僕の場合。映画監督になるために、あえて業界から遠ざかった?⑤ =夢追いながら挫折していった仲間たち [映画業界物語]
僕の場合。映画監督になるために、あえて業界から遠ざかった?⑤
=夢追いながら挫折していった仲間たち
僕の場合。一度、業界で仕事をしながら、離れて海外に行き。いろんな体験をして、戻って来た。なので映画学校の同級生が業界で仕事していた。帰国してから書いたシナリオを見てもらうこともできた。
昔、仕事をした先輩たちを訪ねることもできた。自主映画時代の友人も業界で活躍していた。もし、これがいきなりアメリカに行き、いろんな経験をして日本に戻っても、誰も知り合いのいない映画界で仕事を探すことはむずかしかったかもしれない。
ただ、当時からコツコツと小説を書いていた友人。シナリオを書いて映画にするんだと息巻いていた後輩。日本でバイトをしながら自主映画をしていた仲間は皆、いなくなっていた。
皆、バックグランドがなく、バイト生活しか経験していない中で、自分の好きな映画やドラマを切り貼りした物語を想像。書き続けていたが、バイトをするだけで1日が終わり、「書く力」が残されていない。書いては原稿用紙を破る....。最後まで書き上げたという話、誰からも聞いたことはない。
思うのだけど、やはり創作というのは、何らかの経験値から、記憶から生まれて来るものだろう。東京のアパートで生活しながら、バイトしながら、それだけの経験で生まれるものではないと思える。
では、アメリカ留学すれば書けるのか?というと、それはそれで苦戦するのだが、別の機会に紹介するが、僕がシナリオ=つまり、創作で本格的に戦うのは、このあとだ。LA留学をしたことで、それを元に書いたものが認められ….ではない。何が役立ったのか?
(つづく)
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