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「みんな仲良くやろう」は村社会ルールの呪縛?=大切なのは仕事のクオリティか?仲良しこよしか? [映画業界物語]

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「みんな仲良くやろう」は村社会ルールの呪縛?=大切なのは仕事のクオリティか?仲良しこよしか?

映画スタッフ内でトラブルが起きた時。原因を考える。「誰が悪いか?」とは少し違う。「悪い」ではなく「原因」なのだ。だが、その発想はチームの中で理解されにくい。

あるプロジェクト。スタッフA(50代)がいた。最終決定権は監督である僕にあるのだが、Aはいろいろ決まった後も、文句を言ってくる。「それじゃダメです。***で行きましょう」それがダメな説明するだけで時間を取られる。見ているスタッフは「監督とAは仲が悪い」と思う。Pは「仲良くやってくださいよ」という。

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仲良くではない。僕が決めたことに対してAが文句をつけてくるのが原因であり、Aが決められたことをやればいいだけのこと。揉めているのでもなく、仲が悪いのでもなく、Aが言われたことをしない。反抗的なだけなのだ。が、他のスタッフは「仲が悪い」「揉めている」と解釈する。

考えた。なぜ、Aは逆らってばかりいるのか?彼はCM畑の人間であること。映画やテレビの仕事はしたことがない。同じ映像とは言え、映画とテレビとCM。そしてドキュメンタリーは価値観、方法論、ルールがかなり違う。例えばテレビ番組の責任者はプロデュサー。映画は監督。CMはスポンサーだ。それぞれが最終決定をする。

そのためAは何かというと「スポンサーに聞いた方が」「スポンサーに報告しないと」と言う。が、映画は映画監督が責任者だ。スポンサーにお伺いを立てて演出はしない。そんなAはドラマをやったことがない。だから、CMの方法論、ルールで考える。

悪意はなく、僕に敵意を持っている訳でもない。が、彼は50歳を超えており、新しい方法論を受け入れられないというのもあった。「監督のいうことはおかしい。従えない。このままではトラブルが起きる。俺が止めないと!」と考えたのだが、彼自身がトラブルの元となっていることに気づいていない。

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結局、プロジェクトは破綻。Aも問題だったが、プロデュサーも問題だった。深く考えずに、いろんな業界からスタッフを集めたことでトラブル続出。Aが問題であることを伝えてもクビにしない。「人手が足りない」「仲良くやってよ」としか言わない。

AはCMルール。僕は映画。どちらかが妥協するしかない。監督は僕。そして作品は映画。Aが従うしかない。それとも僕をクビにして経験のないAに監督させるか? もっと言えばCMの方法論しか分からない彼を呼んだのが最初の失敗。

子供の頃は柔軟性があるが、いい歳をした大人は新しい価値観や方法論を受け入れられない。長年培ったルールで仕事する。「仲良くしろ」と言われても自分のやり方は曲げられない。そんな彼には降りてもらうしかなかった。

でも、日本人には村社会ルールが根付いているのか? 仕事のクオリティより「仲良く」を優先することが多い。映画製作にムラ社会ルールは通用しない。いや、現代社会に「みんな仲良く」はもはや意味をなさない。「分かる者同士で頑張る」それが大切だと感じる。



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