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物語はどのようにして作られるのか? 名古屋で思いついた「明日にかける橋」 [映画業界物語]

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物語はどのようにして作られるのか? 名古屋で思いついた「明日にかける橋」

「太田監督は毎回、どうやって、あんな感動的な物語を考えるのですか?」

と聞かれることがある。

「と言うのも、通常映画はラストに1回ほろっとするだけでも泣ける映画」と言われるのに、監督の映画は何度も泣ける。1本の映画で3−4回感動する。それも5本の映画全てが泣けた。普通は感動作を作る監督でも、次の作品では全く泣けなかったりする。なのに何で毎回泣けるのか?どうやって物語を考えるのか?不思議なんです」

と言う。時々、ある質問なので書いてみる。多くの日本映画は原作がある。小説、漫画、翻訳物、それらを脚本家が読んで映像表現で伝える形に直し、シナリオ化する。が、僕の映画は全てオリジナル・シナリオ。原作ものはない。1から僕が物語を考えてシナリオにして、自分で演出する。

が、どうやって物語を書くか?と改めて聞かれると、どう説明していいか?戸惑う。「明日にかける橋」の場合は、2006年。今から14年前に名古屋で思いついた。僕の初監督作「ストロベリーフィールズ」の名古屋公開初日に合わせて、前日から現地入り。配給会社が経費を出してくれなかったので自腹で交通費、宿泊費を負担。

なるべく安いところ....と駅前のサウナに泊まった。そこの休憩室にいるのは中年のおじさんばかり。皆、疲れ果ていて、いや、人生に疲れていて、何に対しても希望が持てないでいるようだ。「この人たちがもう一度、熱く燃えて行動するとしたら、どんな時だろう?」と考えた。妻や子供からは粗大ゴミ扱いされ。会社での出世も見込めない。給料は安い。誰でも出来る仕事。「俺なんていなくてもいいんだよな〜」と考えているような人ばかり。

でも、若い頃はクラスメートの可愛い女子に、ラブレター書いたり、密かに憧れたりしていたんだろうなあ。と想像。でも、もし、その子が交通事故で死んでいたら、せっかく仲良くなったのにいなくなったなら、その悲しみを一生背負い。おじさんになった今も、その子のことを思い出すだろう。そのおじさんがもし、タイムスリップして、その子が事故に遭う前の日に戻ったらどうだろう?命がけでその子を救おうとするんじゃないか?

サウナの休憩室で、疲れた顔で缶ビールを飲む、おじさんたちを見て考えた。「これ次回作にしよう!」と考えたが、いろいろあって保留。その後、日本の不況がさらに深刻になり、辛いのはおじさんだけでなく、日本人全てが大変になり、希望が失われた。そんな時代にどんな映画を作るべきか?と考えていて、その物語を思い出した。

主人公だったおじさんを女性にして、交通事故を弟にして、そこから崩壊した家族を救うためにタイムスリップすると言う風に配置換え。それが「明日にかける橋」だ。そんな風に「物語を作ろう!」と言う感じではなく、あれこれ見ていて、想像していて物語ができてくることが多い。でも、そんなアイディアがバンバン出てくる訳ではない。そして物語を作るときはイタコの霊状態。何ヶ月も人と会わない、話さない状態が続く。なかなか大変な作業なのだ。


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