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今、振り返る「やる奴」と「やらない奴」の意味(上)表現をしなくては生きて行けない人と、しなくても生きて行ける人? [映画業界物語]

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今、振り返る「やる奴」と「やらない奴」の意味(上)表現をしなくては生きて行けない人と、しなくても生きて行ける人?

学生時代。映画学校。クラスの誰もが我こそは第二の黒澤明だ!と信じる個性の強い面々ばかりだった。が、授業は無意味なものばかり。実習をするにも機材は足りず、極々一部の生徒しか演出パートを体験できない。そんな学校に愛想を尽かし、2学期になると授業に出る生徒が急激に減る。

僕もそんな1人。近所のアパートに住む友人たちも同様。学校に失望。毎日、ダラダラと過ごしていた。そんな連中を集めて8ミリ映画を作ることを考えた。当時、人気の新進監督たちは助監督を経験せず大学時代に学生映画を作り、そのままプロになった人たちがいた。僕らもあとに続こう。見よう見まねで映画撮影。まずは僕が監督。かなり厳しい高校の文化祭映画のようなものができた。

次は友人たちの番。でも、皆、動こうとしない。1人が撮影まで漕ぎ着けたが、途中で挫折。中止したまま再開されずに終わった。やがて、皆、現実の壁にぶつかり失望し、バイトを始めたり、就職したり、古里に戻ったり。

これは学生映画だけではなく、ロックバンドや劇団でも同じだろう。夢見て上京。仲間を集め活動を始めるが、うまく行かず挫折。矢沢永吉の自伝を読んでも、横浜に出てきた矢沢が「ヤマト」というバンドを作り、アルバイトをしながら音楽活動を始める。それがいくつかのバンドを経て、キャロルに繋がっていく。

同じように僕も別のグループと知り合い、彼らと映画を撮り始める。先の同級生とは違い、こちらでは映画を作るのは当然。質の向上を求める。一つステージを上がった。が、学生映画出身監督では大した作品が撮れないという風潮になり、8ミリカメラの生産が終わったこともありブームは終焉を迎える。僕はアメリカ留学を考えた。

その頃の学生映画仲間と、僕が監督デビューしてから出会う俳優の卵たちと似ている。先に書いたあれこれ応援した若い連中のことだ。どちらも夢見て上京。頑張るが大きな壁にぶつかる。学生映画の友人たちは失望し潰れ、無言で去って行った。

そんな中で僕だけが生き残り、年月はかかったがプロの監督になった。なぜ、彼らを励まし、連れてこれなかったのか?そんな思いが長年拭えず、その贖罪が俳優の卵たちへの応援に繋がったのではないか?

その後、映画監督デビューして、第一線の俳優たちとお仕事させてもらうようになり、その凄さに驚愕した。今までは何だったんだ? 高校の体操クラブ? それがオリンピックレベル。大人と子供どころでない大きな差を痛感。

スタッフも同じだ。今、太田組で一緒に仕事するメンバーは皆、テレビ映画の第一線で活躍する人たち。ギャラが安いからと手を抜いたり、目を話すとサボったりはしない。誰もが全力で「素晴らしい作品にしよう!」と頑張る。どういうことなのか? 何が違うのか?次回、解説。(つづく)



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