「誰とでも仲良くしてはいけない」「みんなに好かれるようではダメ」それが最近の僕のテーマ。 [my opinion]
「誰とでも仲良くしてはいけない」「みんなに好かれるようではダメ」それが最近の僕のテーマ。
子供の頃、よく親が言ってたこと。
「誰とでも仲良くしなさい」
「みんなに好かれるような子供になってほしい」
これは関西でも関東でも、どこの親でもいう台詞ではないだろうか?これらの言葉を否定する人はまずいない。人として大切なことだからだ。
が、それらが間違っていることに気づいた。認識したのは最近、50代になってからだが、実は子供の頃から、それらに逆らうことばかりだったことに気づく。説明していこう。
「仲良くする」はいいことだ。喧嘩ばかりしているより、仲良くすることはいいことのはず。が、考えてほしい。「仲良くする」にはどうするか? 人はそれぞれに価値観が違い、主張がある、方向性もある。生活習慣、趣味、志向、全てが同じ人はいない。
それぞれが違う者同士が仲良くするには、
どうしなければならないか?それは我慢すること。洋食が好きな人が和食が好きな人と「仲良くする」には、好きでなくても和食を一緒に食べることが必要だ。たまにならいい。でも、結婚して妻が和食好きで「朝は味噌汁とご飯」がいいという。夫はトーストとスクランブルエッグ。どうすればいい?
1日起きに和洋変えるか?妻に合わせて、和食にするか? 夫は自民党支持。妻はれいわ新撰組。これも我慢して合わせるのは難しい。たまにならいいが、毎日、何年もとなると葛藤が生まれ、ぶつかってしまう。溝が生まれる。子供の教育はどうか? 健康管理はどうか?
「一流大学に行き、一流会社に就職する」
親がそれを期待する。子供にそれを押し付ける。でも、僕は違うと思っていた。だから、親と仲良くできなかった。「映画監督になりたい」というと、友達や教師までが反対。会ったことのない親戚にまで説教された。彼らは自らに正義があるようにいう。僕が新興宗教に入信したいと言っているように感じ止めようとする。
つまり「誰とでも仲良くする」というのは自分の価値観や志向、目標を抑えて、相手に合わせることなのだ。しっかり勉強すれば仲のいい親子になる。友達、教師とも仲良くできる。大学や就職だけではない。それなりの歳になると田舎では、近所の人や親戚がこう言いだす。
「結婚はいつ?」「子供はまだ?」
30を超えて1人でいると、あれこれ噂され、批判される。その人たちと「仲良くする」には、いい歳になったら結婚し、子供を作るという行為をしなければならない。要は自分を殺し、夢を諦め、一般的な価値観で生きなければ「誰とでも仲良く」することができないのだ。地方地方での習慣。業界での慣習。人は無意識にそれらを押し付けてくる。
仲良くするには、我慢し、
従わなければならない。何十年もその街にいる人。その業界にいる人を変えるのは難しい。仲良くするには自分が我慢し、変わるしかない。「誰ともでも仲良くしろ」というのは「長いものに巻かれろ」「郷に入れば郷に従え」ということ。これもまた「村社会ルール」であることが分かる。皆と同じことをしろ。勝手なことをするな。「みんなに好かれる」にはそれに従えということ。
振り返ると僕はそんなことに逆らい続けてきた。映画の仕事をするためではあるが、そうでない人も考えてほしい。時代は変わる。これから大切なことは「誰ともでも仲良くしないこと」「みんなに好かれる必要はないこと」だ。また、その辺を詳しく書く。
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