SSブログ

明日にかける橋ー編集日記 クリエーターは日常を生きにくいの? [「明日」編集]

IMG_5334.JPG

編集中は非常にナイーブで感情的になり、神経がもの凄く敏感になっている。まあ、そうでなければ観客をハラハラさせたり、涙させる物語作りはできない。

というのも、編集というのは主人公の気持ちを映像で伝え、観客に感情移入してもらい、波瀾万丈を体験させ、感動させる仕事。俳優が涙を零す場面があっても、それを引き絵で見せては伝わらない。やはりアップで涙が見える必要がある。でも、和解した2人が抱き合うシーンを寄りで見せると、白々しくなることがある。この場合は引き絵で見せた方がじんわりすることもある。

次のカットは何にするか?を考え、どんなカットを繋ぐと状況が分かり、主人公の気持ちが伝わるか?を神経を尖らせて作業するのが編集。だから、うまく繋がらないと日頃以上に苛立つ。感じる力が日頃の数倍になっているからだ。分かりやすく例えると、出産後の母猫のようなもの。子供を守るためにもの凄く敏感になり気が立っている。そんなときに頭をなでようとすると噛み付かれてしまう。

編集も同じで、怒り心頭のシーンを作業しているときに電話がかかって来ようものなら、その怒りを電話の相手にぶつけてしまう。メールが来ても非常に感情的な返事をしてしまうこともある。だからこそ、外部を遮断。人と会わずに作業しないと、トラブルになってしまう。

また、感情的であると同時に、不安と喜びが背中合わせにやってくる。編集作業がうまく行くと「おーーこれは傑作になるぞーー」と大喜びするが、うまく繋がらないシーン。必要なカットがうまく撮れておらず、盛り上がらないと「あーーダメだ。これでは観客を感動させられない......もう、俺には映画を作る力はないのか....」ともの凄く落ち込む。

感情の振り幅が広く、1日の内に有頂天になったり、落ち込んで自己嫌悪にかられたり、ボロボロになる。だが、神経を鋭く尖らせていないと編集はできない。鎧を着けずに裸で戦場で戦うような感じだ。体中が傷だらけ。打ちのめされて作業ができなくなる日もある。

外から見ると精神病に見えるだろう。「あの人、おかしい〜」と。或は「やはり芸術家というのは変なのね〜」と思う。そんな感受性を持つ人は日常を生きるのがとても辛い。いろんなことに傷ついてしまい、些細な事で心が折れる。たぶん、子供の頃は皆、多感な感受性を持っているのだが、大人になるに従い、身を守るために、傷つかないために感性を鈍化させるのだろう。特に今の時代。無神経な方が生きやすい。そして教育が感性を育てることをしないこともあり。大学を出た頃には感じる力のない大人が出来上がる。

女性の場合はそれでも、多感で感じる力がある人が多い。比べて男性は20歳になればもう、鋭い感受性はほとんど失い。オジさんになると完全無欠な無神経人間=サラリーマンロボットになることが多い。女性は歳を取っても歌舞伎や芸能を楽しむが、オジさんは家で野球を見るくらい。そして女性はそんな夫の振る舞いに苛立ち「何でこんなに無神経なの!」と心を痛める。その背景が感受性の鈍化なのだろう。

男でも女でも、鋭い感受性が鈍化せずに大人になると生き辛い。そんな人は無神経な振りをして、自分を偽って過ごすしかない。だが、その種の人がクリエーターや芸術家になる素質があるのだ。日常は苦しいが、仕事で「ここ一番!」というときに、その感受性を発揮させる。それが作品となり人々を感動させる。

話が逸れたが、そんなふうにクリエーターというのは鋭い感受性を持たねばならないが、現代社会を生きると大いに傷つき、心折れることが多い。だが、それは歌や小説、絵や演劇というアートの世界では大いなる力となる。そう考えると、物作る人たちは理解され辛いし、気難しいのもよく分かる。自分もそんな世界で生きていることを考えると、ため息が出てしまう。本日も編集をスタートする。


小.jpg
nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。