだ力のない作家が頭で想像したことを描いても説得力がないと言うこともあるが、現実は強いと言うことでもある。
僕も修行時代(バイトをしながら毎日、シナリオを書いていた30代)あれこれ書いていたが、自分で読んでも絵空事のような物語。5年ほど書き続け、どうにか脚本家デビューはしたが、本当の意味で心に刺さる作品がかけたのは、さらに数年後のこと。それは机の上で考えたウケ狙いの物語ではなく、よく知る友人の悲劇を描いたもの。
本当の物語は心に伝わる。もう一つ大事なのは作家が心から書きたい!と思っていること。頼まれて嫌々、書いた物語。今時の若い人にウケそうなストーリーを書いても伝わらない。僕が10代の時に観た日本の青春映画が本当にクソだったのは「今時の若い奴はさあ。この手の話が好きなんだよぉ」と若者をバカにした中年親父が書いた物語だったからだろう。
大切なのは机の上で作った物語でないこと。作家が強い関心を持ち、心から書きたい!と思う題材であることだ。
物語はどのようにして作られるのか? 名古屋で思いついた「明日にかける橋」 [映画業界物語]
物語はどのようにして作られるのか? 名古屋で思いついた「明日にかける橋」
「太田監督は毎回、どうやって、あんな感動的な物語を考えるのですか?」
と聞かれることがある。
「と言うのも、通常映画はラストに1回ほろっとするだけでも泣ける映画」と言われるのに、監督の映画は何度も泣ける。1本の映画で3−4回感動する。それも5本の映画全てが泣けた。普通は感動作を作る監督でも、次の作品では全く泣けなかったりする。なのに何で毎回泣けるのか?どうやって物語を考えるのか?不思議なんです」
と言う。時々、ある質問なので書いてみる。多くの日本映画は原作がある。小説、漫画、翻訳物、それらを脚本家が読んで映像表現で伝える形に直し、シナリオ化する。が、僕の映画は全てオリジナル・シナリオ。原作ものはない。1から僕が物語を考えてシナリオにして、自分で演出する。
が、どうやって物語を書くか?と改めて聞かれると、どう説明していいか?戸惑う。「明日にかける橋」の場合は、2006年。今から14年前に名古屋で思いついた。僕の初監督作「ストロベリーフィールズ」の名古屋公開初日に合わせて、前日から現地入り。配給会社が経費を出してくれなかったので自腹で交通費、宿泊費を負担。
なるべく安いところ....と駅前のサウナに泊まった。そこの休憩室にいるのは中年のおじさんばかり。皆、疲れ果ていて、いや、人生に疲れていて、何に対しても希望が持てないでいるようだ。「この人たちがもう一度、熱く燃えて行動するとしたら、どんな時だろう?」と考えた。妻や子供からは粗大ゴミ扱いされ。会社での出世も見込めない。給料は安い。誰でも出来る仕事。「俺なんていなくてもいいんだよな〜」と考えているような人ばかり。
でも、若い頃はクラスメートの可愛い女子に、ラブレター書いたり、密かに憧れたりしていたんだろうなあ。と想像。でも、もし、その子が交通事故で死んでいたら、せっかく仲良くなったのにいなくなったなら、その悲しみを一生背負い。おじさんになった今も、その子のことを思い出すだろう。そのおじさんがもし、タイムスリップして、その子が事故に遭う前の日に戻ったらどうだろう?命がけでその子を救おうとするんじゃないか?
サウナの休憩室で、疲れた顔で缶ビールを飲む、おじさんたちを見て考えた。「これ次回作にしよう!」と考えたが、いろいろあって保留。その後、日本の不況がさらに深刻になり、辛いのはおじさんだけでなく、日本人全てが大変になり、希望が失われた。そんな時代にどんな映画を作るべきか?と考えていて、その物語を思い出した。
主人公だったおじさんを女性にして、交通事故を弟にして、そこから崩壊した家族を救うためにタイムスリップすると言う風に配置換え。それが「明日にかける橋」だ。そんな風に「物語を作ろう!」と言う感じではなく、あれこれ見ていて、想像していて物語ができてくることが多い。でも、そんなアイディアがバンバン出てくる訳ではない。そして物語を作るときはイタコの霊状態。何ヶ月も人と会わない、話さない状態が続く。なかなか大変な作業なのだ。