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「監督はギャラ取るんですか?失望しました....」という地元市民。その背景を考えて分かった人の心理? [映画業界物語]

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「監督はギャラ取るんですか?失望しました....」という地元市民。その背景を考えて分かった人の心理?

地方映画を作ると、完成してからこう言われることがある。

「監督。ギャラを取るんですか? 失望しました!そんな人だったんですね....」

そう、なじられたことがある。どの街でも数人はいる。???と思う人が多いだろう。僕は映画監督という仕事をしている。映画を作ることでお金を頂き、生活をしている。職業だ。当然、監督料を戴く。と言っても、その額をいうと多くが驚くだろう。もちろん安すぎて!でも仕事なので貰う。それより無事に映画を完成させ、地元の人に喜んでもらえることが嬉しい。でも、そんなことを言う人がいた。

そんなお1人。彼は50代男性。会社経営者。地域活動をしている。顔も広い。性別に関わらず、そんなことを言うのは年配の人。年若い経験が少ない人ではない。地方映画というのはその街をアピールするための映画。町おこし映画だ。

街で寄付を集め、時には自治体が資金を出し、プロの映画スタッフを雇って製作する。が、企業映画のような十分な予算は集まらないので、街の人たちがボランティアでお手伝いすることが多い。雇ったプロには当然人件費を出す。

それを先の人たちは「なぜ、監督はギャラを取るのか?」と怒る。が、「カメラマンはギャラを取るのか?」「俳優には金を払うのか?」という声は出ない。監督だけなのだ。一般的に映画製作では「監督が一番大変」と言われる(本当は皆大変!)その一番大変な仕事をした人がギャラを取ることを批判するのはなぜか?

その話を第三者にすると「理解できない!」「おかしいんじゃない?その人たち」と言われる。僕は何度も経験しているので空気として、背景は分かるが、いい大人がなぜ、そんなことを言い出すのか? そのメカニズムが分らなかったが、長年考えてピッタリな例を思い出した。

アメリカ留学時代。僕はLAに6年住んでいた。最初に渡米したとき、お世話になった日本人がいた。英語も全くできなかったので日本人が現地にいたことありがたかった。ある方の友人で僕は面識がない。渡米初日に訪ねた。が、その人はあまりフレンドリーではなかった。アメリカに長く住むのでそうなのか? 最低限のことはやってくれたが、それ以上はしない。それでもありがたかったが、何か引っかかるものがあった。

その後、僕は大学の映画科に合格。英語もある程度できるようになり、中古車も買った。そんな頃から僕を頼って遊びに来た友人が何人もいる。当時、彼らは大学生。友人たちの希望でユニバーサル・スタジオやディズニーランドに行く。有名なレストランで食事する。僕が運転。街を案内し、通訳もする。彼らは喜んで帰ったが、僕は出血赤字サービスでその月は金欠。

アミューズメント・パークの入場料はかなり高く、彼らが行きたがった有名レストランも高価。ガソリン代もいる。何日も彼らに付き合うとかなりの出費。通常生活費の3倍4倍。貧乏な大学生生活。おまけに当時はまだ円が安かった。それでも友人が来てくれたことは嬉しく、いちいち文句は言わなかった。それが長年の友人が来た時、こう言った。

「大学生活で大変だろうから、食事代や入場料は僕が出すから!運転もしてもらうし、通訳や案内もしてもらう。ガイド料にしては安いけど、そのくらいはしないと!」

え?と思った。考えると、なぜ、何度も行ったディズニーランドやユニバーサルスタジオに自腹で行かねばならなかったのか? なぜ、行きたくもない高級レストランで食事せねばならなかったのか? 運転して案内して通訳して、友達だからと思ったが、多くの友人は「じゃあ、また!」と行って帰って行った。その話を先のお世話になった日本人に話すと、こう言われた。

「そうなんだ。彼らはアメリカに来ているのに友人と会うと日本にいる時と同じ気分になってしまう。一緒に旅行していると勘違いする。こちらが付き合いでディズニーランドに行っていることを忘れる。その内に友達の友達というのが訪ねてくる。同じことの繰り返し。何度も自腹でディズニーランドに行った。それを指摘すると揉める。ある時に一線を引いた。それ以上はしないと」

僕の友人たちも同じ。一緒に旅行していると思い込んでいた。「だから割り勘が当然」と思う。東京ならそれでいい。でも、LA。おまけにDランドも、Uスタジオも僕はすでに何度も行っている。なのに高い入場料を払って同行。気遣いをしてくれたのは数人だけ。ほとんどが友達と旅行しているモードになっていた。

地方映画も同じなのだ。監督は撮影前から、それこそ1年前から地元に通う。その内に仲良くなる。友達モードが育つ。一生懸命やるほどに「この人は地元愛があるんだな」と思われる。僕のモットーは「まず、地元を好きになること」そうやって、誤解が始まる。

「この監督は金のためではなく、地元を愛してくれている。だからこの街で映画を作るんだ。俺たちと思いは同じだ!」

映画は完成。ギャラを請求する。

「なんで? 金を欲しがるんだ? 街を愛しているのは嘘だったんだ。騙された!」

先の観光旅行の友人たちと同じ。「友人とLA旅行をしている」=「だから割り勘」「地元のために映画を作っている」=「だから、双方ギャラなし」と認識してしまったのだ。どちらも考えれば分かることなのだが、気づかない。その地元の人は特別ではない。同じことを友人たちがLA時代にしている。そこで以前にも書いたが、先輩に言われたこと。

「お前は一生懸命やりすぎるんだよ。だから、誤解される。金のためじゃないと思われる。少しは面倒臭そうな態度を取るとか、距離を置くとか、仲良くしちゃいけないんだよ。結局、バカを見るのはお前なんだからな!」

先輩の言うことは正解な部分もあり、明らかに間違っている部分もある。でも、考えねばならないことだ。悪意はないのに人は勘違いし、人を非難し、自らを貶めてしまう。人とは一体どういう生き物なのか? 考えてしまう。



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