映画製作は理解し辛い。あれこれ勘違いする人たち。良かれと思ってかき回すこともある? [映画業界物語]
映画製作は理解し辛い。あれこれ勘違いする人たち。良かれと思ってかき回すこともある?
毎回、撮影の手伝いに来てくれる人たちがいる。自腹でロケ地まで来て、自腹で宿泊。ボランティア・スタッフとして撮影を手伝ってくれる。でも、何かを要求するわけではなく、映画が好きなので、撮影に参加できるだけで喜んでくれる。そんな1人。ある中年男性が、こんなことを言った。
「女優のA子さん。今回は出演してないんですね?」
彼女には期待していたが、前回の映画で酷い芝居をした。だから今回は起用していない。だが、その男性はいう。
「前回、よくなかったという話は聞いてますけど、そのことで反省して次は頑張るということもある。また呼んであげたらどうです?」
その発言。悪意はないが、あえて言えば、いくつかの問題がある。まず、ボランティアで手伝ってくれるのはありがたいが、キャスティングに意見するのはどうか?もちろん、自分の思いを伝えただけで強く要求した訳ではない。が、会社の人事で、外部から来たお手伝いの人が、社長に「彼は営業部に戻してあげたら」というだろうか?それは世間話とは言えない。
シナリオだとどうだろう?「結末はああではない方がいいですよ」というだろうか? 映画ファンがネットであれこれ言うのは自由だが、撮影現場ではスタッフ、キャストだって、キャスティングやシナリオについては一切。言わない。なのに、彼は世間話のような感じでそんなことをいう。プロではないので仕方ないところもあるが、引っかかった。
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背景を考えた。A子の失態は非常に深刻で、物語が成立しなくなる危険があったことを知らない。演技がボロボロだったが、別の俳優で撮り直す余裕も、時間も、費用もない。何人ものスタッフが物語が繋がるようにポスプロで長時間、何度も徹夜で編集せねばならなかった。A子のために苦労したスタッフ、超過した予算のことを彼は知らない。
なのに「可愛そうだ」「また呼んであげよう」と言う。また同じことが起きたらどうするのか?とは考えず、可愛そうという。映画作りは仲良しクラブではない。大学のサークル活動ではない。トラブルを起こしても、反省すればまた仲良くやろう。仲間はずれは可愛そうだ。そんな発想で彼は考えているようだ。
映画は真剣勝負。一つの失敗で、全体がダメになることがある。多くの人が迷惑し、被害も受ける。製作費は低予算でも何千万円。一大プロジェクト。それをサークル活動のように考えている。ただ、一般の人だし、映画製作が分からないのは当然。その時は分かりやすく説明した。
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それ以来、あれこれ言うようになる。シナリオがどうだ。撮影がどうだ。彼が言うべきことではない。ボランティアで船に乗った人が船長に航路や速度について、あれこれ進言するようなもの。悪い人ではない。手伝いもありがたい。が、集中せねばならない現場で、それを言って来られても困惑する。その後、彼は手伝いには来なくなった。自分の意見が通らないからか?余計なことを言っていたことに気づいてくれたのか?は分からない。
僕にも反省がある。もともと彼にとって撮影は「仕事」ではない。祭りの参加に近い。さらに話すことで「監督はいい人」「お友達になった」と思われた。彼は撮影=祭り=サークル活動と捉えるようになる。もちろん他の人たちはボランティアに徹してくれるが、彼はそう考えた。
「みんなで仲良く」「仲間はずれはいけない」「自由に意見を出し合う」
そんな勘違いをさせた僕にも責任がある。よく映画監督は「怖い」と言うイメージがあると言われる。近づき難い。それはそれで意味があると最近は思えている。
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