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「平成まぜこぜ一座 月夜のからくりハウス」を見て。 [2019]

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「平成まぜこぜ一座 月夜のからくりハウス」を見て。

少し前になるが、あるイベントを見に行った。東ちずるさんがプロデュースする「平成まぜこぜ一座 月夜のからくりハウス」これは何かと言うと、僕が子供頃に祭りの見世物小屋で障害者によるパフォーマンスというのがあった。少し前までは女子プロレスでは小人プロレスというのがあった。が、何だかんだで、それらができなくなってしまった。

それらの令和版というか、下半身のない男性のダンス。盲目の少女の歌。等、体にハンディキャップを抱える人たちのパフォーマンスイベントの記録映画と、そのメンバーによる実演イベントである。最初は子供の頃に見たおどろおどろしい祭りのイメージがあった。あるいは慈善団体による「応援してあげましょう」的な同情イベントかとも考えた。が、違った。障害者のパフォーマンスを見て、同情するとか、応援するとかより、励まされた。涙が溢れた。

並大抵のことであの芸はできない。尋常の努力であのダンスはできない。僕はよく「女優になりたい」という若い子と出会うが、あの障害者たちの芸を見せたい。努力とはこういうこと。人生をかけるとはああいうことなのだ。五体満足な者がちょっと可愛いだけで女優になれると勘違い、大した努力もせずにプライドだけが高くなる。障害者でも健常者でも同じ。人生を賭けた表現に観客は胸打たれるのだ。

もう一つ感じたこと。団体名「平成まぜこぜ一座」というネーミング。足の悪い人も、目の見えない人も、寝たきりの人も、いろんな形で障害を持つ人も、そうでない人もごちゃ混ぜにしてしまおう。そうすれば差別はなくなるという願いを込めた名称であるという。つまり、この日本という国は「障害者を見世物にするのは差別だ」「人権侵害だ」と祭りの見世物小屋も禁止。小人プロレスも無くなった。

結果、障害者が活躍する場をなくしただけ。彼らを人の目の届かないところに隔離したのと同じだ。それって臭いものには蓋をしろ的な発想ではないか? それを推進したのは世論。「可愛そうだ」「酷い」「許せない」その気持ちは分からないでもないが、彼らの活躍の場を奪っただけだと気づかない。その日のステージで踊る車椅子の青年の輝くような笑顔。日頃、邪魔者扱いされているであろう彼が、その瞬間は光輝いている。

精神病についての勉強をしていても、同じことがある。こちらも世間では目を背け蓋をしがち。僕が記事に書くだけで必ず「人権侵害だ」「差別を助長する」と批判がくる。それを恐れ萎縮したマスコミが何も伝えないことで、本当の症状を知らず、未だに「怖い病気」と思われ、それが偏見を助長している。大切なのは知ることで患者や周りの人が救われる。多くが知ることで偏見がなくなるのだ。いろんなことを感じた「月夜のからくりハウス」だった。再演の時はぜひ!



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