日本映画は感覚とノリと勢いだけの監督が多い!(中)=芸術か?娯楽か? その間にあるもの。 [映画業界物語]
日本映画は感覚とノリと勢いだけの監督が多い!(中)
=芸術か?娯楽か? その間にあるもの。
日本の映画監督に大島渚監督のように理路整然と語る人は少なく、感覚とノリで演出するタイプが多いこと、あるときに気づいた。僕が出会った監督たちをタイプ分けしてみた。
①深く考えず、感覚や趣味で演出する人芸術家タイプ
②理屈ではなく、ノリ、勢いで演出する武闘派ジャイアン・タイプ
この2つが多いような気がする。口下手で説明されても意味の分からない監督もいるが、口達者で話を聞いていると「それもあるかなあ」と思えるが、現実的な説明にならず煙に巻かれるだけという人もいる。何れにしても、理屈や論理ではなく、感覚、趣味、ノリで演出している。70ー80年代の映画は特に無意味な場面が延々と続いたり、するものがよくあったのは、そのせいではないか?
芸術家なのかもしれない。ただ、青春映画と思って観に行ったら中年オヤジの恋物語だったり、アクション映画なのに途中から前衛舞台のような芝居になったり、脇道にそれたり、本筋が疎かなになる。計画的犯行?なのか、暴走した結果なのか? 観客置き去りで監督がやりたいことをやる作品が多かった。
でも、その種のものを評論家は評価。「キネマ旬報」等ではベスト10に入った。それが芸術だというかもしれないが、その多くは深く考えず、感覚とノリだけで作り、それを勘違いした映画評論家や映画マニアが喜んだだけではないか?と昔は思えていた。対してハリウッド映画はストレート。本筋から外れない。無意味なシーンをクドクド見せない。まあ、単純明快。分かりやすい。でも、観客を裏切らない。楽しませる。ハラハラさせる。感動させる。
乱暴に言うと日本映画は監督の趣味と感覚で撮った芸術映画。ハリウッドは単純明快エンタテイメント。評論家の多くはアメリカをバカにし、芸術を支持していた。が、観客は日本映画に愛想を尽かし、ハリウッドに拍手を送った。ただ、日本映画も70年代以前は娯楽映画が多く、特撮シリーズ、高倉健の任侠路線、若大将シリーズ、座頭市、悪名のカツ定食。ザッツエンタテイメントだ。
それが70年代に入ってから芸術映画=監督がノリで作る作品が増えて行ったように思える。それらは当然ヒットせず、90年代に入ってから漫画を原作した観客ウケするものが多く作られるようになって、その手のノリだけ映画はほとんどなくなった。が、そのタイプの映画を作る監督たちが今も存在。その影響を受けた次世代の監督がたちが育っているというのが現状なのだろう。
また、長くなってしまったので僕自身の話を書けなくなった。それは次回に!
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